月刊 染織  No.172  1995/7 

染織で描く〈詩情溢れる世界〉

信州の自然の息吹を織り成す

草木染の織絵 万代久子

信州で紬と出会う

 

自分が染織の仕事をするとは、30歳近くなるまで、思ってもみませんでした。小さな頃から絵は好きで、描いていましたが。昔から、生活に使われた手作りの道具や用具等を見るのが好きで倉敷の民芸館や東京の日本民芸館を訪ねたことがありました。神戸に住んでいましたが、夫が長野の松本で家具を作ることになり、私も何かしたいと思いました。

長野には紬が昔から産業としてあるので、それをやってみたいと思い、松本の家の近くの工房を訪ねました。その頃は手作りブームで、全国から独身の女性がたくさん習いにこられていて、二年先までいっぱいです、と言われました。子連れの主婦はだめかなと思いました。

連休で帰郷する電車で隣の方と、子供が見ていた絵本がきっかけでお話をし、童画を描かれる年配の方でしたが、お話が合って、紬の仕事をしたい事を話しました。するとその方の知人の実家が織元をしているので紹介してあげましょう、と言われ、良い方とお知り合いになれたと喜びました。

すぐにその工房を訪ね、娘が保育園に入るまで待っていただき、紬の仕事ができるようになりました。信州に来て一年経った頃でした。そこではパートの社員ということでおもに絣くくりの仕事をしました。絣の部分を木綿糸で縛る作業です。染場が隣にあり、何十年も仕事をしておられる方々の話を聞いて、毎日が勉強になりました。午後は残糸でいろんな絣模様を作って、デザインをするのにとても役立ちました。

三年間勤めましたが、子どもが、たびたび熱を出して休みました。水疱瘡にかかった時は、長い間休園をしなくてはいけないので、娘を連れて職場に行き、私の傍で、折り紙や絵本で遊ばせていました。みなさんにご迷惑をかけたり可愛がってもいただきました。そして、二人目の子どもができた事と家が職場から遠くなったのを機に、独り立ちすることにしたのです。

自分で糸を仕入れて、染色し、織りを始めました。主に着尺と帯を作っていました。作品はたまるのですが、なかなか売れず、友人や親戚に見せて、買っていただきましたが、その内人づてに聞いて、知らない人から注文がポツリポツリあるようになったものの、そりも限りがありました。その頃は夫も独立して家で一人家具を作っており、注文を取るのが大変でした。

ある日、高校の友人が新婚旅行で近くまで来たからと言って訪ねて来てくれました。彼は私たち二人の仕事を見て、是非神戸の画廊で作品展をすれば、と画廊を紹介してくれました。私たちには、画廊で発表するという発想がまったくありませんでした。ただ、コツコツ仕事をしていました。

やっとの思いで、初めての二人展を神戸やりました。一九八六年のことです。信州へ来て十年が経っていました。たくさんの方々に興味をもって見ていただき、重い手応えを感じました。それから東京と神戸で二年おきくらいで展示会を開くようになりました。お客様に見ていただくのは、とても恐い気がします。厳しい目で見られますし、ズシッとした事も言われます。でもそれがないと私の仕事は自己満足になってしまいがちです。

 

草木染の喜び

 

今、私が住んでいる所は、長野県の北部で、北アルプスが目の前に見える自然に囲まれた土地です。すぐ後が山になっていて、歩いて染材を取りに入れます。どこにどの染材が生えているかを覚えておき、その季節になりますと、長靴をはいて軍手をつけて、鎌を持って出かけます。スズメバチとマムシは気をつけなければなりません。

私が気に入っている染材は、そよご、刈安、くらら、臭木の実です。そよごは常緑樹でこの地方で神社の祭り事に使われます。葉から渋い赤が染まります。又、くららは六月頃にクリーム色の小さな花をつけるマメ科の植物ですが、とても信じられないような、鮮やかな黄色が出ます。それに藍をかけると新緑の色になります。とてもすがすがしい色です。臭木の実は集めるのに大変です。染色が可能な量にするには、たくさんの実が必要だからです。でも空色の鮮やかな色が染まります。私にとって草木染めは、とてもやりやすい方法です。

一度だけ化学染料で着尺を染めたことがありますが、色の調合に苦労しました。草木染は、植物が一番生き生きしている頃に採り、染めるのですからとてもしっくりしたきれいな色が出ます。どうしてもこの色がほしい、と思っても出ない時がありますが、それは経験をつんで勘を働かせるしかありません。

 

織絵を始めて

 

私が織絵をするようになったのは帯のおたいこの絵柄を見て、お客様がこれを額に入れたら面白いのでは、と言ってくれたからです。私は帯の柄に、動物を好んで織っていました。兎、鹿、駱駝、鳥等です。花や抽象を織るよりも動物を織る方が、ごまかしがきかないので面白いのです。一本糸をすくいそこねると、表情が変わってしまいます。帯の絵柄でなくなると、ずっと自由な発想で絵が描けます。

最近、織った「少年」がありますが、ゴロゴロしている息子を見て、面白いなと思い、スケッチしてデザインし、織ったものです。又、穂高のわさび屋さんの注文で店の壁に飾りたいという事で、屋号が「藤屋」さんでしたので藤を描きました。縦一メートル、横二,五メートルの大きな物でした。これも初めての経験で、大きなヒントをいただきました。ホテルや料理屋さんのお店に織り絵を掛けると、抽象的なタペストリーとは違った感じになるのでは、と思っています。幸いに夫が家具を作りますのでいろんな屏風も作りたいし、飾りダンスのような物の全面に織りを入れても、面白いものができそうです。やりたい事は無限に湧いてきます。

草木染めは、最初から仕事として考えて始めたのが良かったと思っています。この仕事しかないと思わず、たんたんと、一人で試行錯誤しながら、時にはお客様からヒントをいただいてやってこれました。いつの間にか、子ども二人が育っていました。まがりなりにも二〇年続けてきたのが力かな、と思います。まだまだ先は長いです。まだまだやりたい事があります。その気持ちをエネルギーにして、生活していきたいと思います

山から採りたての葉や木々を小さなかまどで煮だします。気持ちがほぐれるような匂いを嗅ぎ、かまどに木(夫の仕事で出た木っ端)をくべながら、あがりかまちに座って本を読むのは最高です。そして、思った以上の色が出た時、この仕事を続けていけそうだなと思うのです。

 

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