ヴェネッタ・フィールズは、最初にピンク・フロイドを聞いたとき、彼らをミュージシャンとみなさなかった。
「彼らはむしろ技術者のようだった。みな大学学位なんかを持っていたし。本当に彼らは私が知っていたほとんどのミュージシャンと出が違っていたわ」。
疑いなくピンク・フロイドは先駆者であった。他の誰もが関心を向けはじめるよりずっと前に最先端の設備を使用したピンク・フロイドを、フィールズは「これまで一緒に仕事をした中で、一番おもしろいバンドだったわ」と言う。
「それは人格さえも含む包括的なもの。彼らは(訳注:ステージで)飛行機もスモークも映画も持っていて。ほんと、絶対それは魅惑的だったもの」。
フィールズによれば、バンドのトレードマークであるギターソロの巨匠デイブ・ギルモアは、約36個の異なったボタンのあるギターボードを持っていた。当時、彼女はそのようなものを見たこともなかった。そして信じがたいことだが、最初にフィールズがバンドと歌うように電話を受けたとき (訳注:『狂気』のツアーのため?)、彼女はピンク・フロイドのことを一度も聞いたことがなかったのだ。
「私たち(訳注:自分とカーリナ・ウィリアムスのこと?)は昔ロビン・フッドの森があったエピングのちょっと小さなモーテルにいたんだけど、そこへデイブ・ギルモアが曲を覚えるためにすっかりテープを持ってきてくれたのよ。歌うべきものを聞いたとき、私たちはちょっと笑ってしまったわ。でもちょっとビジネスの糸口だと考えたの。私たちには糸口がなかったからね。そのテープはいままで歌ったものとはまったく違っていたわ」。
左カーリナ・ウィリアム、右ヴェネッタ・フィールズ
(『炎〜あなたがここにいてほしい』録音当時のスタジオで)
![[Venetta & Carlena]](ballet/venetta&carlena.jpg) |
ギルモアはコンサートにフィールズを招待したが、彼女がこのバンドの比類なさを認めるにそう時間がかからなかった。当時彼女はイギリスのバンドであるハンブル・パイとツアーしていて、その差異を信じられなかったという。
「ハンブル・パイはハードロック・バンドだったのよ。彼らの観客は荒れ狂うわ、手を振り回すわ、何やかやで……。ピンク・フロイドとでは客は催眠術をかけられたようになり、とても静かにとても穏やかにコンサートから舞い上がるの。ほんと、恍惚状態なんだから」。
フィールズが『狂気』ツアー(1973年、18カ月間にわたるヨーロッパ〜アメリカのツアー)に加わったとき、彼女はその現象の一部になった。アルバムはマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ古今を通じて2番目に売れたロック・アルバムであり、それはフィールズにとってまったく新しい体験であった。
(以下、4人の第一印象がいかに取っつきにくく、いかに他のバンドとやり方が異なるかを強調しつつ、しかしワインのボトル片手に「サマータイム」を歌いながら酔いつぶれたりして、やがて打ち解けていく様を語る。)
ABC Coast FM(http://www.abc.net.au/goldcoast/stories/s1054127.htm)より/対訳:今井