今日のコラム・バックナンバー(2002年 4 月分)


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掲載は日付順になっています。


2002.4.1

一方の高度化は今後も日本の重要な資源だと思うし、
ますます力を入れていかなければならない、と思う。

しかし、これは限りなくオンリーワンに
収束していく市場だから
市場はそれほど大きくはないし、大きくなってはいかない。

日本の産業を支える重要な柱ではあっても
日本を支える市場としては残念ながら小さいと言わざるを得ない。

設備や研究費に莫大な投資やお金や人材の投入が
必要である、ということもある。

つまり、大量生産にしても高度な生産にしても
日本の多くの「普通の製造業」が
生きていくための範囲としては
狭くなっていく、ということなのだと思う。





2002.4.2

いま、国の経済をつかさどる部署などは
盛んに新しい産業や企業を興す必要があるのだ、
といっているが
その新しい産業や企業を興す必要があるというのは
つまりいままで日本を支えてきた
大量生産や高度な生産が
このままでは日本を支えられない、から
それをつぐなにかをみつけ
うみださなければならない、ということでもある。

しかしいまだそれは見つかってはいないように思えるし
下手をすると、いまだに大量生産や高度な生産のみが
これからの日本を支えるべきものだから
なんとか日本に取り戻す、ことを
志向しているような、そんな一歩下がったような
状況も見え隠れする。




2002.4.3

しかし、何度も書くように、
特に大量生産の海外へのシフトの動きは
今後加速することはあっても
再び以前のような状況に戻るということは
たぶん、ない。

高度な技術を高めていくことも
ますます困難になっていく。
もちろんやっていかなくてはならないのだが。
必要とする費用や投資の金額は
ますます上昇していくだろうし、同時に
市場規模は相対的に細分化していくだろう。


そんな問題意識のなかで
筆者等はこの間、本当に日本の産業の向かう方向は
大量生産と高度化の二つの方向しかないのだろうかと
問い続けてきた。




2002.4.4

結果として
日本の中小企業や優れた産業集積が可能にしてきた、
あるいは日本の製造業の高度化した到達点でもある
様々な生産技術や管理の仕組みや、などが可能にしてきた、
「多様なものやサービス」を
情報技術や信頼や優れたコミュニケーション能力などを使い
状況によってうまく組み合わせながら
素早く生み出し作り出していく能力、
高度で安価でありながらそういった高度な生産物・サービスを
適時にうみだしていく能力、
いわば、「超多様な生産方法」そのものが
日本の持ち味であるし
今後もその分野をより高度にしていくことにより
大量生産や高度な技術と連関させながら
「超多様で付加価値の高い生産物やサービス」を
生み出すことこそ
日本がやっていくべき「第三の道」なのではないか、
と我々は考えた。





2002.4.5

大量生産の道も残されてはいるし
けして、あきらめる必要はないと思うが、
人件費やインフラに世界のなかでも
トップクラスのお金がかかる日本では
少なくともそういうところに
お金をかけていかざるを得ないような
「大量生産品」の分野に関しては
いまのところ海外にシフトしていくことは
止められないと思う。

それが残念なことであるのか
なるべくしてなったのだから
「残念」なのではなく「当然」として
捉えるからいろいろあるだろうが、、、





2002.4.6

今後、日本の二つの道の一つだったうちの一つ「高度化」と
新たに登場した第三の道ともいうべき「超多様化」は
今後、重要な日本の方向になる、と筆者は考えている。

このうち、高度化は日本の産業の道として重要なことだ、と
最近はいろんなところで言われてもいるのだが
「超多様化の方向」はまだあまり言われていない。

高付加価値なものを作るべき、とか
少量多品種のものをつくるべき、
とかいう言い方では言われてはいるが
なぜそうなるのか、それでなければならないのか、
特に生産技術や最近の「情報技術」などとの関連において
言及している人はあまりいない。





2002.4.7

例えば
前述のテレビ番組で見ていても
「セル生産」などについて
盛んに取上げられているのだが

「多様性」を実現する一つの方法でもあるセル生産方式と
高度化の技術や生産技術の発達との関係が
描ききれていないことが多い。

最近の様々な経済関係の番組を見ていても
識者が何人も出てきても
結局日本の製造業そのものの方向については
だれも明確に方向を示していない。

竹中さんはじめ
だれも有効なアイディアや方向を示していない。
まだ、混乱がある。

消費者との関係や企業間の関係の変化などについても
盛んに言及しているのだがまだまだ混乱している。

産業界の現状、特に中小企業の現状認識との乖離もある。


そこが明らかにされ解決策が明示されていかないかぎり
いくら「新産業、新技術が必要だ」と言っていても
それは絵に描いた餅でしかない。





2002.4.8

以下は政治の話でもなんでもない。

最近、なるほど、こういうふうに
商売はしなくちゃいけないんだなあ、
と、とても勉強になったのは
為政者のみなさんの仕事ぶりである。

中味のことはいろいろあるだろうから
ここでは言わないとしても

ともかく自分たちで話題や問題を作っておいて
その問題を議論することで
自分たちに与えられた時間と給料を
充分に使いながら仕事して先生と呼ばれている。

こんなに「おいしくうまく」転がっている商売はまずない。
日本経済もこれくらい「内需型」でいかないといけない。


、、、と、こんな書き方をすることを不謹慎だというなかれ、
今、日本で起きていることほど不名誉で不謹慎なことはない。
国民がこれを笑わないでいたほうがよほど不名誉なことだ。




2002.4.9

我々は
為政者のみなさんは
当然、
最低為政者として信頼にたるレベルには
達しているだろうと
勝手に思い込んでいたから

選挙にも行ったし、税金だって政治に使われることは
無駄とは思わなかった。

でも、よもや為政者のみなさんが、
自分の身内や、自分たち自身が
問題を作ったり問題自身になったり、
そして自分たち自身で
それについての議論をはじめるとは思いもしなかった。

これほど「内需」な仕事の生み出しかた、
はちょっと聞いたことがない。




2002.4.10

こういう議論をすると

本来、しなくてはいけない大事なことや議論を進めないで
不良政治家の問題や、
自分たち自身の問題、を議論しているのはいかん、
とかいう世論が起きてくる。

そんなこといつまでも議論していないで
本来の議論や仕事をしろと、、、、

それも当然である。

しかし、もはや信頼の置けない人々に
「本来の仕事」を託すのに
不安があるのも確かでもある。

実際いま、テレビや週刊紙で報道されていることは
実際の我々の生活には直接関係のない
プロレス興行やボクシング興行のような
「リングのなかの闘い」を
テレビでみているのとなんら変りはない。




2002.4.11

プロレスイベントの興行師ではないハズの為政者が
プロレスリングではないハズの政治の場で
日々行っていくべきことは
我々国民の生活にとても重大な責務を負っている。

ところがこのありさまではある。

我々国民には、為政者のみなさんは
信頼にたる最低限のレベルには
達しているだろうという思いこみがあった。

でも今後は考え方を変えなければならないと思う。
彼らの多くはそういうレベルに到底達していなかったし
いまもって達しようとはしていない。

日本の危機と彼らのレベルのズレに
腹が立つ、どころか唖然としてしまう。




2002.4.12

私たち国民には
自分たちのウチワの問題とその議論で
時間と給料を浪費するような
人達を養っていくような余裕は無いのだし
そういうレベルの為政者はもういらない。

政治のことはあまり触れたくないし
今後も触れるつもりもないけれど

勘違いしてはいけないと思うのは
今起きていることは
「政治」でもなんでもなく
ただレベルの低い為政者を選んで政治らしきものを
託してしまったために
日本という国や社会の将来に愁うべき問題が
露呈している、というだけのことなのだ、と思う。





2002.4.13

へーこんなものまで売られているんだ、
とちょっとびっくりしたのが
ネットオークションでの
「ドメイン名」のオークションだ。

さすがにあまり売れているとも思えないが
結構な数のドメイン名がオークションに
かけられている。

価格もピンからきりまで、あって
金額も数万円から百万以上まで
いろいろある。

なかにはオークションの
売り言葉に
「こんな名前もまだあります」と
書かれているごとく
え!こんな名前が取られていなかったんだ、と
ちょっとびっくりするようなドメイン名もある。




2002.4.14

これだったら
真面目に購入を考えている人や会社も
あるんだろうな、と思うような
ドメイン名まである。

まあ、一時のドメイン取得の大騒ぎも
いまではそれほどではなくなってきたのだが
表立って話にでないだけ
情報技術やインターネット利用が
当たり前にもなった、ということなのだろう。


ところで筆者の「宝物」、、といっても
ぼろぼろでおよそ宝物扱いされてはいないのだが、
今から7年あまり前の雑誌
「ブルータス1995年4月15日号」
というのがある。

たった?7年前の雑誌で書かれていることも7年前のことなのに
この数年の間におきた様々な出来事を考えると
ドックイヤーとはよく言ったものだとつくづく思う。




2002.4.15

そのブルータスは
「コンピュータ三都物語」という特集で
まだまだアメリカのおいても黎明期だった
インターネットやネットビジネスの
最新の(その時点では)レポートと言っていい。

2002年の今、読み返しても必見だと思う。

とはいっても
予測もつかないようなとんでもなくスゴイことが
雑誌の記事以降、矢継ぎ早に起きたというわけではない。

この雑誌のなかで言われ予測されていたことが
ほぼ予測通りにそのまま起きている。


しかしこの7年に電子ネットワークを軸に
現れた様相の多様さと量とその変化のスピードや起きたことは
まさにドックイヤーだった。
今更ながらに驚かされる。




2002.4.16

特にはアメリカで起きた変化とそのスピードには舌を巻く。

日本では1995年といえば
まだ気の早い人間が
インターネットについてかたり始めたばかりのころで
およそビジネスにつなげていこうなどという話は
めったに聞こえてこなかった時代だ。

新聞でもテレビでも
    インターネットはまだなんだかわからない、
    そのうちすたれてしまう可能性も充分にあるはやりもの、
、、のような扱いで記事になっていた時代で、

今は、評論家として
情報技術やインターネットについて
これから社会や産業に欠かせないものになると
言っているような学者先生も
「こんなものは使いものにならない」「一過性のブームだ」と
本気で言っていた時代だ。





2002.4.17

そういう意味では
日本も「かわり身の速さ」ではドックイヤーなのかもしれないが、、、


「わかっていて変化を作り出す」
「先を見据えて変化を作り出す」
、、自ら変化を生み出すアメリカの懐の深さには目をみはるものがある。
やはりアメリカの変化とそのスピードは
残念ながら日本とは決定的に異なると思わざるを得ない。


振り返ってみるとアメリカにおいては
ゴア副大統領の知恵の後押しを背景に
クリントン大統領が1992年の大統領選挙の公約に
情報技術やインターネットを
社会や産業に活性化に利用していこうとする
いわゆる情報スーパーハイウェイ構想を打ち出している。





2002.4.18

1993年ころからはその構想の実現に向けて
加速的に動きだしており
雑誌が出版された1995年といえばすでに
NII(全米情報基盤)からGII(世界情報基盤)
への展望をもち、動きはじめてもいた。

よくよく考えればまだ10年もたっていない。

一昨年あたりから日本でも
e−ジャパン構想とか言われているが
この10年に満たないスタート時点の差は
すでにとんでもない差を生み出してしまった。
更に経済の停滞は差を大きくしたといっていい。


しかし、冷静になって考えてみると
たしかにスタート時点の差や経済の停滞は決定的だったし
その分析は間違ってはいないとも思うのだが、

日本の「遅れや違い」にはそれ以外の要因が、、というか
むしろ「もっと決定的な要因」がそこにはあるのではないか、と
前述の雑誌を読み返してふと思った。






2002.4.19

こうして雑誌を観ながら思い出してくると
いかに革新的なことが
この10年あまりに起きてきたのかと感慨深く思う。
とくにアメリカの先行者としての存在は大きい。

たしかに日本にとってのスタート時点の差や
経済の停滞は決定的だったように思うし
その分析はほぼ間違いないとも思うのだが、

スタート時点の差は
いま言われているほどの差ではなかったように思えるし
生まれ始めたばかりの情報技術関連産業やベンチャービジネスだって
それほど劣っていたわけではない。
日本においては「ITバブル」だってあった。




2002.4.20

この10年弱の間に情報技術分野におけるアメリカと日本の差、
それは
情報技術産業の力や技術力や産業としての差でもあるし
産業や社会への情報技術の応用の差でもあるし、
なにより「経済の差」「国力の差」でもあるのだが、

これらの差を生み出してしまったものは

実は基本的なところにもっと根本の要因が
あるのではないか、と
前述の雑誌を読み返してふと思った。




2002.4.21

それは
アメリカの若者と日本の若者の違い、厚みの違い、歴史の違い、、
いろいろあるし
要因としてあげるにはどれも間違っていない。

なにより決定的に違っているのは
なによりそれらを方向づける「社会のビジョン」そのものの
違いなのではないのか。
いや、違い、というよりは
ビジョンがあるかないか、のレベルなのかもしれない。



最近の社会やビジネスのなかで
起きていることや
やろうとしていることや、
この十年で起きた情報技術や科学技術の
変化や発展はすざまじい変化だし
いまもその流れは止まっていない。

しかし、これから先にどうなっていくのだろうと
ちょっと歩みをゆるめたり止めてみたりして
考えなければならないのではないかと思ったりもする。



2002.4.22

ことの表面の違いに惑わされず
なにが一番根本で起きている問題なのか、

この10年あまりの中で
行われてきたことは何だったのか、
試されてきたことは何だったのか、

情報技術云々に限らず二本の社会全体が
「こうなふうになってしまったこと」の原因は
いったいどこに問題があるのか。

なにより今、日本には作るべき次代に向けての
ビジョンはあるのか、つくろうとしているのか。


たった7年前の雑誌に書かれていることを
今、読み直して考えさせられることは多い。

直すべきものや事、反省すべきものやこと、は
何なのか、を真摯に見つめ直す時期に
(たぶんとっくに)来ているのだろうと思えた。




2002.4.23

最近
テレビのクイズ番組で
結構な視聴率をとっている番組があると聞いた。
「ファイナルアンサー」という言葉が有名らしい。

筆者はそれほどクイズ番組は好きでもないし
見もしないのだが、

それにしても昔からクイズ番組というのは
常に新しい番組が出きては消え、消えてはまた出来る。

なかには長寿番組というのもあって
十年以上も行われている番組もあるが

おおかたの番組は数年くらいのインターバルで
変わっていく。


考えてみると
クイズ番組のなかで行われていることの基本は
しごく簡単な作業だ。



2002.4.24

多くの場合、基本的には
番組からクイズを出題して
複数の解答者がそれに答えて正解か不正解かを競う。

いろいろ脚色はあっても基本はあくまで
クイズの出題をすることと回答することがセットになっている。

これをただの単なる作業として
順番にこなしていけば
クイズ番組というのは
たぶん5分くらいで終わってしまう。

出題と回答、という行為だけで捉えるなら
極端に言えば
紙のなかで出題して紙の中で答えても
結果の正解がかわるわけではない。

つまり当たり前の話だけれど
クイズ番組というのは正解を探す行為そのもので
成り立っているわけではない、ということだ。




2002.4.25

多くのクイズ番組は
単にクイズの出題と回答という現象をめぐって
番組を成立させているようには見えても
実はまったく別の価値を視聴者に供給していて
それがあればこそ番組として価値がある。

そうでなければ
回答の正解率が高いことと番組の視聴率が
直結するということにもなってしまうが
現実はそうじゃない。

実はクイズの答えの正解率とか中味ではなく
番組のなかでの一連の面白さやエンターテイメントそのものが
視聴者を捉えていて
有名だったり高視聴率をとっている番組なんかは
結局それをうまくやって番組として成立させているのだと思う。




2002.4.26

すべてのクイズ番組がそうだというわけではないけれど
多くの場合、視聴者としては
クイズの中味そのもの、
どの回答が間違いでどの回答が正解だ、とかに
興味を持っているわけではない、
ということだ。

それでよければ紙の媒体でもすむ話だろうし
テレビ番組であってもあっと言う間に終わってしまう。

視聴者があきないで
その番組を見続けている気になるような
クイズ番組の見せ方・演出に工夫を凝らす、、。




2002.4.27

例えば多くの視聴者は
最近のクイズ番組の多くに

クイズそのものの正解率や
クイズの出題内容よりは
有名なタレントなど解答者たちの
一挙手一投足に興味と期待を持ってみているのだろう。

なかにはクイズ番組だか人気のあるタレントの
バラエティー番組だかなんだか
わからないような番組もあるが
そんなやり方を含め、
クイズ番組として
視聴者がリピーターとして毎週来てくれるような番組として
成立するように工夫を凝らしている。





2002.4.28

タレントの人気に頼るのはクイズ番組の成り立ちをしては
基本かもしれない。

最近はやりのクイズ番組なんかは
けして超高度なクイズが出題されているわけではないが
司会のたくみな話術を中心にして
解答者との駆け引きがとてもおもしろい。

よくもまあ、これだけ長いこと引っ張るな〜、、
と思うほど
長時間、回答から正解かどうかまでの結論を長引かせる。
正直言って、もういいかげんにしろというほど
引っ張る、引っ張る、、
だけどその駆け引きそのものが
多くの視聴者にとってはおもしろいのだろう。





2002.4.29

後ろに流れる音楽もそれをあおるような選定がされていて
思わず、結論まで見てみたくなる。

相手の解答者は人気のタレントを登場させるからなおのこと
視聴率があがるのだろう。

ウマイものだと思う。

で、こういうクイズ番組なんかを見ていると

これはテレビのクイズ番組に限らず
様々、いろんなことでも同じことが
言えるのじゃないのだろうかと思う。





2002.4.30

ゲームセンターにしても
商店街の買い物にしても
アミューズメント施設、にしても
同じことなのじゃないか。

当然、買い物では
どこでも同じようなものを日本中で売っていて
コンビニでもデパートでも同じようなものを
買うことができる。

、、だからこの「商品」というものに
ほかの付加価値をつけなければいけないのじゃないか。
差別化しなくちゃいけないのではないか。
、、という話は、、、最近、みんなが言っている。
その通りだと思う。

と、同時に
もっと考えたほうがいいのじゃないか、と思うのは

「商品」だけではなく「買い物」という作業そのものに
付加価値を付ける発想が必要じゃないのだろうか、
ということだ。


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