今日のコラム・バックナンバー(2001年 12 月分)


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掲載は日付順になっています。


2001.12.1

ただ、
「情報や技術に特化していけば」
「次のものづくりに移行していけば」
それで大丈夫か、
というとまたそれも怪しい話で、

結局は「順番」のなかでものづくりが
行われていくというシナリオだとも言える。

以前書いたように中国・アジアでもすでに高度な技術や情報化は
すごい勢いで進行している。

これも誤解を恐れずにあえて言えば
「ものづくり」を否定しているようで
結局は、「ものづくりから離れて発想できていない」、
そんな感じがする。




2001.12.2

ものづくりに立つ側から言えば
たしかに
「ものづくりではこんなものができるぞ!」、
といいたいわけなんだけれど、、、

はたして、
人々や社会が実際に必要としているものは「もの」なんだろうか、、、

豊かさ?、、、便利さ、、、?
そういうものをすべて含めた価値の総体?、、、


なにかにつけて「ものづくり」を語ることは必要だろうし
誰にでも想像がつきやすい言葉で
はなはだ便利な言葉ではあるのだけれど

、、「ものづくりの呪縛」から
そろそろ離れていく必要があるんじゃないかと思える。



2001.12.3

考えてみれば
「ものに縛られない時代」とか
「物質的なものでは豊かさが得られない時代」
とか
言うようになって久しいが

そのわりに
「ものづくり」という言葉が横行しているではないか。

かく言う自分だって
なにかにつけて「ものづくり」というほうが簡単だし
気持ちや頭のなかに
しっくりとくる言葉、想像がつきやすい言葉、
ではあるので
どうしても簡単に「ものづくり」、とう言う言葉を
使ってしまう。



2001.12.4

これからは識者も、我々も
そして「ものづくりに携わる人々」も
できることなら
「ものづくり」という言葉に頼らず

一つ一つ、
具体的な言葉や自分のうちにある
イメージを言葉にして語ったほうが
良いのではないかと思う。

「ものづくり」という言葉で括らずに
一人一人が自分の生み出している
物や事や価値やサービスのひとつ一つを

それぞれの言葉で伝えるように
なっていくことによってはじめて
自分の存在や仕事や
生み出していることやものやサービスや価値、と
社会との関係を
深く認識できていくことができるような気がする。




2001.12.5

そうはいっても
みんなが概念として
想像できる言葉も必要ではあるだろう。

言葉によって
想像する中味も規定されるだろう。
考えてみれば
「ものづくり」という言葉も
安易に想像ができる言葉ではある。

逆に言えば
新たな「そのことば」を探すこと自身が
自分たちにとって
今必要なことは何なのかを
探す行為そのものになるのかもしれない。

価値づくり、豊かさづくり、
そんなことからでも良い

価値ってなんだろう。豊かさってなんだろう、
そんな言葉の意味を探すことから
案外
自分たちの毎日「行っていること」の意味が
見えてくる、
そんなことも重要だと思う。




2001.12.6

同じような話題が続いて恐縮だけれど、、、
この前、テレビを見ていたら
どこかの国の経済産業分野の大臣が出てきて
民間のアナリストと
現状の日本経済の問題について
議論していた。

今週の経済番組にも
その経済の担当大臣がまた、出てきて
こんどは違う民間アナリストと
また討論していた。
中味は以前とまったく同じだ。

まあ、景気はこんな状態だし、
一方で経済の舵取りがどんなふうになっていくかは
今とても重要な話題だから
テレビでしょっちゅう同じような問題点や
問題意識で番組ができるのはいたしかたないだろう。

ただ、残念なことにはどれだけテレビやあるいは新聞で
議論に花が咲いても現実はなにも変わっていかない。




2001.12.7

たしかに
経済産業分野の大臣も両方のアナリストも
どちらももっともなことを言っているとは思った。

垂れ流しの公共事業みたいなものには
これ以上、お金を投入するべきじゃない、
構造改革こそ行わねばならない、というような
大臣の意見も正しいと思うし、

でもこの状況のなかでは
いつまでたっても、いやむしろ
状況は悪くなっていて
お金を必要なところには投入するべきだ、
というアナリストの意見も
その通りだと思う。

大臣のほうだって
必要なところには重点的にお金を
投入していくのだということは言っているんだから
どちらもけして矛盾したことを言って
いるわけじゃない。



2001.12.8

聞いていると、案外
相違点は無いに等しいのじゃないか、と思えてくる。

コップの水が半分「も」入っているか
コップの水が半分「しか」入っていない
、、と言っているようなのとは違うのだろうが
でもそれに近いかもしれない。

これはちょっと前に書いた、
榊原氏と末広氏が
「ものづくり」の意味する範疇の
違いから生まれた表現の相違と
同じようなものだ。

案外、問題の焦点は
「30兆円を超えるか超えないか」、
の議論くらいかもしれない。

ま、その「超えるか超えないか」
が例えば国債の評価を落す重要な分岐点にもなりえる
重要なことではあるのだけれど、、。



2001.12.9

しかしそれにしても
そんな議論のなかに
為政者の果たすべき使命感や
果たして
一人一人の国民の生活や未来に対し
責任感というか
あるいは等身大の大きさの
気持ちを組みとる意識というか
心根というか、、
そういうものがあるのかどうかと
ちょっと心配ではある。

構造改革もたしかに重要だが
はたして
何のための構造改革、誰のための構造改革、なのか。
構造改革の向こうに何が生まれてくるのか、、
それはいまだに提起されてもいないし見えてもこない。




2001.12.10

先週の日曜日も、昨日の日曜日にも
その経済担当の大臣が出てきた。
(相手はまたまた同じ民間のアナリストで、
最近はこの組み合わせがほぼ定例化してきた、、。
昨日なんかは朝9時からのNHKの政治経済番組と
10時からのテレビ朝日から、まったく同じコンビで登場していて
同じ議論を繰り返していた、、。)
大臣は議論のなかで、

  たしかに今やっていることは
  マイナスをいかに小さくするか、ということであって
  早くプラスを増やしていくことを
  やらなければならない、

といっていた。

それがための構造改革であって
構造改革の第二段階は
「プラス」を増やしていくことだ、という。
まことにそのとおりの話ではある。

司会者も言っていたが
いままで行っていることは
限られたパイをどうやって分け合うか
痛みをどうやって配分するか、という議論でしかない。
もっと言えば
「前向きの話はいまだにまったくなされていない」ということだ。



2001.12.11

実際、パイ(食い物ではない)なぞは
日本の中で限りなく縮小していて
あるいはもうとっくになくなっているから
実際、今なされている議論は
痛みの配分をどうするか、の議論でしかない。

人々や社会が生み出す価値全体が
増えていかない限り
つまりは社会全体の富や豊かさが
縮小していく限り
だれかが多く配分を取ろうとすれば
違う方にはその分が回ってこない、のは自明な話だ。

三方一両損、とはよくも言ったものだが
まさに今、国をあげてやろうとしているのは
それ以外のなにものでもない。
それも、
だれが一番責任があるかは追及されずに
とりあえずそれは棚上げにして
痛みを配分しようとしている。
弱いところにしわ寄せがきているのは
言うまでもない。




2001.12.12

どこかの大臣は
その前に
構造改革によって
分配がキチンといくような
仕組みに変えてから
第二段階として
プラスになるようなことをはじめていこうといって居るように思えるし

一方のアナリストは
そんな構造改革をしていたら
どんどん国や国民の力がなくなっていくだけだから
今はともかく、景気の浮揚を最優先させるべきだ、というのが
主張だ。

できることなら
プラスを生み出すことと並行しながら
マイナスを減らす、
そんな方向で動けないだろうか。





2001.12.13

もう痛みの分配の話だけではどうにもならない。
日本は危機的な状況にある。

マイナスを分配する処理をしないと
プラスを生み出す第二段階に進めない、、のではなく

マイナスを分配する処理をもっと加速するためにも
プラスを生み出す行動をもっと加速して
いかなくちゃいけないのではないか。

ましてそのマイナスの分配を
市場の競争原理にしたがって行おうとしているのが
今の経済の方向だ。
これではますます一部に貧困が蓄積されていってしまう。

どうやってプラスを生み出すのか
プラスを生み出すとは
もともとどういうことなのか
どういう社会の状態なのか、
そういう議論を
早急に国の中でしなくてはならないのじゃないか




2001.12.14

あるアナリストは
今の不況は「バランスシート不況」というべきで
みんなが設備投資をせず、借金のへんさいを行おうと
躍起になっていることが不況の原因で、
けしてみんなが間違ったことをやっているわけじゃないし
間違ったことをやってきたわけでもなかった、
間違ったことをやっていない企業が集まって同じことを
みんなではじめたら合成の誤謬というやつで
日本全体としては間違った方向で動いてしまっている、、、
と言っている。

たしかに縮み志向のなかでは
経済は拡大していかないし
分配だってどんどん小さくなるし
過当な競争に陥っていくばかりだ。





2001.12.15

最近は日本のなかに、
ここまで景気が悪く将来に対する不安や
このままではいけないからなにかはじめなくちゃ
いけない、という危機感やその裏がえしのやる気が
少しづつ生まれて来ているようにも思える。

町中にもそんなところから
ようやく企業が設備投資や開発などに
お金を向けていったりしなくちゃ
いけないのではないか、という
プラスを生み出すための話も生まれてきている。

それも中小企業のなかにも出てきているのだから
これはある意味では絶好のチャンスかもしれない。
もちろん、最後のチャンスであるかもしれない。

これをもっと加速していかなくてはいかんのだろうと思う。





2001.12.16

三井物産戦略研究所所長の寺島実郎氏は
先日のNHK夜のテレビ番組「日本の宿題」の
なかでそういう意味のことを言っておられた。

社会のなかに新しい豊かさや価値を作り出すための
プラットフォームやエンジニアリング手法を
構築していくべきだろうという話だ。

これはまったくその通りだと思う。

そういったものにお金が投入されてこそいくべきで
旧来の公共事業のようなものや「はこもの」に
お金を投入しろと言っているのでないのはもちろんだ。

あるいは
中国の圧倒的に安い人件費に負けないための
ものの作り方、設備の在り方に
資金を投入するというのももちろんあっても良いとも思う。






2001.12.17

ただ、この場合、
同じものをつくっていこうとしている限りでは
単なる「消耗戦」にしかならないはずで
やはり世界やアジアにない、
日本でしか世界に向って供給できないはずの
ものやサービスやコンテンツや
あるいは
そういうものの「作り方」や「仕組み」や「システム」を
作り出すことを目標に
お金を重点的に投入していくべきだろうことは
間違いない。

そして
国内のまだ手がついていない、
目が届いていない、
福祉や医療や地域社会や教育や、住環境や流通や、、、、
そういったものにお金が投入されていくべきなのだろうと思う。

それこそが「プラス」を生み出していく
ということなんじゃないかと思う。



2001.12.18

そう言えば
先日のNHK夜のテレビ番組「日本の宿題」に
寺島実郎氏と一緒に出ておられた
元経済企画庁長官の
田中しゅうせい氏(たしか現・福島大学教授)が

これからは人間の生活の質とかライフスタイルとかも
見直していかんのじゃないか、とおっしゃっていた。

筆者は田中しゅうせい氏のファンでもあるが
この意見だけはちょっと受入られない、と思った。

こういう意見は以前からちょくちょくあって
公害や、環境問題や省エネ問題を考えていくと、
個人や家庭、もちろん企業活動も含めて
いままでのやりかたや考え方やあるいは
価値観そのものを
変えていくべきだという話はよく出てくる。



2001.12.19

たしかに
企業活動が地球に及ぼす様々な影響に比べても
個人や家庭などの生活様式やライフスタイルの在り方が
思っているよりも多大な影響を
地球環境に及ぼしていることにはビックリする。

驚くほどの影響があると
以前資料を読んで驚かされた記憶がある。

まあ極端に言えば
人類が飼っている牛の反芻する時の「げっぷ」で
空気中のメタンの構成比が変る、と
言われているんくらいだから
ライフスタイルの在り方が環境に影響を
与えているというのも間違いでもないだろう。

それにしても
じゃあ、人々の日常の生活を質素なものにするべき、という話は
ちょっと違うのじゃないかと思う。
(田中氏がそういっているわけではないのだが。)



2001.12.20

ちょうど
今日の毎日新聞に一面に
昨日ここに書いた
「げっぷ」の話がのっていた。

なんでも
ニュージーランドの研究機関が「ひつじのげっぷ」に
含まれるメタンガスの量を測定する器具をひつじに
取り付けて測定を始めたんだそうな。

メタンガスは地球温暖化をもたらす温室効果ガスだそうで
ニュージーランド国内で飼われている
ひつじ4500万頭、牛800万頭のげっぷで出すメタンガスは
ニュージーランド国内で排出される温室効果ガスの
44%を占めているんだそうだ。

そう考えれば、企業の活動だけでなく
全世界で60億人もいる人間の
ライフスタイルが
地球環境にも影響を与えているのは間違いないだろう。



2001.12.21

たしかに
地球から得ることができるエネルギーは有限で、
これからはできるだけ省エネでなければならないとか
環境への負荷がないほうが良い、というのは
たしかにそうだと思う。

しかしそれは一方で
人々の生活が質素なものでなければならない、というのとは
けして同意語ではないと思う。

家族でそれぞれが新しいお湯をお風呂に入れて
入る、というようなものは過剰な贅沢だ、
というようなことを田中氏は言っておられたが
はたしてそれでいいのだろうか。




2001.12.22

きれいなお湯の風呂に入りたい、というのは
人間として当然持っている要求であって
それが「贅沢な行為」であるから、とか
環境への負荷が大なり小なりにあるから
やってはいけないこと、、、だとは思わない。

たしかに
まだ奇麗なお湯を捨てては新しいお湯を入れ直す、
というのはたぶん世界の標準から言えば
「贅沢」な話ではあるように思えるが
きれいなお湯でありたいのは
人々にとっては当たりまえの要求だと思うし、、
そのたびにお湯をいれるのは贅沢な行為、、
ということだ。
これはどう考えたらいのだろうか。



2001.12.23

これを考えていく場合に考慮にいれ考えるべきなのが
科学技術や技術の進化、
人類の知恵を社会が豊かになっていくことに生かす、
ということだろうと思う。

あるいは企業の活動が社会の役にたつこと、
社会の豊かさを創出することに
つながっていくことなのだろうと思う。

地球に負担をかけず、
エネルギーの浪費や水の浪費にもならず
奇麗なお湯のお風呂につかる、ということの両立も
できるはずだ、それこそが
人間の知識や科学技術や企業の開発努力、、
ということだろう。




2001.12.24

毎年水が不足して社会不安に落ちるのも
よくわかる。

世界のなかには水がないことで苦しんでいる
国もある。

だからといって
きれいなお湯のお風呂に入ることは過剰な贅沢だと
いうことにはならない。

つまりそういうことでは
まだまだものづくりや豊かさづくりが
必要としていることというのは
あるのだと思う。



2001.12.25

まだまだ社会のなかや家庭のなかや個人の生活のなかや
いろんな世界の狭間のなかには
手付かずであったり、不便だったり、
あるいは過剰なエネルギーの消費が伴ってしまったり
することがあったりして
これを知識や技術で乗り越えていくことは可能だろう。

「プラス」を生み出すことはまだほかにもたくさんあるし
やらなければならないことはたくさんあるのだと思う。

「もう消費者が必要としているものはない」
とか
「もうなんでもあるからものが売れない時代」
とか
いう人達がいるが
そんなのはものづくりからの逃避だし製造業の責任回避だ。

ものづくりや製造業のよって立つべき使命や価値は
いたるところにあるのではないか。



2001.12.26

最近のテレビの経済に関する討論番組のなかでは
消費が刺激されないから、
ものが売れないから、
景気が悪いし、どんどんデフレになっていく、
といった議論が出てきている。

たしかに
構造改革を進めるにも
景気がこのまま悪くなる一方では
どんどん不良債権も出てくるし
財政の再建だってままならない。

財政再建や構造改革か、景気浮揚か、
という議論が盛んにされているが
少なくとも今のままでは
財政はけして好転はしないのだろうし
不良債権はますます増えていくだろう。
だからと言って、もたれあいの公共事業に
お金を投入すべき、なんて話にはしてはいけないのは
もちろんなのだが、、。

で、税負担を減らせば良い、とか
景気刺激というか消費を刺激するための議論が
識者のなかでも行われはじめているんだけれど
この前テレビを見ていたら
司会者の女性アナウンサーが
「もう欲しいものがない」と言っていた。



2001.12.27

これはよくある話で
もう欲しいものが街を見回してもない、とか
どんなものでもみんな持っているんじゃないか、とか
そんな話はよく出てくる。

でも本当にそうなのか。

作る側、特に大手企業などから言えば
売れるものがない、
と、本気で言っているように見えるけれど
本当にそうなのか。

筆者には女性アナウンサーの
「もうまわりを見回しても欲しいものがない」という一言は
「もう欲しいブランドバックはない」
と言っているように聞こえる。

でも、人々が、家庭が、社会が、
必要としているものはまだまだ無限にあるはずだ。
けして、もう物は十分にある、というわけではない。
新たなものやサービスに
目がむいていない、発想できていない、
それだけの話なのではないか。




2001.12.28

目の前やテレビのコマーシャルにある「もの」が
すべての自分にとっての必要性や豊かさを
代弁してくれていると思いこんではいないか。
目の前にあるものが自分にとっての豊かさのすべてだと
思いこんではいないか。

そういう意味では本来必要としていることやものに
気が付くための「消費者の目や感性」というか、
もっと言えば「人として社会や環境に対し感じ取る力」が
どんどん失われてきているのじゃないかと思うのだ。

あるいは、、、もっと言えば、、、自分だけでなく
社会が貧しかったり貧しい国があったりすることに
無関心でいながら「欲しいものがない」と言っている人は
はたして「豊かな国の豊かな人」なのだろうか。

世の中の豊かさや価値を見つけ出す感性が必要だし、
非合理を見つけ出したり貧しいことを見つけだして
豊かにしていこうという感性や志が必要なのではないか。





2001.12.29

たぶん、女性アナウンサー氏は
日ごろ、ブランドもののバックやアクセサリーなんかを
買っていたりしてそろそろ次に欲しいブランドがいまのところ
なくなっているんじゃないだろうか。
それ自身は否定はしないとしても
「自分の生活」「社会との関係」を
豊かにするものやことやサービスも必要なのじゃないか。

たとえば、
「自分の時間を持つこと」だって
とても重要なことで
そういう自分の余裕のある時間を取るための
生活の在り方自身だって
いろいろ考える必要があるし発想しなくちゃいけない。

そう考えれば
ただ単に「もの」を作れば良いわけではなくなる。
サービスや様々なものをつなげることや
全体としての価値や豊かさを
考えていかなくちゃいけないはずだ。





2001.12.30

そういうこと自身が議論されずに
欲しいものがない、とか、ものが売れないとか
消費が拡大していかない、とかいうのはおかしな話だ。

21世紀を迎えた今、
生活や社会の豊かさとは何なのかを
本気で考え、自身で価値を作り出していく作業を
いよいよはじめなければならない時なのだと思う。

あとは政治や景気が安定して
将来不安がないことが必要だけれど
来年こそは少なくとも、勇気の出る日本のビジョンくらいは
為政者から聞かせて欲しいと思う。

それを現実にしていく作業は
企業家や社会を構成する
真面目で真剣な、様々な人々がはじめるはずだ。

来年は
もうちょっと勇気と行動と元気がでる年にしていきたいと思う。

それではみなさん良いお年をお迎えください。



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