今日のコラム・バックナンバー(2000年 12 月分)


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掲載は日付順になっています。


2000.12.1

このまえ、テレビを見ていたら
アメリカのGパンのメーカーが
ネットを使ってオーダーメードのジーパンを
作る仕組みをレポートしていた。
レーザーによる三次元形状のデジタル化+縫製データとの融合の仕組みだ。
これは以前からよく話しには聞いていたが、実際に見るとなるほどと思う。

「香り」をパソコンの前で人工的に合成して
その場で匂いを嗅がせることができる仕組みを
考えているベンチャーもレポートされていた。

基本的な「匂い」のモジュールとでもいうような
ものを合成機器のようなものに入れておいて
インターネットなどでデジタル情報化された
匂いの要素をその場で合成して必要な人の手元で
実現する、というものだ。




2000.12.2

そう言えばちょっと前の「日経ビジネス」とういう雑誌に
アメリカのヒューレットパッカードの社長が
「世界の1億3000万台のHP製プリンターで
切手や紙幣だって印刷できるからビジネスの在り方だって
変わって当然」みたいなこと言っていた。

こう考えてくるとネットワークや情報技術の発達で
あきらかにものづくりの方法が変わっていくだろうと
思えてくる。

アメリカの産業界は最近までしばらく「ものをつくる」ところに
目を向けて来なかったように思うけれど
最近はその部分に明確にフォーカスしてると思う。




2000.12.3

アメリカはもともと先端技術を実現することを
忘れているような国じゃない

90年代に入るまでは
もっぱら軍需のものづくりのための先端技術開発に
お金を使っていたが、
家電や情報機器や家庭に入ってくるような製品のための
量産技術は日本に任せてきた、ということだったんだろう。

でもあきらかにアメリカの向かう先は変わってきたようだ。

日本も「既存技術」が先に走っているからといって
安心してられない。いや、もう先に走っていないかもしれない。

新たな「プロセスイノベーション」をはじめていかないと
すべて日本は二番目、になる恐れもあると思う。





2000.12.4

ネットワークでものづくりが変る、、、
、ということを考えていると
必ず出てくる話しとしては
「IT革命」は第二の産業革命なのだ、という議論だ。

これが本当に正しい認識なのかどうかはわからない。

たしかにいままでにあったようなものの作り方が
根本的に変わっていくのなら
第二の産業革命という認識も正しいと
いずれ言われることになるだろうとは思う。

が、その前にはたして1700年代後半に起きた
「産業革命」がどういうものだったのか、
を正しく捉えることが必要だろう。



2000.12.5

1700年代の後半に始った
「産業革命」について考える時に
参考になる本はいくつもあるが
森谷正規現放送大学教授が
1998年に中公新書から出された
「文明の技術史観」が参考になる。

氏の著作は情報技術や製造技術や科学技術の発展を
バランス良く見て書かれたものが多く、
最近の、ただ闇雲に情報技術礼賛!のような、
表面的な議論でないのに非常に好感がもてる。

その「文明の技術史観」の前半部分に
「産業革命」を歴史的に捉え、
どんなことがそのなかで行われたのか、
どういうことだったのか、
これからどうなっていくのかを
分析した部分がある。





2000.12.6

興味ある分析だと思うからごくごく簡単に書く。

1700年代後半に生まれた蒸気機関が
紡績機や力織機に使われていく。

また、これらの産業を支えるために工作機械が進化し
蒸気機関車や繊維工業のための無機化学なども進化していく。

1700年代後半から
蒸気機関をはじめとした近代の工業技術が
突然、いっせいに発展進化を始める。

当時、これはイギリスから始ったのだが
他の欧米諸国は国内の政治的な混乱等によって出遅れ、
もっぱらイギリス一国がこれらを進めることになり
以後100年あまりに渡って
近代工業の発展による経済力によってイギリスが
世界経済のヘゲモニーを握ることになる。





2000.12.7

その後、欧米の国々では
アメリカは電気や通信の技術、ドイツは内燃機関の技術など
技術開発をすすめていくのだが
そうした国ではそれらを元にして自動車や飛行機といった工業生産物や
電話などの生産物をあいついで開発し生産しはじめる。

やがて、例えばフォードの自動車のように
それらは大量生産されるようになり
道路や電話の通話網などが発展することにより
ますます社会に広がっていく。
高度な技術の大衆化が進む。
つまり革新技術の時代は終わり応用技術の時代になった。

繊維などの工業のための「産業」から、
電話やモータリゼーションなどの「社会」へ、
そして、家電製品などに象徴される「家庭」へと
「技術」が使われるようになった。
「家庭」の分野で一番頑張ったのが日本の企業、、というわけだ。




2000.12.8

こう見てくると今まで起きてきた技術の進化は
技術の基本要素を構成する「エネルギー」「物質」「情報」の
三つの分野で行われてきたことに気がつく。

そしてこれらがある程度の段階に来たこの数十年は
「技術の爆発」が起きてきた。
ものづくりの技術はある程度まで仕上がってしまった。

さて、これからの技術はいっそうの豊かさを求めるよりも
取り残された問題の解決、社会に生じた問題の後始末にこそ
向けられる。
パソコンなど機能発展型の技術を生かすには
ソフトウェアやコンテンツなどが発展する必要があり
その分野でまだまだ発展する余地があり、
一方でいままでのような工業社会型の技術は
いままで解決されていなかった社会的な問題解決や
個人や自然などが抱える問題に向けられるべきだ、、。



2000.12.9

、、、、以上がざっと「文明の技術史観」に書かれている
「産業革命」を歴史的に捉え、
どんなことがそのなかで行われたのか、
どういうことだったのか、
これからどうなっていくのかを分析した部分である。


筆者(私)は森谷氏の著作は5年ほど前のものから
興味深く読ませていただいている。

「文明の技術史観」にしても
最近氏が刊行された「アメリカと違う日本のIT革命」という本も
非常に興味深い内容だと思う。

最近のITの表層的な本を読むよりも
いままでの歴史を振り返り
深く分析したなかから今、おきつつある状況を
見た本のほうがそりゃもう何十倍も
説得力もあるし納得もできる。



2000.12.10

産業革命を境に世界の産業やものづくりの上に
いったいなにがおきたのか、、。
これから何が起きるのか、

だれもまだ、正確なことはわからない、、。

ネットワークの出現が
ワットの蒸気機関の発明に始る
産業革命と同じようなものなのか
あるいは
産業革命以降にいくつかあった
踊り場と新たな方向性の出現にあたるものなのか、、

それも実のところわからない。




2000.12.11

もともとこの「20世紀後半のものづくりの大爆発」
(これは誰も否定しないだろう)と
その最後の、まさしく21世紀を迎えようとする
その時にネットワークが出現したこととに
「因果関係」があるのかどうなのか、、
それさえもわからない。

(たぶん、大爆発の最終盤としてのトランジスタや半導体技術が
コンピューターの登場とそのネットワークを
可能にしたと考えるならば
あきらかに「因果関係」はあるのだろう。)




2000.12.12

ここで
  ネットワークの出現が
  ワットの蒸気機関の発明に始る
  産業革命と同じようなものなのか
  あるいは産業革命以降にいくつかあった
  踊り場と新たな方向性の出現にあたるものなのか、
、、、に結論を出すことはあまり意味のあることではないだろうが

しかし、どちらにしても、ネットワークによって
あきらかに産業やものづくりのありようが違ったものになる、、
そして、「ネットワークの出現」がその予兆そのもので
あろうことは間違いないだろう。

まして「エネルギー」や「物質(材料や素材)」の分野でも
いままでの在り方が変わっていこうとしているのだから
「情報」や「知識」の伝達やありようが変わっていくことと
あいまって、大きくものづくりや産業が
変っていくということはたぶん間違いないと思う。





2000.12.13

問題はそれらの結びついたものが
どういった方向に生かされていくのかということだ。

森谷氏は
  これからの技術はいっそうの豊かさを求めるよりも
  取り残された問題の解決、社会に生じた問題の後始末にこそ
  向けられる。
と語っている。
具体的には
パソコンなど機能発展型の技術を生かすには
ソフトウェアやコンテンツなどが発展する必要があり
その分野でまだまだ発展する余地があり、
一方でいままでのような工業社会型の技術は
いままで解決されていなかった社会的な問題解決や
個人や自然などが抱える問題に向けられるべきだと
言っている。




2000.12.14

それもあっていい。
しかし、あえて言わせていただけば
「それだけでは困る。」

ものづくりで食べていた日本は
ソフトウェアやコンテンツなどを発展させる方向や
解決されていなかった社会的な問題解決や
個人や自然などが抱える問題解決に
向かうだけでは、それだけでは困る。
なにか「新たなものづくり」があって良いし
そのための新たな提案があってしかるべきだ、と思う。

また、機能発展型の機械であるコンピュータが一台あれば
あとはソフトやコンテンツで変化させればいいし
問題の解決につながる、、とはならない。




2000.12.15

たしかに、携帯電話やPDAなどはたしかに
多機能化し小型化し高度化していくし、
コンピューターや半導体デバイスの発達によって
ますますその方向は加速する。
同時に、こういったものに植え込み
様々な状況を実現する
様々なソフトやコンテンツは様々に必要になる。

「ソフト産業」や「コンテンツ産業」も
いま以上に発展することも間違いないことだは思う。




2000.12.16

だからといって、
機能が多様になったり多機能化することができる
コンピューターの技術というものは
それだけが発展すれば社会が要求することやものに
応えることができるのかといえばそうではないと思う。

ますます多機能になり小型化し
ソフトやコンテンツを盛り込んでいけば
同時にそれはますますの高度化や集積化が必要になるため
最適化に向けた工業技術の進化に対する要求はとどまらない。




2000.12.17

同時にそれらの組み合わせによって
森谷先生のおっしゃる新たな「爆発」が起きる
技術も製品も組み合わせによって様々なものが
爆発的に出現する。

けして「コンテンツ」や「アプリケーション」や「ソフト」だけで
社会や産業が要求することに応えていけるわけではない、
たぶんそれは「ものに対する技術の進化」との両輪で
進んでいくものだろうと思う。




2000.12.18

また、
   いままでのような工業社会型の技術は
   いままで解決されていなかった社会的な問題解決や
   個人や自然などが抱える問題に向けられるべきだ、
という意見もたしかにあり、だとも思うが、
それだけに、、解決されていなかった様々な問題解決だけに、、
、、向けられるものでもないと思う。

これから社会や産業が必要とする「もの」の在り方は
ますます、多様に、細分化したものになっていくだろう。
、、いままで顕在化していなかったり
実現化をはなからあきらめていたような、、
でも「そうそう、本当はこういうものが欲しかったんだよ」、と
思わず口から出てくるような、そんなものも
これから一杯出てくるに違いない。





2000.12.19

考えなくてはならないと思うのは
人々が要求している様々な要求は
すでに飽和状態なのかということだ。

これはよく言われる
「ものが売れないのは人々にはもう欲しいものがないから」
という意見に対する、「はたして本当にそうなのか」
、、という根本的な疑問でもある。

「やらなければならないこともたくさんある」が
「やりたいことや実現したいことや
  欲しいことやものもまだまだたくさんある」のだ。




2000.12.20

環境問題も解決しなくてはならないし
福祉や医療など、いままでなかなか手のつかなかったり
進展が遅かった問題も解決したり、
これからやらなければならないことはたくさんある、
これは間違いない、
まじめに、懸命にやっていかなくちゃイカンと思う。

だけど一方で、高性能なかっこいい自動車だって欲しいし、
一人乗り飛行機だって欲しいし、
女の人だったら、きれいになる化粧品だって欲しいだろうし
きれいな衣装だって、際限なく、欲しい。

自動車や飛行機だって、今の形や形態が
これがすべてだとは思えない。
もっと早く、安く、着実に移動できること、
に対する欲望は際限ない。

瞬間的に物や人が移動できたら良いのに、という夢だって
これから実現するかもしれないし、実現が待たれているんだと思う。





2000.12.21

たしかに
地球や社会に負担をかけ、傷をつけながら
「もの」を作り、一方で無用にゴミを出していく、
ということは
避けなければならないことであることは間違いないが、

かといって、ものづくりや技術のすべてが
そういう問題の解決を実現するためだけに向かうとは思わない。
ちょっと語弊のある言い方になってしまうけれど
これからだって「後ろ向きのものづくり」だけじゃないし
それだけでは困るし、ものづくりの向っていく方向は
本来そうではないのだと思う。

後ろ向きのものづくり、、というか、問題解決もしながら
本来、前向きのものづくり、、、
「生活や社会を豊かにするものづくり」が実現しなくてはいけないことって
まだまだたくさんあるのだと思う。




2000.12.22

「ものづくり(狭い意味の)」だけじゃなくて
ソフトやコンテンツも重要だし、
派手な「もの」だけじゃなくて
目を向けられなかったような分野の、例えば、
環境問題も福祉や医療も解決しなくてはならないし、、

ものの作り方、作られ方も
何をつくっていくのかも
これからますます、多様になっていく、

ものづくりの未来がばら色、だとは単純には言わないが、
やらなくちゃいけないことがそこにまだまだたくさんあり、
ものづくりをやっている人にとっては
まだまだ、いや、ますます、やりがいのある時代
なのだと思う。





2000.12.23

氏の書いたなかに
これからのものづくりの技術は産業に向かい家庭に向かい、
今後は社会などの問題解決に向かう、、
と書かれているが
たぶんそれだけではない。

「多様」、
個人の個々の要求や社会や家庭の個々の細かな要求を含めた
非常に「多様」な方向に向っていくのだと思う。

そしてこの「多様化の範囲」は
非常に広大な地平であることも間違いない。
たぶん森谷さんがおっしゃる「爆発」に対応する現象は
そこにこそ現れていくと思う。




2000.12.24

さてさて、だいぶ、遠回りしてしまったが
森谷正規先生がこの先の日本のものづくりの方向を
指し示していることの内容については
大部分のところではおおいに納得できる話しだ。

特に産業革命を氏が分析しているなかで
なるほどと思ったのは
今まで起きてきた技術の進化は
技術の基本要素を構成する「エネルギー」「物質」「情報」の
三つの分野で行われてきたこととおっしゃっていることだ。

たしかに
石炭、原油、電気の「エネルギー」革命に始まり
素材などの「物質」の革命が起き、
そしてそれらの「革命」からちょっと遅れて
「情報」の革命が起き始めたのだ。



2000.12.25

氏は情報が加わった技術の急進展は次の三つの面だと言う。

一つは、非常に多彩な情報に関する機器、システムが次々に
生まれたこと。

一つは、従来の機械、システムに情報技術が組み込まれて
高機能、高性能、高効率に大きく進んだこと。

一つは、それらの機器、システムあるいはその素材の生産に、
情報技術によって可能になったオートメーションが
導入されて、大量生産に一気に進んだこと、、

だと言う。
技術の基本要素を
構成する「エネルギー」「物質」「情報」に
見るというのはその通りだと思う。



2000.12.26

ただ、ここでちょっと言い足すことを許していただくならば
「エネルギー」と「物質」そして「情報」について
こんな感じに捉える必要もあるのではないかと思う。

たしかにものづくりを構成するために必要になる「情報」は
産業革命の初期の段階では
もっぱら「知識」として個人の頭のなかにあった。

「エネルギー」も後に「電化」によって
一所で発電した電気を「ネットワーク」によって
全国に配分できるようになる前は
国の中に分散した工場に石炭を配分することで
蒸気機関によって必要な力に変えていた。

「物質」は当然ながら昔は小口で輸送する手だてが
確立してないからまとめて輸送するしかない。
素材が産出される場所に工場がたつことも当然だろう。

つまり「エネルギー」も「物質」も「情報」も
できるだけ一所にまとめて置き使うしかなかったのだと思う。

やがて「エネルギー」は「電化」によって
国のどこへでも「ネットワーク」によって
供給されることが可能になった。

「知識を持つ人」が、「素材がある工場」に居れば
エネルギーはどこからでも持ってきて
ものを作ることは可能になった。





2000.12.27

次に「エネルギー」に続いて「知識」でも同じような変化が起きる。
知識は言葉として離れていても電話や電信などの通信で
人に伝えることが可能になった。
印刷技術の発展も他人やよその資本や工場に
知識や情報を広めていくことを加速する。

やがて1900年代の後半に起きた
トランジスター技術から始った
半導体産業の発展によって
「知識や情報」と「もの」との関係に
更に強烈な変化が生まれる

トランジスターや半導体チップのなかに
始めは計算式というロジックが、
やがてそれは知識や高度な判断や情報までをも含むようになる。
パーソナルコンピューターがその一番の成果といっていい。
1900年代の後半に起きたこの変化は非常に重要だと思う。

そして、その半導体産業の発展によって生まれた
コンピューターがやがて
インターネットというデジタル情報を世界的なネットワークの
上でつながり、デジタル化された知識や判断や情報を
世界的な規模でやり取りできるようになる。

知識や判断や情報の送受信はもちろん
コピーや交換や共有や積み重ねまでもが
世界的な規模で可能になった。
いまや、、只、、とは言わないまでも知識や判断や情報が
無視できるほどのコストで世界中をかけめぐる。





2000.12.28

もうここまでくればものや技術をしばっていた物理的な距離に
少なくともエネルギーと情報という面では縛られる必要はなくなる。

素材さえも世界的な輸送システムの確立によって
小口で早く、確実な輸送が可能になりつつある。
これもコンピューターやインターネットによるところが大きい。
もちろん航空機や電車やモータリゼーションの確立が
その礎になったことも間違いない。

こうして、、
ものづくりを可能にしてきた技術の基本要素を
構成する「エネルギー」「物質」「情報」
この三つがいままでの縛りから外れてきたらどんなことがおきるのか。
ネットワークによって
一気に解き放たれたものづくり、、その結果、どういうことがおきるのか。





2000.12.29

「エネルギー」「物質」「情報」
もちろん、すべてが解き放たれたわけではない。
しかしその前兆はすでに現れている。
いたるところに現れている。

産業の組み替えや流れ方の変化、
いままで当然とされていた組み方の分離と新たな括り、組み替え、
最近喧伝されるようなインターネットを使った「ニュービジネス」など、

これらはそういう部分から始ったものであることは間違いない。

産業革命以降の19世紀、そして20世紀を担ってきた
「ものづくり」や産業そのものが
産業革命以降最大の変化の時代を
迎えていることはたぶん間違いない。




2000.12.30

けして、今ある変化は今の時代に
突如として現れてきたわけではない。
ちゃんと、その伏線は200年もの昔からあった。

そして情報通信革命と言われる今の状況も
新たな産業や社会を生み出すその最終盤に起きた
「偶然の出来事」なのではない。
いままでの時代の流れの中から必然的に
生まれてきたものなのだと思う。

こういう状況を冷静に見ていけば
はたしてこれからどんな産業が生まれたり
社会が生まれてくるのかを想像することは
あながち不可能なことではないだろう。

しかしそこにたどり着く道は当然ながら一つではないし、
いままでの産業や社会を支えてきた
20世紀がつくってきたものがすべて失われていくものでもない。

知識や情報や素材やエネルギーや
それらを生み出してきた工業集積や国や個人の力も
否定されるものではない
それは産業革命の時代に起きた状況をみても明らかだ。

ちゃんと古い時代の成果が次の時代にも引き継がれていく。
失われていくものと
次代にも引き継がれていくもの、、
その二つが必ずある。

そして我々はその中から変化と進化の方向を
見つけ出していかなくてはならない。




2000.12.31

いよいよ21世紀まで一日を残すのみとなった。

慶応大学教授の佐藤雅彦氏が毎日新聞紙上で連載している
「毎月新聞」というコーナーで
何年か前の新聞広告のコマーシャルで
「21世紀は月曜日ではじまる」というキャッチフレーズを目にして
感激したということを書かれていた。

日常的な継続のなかに21世紀はやってくる、
、、という考えてみればしごく当たり前の言葉のなかに
21世紀を目の前にしてある種の感激と感慨を持ちがちな我々に
日々生活し、営みを続けることの本来の凄みというか、重みというか
そんなものをもう一度考えさせられたということなのだろう。

佐藤氏も書いているが
「いよいよ21世紀まで一日を残す」とか「世紀を超えて」だとかいった
21世紀を前にして感激や感慨や希望やあるいは自分が
この時代に生きている実感を感じ取ることを否定するわけではないが
同時にそういう至極当然のことを当然として受け取れる、
「いろいろ言ってもどっこい生きてる、、」
そんな感覚も重要なことだと筆者も思う。

たぶん、その両方の感覚が必要なのだろうと思う。
21世紀ではあっても、明らかに、日常の連続としての「明日」を
生きていく努力と構想をしていかねばならないし
しかし一方で21世紀をまたがって行く瞬間に立ち会える
恐れやおののきや、もちろん希望や時代に対する使命感も、
を感じ取れることも必要なことだと思う。

いろいろ言ってもやがて世紀は変るし、次の日も来る。
どんな世紀になるだろうか、、、
どんな正月をすごそうか、、、


さて、
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
新年の今日のコラムは5日からです。

それでは良い年をお迎えください。


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