今日のコラム・バックナンバー(2001年 3月分)


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2001.3.1

たしかに、
IT・情報技術の進化によって
生産性は上昇したり合理的になっていくとすることは
間違いないと思う。

一時、言われていた
IT・情報技術の進化は生産性の上昇に寄与しない、という議論は
さすがにいまでは説得力にかける。

情報処理技術・IT・情報技術の進化やネットワークの進展によって
いままで不合理だったことや面倒だったことや
わずらわしかったことが
合理的になっていったり
面倒でなくなったり、便利になっていくことが
生活や身のまわりで
どんどん起きていることをみるだけで
「生産性は上昇しているし合理的にもなっている」
と考えてまちがいないだろう。



2001.3.2

たしかに「デジタルデバイド」と言われるような現象も
ないではないし、それが問題であることも間違いないが、
全体として生産性の上昇していることは
間違いないと考えていいだろう。
で、その状態をニューエコノミーと呼ぶならそれも良い。

ただ、景気の循環はやはり来ると思う。
人間の欲望や期待感が物理的な力を持って
様々な経済の施策や投資やものづくりを行っていく以上
やはり景気循環は来ると思える。
波の大きさや深さや複雑さや
進展の速さの違いはあるにしても、
あるいはそれが向く方向が違っていくとしても、、。
資本主義の本質が変わらない以上、
それは形を変えながらも起きてくることだと思う。




2001.3.3

もしそれがITによって変わっていくというなら
ITが進むことによって自然発生的に
いわば「統制」ができるということじゃないか。
しかし、資本の動きはそういうものではないと思う。
本来資本の動きは過激なものだと思う。
けしておとなしいものではないと思う。

そこに来て、実体経済の100倍ものお金の流れが
実体経済を翻弄しはじめている。
ニューエコノミーとよぶならそういう脆弱な基盤にたつ
今の「いびつな経済」をこそ、そう呼ぶべきだろう。




2001.3.4

やはり情報技術やITによって
「合理化」や「生産性の上昇」や「活性化」もするが同時に
同時に危うい領域まで踏み込もうとしているのが
ニューエコノミーの本質なのだと筆者は思う。

結局、危機の本質がいままでとは
別のところに移ったということではないのか。

そういえば
「デフレ」についても議論になることが多い
テレビでも新聞でも盛んにやっている。

特に最近多いのは
「良いデフレ」と「悪いデフレ」があるという話しだ。




2001.3.5

昔からデフレには「良いデフレ」と「悪いデフレ」が
あって、普通、デフレは悪いものであるとされるのだが
何年か前におきたような価格が下落する現象は
技術開発や流通の合理化によって
実現されたものだからけして「悪いデフレ」ではなく
「良いデフレ」なのだ、という議論もあった。

そんな良いデフレと悪いデフレがある、
という議論にたいして宮沢大臣は
「そういうものはないんじゃないかな、、、」
と言っていた。

たしかにそんなものは言葉の遊びみたいなもんじゃ
ないかな、とも思ってもみたが、
インフレだって
経済が持続的に発展していく場合の「適度なインフレ」もあれば
年率数百パーセントと言われるようなとんでもないインフレも
世の中にはあるんだから
デフレにも良いデフレと悪いデフレが
あってしかるべきなのかもしれないとも思えてくる。




2001.3.6

考えてみれば
生産技術や情報技術のイノベーションや
情報技術や処理の進化発展によって可能になった
生産性の上昇や合理性によって
ものやサービスの価格が下落することがあるが
これはたぶん良いデフレと呼ばれるものなのだろう。

身の回りの生産物、
家電製品や自動車や例えばパソコンや携帯電話や
その通話料金なんかをみれば
数年で何分の一かに価格が下がっていくことは
デフレと言えないことはない、、が
これは技術のイノベーションによって
起きたことでこれを否定してしまったら
技術の進化そのものを否定することにもつながる。



2001.3.7

特に生産技術や情報技術のイノベーションによって
様々なものやサービスが
急速に下がっていく状況が今、ある。
だが、これは消して悪いことではないだろう。

たしかにこういうイノベーションのなかで
既存の商売や既得権によって生きてきた業界が
はじき出されていく状況はあるが
それは早晩、遅かれ早かれ起きてくることで
それを生産技術や情報技術のイノベーションの
責任にするのやそこから起きた価格の下落を
問題視することはたぶん間違いだろう。




2001.3.8

一方で、経済の低迷が続き
ものが売れない時代には
値引きや投げ売りが続き、
結果的にものやサービスの価格が下がっていくことはある。

これがもっと進むと
売れないがために必要であるはずの利益までをも削り
身を削って売ってみる、
それでも売れなければもっと下げる、そんな状況にまでなっていく。
どんどん体力は消耗していく。
企業は当然ながら国も力を消耗していく。

これは悪いデフレと言うことなのだろう。
きっとよく言われる悪循環に陥ったデフレスパイラル、
という状態はこういうことをいうのだろう。。




2001.3.9

今起きていることは
この良いデフレと悪いデフレ両方が
同時平行して起きている状況と言っていいのかもしれない。

もっとも、
デフレという言葉も気をつけて使う必要もあるだろうと思う。
「良いデフレ」という言葉がデフレの免罪符になる可能性も
あるかもしれない。


また、「技術や流通におけるイノベーションの進展」の
スピードに世の中がついていけないような状況や
それによって企業などのなかには
投げ売りのような状況で切り抜けようとした行動に向かう
場合もある。

良いデフレが悪いデフレを助長することだってないわけじゃない。




2001.3.10

ただ、たしかにもっと緩やかな変化であれば
人間や社会の対応や変化もついていける、ということも
あるかもしれないがだからといってこれらのイノベーションを
止めるべきではないし、それでは本末転倒な話しだろう。

海外で作られた製品がとても安価な製品として
日本国内にもたらされ
いままでにない価格だ、ということで
もてはやされている状況もあるがこれは止められない。

本来、資本が当然行う作業であり、それ自身はだれも止められない。
流通の合理化によって消費者が喜ぶ状況を作り出すことは
間違ったことではないだろう。
しかしそれが結果的に「悪いデフレ」を助長する可能性も
あると思うし、一時、イノベーションが「悪いデフレ」を
助長することもあるとは思う。




2001.3.11

結局
生産技術や情報技術のイノベーションによって
起きている未曾有の変化には
我々は真正面から真面目に対応していかなければならないのだと思う。
たぶん小手先の対応ではこの状況を起こしている
本質的な「流れ」を変えたり、
解決することはできないのだろうと思う。

まして、バブリーな泡沫評論家の
状況に合わせてころころ変わっていくような評論では、
ことの本質はわかってこない。

たぶんこの先、
ニューエコノミー論者の逃げ口上が跋扈すると思うが、
もうそんなのに一喜一憂するのだけは止めておこうと思う。




2001.3.12

情報の処理やネットワークの効用は
計り知れないほどの
スピードと量と範囲を可能にする。

ものづくりに必要な物質とエネルギーと情報(知識)のうち
エネルギーは100年以上も前に「ネットワーク化」されたし
これからは
情報(知識)だってデジタル化され
ネットワークによって地球のいたるところで
様々な形で結びつく。

物質だって、さすがに電線に乗せて送るわけにはいかないけれど
小口の荷物にして
いたるところに簡単に送れるようになった。

こういうことはいままでなかったし
これからはもっとそれが加速していくだろう。
たぶん、これは確かだと思う。




2001.3.13

たこの足の食い合いのような「悪いデフレ」も
もちろんどこかで断ち切らなくちゃならないし
そのための有効な手だても必要だとは思うが
それ以上に
時代が我々に突きつけている問題や課題、あるいは可能性、
そしてITとこの時代の関連を
深く探ってみる必要があるのだと思う。

「IT」は万能ではないし、
そんなに簡単に、、一夜にして、、のように
ITで経済が変化するということもない。

ましてものを懸命につくっても
きちんと評価されないような今のような状況が
ニューエコノミー論者が
終わりなき繁栄を言い表す
「ニューエコノミー」であるわけがない。






2001.3.14

百歩下がって、「良いデフレ」の話しにしても
ただ単に合理的になった、生産性があがった、
だけでは意味がない。
入手しやすく価格も安くなったかもしれないが、
それだけでは意味がない。

本来、
生産技術や情報技術のイノベーションによって
社会や産業や家庭や個人や
世の中の様々なところが必要とする
「豊かで新しい価値」を生み出し
広めていく必要があるのだろうと思う

そうでなくて何が社会や産業の進化だろう。



2001.3.15

豊かで、楽しく、生活に密着したものづくりこそが
必要なのだろうと思う。
そんなものをこそ創っていく必要がある。
それも、既存のものやサービスが
どんどん安くなっていく以上のスピードで
それを上回るスピードで
行っていく必要があるのではないかと思う。

ものづくりを含む社会全体や個人や企業や家庭のなかでの
価値づくり、こそが今一番必要なことではないのか。

それが実現できてこそはじめて
「本当のニューエコノミー」が現実になるのではないのか。

もう「ニューエコノミー」という言葉自身は
とても「軽い」ものにも思える。
今後は違う言葉を考えたほうが
いいのじゃないかと思えてもくる。



2001.3.16

そうこう言っているうちに
なにやら株価や景気の状況やデフレの話題が
やたらと登場するようになってきた。

アメリカの株価の下落に始まり
日本の株価の下落が始まり
いよいよ「デフレ」議論が盛んにされるようになってしまった。
「良いデフレ、悪いデフレ」、の議論も盛んである。

ニューエコノミーの真偽についての話しは
いまいち盛り上がってきていないが
これはいずれ必ず評価しなければならない時期は
必ずやくると思う。
それまでニューエコノミー論者はいろいろと
言い訳を考えていることだろうが
まあ、それはいいとしよう。
今はなんとかこの状況を打開していくために
何をすべきなのか、何が必要なのか、、、
産業界や社会の中で真摯な議論を進めるべきだろう。



2001.3.17

新聞や雑誌やテレビのなかでも
相変わらず、
いろいろそのあたりの話しはあるようだが
どうも登場人物みんなが「総評論家的」な話しに終始していて
聞いていてもはたしてこれで本当に
この状況を切り抜けていけるだろうか
、、はなはだ不安になる。

そう言えば
今月4月号の中央公論では三井物産戦略研究所所長の
寺島実郎氏が時評「キャッシュフロー経営の皮肉な結末」
という論文を書かれている。



2001.3.18

このなかで氏は

「調整インフレ型の金融技術論ではなく、あるいは
バブル再来を期待する景気刺激論でもなく
実需につながる内需拡大のプラットフォームを
構築する知恵が問われていることを直視すべきである。
過剰な自信喪失を避け、
筋道立った思考と行動を取り戻すべき時である。

と言っておられる。
筆者もこの意見に大賛成だ。

テレビなどに出てくる経済の専門家の話しを聞いていると
たしかに一つひとつの「経済復興策」について
その「確度」は評論しているのだが
それらをどうつなぎ込んでいくのか、
どう実行していくのかという議論が
欠けているように思う。



2001.3.19

氏は
「企業や個人を奮い立たせるような
「壮大な未来構想のプラットフォーム」が
志向されるべきなのである。」

「われわれ自身の未来に向けて挑戦すべき
プロジェクトを議論すべきであり、多様で創造的な
プロジェクトを配置・展開できる基盤となる
プラットフォームを構築すべきなのである」

「我々が学ぶべきテーマは
「大胆な仮説に基づき、多様な要素を組み合わせて
問題解決を図るエンジニアリング」であろう。」

と言っておられるが、まさにその通りだと思う。



2001.3.20

産業界もあるいはすべての「業界」においても
自らの手と知恵で
創造的で価値を生み出すことのできる
プラットフォームを着想すべきだと思う。

どこかの先生が
今の状況は奇策やその場限りの逃げ口上で
抜けられるほどの状況ではない、、とか、
もう「一発逆転」はない。
、、とテレビで言っていたが
これはたしかにその通りだろう。

もうそんな手は出尽くしてしまっているだろうし
打つ手を繰り出すお金も時間もそそろそろ限られてきている。



2001.3.21

ならばこそ
ここは足を地につけて
いったいわれわれは何をしなければならないか、
どうあるべきなのか、を
考え抜くことが必要だろうと思う。

「日本のファンダメンタルズは相変わらず力強い」などと
無理矢理な評論などせず

われわれはどういうビジョンを作り目指すべきなのか
少なくともその「たたき台」くらいは
聞こえてきてもいいし
自分たち自ら考え出しても良い頃だ。



2001.3.22

残念ながら今この時になって
テレビを見ていても新聞を読んでいても
その「たたき台」を構想しようという掛け声さえも
聞こえてこない。

であるならば、「価値づくり」に懸命に奔走してきた
日本のものづくりの人々や製造業の人々が
そのたたき台を構想すべきだろうと思う。
もちろん構想できる立場にいると思う。

まさに「もの」をつくってきたように
「価値」をつくってきたように
「企業や個人を奮い立たせるような
壮大な未来構想のプラットフォーム」を
そろそろ構想し創っていくべきなのだと思う。




2001.3.23

脱ダム宣言、という言葉が今いろとりざたされている。
内容についてはここでは評論しないが
マスコミで取上げられるときに

脱ダム−宣言
脱−ダム宣言

という二種類の言い方がされることがある。
県知事の言う文脈に合わせて考えれば
「脱ダム−宣言」なのであるのは間違いないと思うのだが
アナウンサーのなかには
「脱−ダム宣言」と
脱とダム宣言のあいだに一拍いれてしゃべる人が結構多い。
「脱−ダム宣言」では本来言おうとしていることの内容とは
異なるだろうと思う。

ちょっとしたイントネーションの違いで
まったく違う意味になる言葉がある。
表現とは難しい。





2001.3.24

ミールが宇宙から落ちてきて
甚大な被害がおきるかもしれないと
一時は結構な騒ぎだった。

内心結構大変なことになるんじゃないかと
思っていたりもした人も結構多かったとおもうけれど

いざとなってみればなにごともなく時間は過ぎ
過去のニュースの終わっていた。

筆者も日々の仕事に追われて
気が付いてみたらとっくに南太平洋に
ミールは落ちていて
なんだか騒ぎのわりに
カタスカシにあったような気もしたものだ。




2001.3.25

これと似たような状況はコンピューターの2000年問題や
1999年7の月になにかがおきるという
ノストラダムスの予言に対する「恐れ」以来のものだった。
両方とも気がついてみれば結局なにも起らず
出来事は終わっていた。

しかし「ノストラダムス」の件はちょっと異なるとして
コンピュータの2000年問題や
今回のミールによる危機的な状況は
「そこにあった」ことは間違いない。

「のどもと過ぎれば」ではあるし
「実感」はないのだが
実際に2000年問題はあったのであり
ミールは日本の真上を飛んでいった。




2001.3.26

たしかにいざすぎてみれば問題はなく
大騒ぎしたマスコミやそれに一緒になって
ある程度危機感を持った国民人々は
気恥ずかしさも感じてしまったりするくらいなのだが
しかし間違いなく危機はそこにあったのだと思う。

こんどの地震にしても
あるいはこれからいくらでも起きてくるであろう
いろいろな国民的な規模で起きてくる危機的状況は
あとになってなんともなかった、ということもできるが
しかし危機はかならず起きてもいるし起きてもくる。
もっと危機感や危機に対する管理能力は持っているべきだろう。
喉元すぎれば、になってはいないか、、。

それにしても今の経済の危機的状況には
どう危機の管理をしていくべきなのか。



2001.3.27

読売新聞のサイバートークという
ソニーデジタルクリーチャーラボラトリー所長の
土井利忠氏が書かれているコラムがある。
前にも書いたことがあるがこれがなかなか面白い。

今日のサイバートークは
「ロボットの技術的限界」という文章だ。

「アイボがまるで生きているかのように挙動するのを見ると
ロボットの将来に過大な期待を抱く人が多くなってきた。
本文では、ロボットの技術的限界について述べたい」と
始まっている。

単純な作業の繰り返しや
人間にとってきつい作業、危険な作業などには
今後ロボットはますます使われるようになるだろうが
高度な知性が必要な仕事には限界があると土井氏は言う。




2001.3.28

総合的な状況を瞬時に判断する能力やひらめきなどの部分で
人間の脳とコンピューターとでは根本的な違いがあるからで
ほかにも根本的な違いはいくらでもある。
例えば人間には奥の深い不可思議な能力が
多々秘められているが
ロボットは人間がプログラムした通りにしか動かない。
その両者の間の溝は今後コンピュータが100億倍性能が向上しても
縮まらないだろうと土井氏は言う。

今後ロボットの開発はこの溝の存在をよく認識した上で
方向性を決めていく必要があるだろうと言う。


アイボや二足歩行ロボットを実現したソニーの
ロボット分野での先端にたつ人の意見だから
これは良く吟味して聞いておく必要があると思える。





2001.3.29

たしかに
いずれは、ロボットや、
そこに搭載されロボットを駆動していくはずの
コンピューターの発達は
いずれ人間の行動と同じレベルのことができるように
なるだろうという言い方が最近は多い。

われわれとしてはどうしても
「鉄腕アトム」のイメージがあって
人間と対等に渡り合えるロボットが
ロボットのイメージとしてあるし
人間の社会のなかで
ロボットのイメージを膨らませていくと
結局は人間のかたちそのもの、になっていく傾向にある。

しかし、今後しばらくはアトムのようなロボットが
出現することは不可能だと筆者も思う。
形だけであれば人間型はできるだろうが
あくまで「機能」の上では人間の機能は無理だろう。




2001.3.30

もともと人間自身、
自律して単独で成長しているように思えてしまうが
人間にしろ、あるいは多くの高等な動物にしろ
「他との関係」のなかで成長しているのだということを
忘れてはならないだろう。
それは物質的な環境や関係性や、
社会的な環境や関係性など
「多くの複雑な関係」のなかにある。
それがあってはじめて人間や動物足り得ているのだと思う。

けしてそこにケーブルやコードが
張り巡らされているわけではないが、
あきらかにたくさんのなんらかの情報、
、、といってもいいんだろうか
そんなものを介在させた「互いの関係」の中にある。





2001.3.31

まわりも変り自分も変化する、
相手も変り自分も変る、
そんな関係が必ずあるのであって
人間が人間足り得ているのも
実はそんな普遍的な動物として
環境や社会のなかに営みがあり、持ち、
長い歴史のなかで少しづつ成長・進化していったからだろう。

ロボットがそんな複雑な関係性のなかから
自ら学び取ったり成長していくことは
まだまだ困難なのだろう。



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