植草一秀氏の冤罪問題と民主党に対する姿勢について2009.7.15

 筆者は従来から、植草一秀氏の主張にほとんど共感を覚えている。特に植草氏がご専門の経済問題に関する慧眼には感服している。個人的にもお会いしたことがあるし、意見交換をしたこともある。現在も植草一秀氏に対する評価は基本的には同じである。 諸々の情報から判断して、植草一秀氏は無実で、明らかに冤罪を着せられていると判断している。

 だが、次の二点については、いささか問題を感じている。冤罪に苦しんでおられる植草氏に 、以下は厳しい指摘であるとは思う。植草氏と若干考え方の違う方にも、できるだけ植草氏の冤罪 について理解してもらえるようになるために、敢えて本拙文を発表したつもりである。

 

@冤罪問題について

 2004年のいわゆる「手鏡事件」の裁判で控訴しなかったのは、間違っていたと思う(拙文「植草一秀氏の講演を聞く」の「補記」参照)。当時「裁判に正義が存在しないから裁判を継続する意味がない」「裁判継続で報道被害を受ける」「裁判に振り向ける時間とエネルギーを本来の業務に注ぐ」「裁判を続けなくても無実を示す活動は可能である」などが控訴しなかった理由であったと 、植草氏はされた。しかし、やはり一般的には罪を認めたと受け取られ、結果的にその後の展開に悪影響を与えた。

 2006年に次の「京急事件」に遭っている。既に嵌められた経験を持っていたのであるから、日ごろから十分注意すべきであり、そうするのが世間の常識であろう。それなのに、深酒をして記憶が断片的になった状態で電車に乗っている。余りにも無警戒であった。

 この二つのことについてきちんと反省すべきであると思う。そうでないと、より広い理解はえられないであろう。

 

A民主党に対する姿勢について

 民主党や小沢元代表をほとんど手放しで積極的に評価しているが、やや客観性に欠けているように思う。

 官僚支配の打破を民主党はできると評価している。しかし、官に対抗するだけの実力がないし、その上官公労の支援を受けている民主党が官僚支配からの脱却ができるはずはない。また対米、対アジア外交や日本防衛に関する危い民主党の姿勢に懸念を持たざるをえない。さらに民主党の経済政策が植草氏の主張に合っていないのではないか。小沢氏の評価にも疑問を持つ(拙文「小沢一郎民主党代表の辞任表明に関連して」参照)。いずれにしても、民主党が天下を取れば、問題点のほとんどが解決されるという幻想をばら撒くと、そうでなかった場合の喪失感による反動の大きさに気付くべきである。こうしたことを冷静に分析して、もう少し客観的な視点での主張展開をしてもらいたい。

 ただし、犯罪的小泉似非改革を是正するための戦術として、取りあえず民主党を応援しているのであれば、民主党に対する植草氏の姿勢をある程度理解できる。

 

 「リスクにあなたは騙される」(ダン・ガートナー著、田淵健太訳、早川書房刊)という著書の中に、“いったん信念が出来上がると、私たちは見聞きすることを偏った方法でふるいにかけ、自分の信念が正しいことが「証明済み」であるように思える”、“信念を共有する人々が集まってグループを形成すると、自分たちの信念が正しいことにいっそう自信を深め、物の見方がさらに極端になる”とある。これはリスクに限らず、すべてのことに言えるように思う。植草氏の主張とその応援のサイトの書き込みを見ると、こうした傾向を若干感じる。極力客観的な姿勢に徹するように、お互いに努めたいものである。

 

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