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黒姫童話館・童話の森ギャラリー
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エンデのプロフィール
エンデのプロフィール(生涯年表)
西暦
年齢
おもなことがら
1929
0
ドイツのガルミッシュで画家エトガー・エンデとルイーゼの長男として生まれる。
1936
7
国民学校に入学。
1940
11
マクシミリアン・ギムナジウムの入学試験合格。(1939年から第二次世界大戦始まる)
1941
12
ギムナジウムの一年で落第。留年となり、イザール河に飛び込んで死のうとまで思いつめる。
1943
14
ミュンヘン市内の空襲激化のため、故郷ガルミッシュへ疎開。ここで優等生の学友に刺激を受け詩作を始める。
1946
17
授業を再開したマクシミリアン・ギムナジウムに一年だけ通ったのち、シュトゥットガルトのシュタイナー学校に入学。
1947
18
演劇に興味をもつ仲間と「屋根裏劇場」をつくる。また、広島に捧げた処女戯曲『時は迫る』を書く。
1948
19
卒業試験直前にシュタイナー学校をやめ、ミュンヘンのオットー・ファルケンベルク演劇学校を受験し、合格する。
1950
21
演劇学校を卒業後、レンズブルク市の劇場で1シーズンだけ舞台に立つ。この間、第二作目の戯曲『サルタンの二乗』を書く。
1952
23
ミュンヘンにいくつもあったカバレット(寄席)のために歌や小劇を書き、わずかながらの収入を得る。
1954
25
この年から約6年間、バイエルン放送局で定期的に映画評の番組を受け持つ。
1957
28
ブレヒト理論による演劇に絶望し作家を断念しようとしたとき、友人のイラストレーターから絵本の文章執筆を依頼され、ファンタジーに導かれるまま、もう一度だけ書こうと決意する。
1958
29
10カ月後には子供の本2冊分の原稿『ジム・ボタン』となり完成。
1960
31
完成後2年間を経てティーネマン社に認められ出版。
1961
32
家賃滞納によりアパートの立ち退きを迫られていたところへ、『ジム・ボタンの機関車大冒険』ドイツ児童文学賞受賞の連絡がくる。
1963
34
再び劇作に心を向け、戯曲『遺産相続ゲーム』にとりかかる。1966年、完成。1967年、フランクフルト市で初演。
1964
35
インゲボルク・ホフマンと結婚。
1971
42
南イタリアのジェンツァーノに移住。『モモ』の完成を決意。
1972
43
メルヘン小説『モモ』完成。ティーネマン社から出版。センダックの挿絵を望んだが果たされず自筆のペン画を挿絵とする。
1974
45
ドイツ児童文学賞の選考委員会は1票差で『モモ』を1974年度青少年文学賞の受賞作と決定。
1977
48
東京・京都中心に日本に滞在。能、歌舞伎鑑賞、弓道場訪問、禅寺での老師との対談などが、物語の構想に強い影響を与える。
1979
50
『はてしない物語』を三年がかりで脱稿。秋の発刊と同時に、大好評を博す。
1981
52
『はてしない物語』「ヤヌシュ・コルチャック賞」受賞。
1983
54
『鏡のなかの鏡』完成。
1984
55
映画『はてしない物語』公演。エンデは原作とかけ離れているとし、最終シーンを削除させるために訴訟に踏み切る。
1985
56
バイエルン方言のオペラ『ゴッゴローリ伝説』がゲルトナー劇場で初演。妻インゲボルク没。
1988
59
ナンセンス・オペラ『スナーク狩り』初演。
1989
60
「エンデ父子展」のため来日。9月、佐藤真理子と結婚。
1991
62
黒姫童話館開館。ミヒャエル・エンデ展示室が常設される。
1992
63
『モモ』100万部出版記念で来日。滞在中、黒姫童話館を訪問。
1993
64
『ハーメルンの死の舞踏』出版される。
1994
65
胃潰瘍の検査でガン細胞が見つかり、ミュンヘン大学病院で手術を受ける。
1995
66
8月28日午後7時、永眠。9月1日、ミュンヘン市「森の墓地」に埋葬、11月12日ゲルトナ-劇場で追悼式。
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