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ローラン・プティ振付による牧阿佐美バレヱ団の《ピンク・フロイド・バレエ》公演を記念して、70年代から今日までのピンク・フロイドとバレエの関係とをレポートします。NHKの放送が終わりましたので、このページの今後の更新は基本的にありません。
●フロイド・バレエ part2のコラム35:白鳥の湖はアホウドリの珊瑚海(バレエ2)もご覧ください。NHK教育テレビの鑑賞記も加えました。
●北京のバレエ団による『ザ・ウォール』アメリカ公演の情報は、コラム41:フロイドの主題による変奏曲 をご覧ください。




ローラン・プティ振付×牧阿佐美バレヱ団
「ピンク・フロイド・バレエ」


フロイドの音楽は、30年以上経った今でも輝いている。人間の心を揺さぶる新しい感動がそこにある。
ローラン・プティ(2004年1月29日朝日新聞全面広告より)
2004年2月7日(土) 15:00/19:00 2月8日(日) 13:00
東京 NHKホール
振付:ローラン・プティ 音楽:ピンク・フロイド

出演:マリ=アニエス・ジロ/シャーロット・タルボット/リエンツ・チャン/アルタンフヤグ・ドゥガラー/草刈民代/上野水香/菊地研/ほか牧阿佐美バレエ団 総勢約100名

曲目: 1. ラン・ライク・ヘル 2.マネー 3. イズ・ゼア・エニバディ・アウト・ゼア 4. ノウバディ・ホーム 5. ヘイ・ユウ 6. 吹けよ風、呼べよ嵐 7. ユージン、斧に気をつけろ 8. ホエン・ユーアー・イン 9. 雲の影 10. 虚空のスキャット 11. エコーズ(第1部) 12.ラン・ライク・ヘル 11. エコーズ(第2部) [アンコール] 吹けよ風、呼べよ嵐



●《ピンク・フロイド・バレエ》鑑賞記をネットツアーしよう ●

《ピンク・フロイド・バレエ》のメディア批評や公演後インタビューはなく、写真すらまだネット上に見当たらない。体験できなかった者は詳細を知りたいのに。しかし鑑賞記ならいくつかのウェブサイトで読めるので、それらをネットサーフィンすれば雰囲気に浸れるかも。次の推薦6ページをオーバーラップすれば、あなたもNHKホールの客席に……。
Lunatic Cafe(旅とバレエをメインとしたサイト)
IMPRESSIONS(本・映画・ライブなどの感想見聞録)
Earth Site(舞台芸術やロックが大好きというサイト バレエもフロイドも詳しい)
昨夜のバレエ 明夜のバレエ(バレエ鑑賞記のみのサイト)
KENの生悟り(プログレッシヴ・ロック)

美は見る者の目に宿る(菊地研中心のファン・サイト)
(「KENの生悟り」以外は、フロイドはそのページのみ)



ローラン・プテ公演直前インタビュー

 30年前の“ピンク・フロイド・バレエ”は異文化とのコラボレーションを実践したものの、観客は、プティのファンはバレエが目当て、フロイドのファンは演奏が目当てで、結局成功とは言えなかったようだ。今回はどうだろう。観客の心もコラボレートするといいが。
 これは想像だが、当時のフロイドはすでに『狂気』のプロトタイプに関わっており、そっちに関心が向いていたのではないだろうか。だから当時のコラボレーションの後半は、フロイド抜きで継続されていたのだろう。プティは、今回の「ピンク・フロイド・バレエ」に至るまでに、少なくとも1978年(初来日)と1997年(マルセイユ・バレエ創立25周年の水上イベント)にピンク・フロイドを取り上げている。今回プティは、フロイドの音楽とバレエの融合の一貫したテーマを「人間の本質を問うピンク・フロイドの音楽も、愛と死を表現する私のダンスも、美しい芸術となって見る者すべてにささげる」(http://asahi4.asahi.comより)と語る。
 ネットで記者会見のいくつかのニュースを見つけたが、フロイドについて最も詳しく触れたものは残念ながら、下記にある英語だった。なお、最後の部分の「テープからはずされてプレイ」の意味がよくわからない。(今井)


Daily Yomiuri Online記事から (抜粋/翻訳)

 この作品が初舞台を踏んで30年になる今日、ショックキングな前衛的バレエの観念はほとんどどこにもない。となると問題はこの作品が適切かどうかである。それについてのプティの答えは「イエス」である。
 先月末に開かれた記者会見で彼は「ここに私は月曜日に到着し、空港からリハーサル・スペースに直行した。稽古をしている50人以上のダンサーのコール・ド・バレエを見て、観客の一員として、彼らの集中力と完璧な動きのレベルを見て鳥肌が立った。一気に《ピンク・フロイド・バレエ》が素晴らしい作品であることを思い出したのだ」と言った。
 人々は、プティが作品の作り手として当然それに愛着を覚えるのだろう、と考えるだろう。しかし、名うての完全主義者プティは、彼のレパートリーとして無価値と思える作品を捨てるのに全く苦労しないことを認める。《ピンク・フロイド・バレエ》が、プティが何度も何度も演出し続ける数少ない作品のうちの一つであるという事実は、その適切さのあかしなのである。
 「私が再び日本で《ピンク・フロイド・バレエ》をするよう話を持ちかけられたとき、多分、あまりに時代遅れと思われるかもしれないと考えた。しかしこの作品は少しも時代遅れになっていなかった。理由を話そう。私はいっぱいいっぱいバレエ作品を作ったが、今もなお生き残っているものは、最も良い音楽とやったものなのだ」と彼は言う。
 プティは幼い娘にピンク・フロイドを紹介され、アルバムの中の1曲を聞くようにせがまれた。彼はバレエ・プロダクションを作るためにバンドと交渉しようとはるばるロンドンへ飛んだ、それほど感銘を与えられたのだった。実際のバンドがダンサーの後ろで演奏したときの最初の結果は、バレエ・パフォーマンスとロック・コンサートの長編2本立て映画のようだった。今回、あいにく音楽(「マネー」のような有名な曲やあまり有名でない「ヘイ・ユウ」までも含む)は、テープからはずされてプレイされる。

(Daily Yomiuri Online/2004年2月5日/http://www.yomiuri.co.jp/main/main-e.htmより 訳:今井)



[ローラン・プティバレエ団]
ローラン・プティバレエ団
1978年 初来日の資料


1978年のローラン・プティ初来日のリーフレット。
表紙にはピンク・フロイドの文字はないが、下記の評ではかなり注目された模様。


朝日新聞
コンサート評
左の写真を見ると、上のリーフレットの衣装と大きく異なることに気づく。チュチュ(ギャザーのスカート)は「白鳥の湖」のような古典的な曲に合うのかもしれない。このレオタードや男性の上半身裸は、下の写真でもわかるように、かつてフロイドと共演していたスタイルを継承したものかもしれない。
なおフロイドの曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」だけだから、時間的にはかなり短い。

(1978年2月の朝日新聞より)




ローラン・プティバレエ団
30年前のピンク・フロイドとの共演

1972年11月〜1973年2月

下記は1972年11月20日〜26日、マルセイユにて。曲は「ユージン、斧に気をつけろ」「エコーズ」「吹けよ風、呼べよ嵐」「雲の影」だけだから比較的短い。このプロジェクトのプランはローラン・プティが1969年頃から持っていた。きっかけはプティの娘がフロイドのレコードを聴いていたからだ。当時のピンク・フロイドは音楽という垣根を越え、新しい文化、特にいわゆるアングラとの関わりに積極的だった。プティとはその後1973年1月13〜14日、2月3〜4日にもパリのポルト・ド・ヴェルサイユで共演している。

訂正
上に1972年11月から1973年2月にかけてプティとの共演があったと記したが、1972年に7日間共演したのは事実だが、1973年は1月13〜14日、2月3〜4日の4日間のうち実際に共演したのは「2日だけ」とフランス語の本にある。英語の本には2月2日は含まれていないので、どちらかにミスがある。いずれフロイドの都合で前に録音されたテープを流したと思われるが、このテープを今回使用するのかもしれない

(写真は洋書「Le Livre Du Pink Floyd」Alain Dister, Jacques Leblanc & Udo Woehrle著/Albin Michel発行より)




最後の2枚の写真は、一瞬フロイドのメンバーも踊ったのかと見まがうが、メンバーも踊ったら演奏が鳴らなくなるから終った後だろう。まるで2002年のロジャー・ウォーターズのライヴのラストシーンのようである。



ユニークバレエシアター
「原子心母」

ローラン・プティに影響されたのか、日本にもバレエにピンク・フロイドを取り上げたユニークバレエシアターがあった。レパートリーは「春の祭典」「オテロ」「原子心母」「ピンクフロイドバリエーション」「ロメオとジュリエット」。1974年11月日27日〜12月1日、西武劇場。

●キャスト●
桜井みどり  河内山令子  財津 洋子  林文  明  新井 武宜  金森  勢  松原美智子
久保 光子  高松 豊治  西尾 直好  松岡すみれ  佐藤 恵子  岡本 敏明  中瀬古正己

ユニークバレエシアターのプログラム表紙


同上プログラムより「原子心母」


同上プログラムより「原子心母」



フランスの音楽雑誌『ロック・アンド・フォーク』誌によるインタヴューから (抜粋)
このインタヴューは1972年11月22日〜26日マルセイユにて行われたコンサートの“その後少し過ぎて”からのもの。

ロック・アンド・フォーク誌 (R&F)
貴方の観客と、ピンク・フロイドの観客とを同時に見て、いかがでしたか。
ローラン・プチ
新しい観客を目の前にするたびに、征服し、こちらを向かせなければならない。今回のことは、未経験のことでした。全くダンスを知らない連中を前にしたのですから。とにかく、すばらしいことには違いありませんでした。ピンク・フロイドを聴くために、本当に多くの人がやって来ました。ピンク・フロイドのおかげで超満員となりました。
R&F
これは偶然ですか。
ローラン
このバレーを企画して、すでに3年になります。ある日、娘がレコードを買って来ました。私も興味を持ち、それを耳にすることがありました。そうして、ピンク・フロイドに注目しました。そして会うことになったのです。
初め、バレーのためにオリジナルを作曲しなければと考えていたようですが、後に彼らの代表曲“エコーズ”と“ユージン、斧に気をつけろ”を演奏したいということになりました。
確かに、観客のすべてが、この新しいスタイルの芸術に好意的だったとは言えませんでした。
R&F
イギリスの雑誌で、君は、フランスの聴衆のことをかなり皮肉っているようだが。
ニック・メイスン
多少、考えが変わってきた。でも、とにかく、マルセイユの観客は、聴衆として素晴らしいとは言えない。(型にはまりすぎている)彼らは不思議だ。他の場所の聴衆と雰囲気が違うんだ。必ずしも悪いとは言えないが、すこく厳しいんだ。でも、興奮すると、曲の最中でも大声を出したりするんだ。だから、不思議だって言ったのさ。
R&F
最近は、ほとんどそんなことはしないと思うけれど。それより、マルセイユでは、聴衆は少し期待はずれだったようだけどどう思う?コンサートが短かすぎたんじゃないかな?
ニック
それは、そうかも知れない。でも、彼らは見に来たわけでもある。全く別の人々(ローラン・プチ)の作った芸術を理解する絶好の機会が与えられたと思えばいいじゃないか。

 ヴァリエの会場は、もともと小さな体育館で、音響も悪くはなかった。フロイドと観客の間には、かなりの距離があり、彼らのステージは、本舞台の奥に段差をつけて、一段と高く作られ、前面の低い部分がバレーのために確保されていた。何か、存在感がなかった。コンサートに要した時間は、わずか30分だった。その間、彼らの前、すなわち、彼らの足もとでは、ダンサーがかなりクラシックな撮り付けで動きまわっていた。プログラムには3曲が印刷されていた。結局2曲、"エコーズ"、"ユージン、斧に気をつけろ" が演奏された。演出として、ベンガル花火やプロジェクターを利用したカラフルな煙がふんだんに使われた。彼らのステージは、客の欲望を大いにそそった。それはちょうと、より多く興味を引くために、商人が商品の一部だけしか見せないようなものだった。公演は、トウールーズ、リヨンそして、パリへと続いた。

R&F
初め我々は、ピンク・フロイドをアングラ文化の一種と解釈した。
ロジャー・ウォーターズ
我々と、あらゆる文化、アングラ、あるいは、君たちが名付ける新しい文化との間には、少なからず互いに何らかの影響があって当然だ。それが、今日ではよりはっきりと強く影響を受けていると思う。だけど、実際には、「アングラ」って、何なのか、未だにちっともわからない。
R&F
デビュー当時、アングラの活動にずい分かかわっていたように思う。たとえば、ラウンドハウスのオープニングに出席したり。
ロジャー
ただ演奏できる場所にすぎなかった。そのことは、今日だって同じだ。
R&F
今でも、そこで演奏することがあるの?
ロジャー
いや、最近は。というのは、ぼくらの演奏にもっとぴったりのところが他にたくさんあるから。我々の演奏場所は変わっても、メンバーはいつも同じなんだ

(中略)

R&F
ヨーロッパの音楽を勉強したんでしょう?ということは、ピンク・フロイドの連中は、音楽的知識が豊富なわけだね。例えば、"太陽讃歌" には、オペラ的な要素を感じるのだけれと。
ロジャー
この曲のインスピレーションは、10世紀の中国の詩なんだ。
R&F
ステージでは?
ロジャー
ステージについては、今、いろいろと考えているところだ。今、したいことが山ほどある。ローラン・プチと一緒に仕事をしたわけだが、今我々は、他の表現形式を考えなければいけない時期に差し掛かっている。私は、我々が彼としたことは良かったと思っている。最高にファンタスティックだったとは言えないけれど、エネルギーが感じられたと思う。ホールで、観客が不満の叫び声を出した時は、本当に頭にきてしまった。でもよく考えると、我々にも行き届かない点があったようだ。前もって我々が何をしようとしているのか、観客に納得していてもらうべきだった。
R&F
ローラン・プチは、彼自身の演出で、観客の見たこともない形式で、観客を自分の方に引きつける術を知っている。たぶん、当日、君たちを聞きにきた人のほとんどは、それまで、バレーを見たことなとなかっただろう。
R&F
いつも同じスタイルでステージで演奏して、問題はないのか?
デイヴィッド・ギルモア
ごくわずかだが、即興している。そのように演奏する必要があると思うし、嫌いではない。そしてまた曲のスタイル、イメージを壊さないように、大切にしている。2、3年前のことだが、ステージで「今日は、普段のようには演奏しない」と、よく言ったものだった。いっさい、知られていない曲ばかり演奏した。聴衆のためではなく、自分達の喜びのためだった。我々にとっては、とても楽しいことだった。イギリスの聴衆は大目に見てくれた。でも今、それは難しいと思う。
ロジャー
初め、300人を前にして、実験的な演奏をすることは、難しいことではなかった。今日、広いホールで演奏するようになり、それが難しくなった。小さい劇場でコンサートを開きたいと願うようになった。大きな劇場では、即興演奏を効果的に行なうのはとても難しいことだ。
R&F
君は、トータルな意味で劇場のことを考えているの?たとえば、よく使われる香りのする蒸気のことなんかも?
ロジャー
ー度アメリカで試しているが、うまくいかなかった。今使っている煙はドライ・アイスを利用したものだ。香りをつけた時は、油を蒸発器に入れて作り出した。でも、これは、大きなホールでは絶対に出来ない。なぜなら、3mごとにこの装置が必要になってくるからだ。
R&F
ライト・ショーは?
ロジャー
映画の中で、我々の後方にプロジェクターで映像を作り出そうと考えている。


(「ピンク・フロイド」アレン・ディステ著/1980年12月15日発行/新興楽譜出版社より)



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