今日のコラム・バックナンバー(2002年 8 月分)


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掲載は日付順になっています。


2002.8.1

また、官でやることは
安全重視だから、という意見も多いと思うが、
少なくとも最近に限ってみても
官だから安全ということではないし
安全と費用は反比例していても良いという話にはならない。

事実、この間に起きて問題になった、
「薬害」などの発端になった許認可にしても
たとえ公的な機関が監視していても
悲劇的な問題が起きてしまったことは記憶に新しい。


テレビを見ていたら
自治体の単位ごとに事業単位が縛られていて
事業の効率性にかけるという言い訳をする自治体があったが
本来はそれをも含めて改善するべき話だろう。
それができないこと自身がおかしな話なのだ。

安全性の問題もいつも問題になるのは責任の所在だ。
縦わり組織の弊害が叫ばれて久しいが、
そういう問題を根本から直す話と行動に
なぜ具体的になっていかないのだろう。



2002.8.2

安全とコスト

公と民

電力発電と水道と交通手段、などの公共性のある事業


これらの関係を
いままでの一律的な判断や思い込みで見ることは
非常に問題があると筆者は思う。

公的機関だからコストが高くて当たり前、だとか
安全である、とかにはならないし
もともとそんな議論を許してはならない。

逆に
民間でおこなうからコストが安くなるとも限らない。
(この間の民と政の癒着の実態をみればあきらかだろう)
もちろん公的なところよりも安全に運営できる、ともならない。




2002.8.3

本来「公」であることは文字どおり「おおやけ」
であることなのだから
市民国民のために事業を行わなければならない。
まして
私企業も国民ふくめ「人々のために」といい始める時代だ。

誰が国民国家のために事業を行っていっても良いはずだし
ものづくりから公共的な事業まで誰が行ってもいいはずだ。

しかし、あえて乱暴に言ってしまえば
けして公だけがやらなくてはならないもの、などない。
逆に民だけができるもの、というものもない。




2002.8.4

優れた事業の目的と「おおやけ」の意識があれば
たとえ公的なところがやるべき仕事だと
いままでであれば思われていたような仕事でも
民間が行っても良いはずだ。

組織が硬直化しその存在意義を無くし
意志も持てなくなっているようでは
単なる形やいままでの行きがかりや
法律や規制や既得権の延長上で
公が公的なことを行うこと、というのは
当てはまらない。

むしろ民間であっても
正しい目的意識を持って活動するならば
コストも安全面でも
満足のいくサービスを提供できるはずだ。




2002.8.5

もちろん「公」が行っても
おかしくはない、とも思うが、

むしろそれができない公的機関のほうが
これからは増える可能性さえある。

外務省の問題なんかそれの極みだし
到底ふつうの神経の持ち主ならば
容認できないような天下りの仕組みなんかは
その最たるものだ。
こういうものが改善されない限り
国民の公に対する信頼もなかなか高まっていかないだろう。





2002.8.6

なぜこんなことになってしまったのかは
考えてみれば安易にわかる。
時代が変化し、社会と人々の様々なありようが試されつつあるのだ。

大昔の原始的?な資本主義は
資本は人から収奪することで利益を生み出していたし
それを最大化することが資本の目的にもなっていた時代もあった。

そんな社会のありようを修整し
国民にひとしく平等なサービスを供給するのが
近代国家の成立と重なり国家や公的な機関の目的にもなった。

しかし現代にいたっては
利益の最大化を目的としない企業さえ現れる
NPOが最たるものだ。

あるいは私企業のなかにも
企業が儲けを出すことと
社会のなかに位置づいていくことを
うまく両立させようとしている先進的な企業さえも存在する。




2002.8.7

利益を最大化することのみが
企業が存在するための目的となるわけではないことは
この時代にはますますはっきりしてきている。

こんななかでは
公的組織の在り方も変わって当然だ。
あるいは公的なセクターに任せるべき仕事も
変わってきて当然なのだ、と思う。

旧態依然のままの公的セクターの価値観では
すでに社会と時代の要請に応えられない。
社会の多様性や複雑性に対応していけない。

まして
組織が肥大化し硬直化してしまっては
自らを変えていくことさえできない。





2002.8.8

問題は
組織の形態なのではない、と思う。

誰でもいい。どんな組織でも良い。
でも必ず必要になるのは
何のための誰のために何をすべきなのか
何が必要なのか、
そしてそれを行うには誰ならできるのか。
誰が行うことが妥当なのか、という「はじめの議論」だ。

いまそれができないがために
社会のいたる組織で迷走が起きている。

社会のために人々のために中小企業のために
公的な組織が奮闘する図式があっていい。
民間の組織が自ら奮闘する図式があっていい。




2002.8.9

もちろん、だから、
民間が行えば、、、
民間であっても、、、
なんでもうまくいくわけではない、のはもちろんだ。

最近になって
国や官の機関の問題などがおこす不祥事に続いて
相次いで起る
私企業の目も覆いたくなるような不祥事は

私企業であっても「社会の公器」の意識がないと
簡単に迷走状態に陥ってしまうことが
あきらかになった。




2002.8.10

残念なことに最近では
いまでも少なからぬ企業は
株価や利益のために
どう考えても犯罪としか思えないようなことに
平気で手を染めてしまったりする。

日本でここ数年から最近まで
頻繁に起きている企業(や政治家)の不祥事や
アメリカでこの半年ばかりのあいだに
相次いでおきている企業の不祥事は
そういうことがいつでも起きる可能性が
あることを物語っている。
悲しいことではあるが事実はそうなのだ。




2002.8.11

資本が利益をあげるために、
あるいは自由な市場に任せておけばいいのだと、
まったく自由な振る舞いが許されるとしたら
残念ながらそれが
本当に公共の幸せに結びつくかというのは
心配されるところだ。

本来、私企業であってもそれが持つ資源も事業の在り方も
公共性や社会のありかたと無縁ではいられない。

福祉、とまではいわないまでも
社会全体の豊かさや公共のために役立つ存在であることから
企業は無縁ではいられない。





2002.8.12

だから国民国家が企業や資本に対して
様々に規制することも当然ながら行ってきた。
これはまじめな資本家や企業家が国や社会とともに
苦労しながら築き上げてきた「知恵」だと思う。

まして最近は前述のように
利益の最大化を目的としない
NPOのような企業さえ現れるようになったし
あるいは私企業のなかにも
企業が儲けを出すことと
社会のなかに位置づいていくことを
うまく両立させようとしている先進的な企業さえも
社会に位置付き始めた。




2002.8.19

社会と国の機関の、関係の見直しと同じように
社会と企業の関係においても
新たな関係や価値観の構築が見られるようになってきた。

国家のなかにこういうNPOのような
企業の形態が現れてきたこと自身は
日本という国が成熟してきた証拠だといえなくもない。

それも含め、
最近起きるいままでとは異なる様々な状況は
社会にありように
様々な方向と解決策が求められていることへの
試行が始っていると
いうことでもあるのかもしれない、とも思う。




2002.8.20

なによりそんな状況のなかで
重要なことは
国民国家のなかで
日本の未来へのビジョンが語られることだろう。

それはもちろん一つの解だけでもないし
それにみんなが一致していくことでもない。

様々な人々によって様々なビジョンが語られること、
その実現に向かって
様々な人々が様々な行動がなされること、
が重要であって、
ビジョンとその実現の方法と道筋、
そしてその実現の主体者は
たくさんあって良いのだと思う。




2002.8.21

みんなが社会の豊かさを実現していくことや
人々の関係を成熟した関係にしていくために
それぞれがあるべき社会の姿を語ることと
その実現にむけて行動することが
もっとなされて良い、と思う。

みんなが同じ方向に同じことをやるのでは困るが、
それぞれの多様なビジョンと行動があっていいはずだと思う。

そう言えば国政のなかや地方自治の現場でも
様々な状況が見られるようになった。
どう見ても、目の先の利に目の色を変えて
奔走しているような為政者や経営者も少なからずいるが、
様々な未来へのビジョンが
語られはじめているということもある。




2002.8.22

それにしても景気のよくなる様子がない。

今年のはじめくらいは
アメリカの景気が悪くなる話から
一転、景気回復と騒がれたのに
結局いまとなれば
アメリカの景気はどうも腰折れて心配な様相だ。

何年か前にはニューエコノミー論というのが
世界中を闊歩していて
胡散臭げな経済評論家は
みんながみんな、ニューエコノミー論を擁護していた。

今、テレビなんかに心配そうな顔をして
なおかつ偉そうに出てくる経済評論家の多くは
そんなニューエコノミー論の啓蒙活動を
懸命にやってきた人ばかりじゃなかったか。




2002.8.23

昨年から今年にかけて
アメリカ経済がごく短時間のうちに
景気腰折れ局面から再び景気復活か、と騒がれた時には
アメリカの経済は
いままでの人類の到達したことのない
未踏の段階まで達したのかと、
考えることも必要かとさすがに一瞬思えたのだが
今のなればやはりニューエコノミー論というのは
そうそう簡単にありえる話ではなかったのだと思う。




2002.8.24

いままでの長い人類の経済の歴史や
国の経済の仕組みの変遷を見てみれば
一国の経済の仕組みが根本からかわることはない、
永久に国家の経済の仕組みは変わらない、、
などとは思ってはいないが

少なくとも
景気変動のない新しい段階などという
「ニューエコノミー論」が現実味を帯びてくるには
もうしばらく、たぶんは数十年、は必要とすると思う。




2002.8.25

たしかに
需要の変動と供給側の追従が
リアルタイムに連動することが可能ならば
在庫負担や調整もなくなるし
結局需要と供給のずれによる
景気の変動だって無くなるはずで、

ニューエコノミーの一番肝心な点は
情報技術によって
景気変動はなくなり
半永久的に好景気が持続する、

というものだった。
でもそうは話は簡単じゃなかった。




2002.8.26

たしかに情報技術によって
生産側と需要側の連動というか
供給側への需要の変動の素早いフィードバックは
比較的可能になってきたと思うけれど

実際には経済はそれほど単純な話で進んでいるのでもなく
結構いろんな思惑が絡んで
思った通りに景気は動いてくれない。

もともと景気に限らず
株価だってみんなが同じように
株価は永久に上がっていくものだと
信じていてくれていればよいはずなのだが
そうは問屋はおろさなかった。




2002.8.27

そもそも
ニューエコノミーの能天気な判断は
景気変動がなく株価は上昇しっぱなしの
お天気経済が永久に続く、という
なんともノー天気な経済予測だった。

まあ、そういうことでも言い続けないかぎり
株価や「心持ち」は上がっていかないから
疑ったことをいうこと自身許されない、、
言う気分にもならない、、
、、という側面もあったのだろう。

きっとそんなだったから
企業も株価を下げるわけにもいかず
「粉飾決算」「不正経理」みたいな話にも
なってしまった。



2002.8.28

だからこんどのアメリカの粉飾決算・不正経理騒ぎは

ある意味ではアメリカ経済がその根本に持っている
能天気というか
超楽観的な経済予測への期待があるがために

当然ながらあたり前の経済の原理の上で
経済活動を行っている企業が
その乖離にどうしょうもなくなって
うそをつかざるを得なかった、という
いわばアメリカ経済の
「はったり」「バブル」「ブラフ」によって
無理矢理「人身御供」にされてしまった、
ということなんだろう。

だからといって
到底同情する気になんてなれないが、、。



2002.8.29

ところでこの話はアメリカの話で
日本には縁のない話だと思っていたら大間違いで
たぶん日本も大変なことになるのじゃないかと
ちょっと不安を感じる。

景気や株価は落ちるところへ落ちているから
いまさら粉飾決算もなにもあったものか、と思うだろうが

いや、こんな経済や株価の状態だもの
粉飾している企業なんて
むしろたくさんあるのじゃないかと
かんぐりたくなるほうが
普通だと思える。

まあ、もともと金融機関が不良債権の存在を
低く見積もっていつまでたっても実態が国民の前に
あきらかにされなかったこと自身は
とっくに粉飾みたいなものであるのだけれど、、。




2002.8.30

てなことを考えていたら
新聞に
アメリカのエコノミストが
「会計不信」の米企業が悪なら、
不良債権を抱えた日本の銀行は最悪だ」
と皮肉った、という話がのっていた。
ここまで来てもなお日本を「最悪」というのが
なんともアメリカだが、
まあ、たしかにどっちもどっちではある。

日本を笑うアメリカだって
偉そうなことを言えないし
もちろん日本も偉そうなことを言えるような
状況ではない。




2002.8.31

そう言えば今年に入ってからだっけ、
アメリカの格付け機関が
日本の国債のランクを下げたことにたいし
文句をいいたい日本ではあったが、

たしかにアメリカが偉そうなことを
言えるような状況じゃなかったことははっきりしたから
その点では
おいおい、いろいろ言えるような立場じゃないだろう、と
突っ込みを入れたくもなるが

でもあいもかわらず
日本も偉そうなことを言えるような立場じゃないことも
確かで、
ま、しかし、それにしても
いったい最近起きていることはなんなのだ。



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