裁判員制度採用の欺瞞(2009.8.5,7)
いよいよ裁判員制度による最初の裁判が一昨日の8月3日に始まり、明6日にも判決が出るそうである。予ねてからこの制度は欺瞞に満ちていて、弊害こそあれ、利することは何もないと思っていた。改めてそのことを指摘し、この制度の撤廃と裁判制度の抜本的な改善を強く訴えたい。
そもそもこの制度導入の最大のメリットだとされているのは、“裁判員は、刑事裁判の審理に出席して証拠を見聞きし、裁判官と対等に議論して、被告人が有罪か無罪か(被告人が犯罪を行ったことにつき「合理的な疑問を残さない程度の証明」がなされたかどうか)を判断すること”、“裁判のスピードアップ化を図ること”だとされている。
ということは、これまでの裁判では、“「合理的な疑問を残さない程度の証明」がなされたかどうか”に疑問があったり、裁判の長期化の弊害などがあり、裁判員裁判制度による裁判でこれらは解消されるという前提がある。確かにこれらの疑問や弊害は、色々なケースでわれわれも実感している。だが、これが裁判員裁判制度で改善される保証はまったくない。
8月4日付けの朝日新聞の社説「裁判員始動―市民感覚を重ね合わせて」では、この制度へ期待を込めて、次の“ ”内のような指摘(表現のまま)があった。なお番号は筆者が付けた。
@“法律家の専門用語はかなり減った”A“法廷で繰り広げられる証人尋問や被告への質問をみて、検察官による有罪の立証に合理的な疑いがないかを判断することに力点が置かれる…この法廷中心の審理こそが、日本の刑事裁判を大きく変えることになると期待されている”B“過度に自白調書に寄りかかる裁判が、今日まで続く冤罪史の背景の一つになってきたことも否めない”C“プロの裁判官が持ち得ないような視点こそが大切なのだ”
これらの指摘のうち、@〜Bは、裁判員制度でなければ改善されないという性質のものではない。Cの視点も裁判員制度で保障されるわけではない。「法曹界という内輪の馴れ合い裁判の打破に裁判員制度は意義がある」という意見がマスコミ界でなされている。確かにそうであるが、それが裁判員制度で打破される 保証はない。特に今回の最初のケースのような、争点は余りなく、せいぜい量刑の程度の判断が妥当かどうかだけが問題になる裁判での、本制度適用の必要性はない。多くのお金と労力を掛けることへ疑問を持つのは、筆者だけではなかろう。
そもそも法律に精通していない素人に、法律に基づいて的確に判断をすることは無理である。しかも専門家である裁判官が原則として3分の1を占める構成で、素人の裁判員が玄人の意見に立向かえるわけはない。結局裁判官の主導で判決が決められることに変わりはない。結局自分たち裁判官の言い分を通すための手段を設けただけで、この制度の採用は世間の裁判に対する不信のガス抜きをする役目しかない。
つまり裁判員制度の採用は欺瞞行為である。要は裁判に携わる検察官、弁護士、裁判官などの専門家がきちんとした仕事をして、適切に役目を果たす以外に、「合理的な疑問を残さない程度の証明」や「裁判の長期化の弊害の回避」を確たるものにすることはできない。今回僅か 4日で判決が出せるのであれば、裁判員制度でなくても可能である。これらの懸案を改善するためにどうするかを見据えた法律を整備することこそが必要な対策である。それをしないで裁判員制度に走ったことだけでも、不純な意図を感じる。 なお法整備においては、冤罪や不当量刑を防ぐための、何らかのチェック機能の付与が必要である。
この制度の導入には、外国の弁護士の解禁という、アメリカの要求が大いに関連していることも見逃せない。ここにも小泉改革の犯罪的施策の痕跡がある。
さらに幾つかの問題点がある。
一つは、裁判員に選定されると原則として断れず、知り得たことを漏らすことが禁じられていることである。筆者は年齢から、断れる(ある知人から裁判員に選定されるのを望んでいるのではないかと言われたが、とんでもない)ので問題はないが、普通の人には過大な義務を強いることになる。
もう一つは、裁判官は氏名を明らかにして裁判を行うから、明確に責任を問えるが、裁判員として加わった裁判の評議は話してはならないから、裁判員は個別に裁判の責任を問われることはないということである。これでは責任ある判断を裁判員に求めることになるか疑問である。
ともかく、こんな欺瞞に満ちた制度は廃止し、裁判制度の抜本的な改善を図るべきである。
追加 初の裁判員制度による裁判が終って(2009.8.7)
この制度を肯定的に捕らえて、マスコミが大騒ぎをする中で、初の裁判員制度による裁判が終った。マスコミが批判したのは、守秘義務の難しさ、審理時間の不足、裁判員の精神的負担などであった。そんなことより、もっと基本的な、この制度で果たしてこれまでの裁判の問題点であった、冤罪や不当量刑を防いだり、裁判の長期化を防ぐことができるのか、またそもそも今回のようなケースにこの制度を適用する意義があるのかという疑問を論ずるべきであった。だが、無批判にこの制度を容認していたために、無意味な空騒ぎを演じてしまっている。
なお、今回の量刑(懲役16年)は、従来の判例に比べ、重めのようである。どうしても感情的な判断をし勝ちであるから、やはり量刑を素人が判断するのは無理である。今後もこうした傾向が続くであろうから、この点からだけでも、本制度の欠陥は明らかである。