[column] コラム 5
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ピンク・フロイドってどんな音楽? 夢に匹敵する音楽 「いれこ」とは?──二重三重の構造
霊界音楽と音楽療法 トランスパーソナル心理学〜ホロトロピック・セラピーに適性な音楽
胎内意識(胎児・出生前記憶)の書籍紹介
シャーマニズムとは

『エコーズ〜啓示 ザ・ベスト・オブ・ピンク・フロイド』ジャケットについて
『超人ピタゴラスの音楽魔術』の著者のウェブサイトへのリンク[]
ケン・ウィルバーの専門サイトへのリンク[]


※書評『音楽する精神─人はなぜ音楽を聴くのか?』はコラム18として独立させました。
 
【フロイド入門編】
[ピンク・フロイドってどんな音楽?─「いれこ」とは?]

●夢に匹敵する音楽
 ピンク・フロイドってどんな音楽? 「ロックだ」と答えたらテレビなどからの先入観(ロックへの通俗的な認識は“乗っているかい?イェイ!”的なもの)からひどく誤解され、それを解くために膨大なエネルギーを要求されてしまった。クリスチャンには「宗教だ」と答えたら「悪霊が漂う音楽だ」と言われてしまった。『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』の出版に際して、ピンク・フロイドさえ知らない方々に説明しなければならない機会を持った。
 ピンク・フロイドはいわば「既成のカテゴリーに属さない音楽を作ろう」として結成されたものと予想でき、便宜上与えられたプログレッシブ・ロックというカテゴリーは、“既成のカテゴリーに属さない、ロックとも言いにくい”音楽が台頭した70年代初期に設けられたものである。したがって後のプログレッシブ・ロック指向のバンドとは姿勢が大きく異なることになる。

 ピンク・フロイドってどんな音楽? 聞いてもらうしかないが、やはりここではその説明に努めよう。最も似たものを挙げるならそれは“夢”だと思う。聞いていて時の経つのを忘れたり宙に漂う感じ、恐い音楽、演奏者が見えず音がイメージを喚起する形作っている感じ、呪文の音楽化……。これら“夢”と一致する。ドラッグ体験を挙げる人も多いが、経験のない私はパスせざるをえない。
 広辞苑を開くと、


ゆめ【夢】(1)睡眠中にもつ非現実的な錯覚または幻覚。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。(2)はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。(3)空想的な願望。心のまよい。迷夢。(4)将来実現したい願い。理想。

 この説明には納得しがたい。つまり夢は現実的でない“妄想”であって、本人との関連はなく非生産的であるといわんばかりの説明である。ピンク・フロイドを現実逃避と評する視点と近い。心理学はこれに異議を唱える。夢はそれを見る当人の無意識の現われであり、夢は自らを治療すると。心理学の辞典によると……


 夢は夢想と同様に意識の特別な状態である。夢を通じて精神的世界(神聖なもの、内的なもの、無意識なもの)が現れる。つまり夢や夢想の中で個人の意識は、普段見過ごしている次元の現実から送られる象徴的信号を受け入れる。多くの文化で夢は予言や治療の道具として使われる。夢想はグループ全体に情報を与え導くための文化的なガイドラインに従って解釈される。
(『元型と象徴の辞典』青土社より)

 この深層心理学的説明の“夢”の単語を“ピンク・フロイド”に置換すると……。
 ピンク・フロイドは夢と同様に意識の特別な状態である。その音楽を通じて精神的世界(神聖なもの、内的なもの、無意識なもの)が現れる。つまりその音楽の中で個人の意識は、普段見過ごしている次元の現実から送られる象徴的信号を受け入れる。ピンク・フロイドはオーディエンス全体に情報を与え導くための文化的なガイドラインに従って解釈される。『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』がその最初のガイドラインとなった。……おっとっと。


 夢内容(顕在内容)と夢思想(潜在内容)とを比べてみて、まず第一に気付くのは、そこに大がかりな“圧縮の作業”がおこなわれているということである。夢の顕在内容は、中身の充実した豊富な夢思想と比べてみると簡素で貧弱で寡黙である。夢そのものは紙に書いてみれば半ページで済んでも、夢思想を含む分析はその六倍、八倍、一二倍ものページを必要とする。
(フロイト『夢判断』より)

 フロイトは夢の作業のプロセスとして「圧縮」「移動」「象徴」「矛盾」の4つをあげているが、このうち「圧縮」と「象徴」はまさにピンク・フロイドの音楽が夢の顕在内容に匹敵すると思わせるのだ。『アニマルズ』にしても『ザ・ウォール』にしても、昨夜見た悪夢から……というサブタイトルが付きそうでもあり、『ヒッチハイクの賛否両論』も実際に昨夜(4:30 AM〜5:11 AM)見た夢だったのである。

●「いれこ」とは? 二重三重の構造
 夢とフロイドの「圧縮」は、「圧縮されたもの:解凍されたもの」というように一次元的なものではない。だからこそ夢思想は数倍に引き伸ばされるのである。そしてそれは「いれこ *」に例えることができる。
 ピンク・フロイドには“二重三重”の要素があることは多くの人が指摘するところだが、これは正しい。歌詞やタイトルがダブルミーニングを持つことが挙げられるが、実はそればかりでなく、ジャケットデザインも音楽そのものもダブルミーニング、あるいは多くを喚起させる。難解と評される由縁であろう。
[ummagumma]  そして、ダブルミーニング(二重の意味性)ばかりでなく、二重、三重、四重……という意識内の立体感こそがピンク・フロイドが神秘的であると言われる由縁であり、“二重三重”とはすなわち「いれこ」にほかならない。そして『ウマグマ』のジャケット(左写真)の構図はまさにフロイドが自らを“二重三重”構造をなすことを示唆したデザインになっており、それは、彼らがこのことを1969年に自覚していたことの証言となろうか。



*【いれこ/nest】の辞書的意味
[ummagumma]
  • いれこ【入れ子・入籠】
    箱などを、大きなものから小さなものへ順次に重ねて組み入れたもの/内部に伏在する事情
  • いれこことば【入子詞】・いれことば【入れ詞】
    言葉の一音ごとに他の一音をはさみ加えて、特定の人だけに意味の通ずるようにしたもの(一種の隠語法)/いれことば/はさみことば
  • いれこむ【入れ込む・入れ籠む】
    おし詰めて入れる/あれやこれや多く入れる
  • ネスト【nest】
    〈動詞〉巣を作る/巣ごもる/ぴったり重なる/入れ子になる/(箱などを)入れ子にする
  • ネステッド【nested】
    〈形容詞〉入れ子になった


* 関連・類似用語
  • テレスコープ【telescope】
    〈名詞〉望遠鏡/双眼鏡 〈動詞〉はまり込む/自在に伸縮する/短縮する
  • テレスコピック【telescopic】
    〈形容詞〉望遠鏡の〜/(遠くて)肉眼では見えない〜/入れ子式の〜
  • 中国の箱【Chinese boxes】
    〈名詞〉入れ子/小さい箱から順に大きい箱の中に入れられるひと組の箱
  • フラクタル【fractal】
    〈形容詞〉どんなに微小な部分をとっても全体に相似している(自己相似)ような図形/海岸線などの似的なフラクタル曲線
  • ネスティング【nesting】
    〈動詞〉インターネットのHTML用語。タグを入れ子状に重ねて使うこと。

 

 インターネットのURLの順番やフォルダの中のフォルダはこの入れ子になっているが、コンピュータとはそもそも人間の記憶装置を模写した電子頭脳なので、当然といえば当然である。潜在意識ならぬ潜在ファイルが埋もれているならば、それは消えずに残るだろう。

 より詳細は本書の今井壮之助著「ホログラフィ」114〜136頁に譲る。

『幻燈の中の迷宮』第三章「自我の二元論『ザ・ウォール』」で、トランスパーソナル心理学2大巨頭のもう一人、ケン・ウィルバーの『無境界』を紹介したが、入れ子がトランスパーソナル的であると示唆してくれたのもウィルバーである。ウィルバーの著作の装丁がフロイド・ワールドであるという発見をしたので、コラム20に紹介した。またウィルバーを紹介する専門サイト「Idea of Ken Wilber」もある。


 追記[2003年8月]
『エコーズ〜啓示 ザ・ベスト・オブ・ピンク・フロイド』ジャケットについて
[エコーズ〜啓示 ザ・ベスト・オブ・ピンク・フロイド]

 2001年にリリースされた『エコーズ〜啓示 ザ・ベスト・オブ・ピンク・フロイド』のジャケットは“二重三重の構造”の見事な入れ子である。メディアやネットのレビューを見ても、私の周辺以外からは入れ子という言葉でジャケットの意味を語ったものをついに見かけなかったが、ピンク・フロイドの特異性を語るに入れ子の概念は必須であろう。
 ソーガソンは語る。「(略)だがそれよりもバンドは遠ざかる窓――無限の後退のように、あるものの中の別のもの、層の中の層、形の中の形、繰り返し繰り返し…――という案を選んだ」(http://www.pinkfloyd.co.ukより)。まさに“いれこに響くピンク・フロイド”である。
 また、2000年リリースの『ザ・ウォール ライヴ』のジャケットはソーガソンの手によるものだが、ジェラルド・スカーフは“マトリョーシカ”のようなものを候補に考えていたという。マトリョーシカとは有名なロシアの入れ子式の人形で、100年前に箱根のお土産をヒントに作られたもの。スカーフのアニメで、生徒を操り人形にする教師を操り人形にしている太った妻というものがあったが(ロジャー・ウォーターズの日本公演のスクリーンでも映された)、あれも入れ子構造を意識していると思う。

●マトリョーシカ、箱根のお土産、教師の操り人形などの画像はすべてスペクトロスコープに載せた。


 
[霊界音楽と音楽療法]

●トランスパーソナル心理学〜ホロトロピック・セラピーに適性な音楽
 トランスパーソナル心理学のセラピーは、個人的な深層意識へのアクセスをもたらすものである。スタニスラフ・グロフ博士は、その方法として初期(60年代)にはLSDを触媒として活用したサイケデリック・セラピーを実践したが、LSD等のドラッグ・向精神性物質が禁止されてからはホロトロピック・セラピーを開発しそれに転向させた。ホロトロピック・セラピーは、ブリージング(深くて速い呼吸)、ボディワークなど様々技法が試みられているが、それによってドラッグ摂取時と同じ体験を誘発させることが可能となり、そこで重要なのが「音楽」の潜在的活用である。グロフは幾多のセラピーを重ね、これに適性な音楽を経験から次のように割り出した。


 音楽を深い自己探究や体験的ワークの解媒として用いるためには、われわれの文化にはない音楽の聞き方や、そういった音楽との関係のもち方を習得する必要がある。西洋では、音楽を、たとえば、カクテル・パーティーでのポピュラー音楽や、ショッピング空間や仕事の空間での有線放送の音楽など、自分とはあまり関係のないバッググラウンド・ミュージックとしてよく用いる。より洗練された聴衆に特徴的なアプローチは、伝統的なコンサート会場の雰囲気を支配する規律正しい知的なスタイルである。ロック・コンサートで見られるダイナミックで初源的な音楽の使用法は、ホロトロピック・セラピーにおける音楽の使用法に近いが、それは外向的であり、一つの重要な要素──集中的内省の維持──が欠けている。
(スタニスラフ・グロフ著『自己発見の冒険1』春秋社より)

 この適性な音楽は、リラックスを促すためのBGMという意味でなく、無意識へのアクセスにいわば主役的な必須のツールにもなっているのである。この“セラピー音楽”にはとかく、昨今のいわゆるヒーリング・ミュージック、また胎教音楽というものをイメージするが、グロフはそういった上品な透明感のあるものをむしろ否定している。さらにグロフのあげる適性な要素を羅列してみよう。

  1. セラピーでは音楽の流れに身を任せ、全身で反応しなくてはならない。大声で叫んだり全身を震わせたり官能的に腰を揺らすことを許される──ロック・コンサートのように。咳ばらいさえ顰蹙をかう知的で上品なクラシックはまず適性に欠く。

  2. 野性的・シャーマニスティックなドラミングは深くて速い呼吸に適性があるため、ロックも好ましいが、外向的なハードロックは適さない。内向的なダイナミズム、宇宙的なもの、官能的でエロチックなもの。

  3. 演奏される音楽の背景をイメージさせないもの──すなわち“匿名性”音楽である。聴いて思わずボーカリストの顔を思い浮かぶとシラケるのだ。そして演奏水準や録音技術に関心を向けてはならず、楽典的理論で聴いてはならない。

  4. 自然の音の録音(鳥の声、波音、蜂の羽音、コオロギの鳴き声など)も効果的である。

  5. 具体的テーマ・内容を持たないもの、歌詞はあっても少なくメッセージのない暗示的な(外国語やスキャットのように人間の声が“音”として感じられる)もの。

 ……言っておくが、ここで私は『狂気』以前のピンク・フロイドの特徴を説明しているのではない。

 そして、ホロトロピック・セラピーにおいては、ここにあげたそれぞれの要素をもった音楽を単に流しているだけではない。体験者の喚起を助けるのが音楽であり、状況に即応して選曲されるものである。最初は開放的で流れるような選曲がされ、やがて盛り上がって躍動・熱狂的なものにされ、後半は鎮静化に応じて瞑想的な選曲がされる。……言うまでもなく、これを一つの曲にコンパクト・ディスクさせると、ピンク・フロイドの「エコーズ」のようになるだろう。
 ホロトロピック・セラピーに適性な音楽とは、トランスパーソナルな意識へ導くのに効果的な音楽と言ってもいいだろう。グロフは精神療法のテクニックとして語るが、霊的な音楽、霊界音楽と言い替えた音楽論としても成立するだろう。

 “セラピー音楽”としてグロフは具体的な曲名をたくさん(現代音楽とプログレッシブロックと民族音楽など)あげているが、詳細はグロフ著『自己発見の冒険1』(春秋社)に譲る。だがそこにピンク・フロイドの名は、ない。なお、トランスパーソナル心理学〜ホロトロピック・セラピーとピンク・フロイドを関連させて論じたのは今井壮之助が最初である。より詳細は本書の今井壮之助著「未生譚」・「ホログラフィ」94〜136頁に譲る。

●霊界の音楽
 古代の霊的な儀式においても「音楽」は重要な存在だったという。アリストテレス、ソクラテス、プラトン、ピタゴラス、デカルト、ヘーゲル、ニーチェといった哲学者は音楽の持つ神秘性に言及している。カタブツの数学・哲学者が音楽を解したのは意外!と言ってはならない。音楽が軽視されるのはごく最近である。フロイト、ユング、ブルトンらが音楽を軽視したのが原因だ(というのが私の独断である。フロイトはことに音楽が嫌いだったらしい)。
 私はニック・メイスンの「統領のガーデン・パーティー」が古代の儀式(パーティー)を模写したものだと予感しているが、原題の「The Grand Vizier's Garden Party」を解読できないでいる。

 哲学者の音楽観は『音楽療法最前線・増補版』(小松明・佐々木久夫編/人間と歴史社)に詳細である。


 ニーチェ(Nietzsche, F.)は,われわれは芸術を鑑賞することをとおして,恐怖を感ずるようなものも含めて世界を理解することができることを十分承知していた。ニーチェは芸術がもつ対極的な側面の相互関係に気付いており,音楽にみられる苦痛や悲劇的な局面でさえも人生を肯定するものになりうると考えていた。(中略)
 音楽はわれわれに,自己の人生が生きる価値があることを発見させる。おそらく人は現代ほど音楽を必要としたことはかつてなかったであろう。シュトックハウゼン(Stockhausen, K.)はつぎのような見解を示している。
 「音楽は人間のもっとも奥深くまで到達し,どんなにかすかな心の揺れまでもひき起こす。現在われわれが生きている中央ヨーロッパの文化は,過去のどの時期にもまして音楽を感じることを必要としている。しかしその真の重要性に気づくのは 何世紀もあとであり,そこでようやく『科学信仰』の危機が消滅するだろう。そして人間がもつあらゆる音楽的要素,すなわち人間の内にあるあらゆるリズムの共鳴や音楽から得る調和感は,文化全体に影響を与えるだろう。」(K. Stockhausen, Towards a Cosmic Music: Element Books)
(レスリー・バント著『音楽療法──ことばを超えた対話』ミネルヴァ書房より/傍線今井)

 何世紀もあとどころか、ほら、そこにもうピンク・フロイドがそれをのこしている。気づくのは今しかあるまい。
 とにかく、義務教育のクラシック音楽至上主義は根強い弊害を秘めるようだ。霊界の音は楽譜として採譜できない、いやもっと具体的に言えばノイズは西洋音楽の要素から排除されたものだ。


(霊界の音楽、魂を浄化する音は──注釈今井)あいにく、報告や資料が見当たらないので何ともいえないが、おそらく打楽器を中心としたリズムの強調された音楽だと思われる。場合によっては音楽にまで発展せず、単なる雑音のようなものかもしれない。たとえば雷のようなゴロゴロした音や、地響きのような低い音の連打ではないかと思われる。
 日本映画などで、幽霊が出るシーンになると「ヒュー、ドロドロドロドロ」と、音程のはずれた笛と太鼓の連打の気味悪い音が入る。ちょうど、あんな感じなのかもしれない。
 リズムには、それも比較的低い音域で刻まれるリズムには、人間の本能的な欲望を刺激する効果がある。この階層(魂を浄化する低辺の層──注釈今井)では、そうしたリズムにあおられて、本能的な感情を浄化させられるのであろう。
(斎藤啓一著『超人ピタゴラスの音楽魔術』学研より)

 音楽というより、むしろノイズ主体の怪談の音響効果「ひゅ〜、どろどろ……」──ははぁ、まさにデヴィッド・ギルモアのギターではないか。
 20年前私は、演歌以外の音楽が存在するとは思っていそうにない人物に「原子心母」を聴かせた。聴き終って「怪談の効果音のようだ」と言われたことを未だに忘れられない。なるほど、意表を突いた感想だが、ロックサイドからは出ない発想だ。ロックサイドからはとかく、フィードバックうんぬんエフェクトうんぬんの(私にしてみれば陳腐な)言葉しか出ないからだ。
 怪談の音響効果マンが現代のテクノロジーを得たならば、ピンク・フロイドが『おせっかい』までにやっていた音になるのではないか。怪談はいまや娯楽以外の何者でもないが、ひょっとしてルーツはむしろ霊的な訓話、死者との対話を意図したものだったかも知れない。


■上に引用した斎藤啓一著『超人ピタゴラスの音楽魔術』が、著者の手によって全文(?)ネットで閲覧できる。

超人ピタゴラスの音楽魔術 HPのための復刻版

 一般にピンク・フロイドの音楽について、現実と非現実の境界を感じさせるというような形容はままある。しかし、それをより深く追究したものにはめったにお目にかからない。『超人ピタゴラスの音楽魔術』は音楽全般のそういうものを徹底して考察した書で、ピンク・フロイドのファンもそこにフロイド・ミュージックと通じるものを見い出すだろう。だが、斎藤啓一氏もコラム18(書評)のアンソニー・ストーも、なぜにクラシック音楽中心で、霊的音楽というその主旨にぴったりなピンク・フロイド(あるいはプログレッシヴ・ロック)の存在に気づかないのであろうか。霊的音楽とはサイケデリック・ミュージックなのに……。
 なお上にも書いたように、ピタゴラスの定理で知られるピタゴラスは数学者というより哲学・神学・天文学者で、霊的音楽研究の元祖である。



●音楽療法

 『夜明けの口笛吹き』に「Take Up Thy Stethoscope and Walk」という曲があり、つい1994年までは「恋の聴診器」という邦題で呼ばれていたが、再発に伴い「神経衰弱」という邦題に変更された。「恋の聴診器」というナサケない邦題が根拠なくつけられるという状況が60年代にあったことを物語る。だが「神経衰弱」という訳も的確に伝えていない。「汝の聴診器を手に取れ、そして歩め」といったところだが、中で繰り返される“どった、どった……”という奇妙な叫びは「ドクター、ドクター」であり、この精神科医は「ファイナル・カット」のビデオと「死滅遊戯」に再び現われたりもする。「神経衰弱〜Take Up Thy Stethoscope and Walk」で歌われている歌詞は音楽療法のことで、私はこれをピンク・フロイドの音楽療法宣言とみなしている。

 かつては「胎教音楽」、昨今は「音楽療法(癒し/ヒーリング)」という言葉が聞かれるが、いずれもリズム感の乏しい透明で上品な(アポロン型)音楽を指す場合が多い。とんでもない話である。胎児は天国で天使のような顔ですやすやと眠ってはいない。光と闇の区別も知らない海で母体と闘っているのである。シャーマニズムは自我の一時的破壊は免れない。音楽療法は“どった、どった……”と狂騒(ディオニソス型)の中で行われなくてはならない。

 レスリー・バント著『音楽療法──ことばを超えた対話』は、偶然にも『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』の類書のごとくだった。


[オルフェウス 理性的なシャーマン]

 本章のはじめに,2人のギりシア神話の主人公,ディオニュソスとアポロンが登場した。そして最後に,本章および本書全体をとおして強調してきた多くの相対する逆説の統合を完成させるためにオルフェウス伝説をとり上げたい。ここに,かつてはディオニュソス派の擁護者でもあったアポロンの名義上の息子がいる。ここでわれわれは形式的抑制の中に自由な表現エネルギー,つまり2つの神性要素の統合を見る。神聖と世俗,合理と非合理の融合である。メラーズ(Mellers,W.)は,著書『オルフェウスの仮面』の中で,シェ―クスピアの歌を引用する。われわれは,シャーマンであり治癒者であるオルフェウスが歌をうたったり技を駆使して野獣を自由自在に操り,影を追い払う(内面的な影を含む)情景を思い描く。オルフェウスは,重力を打ち消し時間を圧縮し,死そのものを否定することによって神に挑むことさえおこなった。オルフェウスは,理性的なアポロンの客観的要求と,ディオニュソスの主観的ですべてを包み込むような熱情とを均衡化しようと奮闘する。
(レスリー・バント著『音楽療法──ことばを超えた対話』ミネルヴァ書房より)

 より詳細は本書の今井壮之助著「時空への舞踏」146〜150頁、高橋伸一著「オルフェウス」「シャーマン」232〜280頁に譲る。なお高橋氏は、第1章の「オルフェウス」に関しては『死滅遊戯』リリース以前に完成させていた。この事実が第2章の「シャーマン」において重要な鍵、そして感動となる。


 
[胎内意識(胎児・出生前記憶)の書籍紹介]


人間は母の胎内にいるとき一切を知り、誕生とともに一切を忘れる
──ユダヤの諺より


R・D・レインはその著『生の事実』で、近年多くの人たちが誕生前や出生前の経験について語るのを聞くと報告しながら、「神話、伝説、物語、夢、空想、行為は、われわれの子宮経験の強い反響を含んでいるかもしれない」と言っている。ベケットの作品の場合、まったく意識的に「反響を含」ませたものである。
──真名井拓美『ベケットの解読』より

 『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』の今井壮之助著のなかで、この胎内意識について50余ページ書きましたが、これは私が1971年に「エコーズ」を聴いて実際に胎内回帰した経験を展開したものです。期せずして胎内意識の書物が各分野(医学、心理学、文学など)でこの10年続々と刊行されています。興味をもたれた方のためにそれらの一部を紹介しましょう。ご存じ、音楽分野からは唯一『ピンク・フロイド 幻燈の中の迷宮』があります。


『胎児の世界──人類の生命記憶』 三木成夫著/中公新書/1983年(720円)
 三木成夫博士は解剖学の科学者である。彼は人間や動物の胎児を解剖しながら、その“物質”の形態を比較しながら胎児のメッセージを読み取る。胎児が見ている夢は、遠く遺伝子によって運ばれてきた生命進化の記憶(生命記憶は彼の造語)であると。そして解剖学の専門書であるはずのこの著書は「卵巣とは全体が一個の『生きた惑星』ではないか」というように科学書を脱線するから面白い。そして詩的である。引用しよう。


 母なる海

 胎児は十月十日(トツキトオカ)の間、母親のお腹のなかでいったい何を聞いて過ごしてきたのであろうか。それは、絶え間なく響く母親の血潮のざわめき、潮騒である。子宮の壁をザーザーと打つ大動脈の搏動音、小川のせせらぎのような大静脈の摩擦音、そしてそれらのかなたに高らかに鳴り響く心臓の鼓動。それは何か宇宙空間の遠いかなたに消えていくような深い響だ。銀河星雲の渦巻きを銅鑼にして悠然と打ち鳴らすような……。これが「いのちの波」の象徴なのか。生の搏動のこれが根原というものか。
(『胎児の世界──人類の生命記憶』中公新書より)

『ベケットの解読』 真名井拓美著/審美社/1986年(2,000円)
 作家サミュエル・ベケットの40歳以降の小説作品のほとんどが胎内意識に基づくものだ──そう感知した作家真名井拓美は、そのことをベケットに告げた。そしてベケットはそれを認めたのである。ベケットの作品には胎内記憶と明記したものはない。だが所々にそれを反映させた記述を見い出し、はては胎内記憶を持つ者だけが知りうる描写を発見したという。
 例えば、ベケットの小説『事の次第』は「出生時のうちでも、胎児の頭が子宮から産道に入った後の時点から出生直前までの思考ないし意識の流れが、細大洩らさず記述された文学作品である」と実に克明である。また、『名づけられぬもの』の「絹猿のようにキーキー」「キイキイ金切声」という記述には、外界の大音量が子宮の中に激烈に轟き、その肉体的苦痛に耐え凌いだ胎児記憶を想起させられると真名井氏は言う。絹猿が何かは知らないが、猿の喧嘩の金切声のような、絹を裂くようなキーキーとしたかん高く鋭い音のことか。キーキーキーキーと、遠くから……。

『胎児たちの密儀』 真名井拓美著/審美社/1992年(2,800円)
『胎児の記憶』 真名井拓美著/三一書房/1995年(2,100円)
 前者の書は『ベケットの解読』の続編で、ベケット以外の作家の出生前記憶をあばく。三島由紀夫の『金閣寺』『仮面の告白』、S・グロフ、また作者の無意識なものとして安部公房、シェクスピア、北杜夫、芥川龍之介など。後者の書は川端康成、安部公房、エドガー・A・ポーに胎児体験を見い出す。

『脳を超えて』 スタニスラフ・グロフ著/春秋社/1988年(4,326円)
[深層からの回帰] 『深層からの回帰』 スタニスラフ・グロフ、ハル・ジーナ・ベネット共著/青土社/1994年
 グロフ博士は臨床精神科医およびトランスパーソナル心理学の第一人者。前者の書は600頁を超える臨床の専門書だが、後者は一般向け。胎内記憶の百科辞典だ。

『誕生を記憶する子どもたち』 チェンバレン著/春秋社(2,400円)

『子宮の記憶はよみがえる』 ロイ・リッジウェイ著/めるくまーる(2,266円)
 S・グロフの研究を継承したもので、ともに母親・妊婦の立場からの考察。書店では出産コーナーに。

『誕生の記憶』 春秋社編集室編/春秋社/1992年(1,800円)
 誕生を記憶する子供へのアンケート、片山陽子・真名井拓美・菅靖彦・白岩紘子・井深大・立花隆・吉福伸逸らへの取材など。

『輪廻する赤ちゃん──誕生の神秘』 平野勝巳著/人文書院/1996年(1,854円)
 これは著者が胎児の記憶を持つものでなく、客観的なルポルタージュである。三木成夫、真名井拓美、グロフなどの紹介とともに、心理療法、フォーカシング、催眠セラピーなどの最新の現場、また“輪廻転生”をキーワードに平田篤胤、プラトン、シュタイナーなどの思想にまで及ぶ人間の生命の神秘を追跡する。

『イマーゴ』1992 Vol.3-10 特集=子宮感覚 青土社/1994年(980円)
『イマーゴ』1993 Vol.4-7 特集=トランスパーソナル心理学 青土社/1994年(980円)
 心理学の専門雑誌。それぞれ胎児記憶を含むが、前者は子宮・性器全般、後者は変性意識全般。前者の滝本誠による子宮映像論は胎内意識の映画版で、読み応えがある。『ブルー・ベルベット』『バットマン リターンズ』『アルタード・ステイツ』『2001年宇宙の旅』『エイリアン』『愛人──ラマン』『ストーカー』などの子宮感覚を読み取る。


※ピンク・フロイドの「エコーズ」と胎内意識を関連させたのは(たぶん世界初の)今井壮之助のオリジナルである。だが奇しくも、フロイドによって書かれ公式アルバムから堕ちた曲に「Embryo」がある。"embryo" とは胎児のことだ。これをコラム9に解説したからご覧いただきたい。


 
[シャーマニズムとは]

 シャーマンとは広い意味では、コントロールされた別の意識(変性意識状態/ASC)に入ることのできる特殊能力者・実践者である。より正確には、この意識を「エクスタシー」に限定する。エクスタシーとは「人間が神と合一した忘我の神秘的状態」(広辞苑)というよりも「人間が自己あるいは通常の状態から放り出され、強烈ないし高揚した状態に入る感覚」(ランダムハウス辞典)であり、シャーマニズムとはそのための“技術”である。


 シャーマン的エクスタシーに独特に見られる特徴は、「魂の飛行(soul flight)」、「異界への旅(journeying)」、「体外離脱体験(out-of-body experrience)」などの体験である。つまりシャーマンは、エクスタシー状態のなかで、自分自身や霊魂が宇宙を飛び回り、異界やこの世の果てへ旅をするのである。
──ロジャー・ウォルシュ『シャーマニズムの精神人類学』春秋社より


 君も時々は違う人間になりたいと思わないかい。人間じゃなくていい。たとえば鳥とかに。でも鳥になるのは不可能だ。だから鳥になったような錯覚を起こさせて、一時的に現実逃避を図る――それをドラッグじゃなくて音楽でやるのがサイケデリック・ミュージックなのさ。
──ロジャー・ウォーターズ


 シャーマンはトランス状態に習熟し、その状態においては、魂が肉体を離れ、天空へと舞い上がったり、地下世界へ下降するとされている。
──ミルチャ・エリアーデ『シャーマニズム』冬樹社より

 別の意識に入ることは夢を見ることも酒に酔うことも含まれる。そして他人の夢をコントロールできる者をシャーマンという。ロックバンドはシャーマンに近いが、ロックの“ノリ”を無視したようなビデオ『ライブ・アット・ポンペイ』のなかで、古代コロセウム遺跡でヒステリックに叫び、チャネラーのように呪文を唱え、巫女のようにシンバルを震わせ、儀式のように銅鑼を叩くロジャー・ウォーターズを見たなら、誰の目に彼らがロックンローラーとして映るものか。


 シャーマニズムは、あたかも古代の遺産のような印象もあるが、永い人類の歴史において、その効力と機能性および方法論を失ったのは「唯一現代の産業社会」とスタニスラフ・グロフは指摘する(『イマーゴ』1993年7月号/青土社)。科学的近代合理主義はシャーマニズムを切り捨てた上に存在するのだ。夢を見ることも酒に酔うこともできないコンピュータがいくら栄えても、ヒトを物質とみなす合理主義は人間を苦しめ続けることだろう。
 ピンク・フロイドとは現代の科学技術をだれよりも積極的に採りながら、シャーマニズムの精神を原点のまま押し進めることに成功した、類まれな存在ではないだろうか。

 下記に、より普遍的なシャーマニズムの解説を引用する。この解説に「自我の再組織化」という語があるが、この自我の更新(刷新)は、あたかも自我が打ち砕かれる「ユージン、斧に気をつけろ」、「吹けよ風、呼べよ嵐」といったネガティブなだけの曲ではなく、一旦破壊された自我が蘇生する「神秘」、「原子心母」、「エコーズ」という曲に顕著である。またこのペリー博士によるシャーマニズムの10の特徴による解析は、その前半がピンク・フロイドの歩みを解説しているように感ずるのは私だけだろうか。(なおこの記述の原本となっているペリー博士の書『The Far Side of the Madness』は翻訳されていないようだが、気になるタイトルではないか。)


 このように精神の乱れや燃焼という深いプロセスを通して、神秘的想像力のイメージが目覚めてくる。これら個人の利害や文化を超えた悟りは近代の精神医学にも知られていて、一般に病理的性質という鑑定が与えられてきた。けれども精神科医のジョン・ウィア・ペリーは、精神分裂病であると診断された個々人に具わる精神=象徴的なプロセスを見抜き、シャーマニズムの文化複合に具わる祖型(アーキタイプ)的本質を解き明かす重要な手掛かりを示した*。ペリー博士は<自我>の再組織化を際立たせる10の特徴を詳しく述べている。(1) 精神、宇宙、個人の織りなす位置関係は、"中心”に焦点を合わせている。(2) "死”の経験は、手足の切断や供養をイメージするプロセスのなかで生ずる。そのイメージを引き受ける人物は責苦に逢い、切り刻まれ、骨が配置し直される。すると死の状態に入ることも霊界の住人と話すことも可能となる。(3) 過去、<天国>、あるいは子宮への“回帰”がある。この回帰=退行は、幼児的振舞いという感情表現として現われることもある。(4) <善>と<悪>の力のあいだ、あるいは他の対立項のあいだに“宇宙的葛藤”が生じる。(5) 異性に圧倒される存在という感覚がある。“対立するものへの脅威”は、対立者との積極的同一化によって表わすこともできる。(6) 個人のこうむる変化は神秘的な“神化”に帰着するが、そうした経験を果たした者は、宇宙的人格もしくは王としての人格と同一視されうる。(7) その人物は“聖婚"、すなわち組を成す対立者がともに到来する場に参加する。(8)“新生”は再生幻想とその経験の部分を成す。(9) 新時代あるいは“新たな社会”の開始は先取りされている。(10) 全元素のバランスは“適合性を与えられた方形世界"、すなわち均衡と深さとから成る四重構造に帰着する。(* J. Perry, The Far Side of the Madness)
──ジョーン・ハリファクス『シャーマン』平凡社「イメージの博物誌」より

 より詳細は本書の高橋伸一著「シャーマン」242〜244頁、また“魂の飛行”については今井壮之助著「『エコーズ』の作品論」57〜63頁のそれぞれに譲る。

■トランスパーソナル心理学関係のリンク集を別途ページに作成しました。


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