今日のコラム・バックナンバー(2001年 4 月分)


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掲載は日付順になっています。


2001.4.1

少なくとも社会のなかに関係性も持っていったり
環境にたいして感知したり能動的に働きかけることが
できていかない限りは無理だと思う。

実はアイボが「自律」して動いているのを見ていると
思わず、本当の生物をみているような錯覚に陥ることがある。
友人たちと話しをしていると
みんながやはりそういう「錯覚」におちいると言う。
なかには錯覚に陥ったまま
抜け出せないような状況になってしまった人も
いるかもしれない。




2001.4.2

おそらくはそんな複雑な関係のなかに自らをおき、
自ら学び取り成長していくような過程が
、、たぶん人間がヒトとしてやってきたことが、、
ロボットやコンピュータでもできるようになれば
人間の社会のなかに位置づき、人間と付き合える時代もくるんだろうが
それはもうちょっと、いやけっこうな先のことになるだろう。
なんと言ってもいままでになかったような状況ではある。

少なくともコンピューター単体では
いつまで経っても
情報の高度な処理装置の範囲からは出られない。
複雑な感覚器官を持ち社会や環境などの
なかに身をおき行動しなくてはそれはありえないはずだと思う。



2001.4.3

むしろそういう議論はロボットそのものというよりも
ヒトが成長し進化してきた生物学的な流れを
確認することなしには得られないことだろう。
どうもそのあたりが最近のロボットの可能性を話すときに
決定的に欠けている認識だと思う。

もっとも、人間がその分、進化し高度になっていっているのか
というと、ちょっと最近は心もとない状況でもある。

電車のなかで人前で平気で化粧をする若い女性は
脳の発達に問題があるんじゃないかと
論を言う本が最近出て物議を醸し出していたが
たしかにそういうことも言えるのではないか、と思う。

ロボットが人間のように成長する機会を得られるくらいなら
人間はもっと高度な環境のなかにいなくては本来おかしいと思うのだが
むしろ今起きていることは人間のロボット化に近い。



2001.4.4

ロボットの人間化を目指す時代に
人間がロボット化していく状況が生まれているなんて
なんという時代の皮肉だろうと思う。

複雑な関係のなかに身をおきながら
成長したり進化していくべき人間が
その接点を失ったことによって
人間たりえなくなっていく。
、、ヒト、たりえなくなっていく。

筆者はヒトはヒトたる「ゆえん」は
そういう関係性が長い人間の歴史のなかに
あったればこそだと筆者は信じて疑わないが、
なお言うならばその関係性の最たるものは
社会的関係の最たるものは
「人間の生産活動、あるいは、ものを作る行動」
そのものではなかったかと思う。



2001.4.5

それは仲間や相手との関係、
例えば集団で行動したりすることもそうだろうし
あるいは環境に働きかける行為、
石を握って果実を割ったり
弓を持って動物を捕まえる行為だったりもする。

非常に複雑で多面的な感覚器官を
総動員して人間は
自分を環境やあるいは社会との関係のなかから
切り出し、形づくり、成立させてきた。

もしも情報技術や
あるいは最近のものづくりのシステムなどが
他との関連性を希薄にますますしていきながらの
生産性の上昇や合理化などを示すものなのだとしたら
たぶんそういった「新たな道具だて」は
人間自らの存立を脅かすものにも
なってしまっていくだろう。




2001.4.6

若い女性だけでなく
立派に成長・進化したはずの「ヒト」が電車のなかで
化粧する日が来る可能性もあるわけだ。

むしろ深く掘り下げていくならば
新たな危機の存在はそこにもあると
筆者は思う。

経済の危機の本当の根元には
いまだそういう危機が存在していることを
深く捉えることがなされていなことにも起因していると思える。





2001.4.7

少なくとも
「本質」に迫ろうとせず、危機を目先の現象でとらえ、
目先の行動で対処しようとする
もっと悪い場合には対処しようともせす評論で終わる。

長いスパンのなかで国や人の未来を
捉えようとしている人たちにとって
今の状況はそこまで
、、ヒトがヒト足り得ていけるのか、、
そこまで掘り下げていくべき状況なのだと思う。





2001.4.8

ヒトがなんらかの形で社会や環境との
つながりのなかから意識的にあるいは無意識のうちにも
孤立してしまうことは
これはいずれ社会や環境と人との関係の破壊、
人間性そのものの破壊も含め
それぞれの破滅や滅びへの道へつながっていくと思う。

同時に、
ロボットやコンピュータが
どんどん進化しいずれ人間に近づいてくるというなら
むしろますます人間は
人間たりうべく、考えるひと、として
孤高の存在でなければならないと思う。

なにより「考えること」を停止してはならないのだと思う。




2001.4.9

ITバブルとかがはじけて、
株価も値下がりし
景気も日本もアメリカも悪くなってきたり
デフレに陥ってしまったりと
このところ良い話しを聞かないわけなんだけれど

まあ、そういうなかでも
こういう現状を打破していこうという話しが
けしてないわけじゃない。

新産業を生み出そうとか
ベンチャー企業を生み出そうとか
そういう話しは
ちょっと前のITバブルの時ももちろんあったし
その前のベンチャーバブルの時もあった。
もともとベンチャーバブルの最後に来たのが
ITバブルだったわけでもあったのだけれど、、




2001.4.10

で、今にいたっても
新産業を生み出そうとかベンチャー企業を
生み出そうとかいう話しは
一応、景気が悪くなったはなったで
その分余計に、やはり新産業やベンチャー企業は必要だ、と
いう話しになっていて
最近またぞろ、そんな話しは出てきたように思える。
政治家のなかにも新産業が必要なんだ、とか
ベンチャー育成をしようとか
既存大企業のなかにも社内ベンチャーが必要なんだとか
いう話しは盛んだ。

もちろん若い人やそれなりの年齢の人も含め、
ベンチャー投資やITバブルがはじけたとはいえ
(まあ、この意味そのものがけっこうあいまいだったりするんだが)
地道に事業を立ちあげようとかベンチャー企業を始めようとか
いう人たちも一方にいる。



2001.4.11

でも、つい最近の新聞の報道だったかに、
最近の若い人たちのなかには
こういう不景気な時代になってきて
起業しようとかベンチャーを始めようとか
いう気分は落ちてきていて
逆に安定志向は上がっているんだという話しが
あったが、まあ、それも当然、わかる。

挑戦を始めようという人たちもいる一方で
やはり確かさや安定を求める若者や年配者も
これはもちろん多い。
時代の波に影響されて、その割合が変化するのも
当然と言えば当然なのだろう。




2001.4.12

これはある意味ではしかたがない。
よく言われるように残念ながら日本では
起業でもあるいはいろんな行動など、
「新たな行動を始めたこと自身」が
失敗した時にはそれを咎めたり
足を引っ張るような文化や
マイナスに評価する雰囲気があるし
その人の全人格まで否定してしまうような状況さえあるから
容易には自分の人生をかけるような挑戦はできない。

なにより「他人と違うこと」が
頼もしいことや誉められること、ではなく
当人も他人にとってもいやなこと、避けたいこと、
、、であるような文化を持つ国ではあるし、
あいかわらず、出るくいが打たれ易い国ではある。

残念ながら不景気になればなるほどそういう気持ちが
強まるのは当然といえば言える。




2001.4.13

じゃ、外国ならば
簡単に様々な挑戦ができるのか、と言えば
外国で起業や新たな行動をしたからといって
協力者の期待に応えることができなかった場合に
その責任はないのかというとないわけでもないだろう。
やはり責任というものはついて回るだろうし
リスクというものはついても回る。

でもやはり日本はそういう有形無形の
「締め付け」や「とがめる文化」というか、がキツイし
横一線の中から新たなベンチャーや起業を始めたり
新たな行動を始める、ということが
やりにくい、始めにくい、という状況はやはり残念ながらある。




2001.4.14

もともと、
社会的使命を持って事業を立ちあげるとか
社会に向って表現として自分たちのカンパニーを設立するとか、
あるいはもっと言えば
社会と自分の関係を深く考えるということが希薄な国だったから
これはこれでしかたないのかもしれない。
(本当は遠くは「海援隊」やその後継である三菱や
「ソニー」やその前身である東京通信工業は
社会的使命感を持って設立された企業だと思うし
世界の産業史のなかでももっと正しく評価されるべき
すばらしい出来事だったと思うのだけれど)

今後はそういう状況にもなっていくんだろうが
しばらくは今のこういった状況から
制度や仕組みや価値観などを改善しながら
リスクを加味しながらうまく立ち回っていきながら
起業するなどして進めていくしかないだろう。



2001.4.15

ところで気になるのは
新産業とか新産業分野とか言われて久しいのだけれど
その新産業というのがいったい何をしますのかは
はっきりとはしていない。

ばくぜんとそういう議論はするのだけれど
いったい何を示すのか、いざ考えてみるとはっきりしていない。
もとよりそんなものがすぐにわかるほど
実体は簡単ではないし簡単にわかったら苦労はないし、
もともと新産業はきっととても範囲がひろく
古い産業以外にこれから生まれてくる範疇は
すべて「新産業」ということもできるのだろうが
それにしてもはっきりイメージとして捉えられてはいない。



2001.4.16

しかし、それにしても
世の中がどういう方向へ向っていて
そういう時代には「なにが必要とされていくのか」という
社会的で、具体的な議論が必要なのだろうと思うのだ。

ITだとか
そこの周辺には新産業はあるのだという
議論があるのはもちろんわからないではない。

しかし、本当にそうなのか。それだけでいいのか。
まわりの言われるままに
これからはITだ、インターネットだ、情報技術だ、と
いう話しがあって
それに疑いもせず新産業だと思っているふしがあるのじゃないか。




2001.4.17

最近はITバブルの崩壊とかで
ITが産業のメインになっていくみたいな話しも
少しフェードアウトしてきたようにも思うが、
いまだに
新聞で「なんとかバレー」ができるというのも
結局なんらかのIT産業が生まれつつある場所を
「なんとかバレー」と呼んでいるだけで
ITがあることが新産業みたいな雰囲気さえありはしまいか。
たしかにITも新産業であることに間違いはないが、
それだけでもあるまい。

実際には医療や福祉は高齢化社会や教育や、
あるいはもっともっといろんな社会が必要としている
事業、物やサービスを供給してくれる事業が
たくさんある。





2001.4.18

福祉については昨年あたりから
そこに新たな事業の可能性があると踏んで
ベンチャー企業が参入したことは記憶に新しい。

日本ではそういう福祉などの分野は
事業には馴染まないのではないか
という話しが喧伝され急速に話題に登らなくなってしまった。
あれだってたしかに難しい話しではあるにしても
本当はもっともっと社会に
浸透していったり様々なところでその可能性についての
話しが深まり広がっていっても本来、良いはずの話しだと思う。

新産業といいつつも
国や既存の産業界のなかにあるイメージって
どちらかと言えばITとかに縛られている感じはする。
もっともっといろんな可能性があるのだし
分野があるはずだ。





2001.4.19

ちょっと乱暴な言い方をすれば
本来、新たな産業をいろいろ構想しなくちゃならなかった時点で
ITがすべてみたいな議論に躍らされて
本来行うべき新産業構築の豊かな議論を
忘れてしまっていたとも言えるかもしれない。

IT分野は儲けがでかいとかふんだのかどうかはしらないが
日本中が安易に投資したり近寄っていっての結果が
最近のこんな状況なんだから、、、
、、本当はITも含め医療や福祉や環境や教育や
ほかにもいろんな分野の新産業について語り合った
時代があって良かったのだと思う。





2001.4.20

本当であれば
この数年の間にも
そういう可能性の話しをもっともっと
広めていくべきではなかったのか
社会や産業や家庭や個人や、が
必要としているものやサービスを
イメージ豊かに語る必要があったのではないか

そういうことなしに
新産業はIT分野しかないと単純に
国をあげて議論したり思っているところに
底の浅さがもろに見えてくる。



2001.4.21

これは産業に従事しようという立場に限らない。
金融分野からベンチャービジネスに
関わろうとしている事業家だって
もっともっとほかの分野にいろんな可能性も
見出す能力が欲しいと思う。

あるいは国の方向を定めていくべき人々にも
同じことは言えると思う。

景気を浮揚させる方策や財政の破綻をすくう方法を
それなりに考えてもいるんだろうが
本当はもっともっといろんな方法が
考えられていて良いのだと思う。




2001.4.22

少なくとも産業を活性化させる方策については
もっと知恵とアイディアを出す必要がある。
それはどんな小さなものでもいいだろうし
実効が疑わしくたっていいではないか。

まずはそれを土俵に載せることこそが必要であって
それが浮かんでくるような状況を作る必要がある。

それは企業が真面目に自らの使命に向って
奮闘することにほかならないし
ベンチャー企業が使命感を持って起業することに
ほかならない。

あたり前のことを当たり前にすること、
それが今一番重要なことなんだと思う。




2001.4.23

ところで今、政治の世界では、
日本の財政の破綻をどうするのか、とか
日本の景気の浮揚策はどうするのか、とか
いった話しがどこかの政党の親分を決める話しに
並行した形で行われている。
テレビでも連日連夜、そんな話しを
4人の候補が並んでしている。

まあ、そんな話しはここでは興味はないが、
ただ、そのなかで話されていた
日本のものづくりの未来についての話しには
興味を持って聞かざるを得ない。




2001.4.24

当然話しのなかに出てくるのは
中国を中心としたアジアで作られて「もの」が
いよいよ日本に怒涛のように
押し寄せてきていて
それが国内産業を圧迫しはじめているという話題だ。

これは昨年来有名になった国内衣料メーカー?が
中国から輸入してきた衣料品が
国内で圧倒的な価格競争力をもって
市場を席捲したこの間の出来事に
特徴的に現れている。
たしかに日本の国内生産量と輸入量の比率に
影響を与えるほど一社の輸入量が突出したから
これは大きな話題にもなった。




2001.4.25

しかし、ことは、「圧迫しはじめている」という段階を超え、
すでに「セーフガード」「緊急輸入制限措置」で
そういった製品やものを国内への輸入を制限し
「国内産業」を守っていくのか、どうか、、、
そもそもそういったことが「国内産業」を
守ることにつながるのかどうか、、、
、、といった非常に複雑で深いところまで
言及しなくてはならないほど発展した問題となってきている。

筆者にも正直言って
この措置が国内産業を守ることになるのか、
いやそうではなく、
むしろそれは長期的にみたら競争力の疲弊につながっていくのだ、
というような議論のなかで
どうあるべきなのかは正直いってわからない。

結構な良識のある識者達の間もテレビのなかなどで
意見が真っ二つに二分しているように見える。






2001.4.26

少なくとも、中国で作られているような生産物が
圧倒的な価格競争力で
日本国内の同じものをつくっている産業の
市場をうばいつつあることは間違いない。

ところでその例えば「緊急輸入制限措置」に
該当すると言われている「もの」が
この前、テレビ番組のなかで一覧表にされているのを見た。

一瞬にしてそれがどんなものなのかを知ることになった。
なによりひらがなとカタカナが多いのだ。
冗談ではない。
「ピーマン」「トマト」や「タオル」や「しいたけ」や云々かんぬん・・・
ともかくも圧倒的にひらがなとカタカナなのだ。
それも字数が少ない。

漢字やカタカナで字数が多い、例えば
・・・設備、や・・・自動車、や・・・部品、や
シリコンなんとかとか、・・・デバイス、、のようなものは
「緊急輸入制限措置」の候補にはのっていない。





2001.4.27

これは言ってみれば「緊急輸入制限措置」に該当するものは
一次産品などが多いということなのだろう。
工業製品であれば衣料品や繊維製品など
労働集約的な軽工業の産品ということだ。

こういったものは労働集約的な産品だから
日本のように労働力が世界一高くなってしまった国と
世界一安いと言われるような国との間では
価格コストに吸収しようにも無理な
どうしようもない差が
生まれるのはしかたがないといえばいえる。




2001.4.28

なにより今世界のなかで
ものを作るのに一番金がかかる国が日本なのだから
これはしかたないといえば言える。

ちょうど30年も前に
まだ当時としては世界のなかでも
価格競争力、つまりは労働力がまだまだ安かったり
物を作るのに世界的な水準からすれば
安くできる状況にいた日本から
「世界一豊かな国」であるアメリカに
怒涛のように「もの」が輸出されていき
市場を支配していったと同じ(ような)ことが
今起きていると言ってもいいのだろう。



2001.4.29

ただし、同じ「ような」状況であって、けして同じではない。
以前、アメリカにおいて日本からの輸入品にたいして
ラジカセなどの家電製品や自動車の
打ち壊し運動みたいなものが起きたのは
仮にも日本のメーカーが日本でつくって輸出したものだったが
今、中国などから日本に入ってきて
問題とされているのは日本の資本が海外でつくっているものが多い。
これはこの間のテレビなどで「セーフガード」について
語られるなかでも問題になっている。
たしかに場所は中国でつくっているけれど
指導したり「作らせて」いるのは
日本の資本ではないかという話しだ。
これが問題を複雑にもしている。



2001.4.30

ただ、実は今の状況に似た話しは以前からもあったはずだ。

「テレビ」は以前は日本国内で作られていたものが
いまでは圧倒的に海外で作られて日本に持ち込まれる。
それも資本は日本のメーカーだ。
これは「カタカナひらがな産品」と良く似ていないか。

さすが自動車は現地生産だからアメリカで動くものは
アメリカで、日本で動くものは日本で作られているが
テレビや半導体や電子部品などは
ひらがなカタカナ産品などよりもっと早くから
アジアに生産がシフトし、
逆にアジアから日本に持ち込まれるようにもなっていた。



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