木曽の森林鉄道は大正5年の小川線(上松〜赤沢)をはじめとして、最盛期には木曽郡全体を網羅し、木材の運搬や地域の足として活躍しました。やがて木材の運搬がトラックに切り替わると、徐々に活躍の場を失い、昭和50年に国内最後の森林鉄道が姿を消しました。 現在赤沢に保存されている森林鉄道の歴史を簡単に振り返ってみましょう。 ▼森林鉄道の黎明期 かつて材木の運搬方法として用いられてきた「木曽式伐木運材法」は、川を利用して運搬を行なっていました。しかし、水力発電用のダム建設が進んで河川の利用が難しくなると、それに代わる運搬方法が求められ、鉄道の利用が始まりました。 全国に先駆けて青森県の津軽森林鉄道が運行を開始。明治34年には木曽の阿寺渓谷に軽便が敷設されました。さらに明治43年10月、国鉄中央線が上松町まで開通し、山間部の運材に鉄道を導入する目処が立ちました。 大正2年。森林鉄道小川線が着工されました。この区間は上松から赤沢方面を結ぶ区間で、渓流の運材では特に木材の傷みが激しかったところです。建設は大正5年に完成。軌道を走る蒸気機関車は、ドイツのコッペルやアメリカのH・K・ポーターといったライバルを凌いで、アメリカ製ボールドウィン蒸気機関車が採用されました。この機関車は津軽森林鉄道で実績をあげ、勾配に強く信頼性が高いことで価格のデメリットを跳ね返しました。 ボールドウィン蒸気機関車の導入直前に第1次世界大戦が勃発。アメリカから輸送される便が渡航できなくなり、急遽オーストラリアを経由して2号機が先行上陸したというエピソードが残っています。この機関車、本来は農場でサトウキビなどを運搬していたもので、木曽の森林鉄道には10台を越える車両が導入され、「りんてつ」の花形になっていったのです。 ▼戦中と戦後 森林鉄道は、今までの運材法に代わる効率のよさから各地に普及していきました。蒸気機関車の他にもガソリン機関を積んだ小型機関車が導入されていましたが、本線を牽くボールドウィンが森林鉄道の顔として活躍していました。
戦後、国内の情勢が安定してくると、機関車にも改良の波が押し寄せました。熱量の約7%程度しか動力に変えられない蒸気機関に比べ、実に40%前後の効率を誇るディーゼル機関車の導入が始まると、蒸気機関車の舞台は徐々に狭くなり、昭和35年、最後の3両が現役を退きました。この直前、木曽で活躍するボールドウィン号の姿がアメリカで紹介され、引退した機関車の引き取り手が現れたのです。最後まで残った機関車のうち1両は木曽に残され、2両が名古屋港からアメリカへの帰国の旅に出ていきました。現在でもあの特徴的な煙突そのままに、ちょっと姿を変えて動いているそうです。 こうして森林鉄道の機関車はディーゼル機関に移行しました。木材の運搬のみに利用されていた森林鉄道も、その充実した路線が地域の足として活用されるようになりました。地元の方々は、住民証明があれば乗車料金を必要とせずに乗車でき、学校や町への買出しなどに活用されました。 車両自体にも改良は進み、連結部分で制動をしていた危険な仕事も、各車両を繋いだエアブレーキ・通称「貫通ブレーキ」の登場でなくなりました。台車の連結部分はカーブによって間隔が変わり、時には台車に挟まれて死亡するという事故も発生していました。これらの危険な個所が改善され、森林鉄道は最盛期を迎えていました。 ▼森林鉄道の引退 そんな森林鉄道にも、最後の時が近づいてきました。ディーゼル機関と自動車の発達が、林業にトラックの時代をもたらしたのです。軌道を必要とする鉄道に比べ、林道のみの整備で実働が可能なトラックは、その機動性の高さから林業の運搬手段を席巻。また、伊勢湾台風で森林鉄道の軌道が壊滅的な被害を受けると、その動きはさらに加速していきました。住民の足もバスへと移り変わり、各地の森林鉄道は次々に廃止されて、昭和50年を最後に国内から森林鉄道が姿を消しました。 引退の動きが明らかになると、名残を惜しむファンが全国から押し寄せ、森林鉄道の乗車は抽選になるほどの盛況。数少ない席を求め、テントの列ができたほどでした。この様子がテレビで放映され、林鉄熱に拍車がかかっていったようです。 引退の運行では、かつて勇姿を誇ったボールドウィン号が先頭に。もう車両を牽くだけの力はありませんでしたが、ディーゼル機関車のバックアップを受けながら、森林鉄道最後の幕引きに花を添えたのです。
森林鉄道が廃止された後、その復活と保存を求める声が大きくなっていきました。そこで、樹齢300年の天然林が残る赤沢自然休養林の中に、当時の面影そのままに森林鉄道を保存することとなりました。長野営林局や上松営林署の働きで、機関車の車庫と軌道が完成。車両と資料が運び込まれました。 この保存鉄道は実働が可能で、昭和60年に伊勢神宮の御用材運搬の場面が報道されると、運行を求める声が再燃。上松町では観光の目玉にとの希望から、ついに昭和62年、乗車運行が可能となりました。 当初は夏休みだけの運行だった森林鉄道は、現在は開園期間の土曜・日曜・祝日に運行日を拡充し、また夏休み期間は自然体験イベントの一翼を担って運行されています。 ●赤沢森林鉄道では、皆様の乗車料金が機関車の維持管理や軌道の整備に役立てられています。また、当時の機関車も整備や再塗装などを行ない、本物の森林鉄道を永きに渡って保存していきたいと考えています。 |