博愛新聞 平成28年  9月号 (第208号)

戦争のない平和な”幸せ長寿”の世界を願う

 今、全人類の胃袋を満たすだけの食糧がありますか、全人類に必要なワクチンや薬は作りだせますか、たぶん、答はYESだと思います。しかし、お金がないので食糧も買えない医療も受けられない人が出ています。これはしかたないことなのでしょうか。いや違うと思います。お金(富)はもともと、人類がみんなの幸福のために便宜的に作り出したものにすぎない面もあります。世界的に農作物が足りていれば、医薬品を製造する設備や資源が足りていれば、制度の工夫と人類愛で、すべての人に食糧も医療も十分に供与できるのではないでしょうか。未だに世界中で、戦争・紛争・テロが絶えません。お互いに殺し殺されています。互いの「正義」のためなのですか。貧困のためなのですか。命を救うことが基本である医師にとっては悲しいことです。宗教や国家を超えた人類愛の道徳教育が世界中で求められます。少なくとも貧困は、制度の工夫と愛で無くせるのではないでしょうか。
 “健康長寿”は誰もが願う理想的な死であります。それを実現するために、社会がみんなで助け合うことは最も重要です。一方で、すでに不健康な方や障害をもった方には、望むべくもないことですので、それに対しても救いの手を準備することも大切です。どんな障害をもっていても、家族も含めて幸せに命を全うできる社会こそ、みんなが安心できる社会かと思われます。なぜなら、誰でも将来、障害者になりうる訳ですから。その意味で、多病息災の考え方も大事ではないでしょうか。お金がなくても“幸せ長寿”を全うできる社会になってほしいと願っております。しかし、戦争となり社会に余裕がなくなれば、弱者や障害者から切り捨てられることを危惧します。

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つれづれ思うこと 主任  H.M.   

 この夏、中学生の娘と小学生の息子は初体験をした。それは、7.5km離れた祖父母の家へ徒歩で向かうというものだ。
 なぜそんな事をする様になったかと言うと、私が小学生の時、兄と共に佐久から上田に住む祖父母の所へ、電車を乗り継いで行った事を思い出し、子供に提案してみた。それと、毎日の様に姉弟喧嘩を繰り返す二人に、力を合わせ何かをやり遂げてほしかったからだ。子供達は、この提案に「行ってみたい!」と目を輝かせて、その気になった。
 出発の朝は、仏様、神様へそれぞれ手を合わせ子供の無事を祈った。私の頭の中は、「もし・・・万が一・・・」がグルグルしており、心配で一緒に歩いていこうかとさえ思いながら、子供達の後ろ姿を見送った。出発して15分、30分、40分、時計が気になり「今どのあたりだろうか」「無事に歩いているのか」とずっと落ち着かなかった。家を出て2時間20分。「今着いたよ。」と元気な声で連絡があり安堵した。
 数日たっても、喧嘩の回数は変わらないが、二人で励まし合いながら歩いた道のり。お互いへの気持ち。頑張ってゴールできた達成感。経験した中から得た感覚を大切に成長していってほしいと思う。私はその成長を楽しみにそっと見守っていきたい。

院長のひとこと きっと良い思い出になると思います。佐久の美しい自然のなか、子供達が一緒に歩く風景が目に浮かびます。佐久は本当によいところです。