今日のコラム・バックナンバー(2001年 5 月分)


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掲載は日付順になっています。


2001.5.1

ただここでちょっとした疑問が浮かぶ。
だったらなぜ日本の電子部品産業やテレビを作ったりする産業のなかから
アメリカであった「打ち壊し運動」みたいなものや
いま日本で言われるような「緊急輸入制限措置」みたいなものが
行われなかったのだろうかという疑問だ。

複雑な系列や、ピラミッドやあるいは良い意味での
「企業グループ」のなかでの依存関係、があったなかで
いままで自分たちがやってきた仕事が
ある日突然のように海外にシフトしていっても
打ち壊すことはもちろん、「緊急輸入制限措置」の要請や
文句も言えなかったり言わなかった、、状況が
いいか悪いかは別としてそういう状況が実際にはある。

これはもちろん、産業構造や、ものが作られる仕組みの
違いにも関連しているし
食料などの自給は国家の生死にも関係のあることだから
そうそう比較できるような簡単なものではない、とも思うが、、




2001.5.2

昨日までの話しはちょっと横において、、

いよいよ連休に突入した。
筆者はまたまた今年も
秋田で行われる電気自動車のレース
「ワールドエコノムーブ2001」に
参加してくる。

というわけで今日から連休あけまで
今日のコラムはお休みです。
では連休あけにまた。




2001.5.7

連休があけました。今日のコラム、再開です。
−−−−

まあ、「ひらがなカタカナ産品業界」だけが
そういう努力をしなかったわけではないだろうし
ひとり文句を言える立場にいるとも言わないが、、、
日本の電子部品産業やテレビを作ったりする産業などが
アジアと違うことやものを生み出していこうとした
継続的で真摯な努力がその裏で懸命に黙々と
行われていたことは
やはり認識しておく必要があると思う。

もともと、もっと不思議だと思うのは
労働集約的な「ひらがなカタカナ産品」が
そうではない製造物品よりも
まっさきにアジアに生産をシフトしていっても
よかったはずなのだが
なぜ今になって海外から日本に
もたらされるようになってきたのかということだ。




2001.5.8

これは日本の政府が
「ひらがなカタカナ産品」を守っていくという方向を
いままで長い間、
政策・規制として持っていたからにほかならない。

ちょっと前の話しならお米だって牛肉だって同じことだ。
こういったものが近ごろあいついで
日本からアジアに生産がシフトしたり
海外で作られている産品を輸入するという方向にむいていった。


だから最近、いろんな識者がテレビなんかでいうのは
もう10年も前からこういう事態は予想できたのだから
規制などで守らずに生産のイノベーションを行ったり
付加価値の高い生産物にシフトしていくべきだったのだ
、、という話しだ。



2001.5.9

これはたしかにそうだと思う。
、思うが、
「緊急輸入制限措置」などを行うことは間違いである、とか
規制をしたりすることも間違いである、とか、
あるいは、正当な競争をしながら
生産や技術革新・イノベーションを行ったり
付加価値の高い生産物にシフトしていくべき、、
という至極まっとうそうな議論が「絶対正しい」とも思わない。

たしかに、まあ、この10年前に
日本のひらがなカタカナ産品・産業が
そういう議論をしてきたのか、と問われれば
そういう議論をせず、
むしろ発展的な議論の芽を育てることをしなかったのが
その時の産業政策だったのだといえば言えるが、、、

ともかくもその施策にしても、当事者にしてみても
自分たちの未来のために評論家の一般論で終わらせず
生産のイノベーションや付加価値の高い生産物を
「具体的にイメージする作業」をどれほどやっていたのだろうか。




2001.5.10

状況によっては規制することや
それなりの措置を行うことも必要なのではないかと筆者は思う。
同時に見失ってはならないのは
具体的に自分たちの産業の未来をイメージしていく
ビジョンを作り上げていく地道な作業だろう。
掛け声だけに終わらせず、
具体的でわかりやすいイメージ豊かな議論をしていくことだろう。
どうもこのあたりが欠けているのではないかと思う。

まあ、一般論や抽象的な議論で煙にまくのは
今にはじまったことではない。
「国民のなかで痛みをわけあうこともこれからは必要だ」
みたいな抽象的な話しで国民にその気にさせておいて
その実、それが実際にはどんなことなのかを
直視しようとさせはしない、そんな国だから。




2001.5.11

付加価値の高い産業にシフトしていく必要がある、
などと、なるほどたしかにそうではもちろんあるのだが
われわれ産業人は総論や抽象論で
終わらせていてはならない。
各論にまで具体的に迫っていく力が必要だ。

日本人がもっとも苦手とする、と言われる
「構想力」や
「エンジニアリングする力」や
「仕組み作り」
を、持つ必要があると思う。



2001.5.12

構造改革も必要だし景気浮揚も重要だ。
でもなによりその向こうに
何を生み出していく必要があるのか、、
われわれはそれを真剣にかんがえなくてはならないだろう。


アメリカや海外で行われていることを
無批判に応用していこうとするのではなく
日本の産業や社会や家庭やものの考え方に基づいた
足が地についた仕組みと
そこから日本の社会や産業や家庭や
個人が必要とするものを生み出すこと、
「仕組みづくり」をしながら同時に
そのなかからそんな価値あるものをたくさん
生み出していくことが必要だろう。




2001.5.13

すでに産業界、それも
けして大きくはない小さな単位や
中央に近いところではない地方の片隅で
ものを創ろう、作りだそうという
様々な試みや知恵が形になろうとしている現実はすでにある。

願わくば、それらの動きに対して
政治や経済や国そのものが
なんらかの「手助け」をしていくことは必要だろうと思う。
もたれあいやおんぶにだっこでは困るが
そうではない、自立をしようとしている
企業や個人にはそれをバックアップすることは
これからとても必要なことだ。





2001.5.14

連日の新聞を読んでいると
「セーフガード」の対象になる製品を見ていると
問題はひらがなカタカナ産品・産業に終わりそうもないことが
はっきりしてきている。
セーフガードに何が適応するとかしないとか云々ではない。
海外へのあらゆるものの生産のシフトが
強烈な勢いで行われようとしているという意味だ。

実際に新聞には
毎日のように電子デバイスだのスクータだの
超硬工具や自動車部品を
海外で調達し組み立て、
日本にも輸入するなどという話しが
毎日のように載っている。




2001.5.15

世界で一番ものを作るのにお金がかかる国から
世界で一番安くものを作ることができる国や地域へ
生産がシフトしていくことはこれは当然のことといえば言える。
これは止めることはたぶんできないだろう。

世界で一番安いところで作られたものが
世界で一番高く買ってくれるところで
販売され買われていくのも止められないだろう。

政治的な判断で、それがある程度早められたり
遅くなったりすることはあるのだろうし
それも状況によってはあっても良いとは思うが、
いずれはなるべくしてそういう方向になっていくだろうと思う。

国内における産業育成などとは言ってみても
その育成すべき産業が国内で生産をする合理性が失われれば
育成する意味そのものも失っていく。




2001.5.16

以前からひらがなカタカナ産品以外の
電子デバイスや電子部品や電気製品なども
海外で作られ日本に持ち込まれてきていると書いたが
これが今では更に拡大し
感覚的には「すべての生産物?」が
海外で作られて日本に持ち込まれる
時代になろうとしている、というわけだ。
実際にはまだ国内で作られているものは
圧倒的に多いはずなのだが、
感覚的には生産行為が海外にスゴイ勢いで
シフトしているように見えてくる。

ひらがなカタカナ産品の「緊急輸入制限措置」を
人事と言っているわけにはいかない状況が
再び今、こようとしている。




2001.5.17

そのわりにはイメージ豊かな、具体的な
次の時代のための
「生産のイノベーション」や「付加価値の高い生産物」の
アイディアや議論が一部を除いてまだまだ始っていない。
筆者の危惧するのはそのことだ。

状況によっては議論を煮詰めていくための
時間的な容赦や規制や制度があっても
よいのではないかとさえ筆者は思う。
もちろん正当な競争のなかで、
規制や措置などに頼ったりせず、
自分たちの豊かな議論を進めていくべきなのだが、、。

いずれにしろ
早くそういう豊かで生産的な議論を
産業界全体で行っていかないと
またぞろ、次期遅れの規制待望論が出てきたり
海外との摩擦などの話しまでが出てきてしまう。
はやく、自分たちの生産的な議論を始めるべきだと筆者は思う。





2001.5.18

最近コンビニストアにいって思うことがある。
飲料水に必ずといっていいほどついている
「おまけ」のことだ。

キャラクターものからキーホルダーのおまけから
一時はマニュキュアなんかもついていたりして
飲料水とはなんの脈絡のないものまでくっついてきていて
始めのころはちょっとびっくり、というか
たしかに「得した気分」にもなったのだが
こうまで「当たり前」になったような状況になると、
ちょっと当初の「感激」を忘れ
あの「おまけ」の意味や、いや、その向こうにある
深い意味を考えてみる必要があると思えてくる。




2001.5.19

こうした「おまけ」は
たしかに「販促商品」でもあるんだろうが
ここまでくるともっと違ったことまで
考える必要もでてくるように思う。

一つは商品そのものの魅力をどう考えるのか、ということだ。

販売するべき商品そのものの魅力で
販売するのではなく
販促とはいえ、違った価値と抱き合わせにすることで
本来の商品の販売に勢いをつける。

もちろん、商品そのものの魅力もなければ
最終的には消費者は受け入れてくれないだろうが、、。




2001.5.20

たぶん飲料水についてきたおまけは
消費者の机の上や引き出しのなかあたりに
いまだ、置かれているんだろうが
当然ながら飲料水に使われた「ペットボトル」そのものは
捨てられているはずだ。飲料そのものが商品だから
飲まれてしまい残らないのは当然ではあるのだが、。

キャラクターもののおまけなんかは
昔から有名なちゃんとした「ブランド」というか
キャラクターを使っていて
捨てるに捨てられないようなものだ。
また、キーホルダーはそれなりに使えるものだ。
さすがにマニュキュアはちょっとはずれだと思ったけれど、、。





2001.5.21

おまけが魅力になっているとすれば
今後はどちらがおまけでどちらが商品なのか
わからなくなってくる。
違うブランドやキャラクターの影に本来の商品が隠れてしまう。

このように
飲料水もそうだが若者が消費するいろんなものは
商品のライフサイクルが極端に短く
ブランドイメージが確立しづらい。
ロングライフのブランド商品にまでなっていくのはごく少ない。

飲料水では新たに市場に投入された
新製品がおまけをつけられてくる事が多いが
最近は昔からブランド商品が確立しているような
聞きなれた名前の製品まで
おまけをつけてくることが多い。





2001.5.22

おまけも自製で、商品そのものも自製で
両方が「ブランド」になった、といえば、
グリコのおまけキャラメル、、がそうだろうが、
考えてみればあれはスゴイ商品ではあった、、。

ところが、
商品に「違うブランド」の商品やキャラクターをおまけにつける、、
もしかして異なるメーカーの異なる市場の商品をも、、
そんなことまで最近は起こっている。

そんなことしなくてもしっかりとした
「ブランドイメージ」と実力があれば
そうそう簡単には「浮気」なんてしないのではないかと思うのだが
やはりライバル商品がおまけを付けたりすると
みな同じようなやり方をはじめてしまう。
これはしかたのないことなのかもしれないが、
ちょっとふに落ちない。




2001.5.23

まあ、たしかに、一時かもしれないが
おまけで市場を奪われることだってあるだろうし
もしかしてそれが恒常的にな状況に
陥ることもあるだろうから
敵がおまけをつけるのならそれ以上に
魅力のある「おまけ」をつけて
お客の浮気を防ぎたい、ということなんだろう。

まあ、それだけ「類似」の商品が
増えてきているということかもしれない。
商品そのものではなく
「おまけ」で差別化を図る、なんて
うむ、はたしてそれが正しいことなのかどうなのか。
ちょっと考えさせられる。




2001.5.24

もう一つ考えさせられるのは
商品の「価格」をどう考えるのか、ということだ。

まあ、たしかにこんなけっこうお金のかかっていそうな
「おまけ」をつけても
商売できるのだからよほど利益率は高く
おまけの「販促商品」くらいつけても問題ないということなのか。

いや「おまけ」に限らない。
郊外のパワーストアで売られている
商品の価格がドンドン下がっていって
最近よく言われるような「デフレ」になっても問題ないのだから
よっぽど利益率は高いということなのか。

いや、利益をあげていくことがいけない
なんていうつもりはない。
でもこういうことに現れてくるような
ちょっとハテナマークが付くような
日本のものと消費の構造を
もう一度深く考えてみる必要がありはしないかと思う。




2001.5.25

最近テレビなどで大々的に放送されたりして
有名になっているが
千葉県のある地域では
海外から進出してきた大資本の
パワーストアのような業態が
大量に商品を仕入れ
とんでもない低価格で
そういった既製の消費財の
販売をはじめているが
当然ながら地域の消費者と小規模な販売店との
関係に大きな変化を生み出している。




2001.5.26

群馬県でも全国でも同じような現象は起きていて
地方のある程度の大きさのパワーストアにいけば
一箱単位で飲料水なんかを
通常、町の販売店なんかでは考えられないような
安い価格で売っている。
なにも安いのはフリースジャケットに限ったことではない。




2001.5.27

製品の本来の価値とはかけ離れたおまけが
だきあわされてものが販売されたり
価格も競争の結果かどうか、そのことは別としても

(競争政策は正しいこと、という論調があるが
本来それは疑わしいと思う。
海外から来た大手資本と地場の商店が正当な競争を
しているとは筆者にはどう考えても
思えない、がそれはまたいずれ、、)

とにもかくにも下がっていく、、。




2001.5.28

消費者にものが安く供給されることのどこが悪い、
という意見もあるだろう。
おまけがついていて何が悪いという意見もあるだろう。

「おまけ」も「価格破壊」も
どちらも消費者にとってはうれしいことのようにも感じるが、
しかし、はたして本当にそうなのか。

そう言えば最近、テレビを見ていたら
最近ここでも書いている「セーフガード」の件について
評論がされていたのだが、この中で
「セーフガード」を実施することが
アナウンサー曰く
「消費者の利益か、生産者の利益か」という表現をしていた。




2001.5.29

これに近い話しは
「これからものづくりは生産者主導から消費者主導になっていく」
という言い方がある。

アレッ?本当にそうなのかな?と思うのは
「消費者の利益か、生産者の利益か」、、
にしても
「これからものづくりは生産者主導から消費者主導になっていく」、、
にしても
どちらかを選択しなくてはならないような言い回しなのだが
そもそもどちらかを選択しなくてはならないことがらなのか、、、




2001.5.30

生産者と消費者は主導権を争うものなのか。
消費者の利益と、生産者の利益は相反するものなのか。
そのあたりに思いこみというか誤解というか、、が
あるような気がするのは筆者だけだろうか。

たしかに
「消費者の利益か、生産者の利益か」、、
も
「これからものづくりは生産者主導から消費者主導になっていく」、、
も
両方とも、マーケティングの手法やモノの売り方が
情報技術によって変わっていくだろうという議論から
必然的にもたらされたような言い回しなんだろうし
ものをつくっていた「メーカー」が
一方的にものを作って販売するという状況は
これから変わっていくだろう。




2001.5.31

生産に携わる立場の人や企業が
いままでのように一方的に物をつくってしまったり、、
お客さんが望んでもいなかった物を
社会に大量に送り出してしまったり、、
そんなことはこれからなくなっていくだろうとは思う。

しかしそれは、「いままでは作る立場の人々や企業が
使う人々の話しに聞く耳を持たなかったからだ」、
、、という分析ではもちろん一面的にすぎる。

いままでのものづくりのやり方や仕組みが
そういうものづくりしか可能にしなかった、
というのがこれまでの到達点であって
情報技術が、使う立場から作る立場へのフィードバックを
可能にしはじめた、というのがいま起きている変化なのだ。



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