今日のコラム・バックナンバー(2001年 11 月分)


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掲載は日付順になっています。


2001.11.1

今回のことの真意はべつとして

これからの、
企業に働く人々は、
あるいは企業に「集う」人々は
企業におんぶにだっこ、ではなく

その事業の目標や目的をしり、共鳴し、
企業と社会と自分の位置や自らの価値を
密接で、価値あるものとしていく不断の努力と
意識的な行動が求められることは間違いない。

そのなかに自分のスキルと価値を高めていく
ことも同時にできていくべきだろう。



2001.11.2

だが同時に、企業のトップ、事業のリーダーも、、
その企業が大きくても小さくても
また、歴史があっても浅くても、
その事業の目的や事業が何に向っているのかを
常に社員や社会に示し
理解してもらう責任はあるだろうと思う。

企業のトップ、事業のリーダーは
常に「起業」していかなくてはならない、とも思う。
すでに出来上がった企業、などというものはなく
つねに企業は社会との関係や自らの価値を
社会とともに変化させていかなくてはならないからだ。



2001.11.3

もともと、考えてみれば
事業の使命や社会における「価値」、
もっと今ふうに言えば「ビジョンナリーカンパニー」
である企業を育てたりする風土が
日本には希薄だったのかもしれない。

日本経済全体が戦後、ずっと右肩あがりで
経済の方向というか、そこについてさえいけば
自然に仕事もあったし必要なお金も得られたし、、
家や家庭や教育も、、そして
自分や家族の未来も得られた、、。



2001.11.4

日本全体がそんなシナリオのなかで動いていたんだろうと思う。
誤解を恐れずに言えば、、
ビジョンがなくても、未来はあった、
ということかもしれない。

だけどそんなシナリオや無言の約束事は
確実で、約束されたもの、ではなくなり、
未来像は人々の中から急速に失われつつある。

だから、今こそ
国や企業や組織に
新たなビジョンがあること
新たなビジョンを持つこと、が重要になる。
国も組織も企業も
ビジョンが描けるリーダーシップをますます必要とするだろう。



2001.11.5

前にも書いたように
組織の人々、企業に集う人々、「自分の国」に位置する人々も
その事業の目標や目的をしり、共鳴し、
企業と社会と自分の位置や自らの価値を
密接で、価値あるものとしていく
不断の努力と意識的な行動が
求められる時代であると思える。

同時にそのなかに自分のスキルと価値を高めていく
こともできていくべきだろうと思う。

すごく難しくて聖職者のような生活や生き方を
求められているように思えるが、

いや、そんな難しい話ではなく
自らの国や仕事や生き方に誇りを持つと言えばいいのか。
社会と自分の関係を良く見るというか、
それでも難しい、といわれたらなんと言えばいいか
わからないが、、、




2001.11.6

国が何をしてくれるのか、ではなく
国のためになにができるのか、を考えるべきだ。
、、と言った人がいたが、
企業や国が何をしてくれるのか、ではなく
企業や国のために、、、いや、
そういったら言葉足らずかもしれないが、、
企業や組織がその事業を通して、
社会のために何をしようとし何ができるのか、
自分もその事業を通じて何ができるのか
、、を考えてみる時代なのではないか。

企業が社会のなかに
何らかの形でその一部となって
位置づいている組織である以上
企業と社会の「関係」を考えないわけにはいかない。

企業に社会性とは無縁だと考えて
事業を構成しようとすることのほうに無理がある。

そう考えてみれば「働くことの意味」も
ますます深く考えざるを得ない。




2001.11.7

企業や組織を、
個々のひと、人、を結集し
社会に対する表現や位置決めのための
「表現機器」だとするならば

「働かないのがいけない」、のではなく
「働けない組織」
「個々の人間が表現できない組織」
になってしまったことに問題があるようにも思える。

一人一人の人間が持っている
能力や個性を
組織を通じ社会に還元させていく、
一人一人もその行為を通じて成長していく、、

働くことの意味、人と事業と社会の関係、を
深く考え直さなくてはならない時代だ、と思う。





2001.11.8

先週、東京で行われた「中小企業フェア」に行ってきた。

ブースの並びかたが今回より変わって、
「技術のブース」、「製品のブース」、「グループのブース」
というように分けられて、
いままでのように「地域ごと」には分けられていなかった。

まるで、お祭りの夜の屋台のような感じで
それぞれがバラバラしている。
正直言って、あまりパフォーマンスが伝わってこない。

いままでは県や地域として強いパフォーマンスを
表現できていたように思っていたが
特定の県や地域だけがめだつのがまずいと思ったのか
日本独特の「悪平等システム」が
こんなところに現れたのか、
ともかく「地域性」が分断されてしまい
地域のコアやアイデンティティーが
まったく感じられない。




2001.11.9

日本の中小企業というのは
元受け企業にしても、下請け企業にしても
集積のなかでお互いに
力を発揮している部分があって
たがいに相乗効果を持って仕事をしている。
だから中小企業フェアにしても
そういう集積の強みを見せれば良いはずなのに
ああやってバラバラにされると
集積の強みはもちろんだし
なにより個々の企業の強みさえも見えてこない。
特に技術を売っている企業はそうだと思う。




2001.11.10

製品・商品ブースにしても
単なる商品見本市じゃないのだから
そういう製品が生みだされ
市場に出されようとしている
「地域の技術のバックボーンや背景」こそが重要なわけで

この展示物は
そういう技術があるところの製品や商品である、
というアピールの仕方も重要だし
御客さんや来場者からも
そういう見かたもされるわけだと思う。



2001.11.11

ネットワーク時代だから地域の産業集積は意味をなさなくなる、
なんて
どこかの国の産業省とかの人たちが
ちょっと前、(まだ2〜3年くらい前の話だ)
訳知り顔で言っていたが
ばかをいっちゃいけない。

コアを持った企業や人々が集まる集積の強みを
ネットワークやITを使って、もっと効率よく、優れたものに、
そしてなにより、
価値が生み出せる、自立したものにしていくべきなのだと思う。

中国でさえ、「産業集積」の重要性を意識して
今からどんどんつくっていこうとしているのにねえ、、





2001.11.12

やはり中小企業フェアは
いままで行われていたように
地域の強みを最大限アピールできるような
会場の設定にするべきだと思う。

地域ごとにならべる、というのが無理ならば

少なくとも
技術やそれそれの製品や技術の他の企業や
組織や仲間と
どう関わりがあってどういう強みが
そのなかで発揮できているのかを
表現できるように
考えてみるべきだろうと思う。

まあ、そんなことはしなくても
一番簡単なのは
地域の集積ごとにならべる、ということだと思うが、




2001.11.13

実は中小企業フェアを同じ会場で行われていた
「サイクルショー」のほうは
中小企業フェアと対照的に、ある意味では
もっともっと過激だった。

2年前に行ったことがあるのだが
その時ときよりあきらかに
台湾と中国の自転車と部品メーカーの台頭が目につく。
会場を訪れている人もどうみても中国や台湾の人が多いようだ。

一方で、日本の手作り自転車ビルダーは今回は残念ながら
あまり見られなかった。

言ってみれば趣味としての自転車のショーというよりは
あくまで産業の一つである自転車を
国際競争の波が襲っている、その前線、
そんなショーだったと思う。




2001.11.14

今年の中小企業フェアは
一社一社の商品をならべて、、
あえて誤解を恐れずに言えば
単なる商品見本市のような
そんな感じさえした。

それに比べたら
今年の自転車ショーは
単なる商品見本市ではなく

(たぶん以前はそうだったのだろうし
少なくとも2年前はもっと趣味としての
「自転車のショー」が全面に出ていたように思う)

国際間の競争力を示し、
経済競争をはじめていくその最前線のような印象だった。




2001.11.15

もちろん自転車ショーも「商品見本市」には違いないのだが
はたして、そのなかには
もっと国と国の競争力を誇示し主張する
国家間の経済や産業や業界の闘い
みたいなものさえ伺えたのだ。

そんななかで
ただ、個々の企業の商品をならべ
(それが悪いというわけではけしてないのだが)
そんな場を作ったということで
中小企業が、(というか国が)戦っていると
満足している(ように見える)
どこかの国の、場を取り持つしかるべき人達の
発想力の薄さや、戦おうとする意志の希薄さや
危機感の無さというか、戦略性の欠落、というか、、、
いささかこれではちょっと寂しい、、、と思えた。

地方の集積などに存在する力、言ってみれば
「ファイティングポーズ」はとらなければ
いかんのじゃないか。



2001.11.16

そう言えば最近のテレビのニュース番組や
日曜の午前中の経済政治が特集される番組では
中国の話が頻繁に特集されている。

アフガニスタン関連の問題と
どこかの国の外務大臣の話と
この中国の話の三つがニュース番組の
三点セット、になっている。

もちろん中国の話というのは
中国での経済発展や中国が
世界の工場になりつつある話しであり、
それは一方の日本の空洞化や経済不況の話でもある。




2001.11.17

この数週間の経済週刊誌でも
中国の製造業の隆盛が特集されていて
一方の日本はどうするのか、と
盛んに書かれている。

構造改革の必要性も
アフガニスタンとアメリカとの関係の事件の話も
日本の経済をどうするのか、どうなるのか、という
議論のなかに組み込まれていて

もうとにかく
最近のテレビでも週刊紙でも
経済や産業の話は複雑きわまりない、

できるだけ冷静に
ことの真実を見極めたくても
ここまで複雑な状況を見せはじめると
どう考えていけばいいのか、わからない。




2001.11.18

国会の議論の場では
国民がそういう視座や座標となるものを生み出す議論を
強く求めているというのに

外務大臣の忘れ物をしただの時間に遅れただのの
話で終始していて
いったいこの国には「政治」というものが
機能しているんだろうかと
その危機感のなさに
いささか驚かされる。

たしかに外交時に時間に遅れるとかは
問題がない、とは思わないが、
そういう議論はまたの機会や場を持っていただくとして
大事な国会の議論の場では
国民に託されている重要な議論を
して欲しいものだとほんとに思う。




2001.11.19

ところで
この間にテレビや雑誌によく出てくる人に
三井物産戦略研究所中国経済センター長の
沈 才彬氏がいる。

日曜日の朝の経済番組にも出ていたし
先週の雑誌「週刊エコノミスト」にも出ていた。

氏が番組のなかや雑誌のなかで言っておられる
中国の経済や産業の発展の可能性や
一方での日本のものづくりや
経済の昏迷の可能性については

例えば、一橋大学商学部教授で
中小企業論や中国の経済産業をよく研究していることで有名な
関満博先生のレポートと並んで
なるほど、そういうことなのか、と
よくよく納得させられる内容である。




2001.11.20

沈 才彬氏にしても、関満博先生にしても
最近の中国の製造業に対してもつ認識として
間違えてはならないと警告しているのは

中国が低賃金と労働人口を持って
圧倒的な価格競争力でものづくりをしている、、
、、というだけの認識はすでに間違いであるという点だ。

彼らのものづくりの力はすでに
価格競争力だけではなく
開発やデザインにも及んでおり
つまりはものを作るにあたって
すべての必要なものを自前で供給できる、
そういう力を持ちはじめているということだ。

この点については以前
関先生がNHKの「クローズアップ現代」に出た折りに
中国では工場の壁に
「中国の価格」「ドイツの品質」「日本のサービス」
と標語が書かれていると言っておられた。

もちろん「品質はドイツに」「サービスは日本に」
国際分業する、という意味ではない。



2001.11.21

国際分業によって
中国でできないものを日本でつくって
供給すればいいのだ、
という意見も一方でまだまだある。

しかしこれはごく近いうちに
全面的には正しい表現ではないことに気づかされる。
今の中国の状況をみれば
近いうちにそうではなくなることに
いやがおうでも気が付かされる時がくる。

前述の沈氏も
海外に出ていった企業の人達がみんながみんな
今はまだ日本から持ち込むものがあるように見えているが
これが、日本から持ってくるものがない、といった時には
どうするのか、そしてその時期は近い、、、
、、、というような意味のことをおっしゃっていた。
関教授も同じようなことを以前からおっしゃっており
危機感をもってあたらなければならないと警告を発していた。




2001.11.22

ちょっと前にも
有名な教授や識者のなかには
日本には高い技術力があるから
日本のものづくりは大丈夫と言っていて
盛んに旗をふっている先生たちもいたが

それは無意味で根拠のない楽観主義だと
他の先生がたや一部の識者も警告していたことがある。

たしかに
そういう旗振り役もあっていい時期もあるかとは思うが、

しかしこの状況のなかで危機感を持たずに
ただ過去の経験に楽観しているのではこまる。
もうそんな時期はとっくにすぎた。
今更根拠のない楽観主義を啓蒙していた責任を
追求するつもりはないが、
やはり状況をありていに見た上での
真面目な?危機感は持たねばならないだろうと思う。



2001.11.23

だいぶ前の話だが
毎日新聞に、優れた今年の著作を表彰する
毎日新聞第13回アジア太平洋賞の受賞作が掲載されていた。

今年の大賞をとったのは
東京大学教授に末広昭氏の「キャッチアップ型工業化論」
というものだった。

新聞にかかれていた表題は
「物づくりこそ本道・骨太に展開」で、
簡単に書けば
アジアや中国との関連を前向きに発展させるなかで
あえてものづくりを重視していくことが今後も必要なのだ、
という話だった。




2001.11.24

一方、同じ日の夜、筑紫哲也氏のニュース番組に
慶応大学の榊原英資氏
(元は大蔵省の方で、たしかミスター円とか言われていたと思う)
が出てきていて

そこで榊原氏が力説していたのは
「日本はものづくりに傾注しすぎていた。
その影響は貿易黒字が減ってきていることにも現れている。
いずれこのまま行けば日本も遠からぬうちに
貿易赤字国に転落する日がくるのも免れないだろう。
早くものづくりから脱却しなくてはいけない」
、、ということだった。



2001.11.25

たしかにこの10年の間に輸出製品の伸びが大きい製品の項目は
大きく変ってきているし
中国を相手にとってみても
ここ最近は、、95年の1.3兆円から
2000年の2.6兆円の日本の貿易赤字!

それも電気機械・精密機械などの分野でも貿易赤字、、
、、、繊維や衣料などはわかるとしても、
よもや電気機械・精密機械なんかまで貿易赤字とは、、
ちょっと信じられない、、

榊原氏はたぶん3年から4年で日本は貿易赤字になるだろう、と言っていた。
その原因は日本がいまだに「(古い)ものづくりに傾注しすぎているからだ、」
というものだと言っていた。
情報や技術に特化していかなくてはいけない、とも言っていた。




2001.11.26

一見、両者は対立する主張をしているように思える。
しかしよくよく考えてみると
実は同じことを言っているのではないかと思えた。

末広氏の「キャッチアップ型工業化論」も
「中国やアジアでできないものづくり」を
日本ではおこなって
「中国と日本、それぞれが連携することで繁栄できる」、
というものだと思う。

榊原氏も結局は
日本は中国やアジアでできるようなものづくりはやめて
日本でしかできない(はずの)「情報や技術に特化せよ」
といっているようだ。




2001.11.27

なぜこう解釈が変わって聞こえてしまうのか、考えてみると
どうも「ものづくり」という言葉の意味をどうとらえるかによって
変わってくるように思える。

ここにははっきりとは書かれていないが
二人の識者の話す文脈のなかには明らかに
「旧来のものづくり」 と 「先端のものづくり」の
二つがあるように思える。

ただ、「ものづくり」と、ひとことでかたずけてしまうと
どうもその違いが明確にならない。

「旧来のものづくり」 は中国に流れていく「ものづくり」であり
「先端のものづくり」は「情報や技術に特化」し
「日本で行うべきもの」だとすれば

やはり「ものづくり」とひとことで括ってしまうのは
問題があるように思える。




2001.11.28

あるいは
榊原氏の言い方や考え方によってたつならば
「先端のものづくり」は「ものづくり」ではなく
「情報や技術」と言わなくては
正しく伝わらない、ということだろう。

こう考えてくると
「ものづくり」という「言葉」の意味するところを
もっと深く考えてみることや
表現する必要が
あるのではないかと思えてくる。

あるいは「ものづくり」という言葉に縛られてしまわぬよう
あえてわれわれは「ものづくり」という
言葉の呪縛から開放され
冷静であるために一歩離れてみる必要さえ
あるのではないかとさえ思う。




2001.11.29

「ものづくり」や「もの」は
たしかに一見わかりやすい概念だけれど

むしろ今の時代に
「ものづくり」ということばで語ることが
製造業自身の範疇や可能性に
暗示をかけてしまっているようにも思えてくる。

製造業という言葉もそうだ。
「ものづくり」は、なにか「もの」を
作り出さないといかんのではないか、、
そんな呪縛があるようにも思える。

「言葉の解釈」を問題としているわけではない。

いつのまにか「ものづくり」ということばで
本来、様々な可能性がある「われわれの仕事」を
括ってしまうと
本当に必要としていることが
見えなくなってしまうのではないか、と
思えてくるのだ。




2001.11.30

逆に言えば

「情報や技術に特化していけ」という
榊原氏の主張はある意味ではあたっていると言っても良いと思う。

誤解を恐れずに言えば
「ものづくりはもう日本でやっていてはいけない」
という榊原氏の言い方も
あたっていると言ってもいいかもしれない。

つまり「次の時代のものづくり(と、氏は言わないが、)に
行かなければだめだ」という意味でもある。

また、
中国やアジアに「キャッチアップ」されないように
日本はドンドン先に進め、という
(そういう言い方ではないが)
末広昭氏の主張もたしかにそうかもしれない。


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