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●月の裏側の秘話●





は   じ   め   に

コリン・ウィルソンが「The Dark Side of the Moon」と題する文を書いていたからといって、
それにピンク・フロイドがインスパイアされたと見なすのはあまりに短絡的だ──
20年前にはそう考えていた。
だがここに来て、確証ともいえるダイレクトな接点が浮かび上がってきた・・・。






  月の裏側の秘話
月の裏側のタイムラインC・ウィルソンの「月の暗い側」『狂気』のテーマ誕生
C・ウィルソンの「運転者」時間と金への隷属

●月の裏側にまつわる現象

  • イギリスの作家コリン・ウィルソンは、自著にて「なぜ現代人は過度緊張に苦しむか」という命題を考察する中で精神の暗黒面、人間の月的な力について自説を繰り広げた。1971年に発表された『オカルト(河出書房新社) の中の「月の暗い側 (原文ではThe Dark Side of the Moon)」という章にある。



▲原書と日本語版の表紙のデザインは異なる。日本語版がスペクトルであるのはなぜか……?

  • 1968年にデビューしたイギリスのバンド、メディスン・ヘッドは、1971年にアルバム『Dark Side of the Moon』を発表したが、ウィルソンの著作との関連は不明。


  • 1973年にイギリスのピンク・フロイドは、アルバム『狂気 (The Dark Side of the Moon)』を発表した(テーマは人生における抑圧と緊張、発案は1971年年末)。このタイトルをイギリスのアンディ・マベットは『ピンク・フロイド全曲解説』に「無意識を指すオカルト用語」と解説している。ちなみに、すでに1971年前半以前 (つまり『狂気』発案以前)、デヴィッド・ギルモアは自らのバンドの音楽を「未知のオブジェの追求、すなわち我々自身が持つ潜在意識を探索することがフロイドの音楽だ」と定義している。



これも月の裏側?
  • アメリカ映画『オズの魔法使』に月の裏側を示唆する台詞が出てくることをコラム52に述べたばかりだが、ヒロインのドロシーの台詞の“behind the moon”という原語がDVDによって「月の裏側」「お月様の裏側」「お月様の向こう」と翻訳されてはいるものの、“dark side of the moon”ではない。ところで『オズの魔法使』の原作者は本格的なオカルティストで、物語の中には奇妙なキャラクターなど数多くのオカルトのシンボリズムが埋め込まれているらしい。詳細はウェブサイト Kaleidoscope:「オズの魔法使い」に隠された陰謀 にある。同映画は1939年公開だが、原作は1900年発表のもの。こんな昔から月に隠れた精神世界の探求の旅が存在していたとは……。

  • 英米合作映画『2001年宇宙の旅』の監督スタンリー・キューブリックが月の裏側にモノリスを埋め込んだのは、人間の無意識を暗示したものだという解釈もあるが、キューブリック自身の「もし『2001年宇宙の旅』が観る人の感情や潜在意識、神話へのあこがれを燃えたたせたなら、この映画は成功である」という言葉がある限り、その解釈はありうるだろう。1965〜1967年製作。


注釈

 “dark side of the moon”の語意を極簡単に説明しておこう。月の裏側が地上からは決して見えないことから、日頃は意識できない心の領域(無意識、潜在意識など)を比喩的に月の裏側と呼ばれることがある。
 “dark side of the moon”がオカルト用語以外の比喩でも使われることもあり、「不明な(得体の知れない)部分」「情報が公開されていない部分 (分野)」、または“be on the dark side of the moon”として「落ち込んでいる」などとして用いられる。

 以上の“dark side of the moon”比較で、欧米には「月の裏側=無意識」が既成の言葉のように存在しているのがわかる。はたしてその発想の出所は……?

 ピンク・フロイド以降から現在までの“月の裏側”関連作品については省くが、一つだけ挙げておきたい。SF映画『月に囚われた男』(原題はMoon、イギリス、2009年) は月面の資源を採掘する孤独な男が次第に狂っていく物語だが、設定は“月の裏側”(the far side of the moon) となっている。


●コリン・ウィルソンの「月の暗い側」

 コリン・ウィルソンは、過度緊張にさいなまれる現代人の虚無感や非現実感が、文明の発達につれて抑圧されてしまった人間の潜在能力の圧迫によるものだとし、潜在意識に光を当てようと試みた。それは「月の暗い側 (原文ではThe Dark Side of the Moon)」という章にある。
 ウィルソンは直接“月の暗い側”の語意を説明していない。だが、まず月と太陽の対比を次のように語る。月の女神といわれる月信仰は霊感によって創造される。一方、アポロ的といわれる太陽信仰は意識的な知能によって創造される、と。
 『幻燈の中の迷宮』ではアポロン vs ディオニソスとしてあげ、アポロ(太陽神)は理知的で秩序性のあるもの、ディオニソスは感性・衝動的なものというように対比させた。ピンク・フロイドの『狂気』における太陽もこれと同様で、太陽の下に回っている正気世界が、狂気日食によって月に食されるという終章に至る。

 この月の女神こそは魔術の、無意識の、詩的霊感の女神であった。人間の神話は「太陽化」され、のちに西洋においてはキリスト教化され、男性的な理性の神が次第に重要な位置を占めるに至り、常にそれは、月光によるよりも日光によるほうが物がよく見えるというあらがえない議論によって武装されていた。だが、それとは逆に、或る物は強い光の中では見えなくなるものなのだ。高度に意識化した理性的な思考形態は、小さな魚がみんな逃げてしまう目の粗い魚網のようなものなのである。

──コリン・ウィルソン(『オカルト』より)

 人間は論理的な力である意識的な知能(太陽的とされるもの)を所有しているが、そんな意識的な知能から隠された潜在意識の力をも所有している。だが、この二つは文明によって切り離されてしまったとウィルソンはいう。
 「真夜中に数学の問題を解こうとし始めたなら、再び眠りに戻るのは難しい」というたとえは太陽的とされる意識的な知能の活動を意味するが、再び眠りにつくには月的な潜在意識にバトンタッチしなければならないことになる。これについてウィルソンは独特のたとえを用いる。「あなたが自分自身のこと──自分の全人格──を車のようなものと考えれば、睡眠中は、あなたは運転者を取り替えているのである」。
 さらにウィルソンは「人間の進化は意識的な運転者の進化にほかならない」という。200万年前の文明を家内企業とすれば、現代は巨大企業といってもいい。そして「その結果、文明人は無意識の過度の緊張に苦しみ易いことになる」と続くのである。
 以下、しばらくピンク・フロイドについて述べるが、上記のキーワード「運転者」を覚えていてほしい。


注釈──コリン・ウィルソンについて

 コリン・ウィルソンは小説家、犯罪心理学者、オカルティズム研究者など様々な面を持つ。我が国で犯罪心理学者というと福島章、オカルティズム研究者というと荒俣宏が知られているが、ウィルソンはいわば福島章+荒俣宏のような位置づけと言えようか。
 “オカルト”という言葉は、一般的に超常現象などいわゆる胡散くさい非科学的な意味で用いられるが、元々は“隠された真実”というような意味。ウィルソンの言うオカルトは人間の内部の潜在能力であって、人間外部の超常現象は対象外(むしろ懐疑的)としている。
 従って、ウィルソンが用いるオカルト用語としての“dark side of the moon”は、通常には意識できない心の領域としての深層心理、無意識を指すと思われる。


●『狂気』のテーマ誕生

 ちょっとおさらいになるが、『幻燈の中の迷宮』にも詳細を記したように、ピンク・フロイドは『狂気〜The Dark Side of the Moon』というタイトルを固定させる前後、コンセプトを練る途上でいくつかのテーマを掲げていた。最初期の1971年12月には「All the things that drive people mad (人を狂気へと駆り立てるあらゆるもの)」あるいは「The Stresses and Strains on Our Lives (人生における抑圧と緊張)」というテーマを掲げていた。また時期は不明だが、バンドによる「meditation on the strain and stress of everyday life(日常生活の緊張とストレスに関する瞑想)」という説明もあった。プロトタイプのライヴにおけるプログラム(1972年3月の日本公演など)には「A Piece for Assorted Lunatics(雑多な狂気のための作品)」というサブタイトルがあった。

 ところが、初期段階で挙げられていたテーマは「The Stresses and Strains on Our Lives (人生におけるストレスと緊張)」だったが、それがロジャー・ウォーターズによって「Driver's Insane (運転者の狂気)」と改められたと赤岩和美によってライナーノーツに書かれている。万人の人生に関わる普遍的な抑圧と緊張というテーマが、なぜドライバーという特定の人物のものに絞られるのか、なんとも不可解ではないか。
 だが、その謎はある発見でいっぺんに解けてしまった。ウィルソン著の『オカルト』、その上巻第一部第2章「月の暗い側 (原文ではThe Dark Side of the Moon)」になんと“運転者 (driver)”が現れるではないか。
 ウィルソンは一人の人間を二人の運転者のいる自動車になぞらえ、「あなたが自分自身のこと──自分の全人格──を車のようなものと考えれば、睡眠中は、あなたは運転者を取り替えているのである」とし、この比喩のもとで「意識的な人格」運転者と「潜在意識の衝動」運転者の均衡について説く。そして、その均衡を乱した様をロジャー・ウォーターズは“運転者の狂気”と呼んでアルバムに展開させようとしたのではないだろうか。

 ところが、ウィルソンの言及にある比喩は、太陽支配の昼間=意識的人格の運転者、月支配の夜間=潜在意識の衝動的運転者であって、月支配の昼間は想定にない。白昼での月支配だって? それは狂気の沙汰ではないか。いや、“日蝕”がそれだ。それが「日蝕=狂気の運転者」ではないか。
 そう、これらの比喩に“日蝕”をもってきて狂気に結びつけたのは、ピンク・フロイドのオリジナルと考えられる。そして、メディスン・ヘッドとの混乱を避けるため、フロイドは一時期『The Dark Side of the Moon』のタイトルを断念しかけたが、「Eclipse (日蝕)」「運転者の狂気」が候補とされていたのも頷けよう。


●コリン・ウィルソンの「運転者」

 自分が二人の運転者によって生かされているというたとえを、さらにウィルソンに続けてもらおう。いかにして二人の運転者は連携を乱し、人間は過度の緊張にさいなまれるようになるのか。

 「過去二百万年に亙る人間の進化は、意識的な運転者の進化にほかならなかった。文明は高度に複雑なもので、人間はそれを扱うのに、高度に複雑な精神的組織化を必要としている。二百万年前の先祖と較べると、現代人は、その先祖が小さな家内企業だとすると、まさに巨大企業そのものなのである。(中略)
 その結果、文明人は無意識の過度の緊張に苦しみ易いことになる。
 一人の若い男が結婚して、家族を扶養し始めると、どうなるか、それを考慮してみ給え。その男は、自分の将来ばかりか、その他のあまたのことをも考えざるを得ず、しまいには、同時に空中に幾つかのボールをほうり投げつづける手品師のようなものとなる。(中略)
 数年たつと、彼がこの手品にすっかり疲れて、全部のボールを床に落したいものだと念じるようになる時が出て来る。が、もちろん、彼は妻子を愛しているので、そんなことをすることは問題外である。だが、この手品を使うことに気を入れるのをやめ、それが純然たる機械的な動作になることを許す場合が出て来るようになる。

──コリン・ウィルソン(同)

 やがて月末には請求書が積まれるが、なんとかやり過ごし、日曜日には家族でピクニックに出かけるものの、気分はふさぎがちとなる……ウォーターズの“運転者の狂気”へと続くのだ。
 ウォーターズによる次のような説明もある。『狂気』のテーマがニュートン物理学だと言うのだが、あのアルバムのどこがニュートンに関連するのかと混乱される方も多いことだろう。だが、ウィルソン経由で受け止めれば、脈絡が浮かび上がってくる。より詳細はコラム32へ。

 誰もが様々な問題に直面する。その結果、考え方も人それぞれ違う。人はプレッシャーに影響を受けやすい。その結果として、精神が異常になったり、死を選んだり、神経過敏になったり、欲深くなったり。要するにニュートン物理学だ。科学は数値化できても人の心はムリだ。それがこのアルバムのテーマだと思う。

──ロジャー・ウォーターズ
(『狂気 Classic Albums』ビデオアーツ・ミュージックより)

 もう少しウィルソンによる運転者の説明を引用しておこう。

 二人の運転者とは、意識的な人格と、潜在意識の衝動とである。文明人にあっては、潜在意識の「運転者」の役割は、意識的な「運転者」のそれに較べると、比較的に自動的で反覆的なものであり、潜在意識「運転者」は、殆ど、睡眠や記憶や、胃や腸の機能などを制禦する補修係の技師にすぎない。交響曲を作曲したり、宇宙征服を立案したり、文明を築いたりするのは意識的精神である。

──コリン・ウィルソン(同)

 意識的な運転者とは理知的な太陽信仰で、潜在意識的な運転者とは霊感的な月信仰といってもいいだろう。
 また、これは余談になるかもしれないが、ひょっとして「狂気日食 (Eclipse)」を、あるいはシド・バレットのドラッグを説明するかもしれないので、以下に引用しておく。潜在意識的な運転者がいっとき意識的な運転者を閉め出し、運転席に座した姿、それはいっときの日食のようである。

 サイケデリック麻薬は、「論理的」な精神を不活溌ならしめ、潜在意識力を人格の運転席に坐らせる効果をもつものであるが、この麻薬は美か、あるいは恐怖の啓示を生み出すことがある。

──コリン・ウィルソン(同)

●時間とお金への隷属

 さて、アンチ近代合理主義であるコリン・ウィルソンの「月の暗い側」を経て、日常に戻ってきた。そこは太陽の下に調和する世界、人間を時間とお金が支配し過度な緊張を強いる世界……。

 『狂気』のコンセプトを分かりやすくいうと、つまりはこういうことだ。「時間とはこういうもの、お金とはこういうものだ。しかし、生まれ変わった気分で、まったく新たな感覚でとらえてごらん。まったく別のとらえ方ができてくるから」と。実にあっさりとしたものだが、そういうことだろう。少し補足すると、ここの“しかし”以降が「狂人は心に〜狂気日食」にあたる。そして、それを悟ったときが“月の裏側で会う”か。“月の裏側”は狂気だけを意味するのではない。月の裏側のように常日頃はまったく見えない裏側、気づかない別の感覚意識──無意識をいう。

 そして、肝心なのが“生まれ変わった気分”だ。気分を一新するという意味でよく使うフレーズだが、まぁそういう意味でもいい。“生まれ変わった気分”は胎児への退行を経るか、無垢な赤ん坊の意識でもいい。すると我々大人の観念の「時間とはこういうもの、お金とはこういうものだ」ではなく、赤ん坊の意識で時間やお金をとらえることになる。そう、nothing=何も無いのだ。それは時間もお金も知らない、1秒と永遠の区別もしない、金銭欲も持たない意識だ。


 人間は便宜上、時間というものを作った──などと言うと、時間は人間の存在に関係なく存在するではないかと反発されるかもしれない。人間はそれを細かに区切ってカレンダーや時計を作ったにすぎず、カレンダーや時計がなくても世界は変わらない。そして、そんな時間は、個人と他人の行動を一致させるための約束にすぎず、スケジュール通りに仕事をすれば問題ないが、スケジュールに追われてそれに合わせるために四苦八苦する様は、まるで時間という主人に鞭で打たれる奴隷である。時間の奴隷。好きな時に動く生活は、時間の奴隷などではない。

▲16世紀の画家P・ブリューゲルによる『死の勝利』の部分。死神のような骸骨がティンパニを叩いて死へのリズムを刻んでいるように見える。『p・u・l・s・e』のビデオにおける「タイム」のアニメにこれをモチーフにしたような骸骨が現れる。

 1分刻みのタイムカードやスケジュール、1円刻みの税金や物価の計算。人間は時間と貨幣に隷属しているのだ。そうしろと神様が命じたわけでもなく、自ら好んで。それが現代人のストレスの原因とわかっているのに。だから、現代人のストレスをテーマとした『狂気 (The Dark Side of the Moon)』のアルバムは色褪せることはなく、それどころか再版され続け、ますます永遠に再生される。

 とりあえずあなたは、人間自ら作り上げた社会の何かに隷属しているが、本当はそんなものの奴隷ではないし、どこかに何ものにも束縛されない自由なあなた自身がいると信じている。だから、とりあえず日々ハードな生活を過ごしているとしても、それを包み隠してソフトなあなた自身を解放させたいと思っている。

 あなたの行動の全ては
 あなた以外の何ものかに隷属しているが
 あなたが生きることの意識に輝くならば
 あなたは蘇生するだろう


[rainbow]


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