今日のコラム・バックナンバー(2002年 1 月分)


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掲載は日付順になっています。


2002.1.7

あけましておめでとうございます。

たぶん、今までになかったような
経済の停滞と社会の昏迷の中で新年を迎えた。

昨年もケシテ良くはなかったが
それ以上に厳しい状況だ。

これが21世紀が始まった当初からの状況なのだから
歴史の区切りとしては
なるほど、わかりやすいことこのうえない。
たぶん後世の歴史家は
21世紀の始まりは
未曾有の景気停滞と社会の昏迷から始まった、
と書くのだろう。

環境問題だって解決しているどころか
ますます予断を許さない状況だ。
実際に温暖化は進行していて
温室効果ガスの影響はこれから数十年をかけて
深刻な影響を地球環境、
もちろん、人間社会そのものまでに
多大な影響を及ぼすことになるのだろう。





2002.1.8

国際間の紛争も
際限なく繰りかえされていく。
一方で幼い子どもや罪のない多くの人々が
命を落したり、不自由を強制されている。
それに対する有効な解決の手段さえ持てないでいる。
これを昏迷と言わずしてなにが昏迷か。

経済不況の深刻さや環境問題の根の深さや
際限のない国際紛争の無謀で悲痛な繰り返しなど
新年の厚い新聞を開きながら
テレビで放送される識者の対談などを聞きながら
しばし、
ことの多さと大きさと深刻さと対局の無力感や脱力感で
深く捉えたり考えることから
一時退避してしまいたくなる衝動さえおぼえる。




2002.1.9

実際、自分が一人、深刻な顔をして
考えぬいていても
どんどん昏迷を深めていく世のなかが
また違う方向へ
大きく変っていくこともないだろうとか
どんどん考え方が後ろ向きになっていく。

ここは市場の自律性に任せて
それぞれがやりたいことを
徹底してやっていたほうがむしろいい結果を
生むのじゃないかとさえ思ったりもする。

そんな厭世的な考えに捕らわれたりして
正月はちょっと重い気持ちになっていた。




2002.1.10

だけれど正月の間、
みるともなく同じようなテレビの娯楽番組が
際限なく流れているのを無批判にみていたり
デパートに並ぶ圧倒的な物量と品数の間を
行き来する人々の流れをみているうちに
強い危機感を覚えた。
恐怖感といってもいいのかもしれない。

人々が、疲れたり、面倒だったり
あるいはそれを簡単に埋めるなにかが与えられてしまって
考えることを止めた時
あるいは批判したり疑ってかかることを止めた時
時代は一気にある方向を向きはじめる。

今がそんな状況じゃないのか。

そう言えば仲間が今年のトレンドは「イージー」だと言っていた。
なるほど、物事はコンピューターの発達によって
どんどん簡単になっていく。
考えなくてもものごとは進んでいく。

でもいつのまにか社会や自分を取り巻く状況は
あきらかに変わっていって、
考えていることを停止している間に
いつのまにか取り返しのつかないような状況にまで
追い込まれている。
そんな局面が今なのではないか。




2002.1.11

科学技術やコンピューターの発達によって
より困難だったことが簡単に行えるようになる。
そのこと自身は重要で必要なことだ。
その動きが止まることもない。
どんどん発達し進化していく。
進化していくことが悪いことだとも思わない。
価値感が変わっていくとしても
進化を止めるべきではない。

でも一方で
「考えること」を止めるべきではない。
心地よさを求める気持ちはあって当然だが、
一種の「心地よさ」は一方で
取り替えしのつかないしっぺ返しを与えてくる可能性さえある。





2002.1.12

新年のテレビや新聞を読みながら
たしかに芸能番組やあまり考えなくても
目と耳に入ってくる刺激的な情報に
体を任せておけば
時間はたつしそれで何の苦労もない。

あるいは政治や経済を真面目に扱っている
番組や新聞などを見ているだけでも
あまりの刺激の強さに
しばしそこから退避してしまおうという気持ちも湧いてくる。

しかし、耳に心地よい言葉に浮かれていたり
考えることの面倒くささから
誰かに考えることを託してしまったり
物事に深く迫っていくことや考え抜く努力や
苦労から逃避することがどれほど危険なことか。

もし、今年のキーワードが
イージーであるのならあえてイージーではないことを
今年は求めていくべきではないのか。
こんなときだからこそ。




2002.1.13

先日、ある機械メーカーと話をする機会があった。

最近は機械メーカーのおりからの不況で
機械そのものの売り上げは苦戦していることは確かだ。

でもその一方で次の時代にむけて
新しい機械や設備が必要になる時代が
くるだろうと
着々と手を打っているメーカーだってないわけじゃないだろう。

昨年のEMOショーだって
日本から新しいコンセプトの機械だって紹介されてもいたようだ。
日本全体が沈み込んでいるわけじゃない。
頑張っているところもある。





2002.1.14

さて、そんな状況を見るにつけ気になったことがある。

日本発、世界初の「コンセプト」がはたしてあるのだろうか、
という疑問だ。

これは別に工作機械に限らない。

すべての産業やサービスや事業や企業や、
国家の方向も含めて同じようなことが言えるのではないか
と思えてくる。

いままでいろんな「もの」や「サービス」を
日本が作り上げてきた、というなかで
言われてきたことがある。
一番最初のアイディアはアメリカや欧米が
その多くは考えたことであって
独創的なアイディアは欧米から発信されていて、

日本はその後追いや
あるいはそれをどうやってたくさん安く作るか、という
ことでは優れていてはいても
自分からオリジナルなアイディアが発想できているのかどうか、
ということだ。




2002.1.15

この話は以前より盛んに言われている。
たしかにそうだ。

残念ながら
第二次大戦で企業もそれを支える資本も
非常に疲弊したところから始まったのだし
戦争が終わってからの日本は
アメリカナイズされた生活や社会を
当然のようにきづいてきた。

勝った国と負けた国、では
たしかに資本や企業の力や国力や民力が違ってしまう。

開発したり独創的なものを作りあげる、よりは
遅れてスタートしても先にいく国に
追いついていくのが実際的な方法だししかたもないだろう。

その歴史を無視して
なんでこうなってしまったのか、を
嘆いたり文句を言っていることのほうが無理がある。




2002.1.16

で、ようやく、
日本も追いつけ追い越せ型から
自分で考え自分で動き自分で作る時代になってきたということだ。

いままでやってきたことは中国やアジアが
日本に代わってやってくれる。

日本は自分で自分の独創でものやサービスを考え出して
作り出していかなければならない。
産業や事業や企業や、国家の方向も同じことだ。

役回りが代わってきているということなのだと思う。

問題はどうやっていけば
そういう「独創的なものやサービス」が生み出せるかどうか、
ということなのだが、
そういう話になるとそのための人材とか教育とかを
なんとかすれば良い、とかいう話になってしまって
、、、たしかにそれはそうなんだろうけれど
それができないから困ってもいるわけだ。

独創的な人材や教育をするにはどうしたらいいのか。




2002.1.17

話はかわるけれど
ワーキングガールというアメリカ映画がある。

もう10年ほど前の映画で
ニューヨークに済む、女性が夜学に通いながら
証券会社や企業合併をする会社で自分の目標である
成長と昇進を描いた映画だ。

アメリカのベンチャー企業や起業家を描いたような映画だし
アメリカンドリームをそのまま映画にしたようなものでもある。

映画とはいえ
ドライで強烈な競争社会でもあるアメリカのビジネスの世界を
垣間見せてくれ、興味深いし
そんななかで
ひたむきに努力する主人公の姿にも共感を覚える。

カーリーサイモンのうたう主題歌も大好きだ。
日本のテレビ番組の「ホテル」という
ドラマの主題歌にも使われていたから
聞いたことのある人もきっと多いと思う。



2002.1.18

ある日、彼女の上司として
女性の企業合併を推進する辣腕で一流大学出の上司がやってくる。

ひょんなことから彼女の考えていた
ある企業間の合併のアイディアが上司のものとされ
彼女はそれを盗用したというぬれぎぬをきせられ、
会社を去らなければならないはめに陥る。

最後に会社を去る日に
会社を去ろうとする彼女と
合併しようとする会社の社長が
エレベーターのなかで一緒になる。

なぜその会社を合併させようと考えたのかというアイディアを
彼女はその社長に最後のチャンスとして話す。
社長はそれを聞いて、なにがあったのかを知り、
彼女を救済し、替わりに上司をやめさせる、、。

そんなような映画だ。



2002.1.19

で、
考えてみれば簡単な話なのだが
その企業合併のアイディアを考えた理由やきっかけは
その彼女しかわからない。

企業合併をすれば良いのではないか、というアイディアは
交渉のなかで彼女の上司によって話されたのだが
なぜもともとそういう発想をしたのかを
急に問われれば
オリジナルなアイディアを発想した人でなく
盗用した人では話ができるわけもない。

オリジナルなアイディアを考えた彼女は
偶然、その会社と相手先の企業が雑誌にのっていて
いろいろ読んでいるうちにそのアイディアを
思いついたのだ、と言う、、。

彼女にはまわりにあることに敏感に感じ取れる
感性があったということだ。
当然、どうして考え付いたのかを
問われれば答えることはできるし、なにより説得力がある。




2002.1.20

もちろん映画だからストーリーにはむちゃがあるし
出来すぎではある。

でも、よくよく考えてみれば
いくつか、「なるほどなあ」、と思わずにいられないことがある。

なぜそんなことを考えついたのか、
ということまで問い詰められれば
やはりオリジナルを考え出した人にはかなわない。
これは映画に限らず、実際にいろんなことや
アイディアや製品はサービスを考え付いた人は
みなそうだろう。

オリジナリティーや独創性があるかどうかは
そのアイディアをどうやって考えたのかを
問えばわかる。

説明する側から言えば説得力はある。

独自性のあるアイディアを思いついたのは
生活の中や仕事や世の中にあることのなかから
敏感に見つけてくる姿勢そのものがあればこそだ。





2002.1.21

最初に書いたように
日本では珍しく
コンセプトの変った形状の機械を製造販売している
機械メーカーと最近、話をした。

そのメーカーがそのコンセプトの
オリジナルを考えたのかはわからない。
たぶん、一番最初に考えたのは海外のメーカーだったろうと思う。
その機械形式が市場に登場したのは
すでにだいぶ、以前からで
すでにほかのメーカーからも同じようなものはいくらでもでている。

いまさら日本でオリジナルなものを作り出さなかったことを
怒ったり嘆いたりするつもりはない。
これからまたそれ以上にいままでのものとは異なる、
新規性、独自性のあるオリジナリティーにあふれた
機械を考案すればいい。

あるいは時代が変わって変れば
機械のコンセプトも少しづつ変わっていかざるを得ないし、
既存の機械でも時代の変化とともに
その意義や価値や使い方も変わっていく可能性もある。
そういう新しい使い方や利用方法や価値を見つけ出せばいい。




2002.1.22

その機械メーカーが今回登場させた機械は
基本的な形式は昔からあって、珍しい形式ではないが
時代がこう変わっていくだろうから
そこに必要となる機械のコンセプトもこうなっていくべきであり、
そういうことから今回の機械はこういう仕様で
こんな風につくってある、、、
と、そんな新しいコンセプトには思わず説得させられてしまう。

この時代のなかでもう一度自分の到達点を見詰め直していることや
人を納得させるべきコンセプトを
自分で時代を見つめ、考え、導き出しているのには
ある意味、ちょっと感激するし、

基本的なポイントは以前より当然のように
言われていたことなのだが
それが今時代のなかでそう変化しどうなっていくのか、
これからのものづくりの変化を見通し
そこから得られた仮説からこういう機械を提案していくのだ、という
その姿勢には納得させられる。




2002.1.23

大切なのは
世の中の変化をよく読み取っているということ、
自分の目と耳で感じとり自分で考え
自分で理解するということ、だろうと思う。

どんなものやサービスが必要とされるのかという仮説を自ら立てる。
自分で始めて確かめてみる。

もとより
なぜそんなことを考えたのかを説明できないようではだめだろう。

その機械を市場の送り出した時に
なぜこういう機械が、あるいはその元となるアイディアが
考案できたのかを問われた時に
きっと自信を持って答えられるのだろうとも思えた。





2002.1.24

独創的な人材を育てるだとか教育を行うとか
それは当然、必要なのだろうが
独創性のある人材が教育されたり生まれてくるとは
そもそもどういう状況なのか、、。

そんなことを考えてみる必要があると思う。

教育云々もあるだろうが
少なくとも、ものごとに真っ向から向き合う心持ちや
疑問をもって調べたり、おもしろいと真剣になって
取り組んでいく心持ちが必要なんじゃないかと思える。。

それはそんなに難しい話なのではなく
ちょっとみた新聞やテレビの情報や
生活のなかでちょっと見えた現象や
そんなものを目にとめ観察したり
おもしろがったり感激したり悲しくなったりできること、
といえばいいか、

当たり前のことを当たり前に感じて当たり前に考えること、
起きていることをあるがままに新鮮に感じ取れる力、
結局、必要なのはそういうことなのかもしれない。




2002.1.25

三井物産戦略研究所所長の寺島実郎さんは雑誌や著書などで
よく「アメリカには空洞化という議論はない」と言っている。

アメリカには引き付ける力があるから
「空洞化」という意識はないのだ、ということだ。


たしかに最近の日本では
空洞化という言葉は当然のように
毎日毎日、新聞やテレビや雑誌などで
言われ続けているのだけれど
ここは冷静に「空洞化」の意味や
日本で起きていることの状況を
よくよく見、考えなくてはならないのではないかと思う。




2002.1.26

「空洞化」の意味は簡単に言えば
労働力、賃金が高いことや円高などで
ものづくりにおける「国際競争力」が
弱まってしまってきたので
海外、特には中国へ、製造業の製造部門、工場などが
ここ15年くらい昔から、
あるいはこの2年あまりのうちには強烈な速さで、
どんどん移転してしまう(しまった)ことを指している。

これは現象を捉えている表現としては間違いない。

移転してしまっているから
一方では空洞化している、というわけだ。



2002.1.27

しかし、
「なにがが抜けていくから空洞化している」、という
話の進めかたはすでに「抜けていってしまっている」ことが
話の前提になっていることに気が付く。

そこには「空洞化」していることへの
自分、主体の関わり方に関する意識というか
「分析」や「気構え」がたりないのではないか、と思う。

「抜けていくのを待っている」
あるいは
「抜けていくことを対策する」
のではなく

「日本は新しいものを生み出していくから
日本の実状にあわないものは
必要としてくれている海外に積極的に移転していく」
もっと言えば
「古いものは邪魔だから追い出していく」
くらいの感覚が必要ではないかと思う。




2002.1.28

最近になって
構造改革の一方で、
あるいは構造改革そのものは
本来、新しい産業や企業を
生み出していかなければならないことなのだ、と
小泉さんや竹中さんなど、為政者のみなさんは
言ってはいるのだが?、

これは本来ならもっともっと以前から、
、そう15年も前から、、
それがちょっと酷だとすれば
少なくとも6〜7年くらい前から、、
日本の社会や産業界の中から
なにか新しい産業や企業を生み出そうと
していればよかったのだろうが

今においてもまだまだそんな方向には
残念ながら、向っていない。





2002.1.29

「空洞化」ということばに翻弄され
ハコモノや公共事業や空洞をうめるための誘致などで
乗り切ろうとするのではなく、
「日本は新しい産業を生み出していくので
古い産業はそれを必要とする国に
どんどん移行していってもらって
みんなハッピーになっていこう!」
くらいのメッセージを掲げてしかるべきだったのではないか。

考えてみればこの数年、学者の先生あたりが
「日本は技術や高度な技術者がいるから大丈夫」
「小さいけれど世界に誇れる中小企業がいる」
とか言っていて
一生懸命、「日本のものづくりは大丈夫」みたいな内容の
本を売っていたけれど、今になってみれば
それが途方もない楽観論、
あまりに根拠の薄い楽観論、
将来を見とおしたものではなかったことがわかる。




2002.1.30

もし、いまでも「日本のものづくりは大丈夫」
みたいなことを言っている学者がいたら
もうそんなことを言っている時期はとっくに過ぎているのだから
いいかげんにやめて欲しいと思う。
根拠のない楽観論に乗っかって
新しいものや技術を生み出そうとせず
いまのままでやっていればいいのだと
錯覚した企業や個人はたくさんあったのだとすれば
そこで生まれた差は今となっては
取り返しのつかない状況でもあるのかもしれない。

重要なのは
「日本は技術や高度な技術者がいるから大丈夫」
「小さいけれど世界に誇れる中小企業がいる」
から日本は大丈夫、、なのではなく
技術やものづくりを進化させていくことに
日々、真摯だったこと、その姿勢自身なのだ。

それが失われてきたこの十年は大丈夫どころか
危機的な状況に追込まれていると思える。




2002.1.31

まあ、そこまで悲観的にならずとも、、、
産業界はもっと早くから
そういう感覚を持ち行動を始めていれば
よかったのだとつくづく思うけれど
今からでもともかくそういう姿勢をもち、行動を始めるしかない。

そう言えば
1月4日の日経新聞の一面特集「民力再興(3)」の
同じ記事のなかにモーターのメーカー「マブチ」の話がのっている。

    「国内で開発した製品をアジアで量産して世界を席捲。
    その利益をすぐさま次の開発に回して自社製品を自ら駆逐するのが
    マブチの勝利の方程式。」

「自社製品を自ら駆逐する」、、、これってスゴイと思う!

日本の製造業も自分たちのやり方や到達点を
自ら否定し駆逐するモデルを「自ら」行う、ことをやっていかないと
いかんのではないか。



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