今日のコラム・バックナンバー(2001年 2 月分)


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掲載は日付順になっています。


2001.2.1

人に言われてそんな考え方もあるかもなあ、と思った。
雪が降って困ったなあ、と思うのは大人で
ワクワクするのは子供、、
なんだという。

自分はそういう判断で言えばすっかり「子供」だ。
まあ、今に限ったことではないが、、。

ところで、、
雪かきだって考え様によっては
「たのしみ」と考えるやり方もあってもいいかもしれない。
たしかに子供たちが
雪かきや大雪の片づけをやっているところをみていれば
雪が降ったことがとても楽しい出来事のようでもある。



2001.2.2

それくらいの「余裕」や「価値判断」があってもいいのではないかと
今回の雪ふりのあと考えた。

疲れたり、やりがいがみえなかったり、
雪かきがそうやって、面白くもないものであるだけでは
いつまでたっても
「雪が降って困ったなあ」、と思う大人でしかないし
それが当然だと思っているわけだけれども

「ワクワクする」子供になることだって
悪いことではないし
もしかして
「疲れたりしなくて」、「やりがいがみえるような」
雪かきでさえあれば
案外簡単の大人から子供になれるような気もする。



2001.2.3

生活の豊かさ、などと難しいことまで言わなくても
いままで、いやだな、と思っていたことが
なんらかのきっかけでワクワクしたり
大人が子供になれるなんてことは
結構良いことなんじゃないかな、と、そう思う。

で、それは、それこそ結構簡単に実現できる
可能性もある。

単にキャタピラ付きの雪かき機だって
もうちょっと工夫すれば
楽しい「乗り物」になりそうな気もするし

シャベルのような雪かきだって
もうちょっと遊び心があれば面白いかもしれない。



2001.2.4

雪だるまを写真にとって投稿して
コンテストを行う冬季限定のホームページがあっても
いいかもしれない。
良い成績を取れば高級雪かき用長靴とか手袋が当たれば
やる気もでるっちゅうもんだ。(そうかな?)

雪かきでダイエット、なんて本を書いて
本当に効果があれば雪降りを喜ぶ人も出てくるだろうし、、。

まあ、ともかく、、

いままでいやだとか、苦労だとか、、そういうことって
まあ、たしかに、そういう気持ちも
たしかにあるのだが、




2001.2.5

よくよく考えてみると
苦労はいやだな、と思っていることの本質は
以外といやだと思っていることそのものではなくて
違ったところにあるのかもしれないと思うこともある。


製造業は大変だ、とか、働くって大変だ、、
とかいう話しまで持っていくと
話しはややこしくなるからこれ以上話しは広げないが、


苦労や苦痛であることも
道具立てや、やり方によっては
むしろ結構面白いものに変化する可能性もある。

掃除やあとかたずけだって、それ自身が
楽しいことであるような「やり方」や道具を考案すれば
進んで行う考え方だって出てくるかもしれない。




2001.2.6

ところで最近、テレビを見ていたら
信州のある町で
だれかが考えついたアイディアが紹介されていた。
なんでも、「カマクラ」を簡単に作るアイディアを考え付いたのだそうだ。
大きな風船に空気を入れて雪のあるところに置いて
その上に雪を被せてそのあとなかの風船の空気を抜くんだそうな。
1時間もあれば結構おおきな「カマクラ」を作ることが出来るらしい。
実用新案も提出するんだそうな。

こういうアイディアがあっていい。
作った当人たちも
雪が降って難儀だな、と言っていないで
それを逆手にとって面白いことができないか、考えた、と
言っていた。

そういう発想の豊かさがあって良いとも思う。




2001.2.7

ごく最近の新聞か雑誌で読んで
フム、そんなものかいな、と思いながら考えこんだことがある。

いわく、
ネットワークは参加者が多くなれば多くなるほど
価値はあがる、というような話しだった。

10人のネットワークでは自分以外に連絡ができるのは9人で
それが10人だから90の価値だとすると
10倍の100人では自分以外に連絡ができるのは99人で
それが100人だから9900の価値があるという。

参加者は10倍になったがネットワークの価値は
100倍になっているというわけだ。

なるほどたしかにネットワーク全体の「価値」は100倍になっている。
参加者が増えれば確かに「価値」はそれ以上に増えていく。
点をつなぐ線の数はたしかに面で増えていく。

、、、良く聞く話しだ。



2001.2.8

どうも数式なんかを使われてまことしやかに言われると
そんなもんなのかな、と安易に信じてしまうが
だけど本当にそんなものだろうか、と思った。

「ネットワーク全体」では確かに100倍だけれど
自分にとって連絡がとれる人はあくまで
10人から100人へ10倍になっただけだ。

たしかにその相手になる仲間そのものも
また10倍になった仲間がいるわけだから
全体としての出合いの数やそこで生まれる掛け合わせた数は
100倍になったわけで
「ネットワーク全体の価値」や
「つながる可能性」は上がっていくことは間違いない。



2001.2.9

が、冷静になって考えれば、
いくらネットワークで広がったからといって
人一人が付き合える数、や、出会えて交流できる数は
そう増やすことができるわけではないことは自明だろう。
簡単に言ってしまえば人に与えられた時間は
だれもが24時間だということだ。

、、、いやそんなことはない、情報技術によって
世界中の人々と非常に短い時間で連絡を取ったりできるから、
いろんな人と会うことができる「出合いの数」は増える、、
、、という意見もあるが

自動販売機で商品を買うならいざしらず
たぶん、人間同志の出合いから学ぶことは
単純に数だけ増やすことではできないだろうと思う。



2001.2.10

付き合える可能性が10人だろうと100人だろうと
実際に付き合えるのは何人、、とかいう数字は
たぶんあまり変わらない。

むしろ、出合いやつながりから
何かを学ぶこと、を高めていくべきならば

希薄な人間関係の数を増やしていくよりは
人間自身の感性を高めていくことや
濃密な人間関係の出合いのなかから
様々なことを学び取っていく力を
高めていくしかないではないかと思う。




2001.2.11

たしかに出合いが増える可能性が高まることはあると思う。
そこから次の段階にいたることもあるとも思う。
それが濃密であればそれに越したことはないことももちろんだ。

しかし、どちらにしてもそれは
実際のひとと人のなかから
豊かな人間関係のなかから
様々なものを学び取る力があってはじめてできることだろうと思う。

「ケータイ」でつながっていく人々のなかに
はたしてどれだけの豊かに実っていく人間関係が
ありえているのか、そこに問題があると思う。




2001.2.12

インターネットやコンピューターネットワークの
可能性が喧伝されるなかで
どれほどそういったところまで踏み入った話しが
なされているんだろうか。

「ない」とは言わない。
すべてが「価値あるつながり」でなければならない、
、、とも思わない。
だけど引ける線の数の多さだけが価値のあること
だとは思えない。




2001.2.13

ピア ツー ピアという技術的な言葉が
インターネットの世界では言われはじめている。
P to Pとも書かれて紹介される。
BtoBやBtoCと同じようなレベルの
概念の言葉のように思えるが実はそうではなく
インターネットを構成するサーバーとサーバーや
クライアントの関係から
個人の単位が持つ端末や情報が
他の個人の単位が持つ端末や情報と直接
つながっていくことを表す言葉だ。

例の「ナップスター」や「グヌテラ」という
概念が急速にインターネット上で話題になるに
したがってピア ツー ピアも有名にもなってきた。





2001.2.14

「ナップスター」や「グヌテラ」のように
自分が持っている音楽ファイルや
様々なファイルや情報などを
インターネット上で「共有」しようという考え方から
出てきた「仕組み」「考え方」だ。

「ナップスター」や「グヌテラ」は
知的所有権や著作権などを根底から
脅かし、そういった個人の持つ「資産」で
食っている人や企業の商売にも
多大な影響を及ぼすことになる、、、
と言われ、様々に話題になり問題にもされ
ピア ツー ピアは新しいネットワークの在り方を
示したものとして盛んに話題にされている。

今日の新聞にも「ナップスター」をめぐる
アメリカでの裁判の状況が盛んに報道されていた。





2001.2.15

もともと、ピア ツー ピアがこのように
盛んに話されるようになる前に
こうした概念はインターネットの黎明期には
すでにあったと思っている。
、というよりもインターネットそのものが
本来ピア ツー ピアの概念そのものだったと考えて良いと思う。

10年前の技術的な限界やインフラの未発達であったことや
また、インターネット上での電子商取引
BtoBやBtoCなどが盛んになるにしたがって
どこかに情報をため込んでしまうことが
当たり前になってしまったように思えるが、
そもそもインターネットが情報や知識を共有するために
考えられたものであることを考えれば
ピア ツー ピアもインターネットの本筋とは
まったく変わらない概念だと思う。





2001.2.16

ピア ツー ピアがいままでのインターネットの仕組みを
乗り越えた新しい考え方だ、、、というような表現が
あるのはちょっと違う。

もともとピア ツー ピアそのものが
コンピューターネットワークの上では
当然あるべき姿、だったのだと思う。

ちなみに
インターネットのそもそもの概念や
「ハイパーリンク」「ハイパーテキスト」で
有名な「テッドネルソン氏」が
1980年に出版したリテラリーマシンという本には
すでにそのころからこういった概念がキチンと書かれている。






2001.2.17

ところでピア ツー ピアというか
それぞれが自立した情報や知識や価値観を持つ個や個人が
それぞれに結びつく、、状態は
案外早い時期に訪れるかもしれない。

もともと日本では携帯電話という
個人と個人(つまりは個人の情報や知識や価値観)
が、つながる機器を
とんでもない勢いで多くの人々が持ちはじめている。

本来、携帯電話の前に「ホームサーバー」が
各家庭に置かれて情報のやりとりを行う、
という姿が予想されていたのだが
それを一気に飛び越えて
個人が個としてネットワークに結びつく時代を
迎えつつある。




2001.2.18

いずれ、この考え方や仕組みは
ビジネスや社会のなりたちの上で
大きな影響を持つことになるだろうと思う。
これは以前にもこの場所で書いたこともある。

自分の持つ情報や知識をむしろ積極的に
「開示」することによって
情報と情報を積極的に結び合わせることもできるし
そこに新しい「ビジネス」も組み合わせることも
できる時代になるだろう。

もしかしたら
「選挙」や「選挙のありかた」や
あるいは
「選ぶ人と選ばれる人のありかた」
「仲間の集まりかた、集めかた」
なんかも変わっていくのではないかと思えてもくる。



2001.2.19

そう言えば、
かのドラッカー財団が二年ほど前にまとめた
「未来社会への変革」
−未来の共同体がもつ可能性−
という本では「共同体」について書かれている。

21世紀を考える場合
「未来の共同体」をどうつくりどう動いていくかが
非常に重要になるというい問題意識から
各界の先端的な識者がまとめたものを
掲載している。

ネットスケープコミュニケーションズのCEOだった
ジェームス・バクスデール氏や
あの「ホットワイヤード誌」の創刊者である
ハワード・ラインゴールド氏が書いていて
なかなか面白い



2001.2.20

当時、
ネットスケープコミュニケーションズのCEOだった
ジェームス・バクスデール氏は
「ダイナミックな組織的共同体における通信技術」という文書を、

「ホットワイヤード誌」の創刊者である
ハワード・ラインゴールド氏は
「仮想共同体(バーチャルコミュニティー)」
という文書を、
ほかにも当世一流の、様々な人が興味深い話しを載せている。

これらの文書を読んでいると
これからブロードバンドや携帯電話やPtoPなどの
先駆的な仕組みが発展するなかで始まるだろう、、
、、あるいはそれがコンピュータ間のネットワークにとどまらず、
自立した情報や知識や価値観を持つ個や個人が
それぞれ互いに結びつく状態は、
結果的に、人々による「共同体」を
形作る礎になっていくのだろうと思える。



2001.2.21

で、これらの共同体の参加者を
互いにつなぎとめていくものは
いったい何なんだろうかと考えてみるのだけれど
結局それは「ビジョンや価値観や将来像の共有」
なのだろうと思える。

こういう新たな「技術」、、、
ブロードバンドや携帯電話やPtoP、、
、が登場し発展し高度化していくにつれ
個と個の間にある
あるいは個人と個人の間にある
いろんな意味での「壁」は相対的に薄れ
逆に、個々が何を持っていて
それをどうつなげて何をつくっていくのかという
文脈やビジョンが必要になる。




2001.2.22

個々の持っているそれぞれの個性やアイデンティティー、
そしてそれをどうつないで何を形づくっていくのか、、
という最も基本的で本質的な部分にこそ
これからの社会や人々の中に
「つながり」をかたちづくる重要な要素がある。

もちろん人々の知恵がたくさん集まるに越したことはない。
が、問題はどんな数のネットワークなのか、ではなく
どんな文脈やビジョンを持っているのか、
それらが「どういうつながりかた」で
参加していくのか、だ、と思う。





2001.2.23

豊かなビジョンに集まった豊かな知恵は知識が
豊かな未来を作り出す、のだと思う。

技術によってそこにあった垣根や壁は
相対的な低くなる。
本質と本質が直接に結びつく時代になっていく。

ならばこそますます、
我々は個々が豊かな文脈やビジョンを持ち、
そしてそれを互いに重ね合わせていく必要がある。
作り上げていく必要があるのだろう。

そう言えば、
どこかの知事が細部やディティールにこそ
重要な本質が隠れている、といったのは卓見ではある。

あの地域に限らずいたるところで
ネットワークによって隠れていた個々のビジョンが
結びつきつつある。

今、始ったことはそういうことなのだと思う。



2001.2.24

アメリカの景気が思わしくないと
マスコミなどで盛んに報道されている。

経済のことはよくわからないが、
いままでのような株価が一方的に上昇していくという
前提にすべてが寄りかかったような経済の在り方は
どこかいびつなものであったという気持ちは
正直言って、我々にはある。

この前三井物産の戦略研究所所長寺島実郎氏の
講演を聞かせていただく機会があった。

毎日の実体経済のなかでの貿易によるお金の流れと
お金の売買によって流れるお金の流れでは
100倍もの違いがあると言う話しを聞かせていただいた。
もちろんお金の売買によって流れるお金の流れのほうが
はるかに大きい。




2001.2.25

実体経済のなかでも経済変動は必ずあるのが
いままでの経済ではあったのだが
今はそれだけではなく
実体のない「お金の売買」などで生まれる景気変動が
実体経済をもその変動の波間に飲み込み翻弄する勢いで
行われているというのだ。


そう言えばこの間、「ニューエコノミー」という議論があった。
今でも新聞なんかで内外の経済学者が
おきはじめている経済の変動を説明する言葉のなかに
「ニューエコノミー」を織り交ぜながら
説明している。





2001.2.26

でも以前は、そういう経済学者は
「ニューエコノミー」は
IT・情報技術の進化によって
「継続的に」好景気が進んでいく状態であり、
「リセッションはもうない」と
言っていたのに

最近では、「ニューエコノミー」は
IT・情報技術の進化によって活性化された経済で、
最近の経済の状況は
「ニューエコノミー」下で起きている「はじめてのリセッション」
だよという議論にいつのまにかなっているように思う。
「デジタル不況」などという言葉も出てきた。

あれ?変だぞ。
「ニューエコノミー」は
継続的に好景気が続き景気後退はもうない、、、
ということではなかったのか。
いつのまにか、言っていることがすりかえられていないか。



2001.2.27

昨日の読売新聞にもちょうどニューエコノミーの特集がのっていた。

経済そのものはまだITによって活性化されており
今後はまだまだ伸びていくとするニューエコノミー論擁護派と
それは間違いだとするニューエコノミー否定派と
最近はやはり議論が別れて沸騰しているらしい

どちらにしても寺島さんの話しのように
たしかにハイテックベンチャー企業の
異常な株価の上昇や
お金が売買され一人歩きするような状況のなかで
それがいちど不安な気持ちに襲われると
バブルな波の間の相対的に小さな実体経済までもが
落ち込んでいくのが今の状況であることは間違いない。
これは誰もが認めるところだろう。



2001.2.28

どうやらそんな状況はニューエコノミー論の範疇には入っていないと
新聞に登場する識者は言いたかったようだが
本来ITによって活性化された経済を言うのなら
そういう危うい可能性も含んでいるのが
今の経済の本質なのだと言うべきではなかろうか。

まあ、何にしても
言うことがその時々でくるくる変る
こういう怪しげな人達の話しには
一喜一憂するのはもう止めたほうがいい。

ここに来てアメリカのベンチャーキャピタルも
「ドットコム」と「BtoC」をキーワードにする
ベンチャーは投資の対象から真っ先にはずす
というくらいらしい、、
たくましいというか、臆面もなく、というか。
そのたびにニューエコノミーの意味まで変えられて、、
「ニューエコノミー」も良い迷惑だ。


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