25
日本のファンに4人からメッセージを……
[column25]

「日本にしゃべりに来たんじゃない」


 素顔のメンバーたち、なんてタイトルを付けるのは気が進まない。そんなのは表向きの顔と本音の顔を使い分けている者に向けられる言葉だからだ。ピンク・フロイドはどうなのか。判断はお任せしよう……。

[1971]
来日特報 箱根アフロディーテのピンク・フロイド

 さて8月1日、12時15分に到着したピンク・フロイドは、翌日2日、ホテル・ニュ−・オ−タニ3階、たちばなの間で記者会見にのぞんだ。
Q:どうして、ピンク・フロイドというグループ名にしたんですか?
A:なんとなァーく、そうなった。
Q:貴方達のサウンドは、大変に複雑ですが、そのようなサウンドにする理由は?
A:別に、ただやってたらこうなっただけだョ。
 気ばって質問した記者さんにしてみると全く肩スカシをくわされたような答ばかり……。
Q:日本のファンに4人からメッセージを……。
A:日本にしゃべりに来たんじゃない。プレイしに来たんだからカンベンしてョ。
Q:貴方達の音楽とドラッグは密接な結び付きかあるということですが、その事に対しては?
A:日本じゃ、そのことについて余りしゃべるなって云われてるんですね。
Q:ソフト・マシーンやムーディー・ブルースについてどう思いますか?
A:ソフト・マシーンの連中はいい奴だョ。
Q:クラシックの演奏会に出演するそうですが、あなた方のようなロック・グループがオーケストラと共演するということについての気持ちは?
A:そんなこと別に意識しちゃいないョ。出てくれっていわれたから出るだけだもの……。
Q:持ってきた機械を日本で売っていくなどという話しがあるそうですが……。
A:全々ないね。
Q:日本公演のあとの主なスケジュールは? また8月末のワイト島のフェスティバルに出演しますか? もし出演なさらないとすれば、なぜですか?
A:この後シドニーへ行く。ワイト島? ああ出ないョ。どうしてだって? だってお呼びがかからなかったもの。

(『ミュージック・ライフ』1971年10月号)

 う〜ん、すばらしい。ピンク・フロイドの日本でのインタビューはすべてこのような雰囲気だというわけではない。なぜこれはこうなんだ? どうしてここではこういう態度なんだ? 初っぱなに何か恥知らずの質問をしたんじゃないの、「どちらがピンクさんかしら?」とか(笑)。
 なお、この来日時の写真で、ロジャー・ウォーターズが両腕を首から後ろに回してヘソを出し、他の3人もダラケたポーズを取っているものをよく見かけるが、たぶんこの上の記者会見での写真だと思う。インタビューも写真もともに「やれやれ、やってられねーナ」という気持ちがヒシヒシと伝わってくるね!
 記事にはなっていないが、最初の質問「日本の印象はいかが?」にウォーターズはテーブルをバン!と叩いて「Great!」と一言だけ叫んだそうな……。精一杯の社交辞令?

 さて、この4日後の8月6日はいよいよ箱根アフロディーテ。『ミュージック・ライフ(以下ML)』の記者はステージ裏に潜入した……。


[1971]

 ムムムッ! 最初に目についたのはニック・メイソン。記者会見の時と同じ服を着ている。ピンク・フロイドの面々は全員余りおしゃれじゃない。いつも似たりよったりの服装である。出演者のテントにドッカリと腰をかけ、丁度そこに置き忘れてあったML8月号をパラパラと見入っている。2人はすかさずニッコリと“あのォ、その本を持っている所を1枚取りたいんですけどネェ……。”2人とも、うるわしき女の子のはしくれ、いかに気難しいミュージシャンでも大抵は、こう云えば、その通りにしてくれる。所がキミ達、ニック・メイソンは例外だったのだヨ。いわく“本の宣伝はしないョ。”ポイとMLを机の上になげて、プイと席を立ってしまう。おのれェ……こやつ一体どうしてくれようと歯ぎしりしたものの案外それがイヤ味でなく、カッコいいのだ。
 マスコミにこびを売ったり、良く書いてもらおうとやたら愛想を振りまいたりしない所が、反対に気に入ってしまった。(負け惜しみではアリマセン!)

(『ミュージック・ライフ』1971年10月号)

 この出来事がたたってか、メイソンはその後『ML』のグラビアのキャプションに必ず「偏屈なニック・メイソン」と書かれることになる。かくしてメイソンに振られた東郷らはロジャー・ウォーターズとデイヴ・ギルモアにも接近するが、つい声を掛けられず、やっとリック・ライトのOKを得る。
 現在、4人の中で最も客観的かつ紳士的にフロイドを語るのはメイソンだろう(『Is There Anybody Out There?』の文章参照)。その彼が箱根では天下のMLにこういう無礼を働いていたわけだ。エラい!

 さて、素顔を拝むなら酒でも飲ませて、デコレーションケーキのような女が近付くのがいいさ。酒と女に囲まれたギルモアが思わず見せた素顔、それをMLは見事に報告してくれた……。

[1971]

 [……] このリック・ライト以外のピンク・フロイドの連中は,東京の夜にはかなり厳しいことを言ってましたけど,中でもデイヴ・ギルモアは「生まれた時から紅いバラも黒くみえる皮肉屋」で,ひねくれ者だそうで,一緒に酒宴をもった数時間の間中,彼はこんなことばかりしゃべっていたんですヨ。「ヨーコ・オノのナショナリスティックな日本はどこにあるんだい?ここにあるのは,ヒステリックなトーキョーだけ」,「コペンハーゲンで先月おかしな女に会ったんだ。ピンク・フロイトって言ったんだ,オレ達のこと。音楽がフロイト的だって……。結局,彼女は精神病院の看護婦だったんだ」,「トーキョーはプラスチックだけど,女の子は少しもエロチックじゃない。ブロンドに赤毛に長いつけまつ毛は,ロンドンで見捲きたのに……ここも同じ。ところで,君のつけまつ毛はバーゲン・セールで買ったの?」,「グルーピーか……パンパンだョ。グルーピーとミュージシャンは,平行線をたどる娼婦と客の関係さ。金銭的利害関係がないってだけで……」。少々,くたびれた私は言ったのです。「あなたってインテリぶったエセ・インテリじゃないの?建築学の博士号をもっているんなら,もっと物事を直線的にみてもいいじゃないの」「そう,エセ・インテリさ。で,君はエセ・ジャパーニズ」。見事にやられちまったわけです。
 [……] 再びデイヴ・ギルモアは言いました「ロンドンに帰ったらヨーコに言おうと思う。彼女は最初で最後のジャパニ−ズ・ウーマンだってネ。プラスチック・ウーマンとイミテーション人間しかトーキョーにはいなかったってネ」。「和製コンテンポラリー・グルーピーと音楽関係の仕事をしている女性しか知らなくて,なぜそんなことを言うの」と,私は反抗したのですけど,おのれを充分に知っているというギルモアどのは一歩も譲らず,最後に言ったのです。「自分は大学院に行かないで博士号をとった。正確な目をもっていたからサ。そして,この目に写ったトーキョーは,セルロイドとプラスチックのフレームに飾られた万華鏡なんだ。そして出会った人間もみなプラスチック……」。

(結城ちよ/『ミュージック・ライフ』1971年[月は不明])

 この結城ちよの記事はピンク・フロイドの来日レポートではなく、「ロック界のシークレット・ゾーン」というシリーズの一環で、来日ロッカーの夜の実態を暴露するというMLならではのものである。結城ちよどの曰く「モテたのにグルーピーを拒み続けたのはピンク・フロイド」と。つまり“うるわしき女の子のはしくれ”が迫ってもおカタい理屈を並べるヤボな連中、そんなところだろう。
 一方ギルモアは、きっと何が相手のカンに触るか見抜くんだろうね。ナショナリスティックとヒステリック、プラスチックとエロチック、皮肉でもちゃんと韻を踏むのはさすがだ。今やプラスチック“茶髪”ウーマン列島と化した日本を見たら何んて言うのだろうか。
 「そう、エセ・インテリさ。ところで君のつけまつ毛、バーゲンで買ったの?」という自嘲と皮肉はまるで「葉巻はいかが」のようだ。そうそう、このギルモアの発言を要約して若いアメリカの女性に話したら、「これがデイヴ? ロジャーのように聞こえるけど、間違いない?」と。確かに最近のギルモアからは想像できないかも知れない。ウォーターズだったら今でもこんな感じ?
 私は70年代にギルモアのファンの女の子にこのギルモアの言葉をコピーしては配ったものだが、「デイヴに好かれるようになりたい・」と言っていた中学生は今頃どうしているかな。

 さてここまで、初来日直後の極度のヘソ曲がりな応対ぶり(ヘソを出しながらの)と、メイソンのサービス精神ゼロの生意気な態度と、ギルモアの間髪をいれない皮肉の連発(カラミ上戸の気ありか)によって、メンバーたちが日本で見せた素顔を追跡してみた。コラム19の真摯な態度とはまるで別人のように見えるだろう。
 わかんない相手にくどくど説明しても無駄なあがきだが、わかる相手にはとことん話そう――これが彼らの精神である。つまりこれは対人関係のみならず、音楽を作る姿勢そのものではないだろうか。大衆受けしなくたって構わない、わかる奴は必ずいる、と。実は、このことを如実に物語るエピソードがある。ギルモアは今野雄二に一切の説明をしなかったのだ。

[1972]

 ぼくは去年の暮れから新年にかけてロンドンへ出かけてきたばかりであり、MR. FREEDOMのようなブティックや、ブーツ店を狂ったように回ったので、ファッション・モデルの経験があるというこのデイヴに、おしゃれの話題を向けてみた。
 デイヴの答では、ファッションの買物は殆どガール・フレンドにまかせきりだという。また、その時はいていた白い運動靴を指さして、これは去年の来日の際、熱海で買ったもので今年ももう一足同じものを買って帰りたいとも言った。どう見てもありきたりの運動靴なのであった。

(今野雄二/『ステレオ』1972年[月は不明])

 箱根のTシャツとか、72年の飛行機から降りる時とステージと記者会見の全く同じ服装を見れば、彼のファッションの価値観が一目瞭然に量れるというものだ。ギルモアのスニーカーは熱海ブランドだ。今野雄二もロンドンの次は熱海のブーツ店を狂ったように回るべきなのだ。
 2000年のギルモアのインタビューで、彼がファッション・モデルをやっていた件について尋ねた大バカモノ(日本人!)がいた。子供時代の立ちションを50男に向けて話題にするか?
 とかくそんなフロイドの態度が高慢とも傲慢とも叩かれるが、それが冒頭のナンセンスな質問をした側からの批判だったりするのだ。わかんない相手にくどくど説明するのが誠実なのか、それともそういう相手には“壁”を建てるかである。そう、『ザ・ウォール』とはそういう彼らの帰着すべきテーマだったのである。
 だから私は、ギルモアが『ザ・ウォール』のコンセプトに難色を示していたと聞き、「あんたほど尖っていたのに丸くなった人も珍しいんじゃないの?」って思ったね。なにしろ今野雄二は『ステレオ』誌のインタビューの初めにこう書いていたのだ。

[1972]

 ホテルのコーヒー・ハウスで待機するぼくたちの求めに応じて、部屋から出てきたのはデイヴ・ギルマーだった。よりによって、グループで一番の気むずかし屋がやって来たのである。

(今野雄二/『ステレオ』1972年[月は不明])


 なお今野雄二のこの時の会見記は『雲の影』のライナーに記されているが、リック・ライトが熱心に応対してくれてもニック・メイソンだけは「ディスコティックへ出かけても飲みもののオーダー以外には一切、口を開かなかったと伝えられるメイスンは、日本滞在中、終始無言のままだった」と、さも付き合いにくい人物のように(ML同様に)書かれているが、私のファンレターに唯一返信したのがメイスンだったことをここに告白し、世間の彼への偏見を消したい。
 ところで、お気付きの方も多いと存じますが、以上の引用された記事に誰か欠けていますね。私が意図的に彼の話題を抜粋しなかったのではなく、実際に当時の日本におけるインタビューに彼が登場しないのである。だから70年代初期の私は、ピンク・フロイドにとって彼は地味な存在だととんでもない勘違いをしてしまったのだ。その拍車をかけたのは渋谷陽一の次の文だった。「ロジャー・ウォーターズは非常に言葉数の少ない、そして話し始めても常にどもってしまうような青年らしい。」(『ロッキング・オン』1974年4月号)
 最後に、ファンの目から見たメンバーの素顔についての記述をまとめてみよう。下記はまだ一つしかないが、今後追加していきたい。素材は山ほど手元にあるが、山の中からキラッとした一文を探してみようか。

[1972]

 そういえば、あの時はやたらチューニングが長くてシビレを切らしてた多くの連中が手拍子を打ち鳴らして催促したわけだけど、何とデイヴさんはマイクの前につかつかと歩み出るや、「シ━━━ッ!」と一喝。みんな度肝を抜かれて口アングリ。これ程聴衆にコビを売らないグループにお目にかかったことがなかったもので、僕はそれだけで好きになってしまったんだけど――。

(加部鷹則/『PINK FAN 11』1977年12月発行)


●コラム19のインタビューの回答者がメンバーの誰か不明だったが、途中の「人間というのは創造的活動によって初めて満たされるんだと強く感じるんです」がロジャー・ウォーターズの発言だと今野雄二は『ステレオ』誌に書いている。●上に挙げた1971年8月2日のものは初来日直後、コラム19は1972年3月の帰国直前のものである。


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