高橋団吉著「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」について(2016.3.24)

 高橋団吉著「新幹線を走らせた男 国鉄総裁十河信二物語」(昨年1015日、株式会社デコ発行)を読んだ。想像を絶するような内外からの反対がある中で悪戦苦闘しながら、東海道新幹線の建設を開始させ、実行した十河信二元国鉄老総裁の物語である。当時この建設に従事した筆者でも知らないようなエピソードが随所に盛り込まれ、素晴らしいノンフィクション作品になっている。

 自動車時代を迎えて、鉄道は斜陽化しているので、新幹線の成功はとても無理だという雰囲気の中なのに、将来の日本国を牽引する原動力になるという、十河総裁の先見の明の確かさには、今でも正直驚嘆する。しかも用地買収が難航し、実質3年間で建設工事を完成させた指導力の強靭さにも感嘆する。

 ともあれ、当時十河氏が国鉄総裁でなかったら、おそらく新幹線は51年前に誕生していなかった。いや新幹線そのものが世界に登場せず、正に「夢・幻の超特急」で終わったとすら思う。歴史上この人物がいなかったら、ある状況が生れなかったというようなことはほとんどなく、難航しても誰かが成し遂げるものである。しかし十河氏が国鉄総裁でなかったら、そのほとんどない極めて珍しい例の一つに新幹線はなっていたはずである。十河信二国鉄総裁の存在は特筆に価する。

 

 ところで、細かいかもしれないが、疑問と思われる描写が幾つかある。筆者も限られた知識なので、他にもあるかもしれないが、気付いたことを以下に指摘しておく。本書はノンフィクション作品であるから、事実誤認や思い違いはなるべく避けるべきだと思うからである。著者も「あとがき」で、“どんなに調べてみても、事実と事実の間にはスキ間が残って”(732ページ)、“ディテールに淫するほど、事実誤認や思いちがいのリスクも高くなった。実は校了の段階でも、少なからず見つかった。おそらくまだまだ残っている。読者諸氏にもご教示いただければさいわいである”(734ページ)と述べている。

 尤も、ごく最近のことでも何が事実・真実かは中々分からないものである。仮に本人が「これが事実である」と書いたり、語ったりしても、脚色があるかもしれないので、厳密には 「これが事実である」と言い切ることは中々困難である。「これが事実に近いのではないか」と指摘したり、捉えたりするしかないのであろう。

 

1) 貨物輸送問題

 288289ページに次のような記述がある。

『じつは、貨物新幹線を走らせる気は、最初からなかったのである。

 新幹線は旅客のみ扱う……。

 このことは国鉄首脳部の間で、すでに決まっていた。とくに島技師長は、この点を強く主張しいて、十河総裁も了解している。もちろん、大蔵会長(昭和32年に設置された日本国有鉄道幹線調査会会長の大蔵公望会長=筆者注)も承知している。新幹線を世界一の高速鉄道にする以上、速度の遅い貨物列車は邪魔になるからである。

 ところが、計画を政府決定にもち込み、建設資金として外資の導入が決定するまでは、そのことは公言できない。……外資導入先として十河総裁が想定している世界銀行は、戦災からの経済復興支援をその目的とする。世銀から融資を受けるには、貨物輸送を計画の中心に据えておかなければならない……』

 

 この“貨物新幹線を走らせる気は、最初からなかったのである”という記述は事実に反する。この問題に関しては既に別拙文「貨物新幹線は本気だった」「東海道新幹線開業50周年を迎えて−建設参加一土木技術者の回想−」で指摘している。また下記アドレスの「東海道新幹線開通後の貨物新幹線に係る国鉄の取り組み等(貨物新幹線は世銀向けのポーズなのか)」に詳しい記述がある。

 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-a11f.html

 東海道新幹線の計画から開業後の暫くまで、国鉄の責任者・関係者は貨物輸送を真剣に考えていたことは、次のような幾つかの事実から間違いない。

*東海道新幹線の建設基準にある活荷重(列車荷重)は、N標準活荷重(貨物列車荷重)とP標準活荷重(旅客列車荷重)とからなっていて、平成14(2002)に改正されるまで、この基準は生きていた。

*貨物駅のための用地買収が各地でなされていた。

*貨物列車を引き込むための本線を跨ぐ施設が造られていた。しかも大阪鳥飼の車両基地への貨物引き込み用の構造物は世銀からの借款の調印の昭和36年5月2日から一年後に着工している。もし世銀から融資を受けるためであるならば、予算膨張に悩んでいたので、前項の用地買収を含めてこんなに見え見えの無駄なことはしなかったはずである。

*東海道新幹線開業後の昭和40年3月15日の国会の法務委員会で、国鉄常務理事が「国鉄といたしましては、新幹線を利用いたしまして高速の貨物輸送を行なうということが、国鉄の営業上どうしても必要なことでございまして、またその需要につきましても十分の採算を持っておりますので、なるべく早く新幹線による貨物輸送を行ないたい、こういうふうに考えて計画を進めております」と答弁している。

 確かに、当時の技師長の島秀雄氏は開業後に「世界銀行に対しても一応本心は伏せて、新線でも貨物輸送をしないわけではないという態度でのぞむことにした」と語っているので、作者の高橋氏もそれに基づいて書いたのであろう。個人的に島氏がそのように考えていたかもしれないが、事実は上記したように、国鉄として旅客だけとする意思統一はまったくされていない 。そればかりか、開業後も暫くは貨物輸送を真剣に考えていたことは間違いない。島氏は車両設計が専門で、新幹線建設工事や建設費などについては詳しくなく、基本的にこの問題には関わっていなかったはずである。

 

2) 建設費問題

 288289ページに次のような記述がある。

『東海道新幹線建設のための借入金は、この春の時点でほぼ内定していた世銀借款の八○○○万ドルすなわち二八八億円だけである。このほかに、鉄道債を発行する、あるいは大蔵省資金運用部から財政投融資を受けるという方法もあったが、いずれもさほど大きな額は期待できない』

 

 最終的には三八○○億円が掛かっていて、二八八(実質的には二三三)億円は東海道新幹線建設費のごく一部であった。仮に初期の段階でそうであったとしても、この記述では、結果として財政投融資が主要な財源でなかったように受取られるのではなかろうか。実際には東海道新幹線建設費の多くは国の財政投融資という国鉄の借金と自己資金から賄われた。なお、一般には誤解されているが、国民の税金は投入されていない。

 

3)ある用語について

 163ページに次のような記述がある。

『藤井松太郎氏は……東京帝大工学部土木課を卒業し……』

 

 “土木課”ではなく、“土木科”、正確には“土木工学科”である。極めて細かいことであるが、指摘しておく。

 

付記1 阿川弘之氏の指摘について

 688689ページに次のような記述がある。

『五年前に、「万里の長城、戦艦大和、新幹線は、世界の三バカ」と書いた作家の阿川弘之も、快走を続ける時速二○○キロの超特急を目のあたりにして、さすがに自説を引っ込めた。この夏の朝日新聞(昭和39年8月1日号=筆者注)に、このように寄稿している。

「新幹線はしかし、私の意見などにはお釜伊那市に、出来上がってしまった。立派に出来上がって、これは、架け値なしに世界一の鉄道である。日本の東海道新幹線を見て、各国に、高速鉄道再認識の動きがおこっていることも、事実である。もう、とやかく言うべきときではない」

 阿川弘之は、「三バカ論」以来、“新幹線ジャーナリズムの寵児”になっていた。

 しかし、ただではホメない。

 たしかに、新幹線はすばらしい。かけ値なしに世界一である。そのことは、世界も認めている。しかし、私は日本人の心にブレーキをかけておきたい……と、阿川は書く。

「広軌新幹線、夢の超特急というたぐいの景色のいい呼び名には、私たちを一種のバカにしかねない魅惑的な響きがある」

 だが、よく考えてみてほしい……。世界の鉄道は広軌で当たり前ではないか。夢の超特急にいたっては、ファンシー・スーパー・リミテッド・エクスプレスとでも訳すのだろうか。いくら時速二○○キロ出せるといっても、少し大げさすぎないか……と警告する。

「東海道新幹線が世界一だということは、世界中のどこの国もとてもやれないような仕事を、日本人がやってのけたというのとは、少しばかり意味合いが違う。新幹線の建設を見て、高速鉄道というものを見直してみようという気運が、世界の一部に出ていることは事実だが、原則的には世界の交通は、もう鉄道を指向していない。やはり、高速自動車道と予約なしで待たずに乗れる空のバス的なサービスと超高速ジェット機か、興味の中心であろう。そういうものの開発が、いちじるしく遅れていることが、日本に、世界一の東海道新幹線を生み出させた一つの要因だと考えられるのではないであろうか」

 それからもう一つ……と、阿川は続ける。

 東海道新幹線は、ヨーロッパの幹線特急とくらべて、設備の豪華さにおいてかなりの差がある。

「これも(世界一バカ)にならないために、知っておいてもよいことであろう」』

 

 阿川氏が昭和33年8月に朝日新聞で、東海道新幹線は「世界の三バカ、万里の長城、ピラミッド、戦艦大和」だと批判し、昭和448月に月刊誌「諸君」で、開業時の国鉄総裁・石田礼助に詫びていることについては、別拙文「東海道新幹線開業50周年を迎えて−建設参加一土木技術者の回想−」の2で紹介した。しかしこの阿川氏の東海道新幹線開業年の夏の朝日新聞への寄稿文については、これまで気付かなかった。改めて調べてみたら、次の《 》内のような寄稿文があった。

《数年前私は、東海道新幹線がやがて、万里の長城や戦艦大和のような、世界一の無用の長物になる時代が来るのではないか、二千億の金を日本の交通のために投ずるなら、ほかにもっと賢明な使い途がありはしないかという「新幹線反対論」を書いたことがある。

 新幹線はしかし、私の意見などにはお構いなしに、出来上がってしまった。立派に出来上がって、これは、掛け値なしに世界一の鉄道である。日本の東海道新幹線を見て、各国に、高速鉄道再認識の動きがおこっていることも、事実である。もう、とやかく言うべきときではない。

 私たちは、日本人の手で折角作り上げたこの「世界一」を、将来無用の長物にしてしまわないように、出来るだけの努力をすべきであろう。

 こんにち、飛行機の発達と自動車の普及のすさまじさとは、誰もこれを認めないわけにはゆくまい。鉄道を斜陽化させないためには、鉄道は、飛行機や自動車を敵視するのではなく、それと協調することを考えなくてはならぬ。

 国鉄は、ヨーロッパのオート・クーシェツト(自動車寝台列車)よりもっと手軽な、自動車特急を走らせることを、本気で研究してほしい。東京駅で、手荷物と同じに自分の車をあずければ、大阪駅で下りるとすぐ、また自分の車で走り出せるという方式である。この構想は、新幹線の初期にはあったが、その後立ち消えになったように聞いている。

 また、陸と空との連絡を、充分に考えてほしい。東京駅へ着いた客が、あと飛行機を利用するなら、ワシは知らんというような顔をすべきではない。

 東京、名古屋、新大阪などの駅の屋上には、必ずヘリポートが要る時期が来る。それは今から考えておいても、決して早過ぎはしない。それで、たとえば熱海に住む人が、東京まで四十分、飛行場まで十分、それから北海道へ五十分というような旅が出来ることになるのである。

 新幹線は、鉄道自身のカラの中にとじこもらないことで、長く、有用な、国民から感謝される存在になり得ると思うのだが、如何であろうか。

 

 ご覧のように、作者高田氏の紹介内容と下線部はまるで違っている。どうしてだろうか。他にも阿川氏の新幹線論が発表されていて、それと混同したのであろうか。いずれにしても、阿川氏はある段階までは、手放しで自説を撤回していなくて、“私は日本人の心にブレーキをかけておきたい”として、様々な批判をしていたということであろうか。だとすれば、さらに数年後やっと素直に詫びる心境になったのであろう。

 

付記2 建設費超過問題

242ページに次のような記述がある。

『……報告書(昭和三十二年九月に島技師長から十河総裁に提出した『東海道本線の増強について』=筆者注)の最後には、工事費の概算がつけられている。この工事費についのみ、十河総裁から注文が出た。

「島君、これじゃ国会を通せない。半額にしてくれ」

 このとき技師長室で試算した総工事費は軽々と三千数百億円に達していたが、総裁命令であったから、急ぎ半額程度の数字に整えられた』

 

 東海道新幹線着工の段階では、総工費は1,725億円(車両費100億を含む)に建設中の利子年7分を合算して、1,948億円であった。しかし最終的には、3800億円になった。したがって、上記の記述のように、本書では随所に出てくるが、当初は「半額予算」であった。しかし当初から「半額予算」を十河総裁が意識的に設定したというのには疑問がある。物価や用地費高騰、要求に応じるための設計変更などによって予算が膨らんだのも事実であるからである。十河総裁も当初の予想を遥かに超えたと思ったに違いない。十河総裁はこの大幅な工事費増の責任を取らされて、東海道新幹線開通の前年の昭和38年5月に更迭され、開通式にも招待されなかった。こんな非情なことを当時の関係者がしたことを忘れてはならない。

 ところで、放漫姿勢だったために予算が倍増したと当時批判されたが、決してそうではない。実際には「半額予算」ではなくても、大幅「減額予算」で出発したので、関係者は節約に徹していたのである。実際に構造物の設計に携わった筆者も、可能な限り経済設計とするために大変苦労したものである。別拙文「東海道新幹線開業50周年を迎えて−建設参加一土木技術者の回想−」の6で紹介したように、当時の河野一郎(引退した河野洋平元自民党総裁の父親、河野太郎自民党衆議院議員の祖父)建設大臣が名神高速の工事を視察して、どうして高速道路は新幹線に比べて高いのかと嘆いていたのである。結果として、最近の整備新幹線の建設費は1km当り約5080億円掛かっているが、東海道新幹線は消費者物価指数で換算して、1km当り約30億円(3800億円を515kmで割ると1km当り7.4億円、消費者物価指数は現在の約4分の1で、これで換算すると約30億円になる)しか掛かっていない。諸々の条件が絡むから一概には言えないが、常識的な費用の半額前後で仕上げたのは間違いないのである。

 

付記3 朝日新聞の姿勢について

 236ページに次のような記述がある。

『「超特急列車 東京−大阪間三時間への可能性」

 この夢のようなタイトルの講演会が開かれたのは、……五月三十日(昭和三十二年の=筆者注)のことである。

 主催は、国鉄の鉄道技術研究所。創立五十周年を記念するイベントで、後援は朝日新聞社』

 

 筆者はこれまで幾つかの拙文で、朝日新聞は当初から現在まで終始、新幹線の建設に異論を唱えてきたと批判してきた。この講演会が契機となって新幹線を見る世間の目が少し変わったが、その講演会を朝日新聞社が後援していたことを、今まで気付かなかった。だとすれば、朝日新聞社は新幹線建設への大きな功労者ということになる。しかしその後の姿勢にはがっかりせざるを得ない。

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