今日のコラム・バックナンバー(2000年 3 月分)


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2000.3.1

まあ、消費者にとってものを選ぶ時の
基準は価格だけではないことも確かではあるので、
価格競争一本槍の郊外型?安売りマーケットだけに
客が奪われていく、、というわけでもない。

総合的にサービスが良い店にお客がむいていくというのは
避けられないし、
そういう意味ではお客さんのことを考えていないような
客を客とも思わないようなお店は
酒屋さんに限らず、規制に守られているとしたら
それは「考える機会」をつくったほうが良いとも思う。

たしかに規制や権力に守られたような「業界」は
あまり「人の役に立たない」、どころか、
不正や問題の温床にもなりかねない。

そういう意味では規制を撤廃し、既得権益を廃し、
「正当な競争のルール」に参加者が自ら参加していく
仕組みは必要である。




2000.3.2

しかし、「競争」も
ある時点や状況を迎えれば、それは過剰な競争にも
なっていくことも確かだ。

特に「大資本」がその業界に参入してきた場合は
資本の論理がまかり通り
弱小な資本を食い荒らしてしまいかねない。

「これからの時代は世界に向ってインターネットで販売できる」、
だとか、「お客さんが商品を購入する基準は価格だけではない」、
、、とは言っても、地域に密着する酒屋さんが
インターネットで世界に向けて商売できるわけではないし
(なかにははじめる酒屋さんもいるだろうが)
細かな商売の知恵は蓄積する必要はあっても
実際に扱っている商品は「標準化」された
規格化された大量生産品が一般的なことも事実だ。
こういったことからも小さな規模の酒屋さんから
大規模店舗を持つ店に消費者が流れていくのは
傾向としてはさけられそうもない。

モータリゼーションの発展(すでに古い言葉になったが)からも
郊外型の大型酒店に消費者が引き寄せられていくことも
避けられないだろう。






2000.3.3

中小企業者それぞれが自分の持つ魅力を高めていく
努力をするべきなのは当然だし
そういう努力をすることなしに
既存の仕組みから得られる優位にアグラをかいているなんてのは
それはもちろん変えていかなければならないが
だからといって町の小さな酒屋さんがアグラをかいていたとも思えない。


むしろ規制緩和してそういう町の酒屋さんが
大きな資本に食われ陶汰されていくとしたら、
その現象そのもののほうが
結果的にはいずれ問題を残すように思えてならない。





2000.3.4

何度も書くが、努力もせずに規制の上にアグラをかいていたり
結果的にそういうことがお客さんに見捨てられてしまうような
ことをやっているんだとしたら
それは問題ありとしなければならないが
もし、かりにそうだとしても
競争をすることが必要であるとして
「規制緩和」して、強烈な競争のなかに
日本の中小企業や小規模店舗を
放りこんでしまうのはちょっとちがうのではないか。





2000.3.5

、、、そういっていたら
国会議員のグループが酒販売免許の規制緩和の
計画見直しを主張しているとのニュースが流れた。

理由が、販売店舗が増えると未成年の飲酒や
飲酒運転が増える、からというのがいかにもだが、

まあ、それにしても良い機会だから
そういうことを国民的に議論してもいい。


ここでは酒屋さんを取上げたのだが
これと同じようなことはいろんな業界や仕事で言えることだ。
そしてこれらの業界はすべて「不当な仕組み」を
持っているわけではない。
たしかに「規制」に守られてきた側面がないこともない、、
とも思うが、
大部分の小さな町の小さな商売は
まちのなかで地域と共生しながら
喜ばれ、利用されてもきたはずだ。





2000.3.6

なかには「不当な仕組み」や「規制」を持っていて
消費者のためにもならず、自分たちだけのために
不当な利益を不当にあげる、、ために利用している「業界」も
あるのだろうが、、
多くの小さな商売は地域と密着しながら
「共生」していることも事実だろう。


郊外型の大型店よる商売が増えてきた最近は
モータリゼーションの発達や
ロジスティックスの発達・発展によって
昔の商売の「範囲」に比べればすでにその物理的範囲は
拡大していて
例えば酒屋さんではすでに郊外型店舗と地元密着店との
「値引き」競争は行われている、どころか
すでにある程度の決着さえついているといえる。

過剰な「競争」が行われていけば
たしかに消費者には良いことが実現出来ていくように「一見」見える。




2000.3.7

が、一方で、
大量生産によって生み出された商品を
全国にくまなく分散させていくことを
目標に形作られた現代の「商売の仕組み」、
特に規格品や標準品を扱うような商売は
結果的には「マージンの減少」や
「商売がなりたたなくなるまでの過当な競争」を
作りあげていってしまう。

ましてインターネットの普及による
「情報流、商流、物流」へのアクセスの容易さは
最近、盛んに言われる
「消費者と売り手の間にあった情報の非対称性の破壊」
を強烈な勢いで進め、
売り手と買い手のあいだの標準品や規格品などの
唯一の差別化や評価基準となる「価格」の
調整作業を猛烈な勢いで進めてしまう。



2000.3.8

「消費者と売り手の間にあった情報の非対称性の破壊」
と言われる一方で「認知の限界」といわれるように
消費者はすべての情報にアクセスできるわけではないし
何十キロも離れた街のお店の価格情報を
たとえ知ることができたとしても
物理的に遠方まで「買い出し」にいくことも
めったにはないことだ。
だから結果としてその地域での資本の
独占に近い事は起きてくると思える。

これに近いことはすでに日本中の商店街や産業の
いたるところで起きていることだ。

こうした傾向が長期的に地域の経済や地域社会、
あるいは日本の経済にとって
本当に歓迎すべきことなのか、、
少々考えこんでしまう。



2000.3.9

「競争」があたりまえに必要なことだと
声だかに叫ばれて久しいが
それが本当に長期的な視点にたった時
日本の社会にとって必要なことなのか。

地域経済と密着し
商売だけではない、ある意味では
日本の地域社会や地域の文化を支えていると
いっても良い、大部分の小さな、小規模な商売を
一面的「規制緩和」によって
競争の荒波にほうり込んでしまって良いのだろうか、、と
考えざるを得ない。



2000.3.10

何もしないで良いと言っているわけではない
状況や環境は
時と共に大きく変っていく。
そこでは商売も変わっていかなくてはならない。

当たり前の話しだが
消費者やその業界にとって自身のためにならない
不当で古い規制は緩和したり撤廃していくべきことは
もちろんだ。

まして規制することが悪いことや不当なことの温床になるとしたら
そんなものはどんどん撤廃していかなくてはならないと思う。

でも一方で個別に見ていけば
地域にとって必要欠くべからざる小規模な商売が
地域と密着し共生して行く姿も一方にはある。

それを規制緩和は撤廃で存立を危うくさせて
しまうことはこれからみた場合、はたしてどういうことになっていくのか。
個別に鋭くみていく必要があるように思う。




2000.3.11

以前、ここで
「始祖鳥記」(飯嶋和一著  小学館  \1700  2月20日発行)
について書いた。

「リリエンタールの100年以上も前に空を飛んだ日本人の破天荒な冒険物語」
で、なかなか面白く読ませていただいた。

そのおりに書いたのだが

一般に世界ではじめて「飛行した」のは
動力付きでなければ
「オットーリリエンタールの1891年」が最初で、
動力付きであれば
ライト兄弟の「フライヤー1号」による1903年の飛行がはじめてだと
言われているのだが
実はそうでもなく、
いろいろ文献なんかを調べていると
動力付きも動力なしも
日本人の発明した「飛行機」が
世界ではじめての飛行に成功したことはあまり知られていない。




2000.3.12

岡山出身の表具屋「備前屋幸吉」が
グライダーのような滑空機を製作して空を飛んだのが
オットー・リリエンタールの1891年の
そのまだ100年も前の1804年だと言われている。

動力付きにしても
ライト兄弟の1903年の初飛行に先立つ1893年に
日本人の二宮忠八がゴム動力で翼幅2メートルの実験機を製作して
実際に飛ばしている。
これは残念ながら実際の人間が乗れる飛行機にまで
時の軍部の反対にあい実現できなかったのだが

いずれにしても世界初の空中飛行が
日本人の手によって行われたという事実からは
いろいろ学びかんがえなければならないことがあると
最近、筆者は思う。



2000.3.13

日本では幕末のころから「写真の技術」がまちでも現れてきて
いまでも時折、歴史的な写真がどこだかで発見されたとか
歴史的人物が写っていたとか
結構どきどきするような話しがある。

で、こういった写真をみていると
当時の風俗がわかってとても面白いのではあるが
その同じころの海外、特に欧米で写された風俗写真と
比較してみると、幕末や明治など1800年代中期の
欧米と日本の「風俗」などとともに
いかに「科学技術を支える文化」が異なるものであったのかが
わかってきてなお面白い。

当時、いや幕末のもっと前から
欧米ではすでに産業革命やそれらを支える蒸気機関や機械技術などが
とてつもない勢いで広がってきていて
写真などを見ていても
蒸気機関車がすでに1800年代の初頭に走っている場面があったり
金属でできた機械などが工場でうなりをあげて(音が聞こえるわけじゃないが)
動いていただろうことが伝わってくる。




2000.3.14

一方、日本で写された写真などを見ても
蒸気機関や、金属でできた機械などが
稼動している工場なんかは幕末ではめったに見られない。
明治になってから急激な欧米化になかで
工作機械や蒸気機関など産業をさせる主要な設備などが
主に輸入という形でもたらせれるのだが
やはりその時点では欧米と日本の間には
圧倒的な「機械力」に、違いといえばいいか、そんなものがあったと思う。


これはあくまで私見だが、これらの「機械力」の差は
「科学技術を支える文化」の違いも含め
もっと根源的なところで
あったのじゃないだろうかと思える。

それらは当時の写真をみればすぐわかる。
欧米の風景が写った写真には
金属や石などで作られた建築物や機械ものなどが
写っているのに対し
日本では紙と布と木と竹で作られたような
建築物や機械ものなどが圧倒的に写っている。




2000.3.15

つまり欧米の「石と金属」の文化に対して
「紙と木材」の日本の文化、の差が
そこにはあったのではないかと思える。

で、当時の日本は欧米に追いつくために
急速に製鉄所や造船所を建設しはじめたり
あるいは手っ取り早くそれらを輸入しはじめたり
するわけなんだけれど、、、

しかし、こういう一方で
最初に書いたように、
「日本人が世界ではじめて空中を飛ぶことができる飛行機を発明した」
ということはどう結びついてくるんだろう。

先端科学の粋のような「飛行機械」なんて
むしろやはり欧米の科学技術があってこそできたはずなんだろうに
実際には日本人が早い時期にそれらを考えていた、あるいは実際に
飛ぶところまでこぎつけていた、、、。

なぜだろうか、、。



2000.3.16

これらは当時の世界や日本の「飛行機械」の写真をみると
わかってくるような気がする。
、、、飛行機械をつくって空を飛ぶためには
軽量な飛行機械を作らないといけない。

一般に世界ではじめて「飛行した」といわれる
動力なしグライダーの
「オットーリリエンタール」にしても
動力付きの
ライト兄弟の「フライヤー1号」にしても
よくみれば
布と木材の組み合わせによって作られている。

岡山出身の表具屋「備前屋幸吉」が
グライダーのような滑空機を製作したのも
木材や竹や布の組み合わせであったようだし
二宮忠八が作ったゴム動力で飛ぶ翼幅2メートルの実験機も
類似のものだったようだ。


つまり当時としては日本のお家芸である
紙や布や木材や竹の加工技術が
当時の最新の科学技術の象徴とでもいうべき「飛行機械」を
成功させる技術であったように思える。





2000.3.17

動力付きの飛行機は最終的には
「エンジン」という軽量で高出力な動力が必要で
時代の生む機械技術の高まりが必要になるだろうが

科学文明から取り残されてしまったような
当時の島国「日本」で、
とりあえずは最新技術のかたまりのような「飛行機」が
日本であっても開発ができたということは
とても示唆的な話しではないだろうか。

もしかしたら、今、すでに科学技術や国際化や
様々な時代の大きな流れのなかにあって
一見遅れていると思われていると思うような
技術や文化や価値観のなかから

むしろ次代の鍵を見つけ、発展させ
次の時代が必要としているものを
生み出すことができるかもしれないではないか。




2000.3.18

たしかに「ものづくり」にあっては
すでに様々なものが調べられ考えられ、
国際的なネットワークのなかで
あきらかになってしまっているから
例えば「伝統的な産業」のなかから
新しい鍵を探し出すことは難しいことかもしれない。

しかし、よくよく自分のまちの産業集積や
仲間のなかで培われている技術やそこに存在する
文化や文脈を見回してみれば
「次代のなにものかに発展し礎となるもの」が
あるのではないか。




2000.3.19

すぐには探せない。すぐには見つからない。
しかし、その文脈や文化や技術そのものは
すでに自分たちの「遺伝子」のなかに
あるものとして見ていいのじゃないか。
ちょうど、幕末の日本で
紙や布や木材や竹を加工することが
日常的に行われている仕事だったように
いま、我々が持っている、日常的に行っている
仕事や技術が
これから先、やはりなんらかのきっかけで
もういちど次の高みで利用され、役立つことが
ないとはいえない。

いまはまだ、それが何なのかわからない。
しかしきっとそういう次代はくるのだと思える。





2000.3.20

もちろん、すべてが次代に生かされるわけではないだろう。
生き残り役立つ技術や仕事もあるが
役にたたず、すたれていく技術や仕事もある。

ともかくも「次の次代がどんな時代になっていくのか」を
常に見定める努力は必要だろう。

それがわかってきた時に
今ある技術や仕事が役立たない、可能性もあるし
役立つ可能性もある。
将来また日の目をみないともかぎららないが
日の目を見ない可能性もある
そんな技術や仕事はやってられない、というのであれば
まずは「伝承」だけでもやっておく必要はあるのではないだろうか。






2000.3.21

それは「ものづくり」だけに限らない。
日本のもっていた「文化」や「価値観」も
戦後の欧米型の価値観の進行のなかで
失われつつあるようにも思えるが
それがもう一度将来に向って大切な文化や価値観として
生かしていかなければならないものとしていく観点も
必要になっていくかもしれない。


横にも書け、縦に書くことができ
繊細な表現も可能な「日本語」なんて
残していかなければならない最重要な「文化」だと思うのだが
日本語をやめて英語にしてしまおう、なんて
乱暴な議論も最近ちらほら聞かないこともない。
日本の文化や価値観のどこが優れているかも検証せずに
ものごとを判断することがあったとしたら
それこそ危険な状況だと思わずにはいられない。



2000.3.22

ところで、先日、我々が進めている活動
「諏訪バーチャル工業団地」では
定期的にものづくりに関連した講演会も行っている。
、、、(「バーチャル」といいながら
実際の勉強会とか講演会とかを行ってもいるのが
面白いでしょ)

今回は、長野県は松本で
専用機などの開発設計、製造などを行いながら
この10年ほどは「一人乗りのヘリコプター」を
開発している「エンジニアリングシステム」の
柳沢社長に来ていただいて
「夢と情熱をものづくりに賭ける」
−−−   一人乗りヘリコプターの開発を通じて   −−
という内容で講演会を行った。



2000.3.23

柳沢社長は
戦後、モータリゼーションの発展と同時に
バイクやエンジンなどの開発に積極的に携わってこられた
その筋では、知る人ぞ知る、非常に有名なかたである。

戦後、日本では非常に多くの小さなバイクメーカーが
乱立していたことは有名であるが
(信じられないほどのメーカーがあったのだという
今のときめくヤマハやホンダはその時代のなかを
生き残ってきたメーカーである)
そんな時代に当時、製造技術や製品そのものが
世界の先端を走っていた戦前型のBMWのバイクを
文字どおりコピーして作った国産バイクの製造にも
関わったそうだし(そのメーカーは今はないが)

60年代に国内某自動車メーカーから発売された
戦後初の国民車といってもいい車のエンジン開発にも
関わってこられた。




2000.3.24

その柳沢さんが専用機や設備関係の製造会社を
起され成功してからのち、永い間の夢だった
「一人乗りヘリコプター作り」に取り掛かったのが10年前だ。

いままで一人乗りヘリコプターというものもなかったわけではない。
アメリカなどでは戦後さまざまな一人乗りヘリコプターの
製造が試みられてきた、が実際にところ
実用になるようなところまでは到達していない。
あの1984年(だっけ?)
ロスアンゼルスオリンピックの開会式に飛んだ
過酸化水素水を使って高圧ガスを噴射して開会式場内を飛んだ
軍用(に開発されたはずである)の一人乗りの垂直離着陸できる
「大型のリックサック・バックパック(本当にそんな感じだった)」
にしても数十秒という短い時間しか飛べないから
実際の役には立たないしろものだった。





2000.3.25

柳沢社長さんが
「一人乗りヘリコプター作り」に取り組む直接のきっかけは
いろいろあったのだそうだが
永いあいだ飛行機やヘリコプターや
自分で飛ぶこと、、を夢にみて
いつかは必ず自ら作り出すものに乗って空を飛ぼうと思ってきた。
今、その夢はかないつつある。

ビデオなどで実際に飛ぶところを見せていただいたが
みごとに空を飛ぶ。

よくぞここまで作ったものだと
筆者はビデオを感激しながら見ていた。

夢と情熱を持ち続けることさえ困難であり、
挫折という壁と
とりあえずの目の先に追われてしまう時代のなかで
すこしづつでも形にしてきたことをすばらしいと思う。





2000.3.26

以前ここに書いたことがあるが
ニュージーランドに「ブリッテン」という
手づくりのバイクをつくっている「メーカー」がある。

すでに創設者のジョン・ブリッテン氏は病に倒れ他界してしまったが
志を継いだ人々が今もブリッテンというレース用のバイクをつくって
世界中のレースを転戦している。
このブリッテンというバイクは独創の固まりのようなバイクで
10人に満たない会社でありながら
高性能なエンジンや独創的な仕組みを持つサスペンションやフレームや
果ては、カーボンで作られたホイールまで
およそタイヤとガソリン以外はすべて自分たちで作り上げたという
今の時代にあっては奇跡のような乗り物なのだ。





2000.3.27

筆者は一人乗りヘリコプターの講演を聴きながら
「ブリッテン」のことを思い出していた。

自ら持つ夢と情熱とを目一杯傾けて
自分が考え、作った「もの」を作り、世に問う。

それがはたして、この時代のなかで「多くの人々」に
わかってもらえるかどうかはたぶん主要な問題ではない。

まずは自分が必要とし、欲しいと思っているものを
賛同した仲間たちが集まりつくっていく、、。
「ものづくり」の理想的な姿がそこにはあると思う。





2000.3.28

大量につくって供給することに
意味がないと言っているのではない。

自分が欲しいと思って作ろうとしているものに
賛同し、一緒につくろうとする人々が
多ければそれにこしたことはない。

しかし、単に「大量に売れ儲かりそうなものを作り、売る、儲ける」
ことだけが企業の目的になってしまったのなら
それは本来の「ものづくり」からは少しづつ離れていく行為のように
筆者には思える。

ものづくりの本来の意味を考えなおさなければならない
時代がすでにそこまで来ているように思えてならない。





2000.3.29

ところでヘリコプターや飛行機を飛ばそうだとか
あるいは自分たちでこんなことをやってみよう、、、、
なんて考えてはじめると規制との関係がでてくる。
これについてはついこの前もここで書いた。

冷静に考えてみれば
およそ誰でも
「自分でこんなことをやってみたかった、つくってみたかった」
なんてものはいくらでもある。

できるかどうかは別として
ヘリコプターや飛行機をつくって乗ってみたいとか
ロケットをつくって打ち上げてみたいとか、
個人で放送局をつくって個人的なラジオ放送をしてみたいとか
そういうものはいくらでも出てくる。誰でも夢は持っている。

ところが技術的にできるかどうかは別にして
まずは「やってはいけないことだろうからやらない」という
意識が先に出てくることの方が多い。


2000.3.30

やってみたらどうせきっとどこからかクレームがついたり
規制がかかったりするだろうから
やっても無駄だという意識が働くことが多い。

たしかに今の世の中では人と異なるなにかを始めれば
なんらかの「反応」や「問題」、
あるいは「摩擦」が発生することはおおいにある。

人は人となんらかの関係のなかでなりたっているのだから
一方的に勝手になんでもできると思うのは無理があるのはもちろんだ。
「調整」は必要になるし、人に迷惑をかけないように生きる、というのも
必要な考え方だ。

だが、自分で作った飛行機に乗って空を飛びたい、という気持ちや
一人でラジオ局をつくって放送したい、という気持ちも
極々自然な発露ではあるのだと思う。

人や社会を迷惑をかける犯罪であれば
確かにこれは問題ありだがそうでなければ、
どうみてもだれかに迷惑をかける、としても
当事者の間で危険や問題を回避できたりすることができさえすれば
これはその自然な発露が発揮できる方向に持っていけるのが
本来は当然なのじゃないかと思う。



2000.3.31

規制に対する考え方も
突出したものやことを押し込めるのではなく
それを実現できるために
それがむしろみんなから支えてもらえるような仕組み、考えかた、

自分がこんなことを実現することが人々の役にたつのなら
たとえそれが一人の人のためではあっても
それで誰かが幸せになるのなら
そのために「自分で表現」すること、それはとても自然なことだし
それをまわりが認めて価値を認めささえあっていくような
そんな姿が望ましいと筆者は思う。

特にものづくりの哲学はそんなところにあるような気もする。


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