コラム6:スタンリー・キューブリックとピンク・フロイド【サブテキスト】
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[synchronicity title]

「エコーズ」と『2001年宇宙の旅』のシンクロニシティ

[Jupiter and Beyond the Infinite]

 『2001年宇宙の旅』の最終章「木星と無限を超えて」は、それまでのHALとの交戦シーンから一転し、以降24分間セリフが一つもないという映画のクライマックスに突入する瞬間である。ここから「エコーズ」をスタートさせると、音楽(音と歌詞)と映画(映像と物語)がシンクロするという発見をした人がいて、世界的に静かなブームになっているという。

[Jupiter and Beyond the Infinite]

 ビデオを早送りして、サブタイトル「Jupiter and Beyond the Infinite」が現れると同時に「エコーズ」をスタートさせよう。最後は「エコーズ」が終わった瞬間に映画はクレジットが流れ出すから、その箇所の直前にビデオを止よう。極上のシンクロニシティが体験できる……。以下「!」印は劇的なシンクロニシティの瞬間。


[木星とモノリス]

 「木星と無限を超えて」で木星の衛星軌道上の暗い宙にモノリスが浮かぶ中で「エコーズ」の“ピーーン”が聞こえるとき、それがただのBGMとして聞こえるのではなく、あたかもモノリス自身がボウマンを誘導する言葉として響いてくる。人間が初めてモノリスの“声”を聞いたのは、映画の前半での月面での“キーーン”という信号だったことを思い浮かべるといいが、木星、太陽、モノリスが縦一列に並ぶとき、無機質なモノリスの言語がこの“ピーーン”なのだ。
 「エコーズ」はここでバンド4人のインストゥルメンタルが統合され最初の盛り上がりを聞かせるが、その瞬間映像は、反射した光が噴き上がるように輝きながら木星が上昇するのだ! このシンクロは見る者の鳥肌モノ。そして、「上空で静止するアホウドリ」とはディスカバリ−号であり、「この地をぬけ出るよう導く〜誰も〜誰も〜誰も…しない」の歌詞が、生命感のない異次元の空間になぜかヒトを導こうとするモノリスにシンクロする。



[スターゲート]
[Star Gate]

 ボーカルの始点は特にシンクロしない(後半も同様)のが残念だが、最初のボーカルの「sun...」の余韻とともに、あの劇的な間奏が始まるやいなや、スターゲートが開くシーンはゾクゾクっとさせられる。まさに「光に向かって登り始める」!
 スターゲートの隙間に吸い込まれるシーン(いわゆるサイケデリック・トリップ)で「エコーズ」はファンキーなジャムに入る。ボウマンの瞳が画面を覆いビッグバーンが現れるあたりは、ジェットコースターのような窒息しそうな圧力に耐えているように見えるが、「エコーズ」の荒々しい音も渦巻きに吸い込まれる感じである。
 すでにスターゲートを通り過ぎたかのように「エコーズ」もジャムは遠退き、リズムのない地獄のような空間をさまようシーンが続く。映像は砂漠や山の空中撮影を反転やソラリゼーション処理したものが延々と続くが、それはあたかも有史以前や地球創世の映像に見える。「エコーズ」でも虚空を舞うギターの絹を裂くようなうなりとレイブンの鳴き声は、惑星の誕生する原初のシーンをイメージさせる!

[Star Gate]


[ロココ風の室内〜スターチャイルド]

 映像は突然にルイ16世風の部屋に転換するが、「エコーズ」には大きな転換はない。徐々に光が見えてくるようなパート。だが「ピーーン」が聞こえるとき、なつかしい場所に戻ってきたというメッセージを伝える。徐々に演奏が盛り上がるところは、ボウマンが室内を静かに物色するシーンだが、調和しない。

[Star Gate]

 食事をするところで後半のボーカルが始まるが、「まぶしい朝の大使」という歌詞がボウマンの朝食という連想をさせ、これはおかしい。そして朝の大使が「壁の窓を通して」と歌詞にあるが、この不要に思われていた「壁」という単語がここではモノリスに相当するから不思議。ボーカルが終え、「エコーズ」の最も盛り上がるシーンに向かうわけだが、映像(老人のボウマンはベッドの上)は極めて静かな点がちぐはぐかも。だが、「エコーズ」の混声コーラスの上昇するSEが最初に現れる瞬間、現れたモノリスを仰視するシーンにシンクロしてゾクゾクする!
 「エコーズ」のフィナーレはスターチャイルドのシーンだ。本来の胎児は目を閉じているものだが、スターチャイルドは大きな目を開けていることから、歌詞の「誰もぼくの瞼(まぶた)を閉ざさない」に繋がるだろう。
 「エコーズ」の上昇するSEが消えた瞬間、映像はエンドクレジットが流れ出す(ビデオのモーターの速度誤差にもよるが、当方はたった3秒の誤差)。完璧な一致!

[Star Child]


[MEMO]

 「木星と無限を超えて」以降に使われた実際のサントラ(シュトラウス)は不気味で冷たく、不吉な予感を駆り立てたものだが、「エコーズ」に切り替えると冷たいけれど温かく、何かドラマが始まりそうな雰囲気にさせられる。

2001

 海外のウェブサイトにはピンク・フロイドのシンクロニシティに関する報告を載せているものが多いが、Steve Seitz氏もまた持論を披露している。ジャムの演奏部分と古代風の地形の空中撮影のシーンのシンクロを「音楽の浮遊感が、宙を浮揚して見下ろすことの意味を伝えるようだ」と書いている。鳥の叫び声を私はレイブンと称しているが、メーリングリストなどでは「アホウドリの声」とか「テロダクティル(有史以前の翼竜)の声」と言われたりするが、Seitz氏は古代風の地形とテロダクティルが調和すると言う。また老人はモノリスを指差して「空の彼方のあなたに呼びかける」のだと。Steve Seitz氏のサイトはここ

2001

 「エコーズ」のシンクロニシティ、実はこれらのブーム以前に私は「エコーズ」とスタニスラフ・グロフのBPM理論との符合を『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』に書いていた。出版社の作った著書のキャッチフレーズに「……にシンクロする」とあるが、シンクロニシティ=共時性とは時間的に一致することで、あのキャッチフレーズは正確ではなく、“符合”が正しい。しかしグロフがBPM理論を築いた時期とピンク・フロイドが「エコーズ」を制作した時期は一致するから、シンクロニシティとも言えなくもない。

2001

 「日経WeekEnd n@vi 1998-05-29号のMovie COLUMN」は、こういうシンクロニシティをドラッグカルチャーに関連させ、フロイドばかりがシンクロするのは「オジくさいねえ」と評した。しょせん下衆根性。日経WeekEndは「圧巻は,宇宙の果てでボーマンが年老いた自分自身と出会う場面。流れるのは『僕が君を見るとき,君は僕だ』という歌詞なのだ」と言うが、その歌詞は前半のものであって、年老いたボウマンのシーンには流れないのである。前者は主観の相違、後者は日経WeekEndのミス。

2001

 「エコーズ」と『2001年宇宙の旅』のシンクロニシティ、そのどこに意味があるのだろうか。意味性もシンクロするとしたら、私にとってスターチャイルドはコズミック・エンブリオとしてである。

[Star Child]

 最近得た話によると、キューブリックはA.C.クラークにJ.キャンベル著『千の顔を持つ英雄』を送っていたらしい。そうなれば私がコラム13で「フロイドを“キャンベル的”に読む」として論じたことが『2001年宇宙の旅』のベースにあったことを裏付けるものだ。キャンベルは神話の英雄の旅から「(日常からの)離脱→イニシェーション→帰還」という普遍的なパターンを見い出していた。このパターンがボウマンの軌跡を説明しうるし、「エコーズ」もしかり。人間の深層への旅が“シンクロ”するのは必然的なのだ。
 次の言葉は『2001年宇宙の旅』を“キャンベル的に読む”ことを肯定する。


もし『2001年宇宙の旅』が観る人の感情や潜在意識、神話へのあこがれを燃えたたせたなら、この映画は成功である。

(スタンリー・キューブリック:『キューブリックの世界と2001年宇宙の旅』/東宝株式会社事業部発行より)

 もしピンク・フロイドの音楽が聴く人の感情や潜在意識、神話へのあこがれを燃えたたせたなら?



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