賀状転記

 信州大学工学部に奉職してから丁度20年目の昭和61年より、どうせ年賀状を出すなら、通り一遍な挨拶状ではない、その時々の気持ちの一端を書いた、長めの賀状を出すことにしました。以下にそれぞれの本文の部分を転記します。ご興味がおありでしたら、ご覧下さい。

昭和61年元旦
 信州大学工学部に奉職してから20年になります。この間に取り組みました主な研究テーマは「骨組構造解析」、「構造物の最適設計」、「トンネルの解析」、「信頼性解析」等であります。これからはこれらのテーマの他に一般の人々にも御理解頂けるような「安全論」にトライするつもりでいます。

昭和62年元旦
 昨年の年賀状で、一般の人々にも御理解頂けるような「安全論」にトライすると書きました。図らずも1月のチャレンジャーの爆発事故をはじめとして世界に衝撃を与えた大事故が幾つか発生しました。このような巨大事故から日常頻発する事故・災害に至るまで、一般に「建前」での議論が先行しています。私流の「安全論」を月刊誌「正論」等に発表しましたところ、沢山の方々から貴重な御意見を頂戴しました。今年もこの問題に取り組みたいと思っています。

昭和63年元旦
 「土」は十一に、「木」は十八に分解できます。そこで昨年土木学会は11月18日を「土木の日」に制定しました。またこの日からの1週間を「土木の週間」として、各種の催しを行いました。
 これは、土木工学が市民生活に密着した工学で、治山・治水・道路・鉄道・港湾・空港・水力発電・上下水道・水資源開発・土地造成・海洋開発等が土木事業であることを、一般の人々に的確に理解して貰い、これらの社会資本の適切な整備を図るために設けられました。
 日本人は世界二に豊かになったと言われます。しかし生活実感としてはピンときません。その大きな原因の一つとして、アメニテイ(環境の快適さ)の不足が挙げられます。これを補うには社会資本の整備にもっともっと力を入れなければなりません。貿易摩擦による外圧からではなく、高齢化社会を迎える私達自身の問題として、これに取り組むべきであります。
 この賀状を差し上げる大半の方は土木に関係されています。しかしそうでない方々も居られますので、土木のPRをさせて頂きました。

昭和64年元旦
 摂南大学教授三笠正人先生が数年前から国際単位系(SI)批判を展開され「重力単位を守る市民・土木技術者連合」を組織して運動されていることを、昨年初めに知りました。私も以前からSIが不便で人間のための単位系でないと思っていましたので、微力ながら三笠先生の運動を応援することにしました。
 学問体系とか、市民生活の非常な混乱と不便を無視して、SIの使用が強要されようとしています。これは「尺貫法」から「メートル法重力単位系」への移行に伴うような一時的で、耐えなければならない混乱・不便ではありません。本質的で、しかもほとんど不毛な混乱・不便であります。体重が質量であるとなぜ言わなければならないのでしょうか?人間は重量は実感できますが、質量を実感で捕らえることは出来ません。また力の単位も水という実体との関連が絶たれ、分かりにくくなります。つまりSIは人間のための単位ではありません。みんなでSI使用の強要に反対しましょう。

平成2年元旦
 昨年10月サンフランシスコで、日本近辺では2年に一度は起きているような中規模地震によって、2階建高架道路の崩壊などが発生して、世界に衝撃を与えました。米国のような技術先進国で、何故こんな災害が発生したのでしょうか。根本的な原因は、米国の耐震設計基準が日本ほど厳しくないところにあります。日頃「安全論」を展開している者として、誤解を恐れずに言いますと、構造物はどんな地震に対しても無傷でいられるようには造られていません。未知とか不確定なことがあるのに加えて、限られた資金を有効に使うため、あるいはその事業が成立するために、掛けられる経費には限度があるという、経済的な制約もあり、ある程度のリスクは余儀なくされています。そしてこのリスクのレベルがどの程度となるかは、歴史的、社会的、経済的条件によって違ってきます。幸か不幸か日本は昔から地震国であったのに対して、米国は国全体としては、そうでないという背景があって、結果として構造物の耐震性に極端な差が出たということだと思います。

 
この見解はかなり間違っていたことが阪神・淡路大震災によって判明しました。誠にお恥ずかしい限りです。この大震災に関しましては、これまで何篇か発表しました。いずれ本ページにも入れるつもり(「震災に関して性急な結論、慎もう」、「新安全神話への懸念」、「二段階耐震設計法に関連して」参照)です。(1999.9)

平成3年元旦
 早いもので、信州大学に奉職してから昨年3月で、丁度四半世紀が経ちました。体の方は検査すればいくつか異常値はあるものの、自覚症状は無く、十数年前から始めたテニスのせいか、年齢相応くらいの体力(?)は維持しております。
 昨年日経コンストラクション誌に”本音の「安全論」”、”「東名・日本坂トンネル火災一審判決」考”を執筆しましたところ、多くの方々から貴重なご意見を頂戴しました。
 休眠中でした、土木学会安全問題研究委員会を、研究対象を「土木工学に関連する事故・災害」に拡大して、今年1月から再発足させることになりました。
 建前による安全論によらない、本当の安全の考え方が普及し、真の安全性の向上と、被害者の救済の道が開かれるように、今年も微力を尽くしたいと思っています。
 この他の研究面では、「構造物の設計論」と、その基本となる「信頼性基礎理論」の発展に、多少とも寄与できるように、頑張りたいと思っています。

平成4年元旦
 昨年は、例年より多くの論文・意見の発表、退職金を前借りにした形での拙宅の建替え、長女の結婚など公私とも多事多端の年でした。
 市民生活に大変な混乱と不便をもたらすSI(国際単位系)の強要に反対する運動は、三笠先生の大変なご努力で、かなりな規模に発展し、一部の新聞も取上げるようになってきました。しかし状況は楽観を許しません。ある意味では今年が正念場となります。ご理解とご協力をお願い致します。

平成5年元旦
 今年の3月には、このところの研究成果を総まとめにした「構造信頼性設計」を山海堂から出版する予定で、今その準備に追われています。「安全論」、「SI(国際単位系)化反対」も盛り込みたいと思っていますので、多少型破りなものとなりそうです。
 昨年残念ながら、計量法が改正され、数年後には重力単位系の使用が事実上できなくなります。市民生活に大変な混乱と不便をもたらすSIの強要に反対する運動に、今年もまたご理解とご協力をお願い致します。

平成6年元旦
 還暦を迎えることになりました。しかしピンときません。相変わらず年齢甲斐もなく、皆様方に多大なご迷惑をおかけすることと思います。ご容赦下さい。
 さて、昨年は我々土木関係者にとって大変な年でした。そして今年もその状況は続くでしょう。そうした中での改革の議論は、肝心なところが欠落し、天下の大勢ということから、思考停止状態で進行し、対策も的がはずれているように思います。
 建設界に限らず、全ての分野に共通している、調整を旨とする日本の流儀は、リスクとコストの調整機能があり、極めて効率的で、社会の安定にも寄与しています。これは日本文化に基づいており、職人気質のプライドを持って仕事をする日本人の知恵であります。
 しかし、建前と本音の乖離があり、その上不透明で不公正が入り易いという欠点を持っています。こうした欠点をいかに改善するかについて抜本的な議論をし、日本的な制度を確立すべきであります。西洋流、アメリカ流の制度を安易に持ち込む愚を行ってはなりません。
 残念ながら、こうした視点での議論はジャーナリズムには殆ど出ません。また当事者すら、その認識が希薄のように見えます。昨年はこうしたことを書いたり、喋ったりしました。今年も同じように微力を尽くしたいと思っています。

平成7年元旦
 政府は規制緩和を最大の政治課題とし、ジャーナリズムもこれに好意的な反応を示し、経済効果も大いに期待できるとされているようであります。積極的に規制緩和をしろという根底には、完全自由競争思想と自己責任思想とがありますが、完全自由競争と自己責任だけを前提にできないから、規制があるのであります。変化に対応して、規制の内容の変更は行うべきですが、安易な規制緩和も、逆に安易な規制強化もやるべきではありません。
 規制緩和よりも、縦割り行政とそれに起因する予算配分の硬直化の打破を図るべきであります。その方が、余程経済効果が期待されるばかりではなく、本当に必要な施策が行われ易くなります。
 例えば、昨年暮れの整備新幹線フル規格でという見直しに、ジャーナリズムは採算を度外視した、政治家の人気取りだと批判しています。勿論東海道新幹線と違って、事業収入での採算は見込めませんが、日本経済全体では十分採算が取れることは間違いありません。また地域の均衡の取れた発展に寄与するし、自動車に比べて低公害であるというメリットも見逃せません。
 既得権益を優先した予算の枠組みにとらわれた、近視眼的な採算性議論は見直さなければなりません。子々孫々のために勇気ある決断が必要なのであります。

平成8年元旦
 昨年は極めて異常なことが次々と起こりました。中でも阪神・淡路大震災は、日頃構造設計学を研究し、本音の安全論を展開しています私個人に取りましては、ひときわショッキングな出来事でした。やがて1年が経過しますが、最初に現地踏査しました時に見ました、あの息をのむ破壊の様相は今も脳裏に焼きついています。
 大地震によりこれ程までの被害を受けると、これまで専門家の誰一人として予想し、真剣に警告を発していませんでした。専門家の端くれとして猛反省しなければならないと思っています。
 さて以前から申し上げてきましたように、可能な限りの努力をしましても、残念ながら安全には限界があります。一部の方の犠牲によって他の大多数の安全が保たれていると言えます。このような認識にたって、被害を受けた個人とか事業主体だけが過重な負担をしなくて済むシステムを構築しなければなりません。例えば全国民を対象としました事故・災害強制保険制度のようなものを創設する必要があります。このような制度を導入しますと、皺寄せが一部に偏るという不公平が改善されます。さらに経済力の違いによって、復旧とか補強等の進め方に差がつくという不合理も改善されると思います。
 毎年のことながら、年初から硬い話になりました。ご容赦願います。

平成9年元旦
 昨年も建設関連で、北海道の豊浜トンネル事故とか長野県小谷村の土石流災害のような、世間の耳目を集める残念な事故・災害が相次ぎました。
 2年前の阪神・淡路大震災などを踏まえて、本音による討論会「土木学会安全問題討論会’97」を3月13日(木)に中央大学駿河台記念館(千代田区神田駿河台3-11-5)で開催することにしました。
 話題提供論文は17編で、土木学会長をはじめ産官学の会員の他、ジャーナリストにも参加して頂いています。この研究論文集は前以て希望者に無料で配布することになっていますので、もしご興味をお持ち頂けるようでしたら、2月10日までに、新宿区四谷1丁目無番地土木学会研究事業課(п@03-3355-3559 FAX 03-539-0125)にお申込みの上、ご参加下さい。
 さて、昨年の夏以来あるきっかけから、公共投資不要論が叫ばれるようになりました。これまでのやり方を反省して襟を正すと共に、必要性の高いものに優先順位を付けて有効に投資して、まだまだ必要な社会資本の整備を図らなければなりません。財政難に配慮するにしても、一方で、日本の金融資産が世界一であることに配慮した財政運営もされなければなりません。子々孫々に悔いを残さない公共投資こそ肝要だと思います。

平成10年元旦
 昨年の7月、土木学会誌に「公共投資削減論考」という小文を発表し、その最後に次のように書きました。
 『《正義》は国を滅ぼすと言われる。えてして正義は一面的で感覚的であるからである。…長期的展望に立って、日本経済と後世代に悔いを残さないような施策を探求することこそが今の我々の責務である。単純な財政赤字縮減という一面的な正義に基づくマスコミの論調におもねる政策の選択はどうしても避けなければならない。』
 また建設オピニオン誌の7月号では、『今回誤った選択をするとすれば、その結果は21世紀になって、前世紀の終わりの誤った施策の選択がどうしようもない日本への陥落の引き金だったと言われる程のものである。』と書きました。
 その後の推移を見ていますと、危惧した通りの様相となり、誠に憂慮すべき事態に立ち至っています。政府も、慌てて対策を打ち出していますが、悉くが後手後手で、中途半端で、折角大金を投入してもその効果は期待できません。現段階でやってはいけないことをやったり、やろうとしたことへの反省が先ず必要です。その上での対策でないと、決して成功しないでしょう。今年こそ立ち直りのきっかけの年になることを祈念してやみません。

平成11年元旦
 日本経済の見通しが暗いまま年が明けました。以前から指摘していますように、莫大な国民の金融資産を有効に活用して、景気回復を優先させなければならなかったのです。ところが財政赤字に眼が行き過ぎ、逆な政策を政府が採ったのが間違いだったのであります。景気回復にはまだ1.4という乗数効果(1の投資で0.4の付随追加需要が発生する効果)のある、公共投資を思い切って進める以外にありません。減税にはこんな効果はとても期待できません。整備新幹線の残りの1,300kmを数年で建設するというような、子々孫々のためにも必要な幾つかの重点施策を実行すべきであります。借金しても資産として残りますし、景気回復によって、却って赤字が減らせます。なお整備新幹線は、運賃収入だけを前提にした私的な動機(利潤)に任せては整備されません。社会・経済的には大変な益をもたらす、必須の社会資本施設という観点からの対応が必要であります。
 私事ながら、本年3月末で停年退職します。昭和40年4月から、34年間信州大学に勤務したことになります。この間の教育・研究を振り返ってみますと、誠に汗顔の至りです。ただ幸いにも、かなり自由に意見開陳することができました。偏に皆様方のお陰と感謝致します。

平成12年元旦
 
私ごとで恐縮ですが、昨年4月から5km強の早朝早足散歩を始めました。お陰様で体調はすこぶる良好です。
 昨年6月末に発生しました山陽新幹線のトンネルのコンクリート塊の落下事故以来、土木構造物の早期劣化の問題が世間の注目を集めています。結論から言いますと、高度経済成長による工事量の増大に伴って、時間的、技術的、経済的制約からくる無理が施工現場に皺寄せされた上に、施工管理が疎かになったことが早期劣化の根本原因であると思われます。したがいまして、設計、施工、維持管理に携わるすべての関係者が大反省して、当面の劣化対策と今後の施工への無理強いや緊張感の欠落した施工管理の改善に努めなければなりません。原因の根は深く、多岐にわたっていますので、大変な困難を伴いますが、我々技術者の責任を全うしなければなりません。
 ところで、昨年の7月末にホームページを開設しました。これまでに発表しました拙文の幾つかと最近のトピックスに関しての私見を載せています。例によりまして、かなり勝手な議論を展開しています。機会がございましたらご覧頂き、忌憚のない御意見を頂戴できれば幸甚に存じます。

平成13年元旦
 まず井上謙吾神戸大学教授の著書「何が正しい経済政策か」で述べられています卓見を紹介します。
 “政府の借金は…経済学では…家計の借金とは異なり,基本的にツケではないとの見方が受容されてきた。…長期的にみて国債残高をゼロにする必要はない。国民が金融資産を蓄積していくとすれば,誰かの負債が増えなければならない…国家財政については,それがやるべきことを効率的にやっているか否かが問題…「現在世代」が「将来世代」にツケを残すのは,「現在世代」が自分たちの生産物以上に消費を行い,それを借金でまかなう結果,「将来世代」が自分たちの生産以下に消費を押さえ,その借金に充てる場合に限られ…後世へのツケとして心配すべきものは,政府の借金そのものではない…”
 これには“借金が有効な投資に使われる限り”という前提条件がついています。残念ながら,これまでの惰性に基づいた不要・不急な,あるいは効用の低い投資が一部に見られます。政府の借金そのものよりも,このことを問題にしなければなりません。
 国と地方の役割の見直し,総合施策のマスタープランの設定,施策を進める手順のルール化,日本的な契約システムの構築,官僚主導体制からの脱皮,利益誘導型の政治家と選挙民という悪しき慣習からの脱却などが不可欠ではないでしょうか。

平成14年元旦
 新年早々、明るい話題とすべきですが、そんな気分には到底なれません。失業率は5%を大幅に越え、倒産が続出しても、「構造改革が順調に進んでいる表れではないか」と総理大臣はうそぶいています。その人の支持率が異常に高いのが現状なのであります。
 小泉首相、田中外相、田中長野県知事等の異常人気は感覚・感情・ムードが先行した思考停止的判断に支えられています。
 さて、現実を見据えた政策上の視点を挙げます。1)1400兆円を越す国民の金融資産を誰かが活用しなければならない。民間が使わない時に政府が使うのは正しい。ただし使い方の改善は必要である。2)政府の国民からの借金は家計の借金とは違い、国全体としては借金ではないし、子孫へのツケ送りでもない。3)これまでの財政出動の効果があったからこそ、日本経済は致命的危機を逃れている。4)橋本内閣の緊縮財政で必要以上に赤字が増えた。同じ轍を小泉内閣が踏んで、日本だけでなく、世界に破局を迎えさせようとしている。
  エコノミストのリチャード・クー氏も指摘しています。“この不況に対しては、財政出動が唯一効く薬です。…数ヶ月飲んでちょっと調子がいいような気がしたからマラソンをして、肺炎を起こす、そういうことを繰り返してきた”と。
 もう薬は効かない、我慢して体質改善をすれば直ると言っているのが小泉さんです。肺炎が命取りになります。このままでは日本と世界を駄目にした指導者として、“小泉”という名が歴史に残ることになるでしょう。

平成15年元旦
 【昨年の5月、ポール・オニール前米財務長官が「日本は過去10年間、年平均1%の実質成長率にとどまった。仮に潜在成長率とみなされる3%成長を続けていた場合と比べて、日本は10年間で5兆ドル(600兆円)の所得を失った勘定になる」と語ったという。しかもここ2年連続名目マイナス成長である。財政赤字の解消を唱えて、緊縮財政をした結果、その財政赤字に匹敵する損害を日本国民にもたらしているという、頓珍漢な政策を今直ぐ転換しなければならない。
 財政出動を批判する人たちは、この10年以上何回か財政出動し、百数十兆円の景気対策を行ったが、結局効果がなかったと強調する。確かに、結果としてはそうであるが、その原因は財政出動そのものが多くの場合中途半端の上に、すぐ緊縮財政に戻るという、エコノミスト植草一秀氏の表現によれば「政策の逆噴射」によって、今日の事態を招いているのである。もし継続して的確に財政出動をしていれば、これまでに注ぎこんだ総額をかなり下回る梃入れで、日本経済はその潜在成長率までに回復し、負の遺産の処理も順調に進んでいたことは間違いない。】(【】内は「建設オピニオン」誌の1月号に掲載予定の拙文の一部)
 今年こそ、景気回復が確実になる施策を実行する指導者が出てくることを願ってやみません。
 例年のことですが、偉そうなことを申し上げ、失礼致しました。

平成16年元旦
 昨年も、社会資本整備、公共入落札、田中康夫長野県政などの諸問題に関して、雑誌、出版、ホームページで、私見を開陳させていただきました。その大半が田中知事の「虚像」を暴くものでしたが、今年中には多分その必要がなくなり、田中長野県政が終焉を迎えるようになると思っています。
 辞め方、辞めさせ方にもよりますが、一昨年の出直し選挙の二の舞で、また田中亜流もしくは過去の亡霊に県政が委ねられては、長野県そして日本の被るダメージは益々深刻の度を深めます。一昨年の徹底した反省に基づいた、戦略、戦術によって展望を拓いて欲しいと願っています。
 引き続き下記アドレスのホームページをご覧いただき、ご意見をお寄せくだされば幸いです。
 例によって、偉そうなことを申し上げました。ご寛恕ください。
追伸
 昨年7月中旬に出版しました「田中康夫長野県知事の虚像」は、お蔭様でに増刷りになりました。実は通常の出版社からの発刊ではありませんでしたので、自動配本にならず、限られた書店にしか置かれていません。出版社の潟Rム・ブレイン(〒101-0054東京都千代田区神田錦町3-13-7 03-3233-1967、Fax03-3233-1968、E−mail combrain@nifty.com)に注文すれば、1部定価1500円(税込、送料無料)で取り寄せられます。

平成17年元旦
 昨年の賀状で、「今年中には多分…田中県政が終焉を迎えるようになると思っています」と書きましたが、予言は外れてしまいました。田中知事は施策そのものには元々興味はなく、マスコミに話題を提供して注目を集めることが生きがいなのであります。住民票問題や山口村越県合併問題で、愉快犯としての楽しみを満喫し、マスコミも県議会もそれに乗せられています。田中知事の言う県民益は口先ばかりで、およそそれとは真反対の自分益に徹したこと(馬鹿馬鹿しい子供じみたことなのですが)ばかりを遣っています。県知事という職がどれだけ恣意的なことができる立場であるかをこれ以上実証させるのは、長野県民の恥であるばかりではなく、県民益・国民益の計り知れない損失であります。本来なら末期的症状の多発で、予言どおりになるのが普通だったのですが、常識が通用しない異常状態のまま、昨年は暮れました。
 今年こそ正念場だと思っています。私事で恐縮至極ですが、昨年古希を迎えて、ようやく初孫に恵まれました。そろそろ老醜を晒すのを控える年齢ですが、もう少し怯まずに頑張りたいと思います。引き続き下記アドレスのホームページをご覧いただき、ご意見をお寄せくだされば幸いに存じます。

平成18年元旦
 昨年は日本の将来に大変な禍根を残した、ある意味では歴史的な年として、何年か経つと振返られるようになると思います。小泉首相は政策の理念に基づいて政治を行っているのではありません。政争、政局をゲーム感覚で楽しんでいるだけであります。他人に言われると、逆なことを敢えてするし、極めて非情な仕打ちも、笑みを浮かべながら平然とできる、奇異な性格の持主であります。
 改革と言いながら内容はなく、政敵を排除するだけでありました。借金の増加を抑制すると言いながら逆に増やして、故小渕元首相も遥かに及ばない世界の借金王になりました。潰れるものは潰すと言いながら、リソナ銀行に税金を投入して救済しました。官主導打破のポーズを示しながら、官僚を国会議員の候補にしました。言うことと行うことはまるで反対なのであります。郵政民営化も、改革のポーズを示すためと銀行やアメリカの要請に応えるためでありました。さらにかなりの人から賛同を得られると判断すると、靖国・拉致問題などのように、信念を装ってパフォーマンスを派手に演じます。
 新年早々、滅入るようなことしか書けず、誠に申し訳ありません。残念ながら、これが現実なのであります。間違った情報が過多状態の中で、われわれ一人ひとりが何が真実かを見極める努力をする以外に、局面の打開は望めません。今年がその第一歩の年になることを願って止みません。

平成19年元旦
 昨年8月には、悲願でありました、田中康夫長野県政終焉に成功しました。この年齢になって初めて政治に絡む選挙運動を行いました。皆様方から様々な形でご支援をいただき、心から感謝申し上げます。不慣れで戸惑いの連続の中、年齢は正直で、一斉に体の随所が悲鳴をあげました。選挙に勝ったことが、何よりの良薬になり、体調が回復しました。
 今後も長野の人々だけでなく、全国の方々に、田中康夫氏の本質を訴え続けなければならないと思っています。これは単に田中氏の政治活動(国政や都政参加など)を阻止するためにだけではなく、同じような口先だけのエセ改革者に政治の主導権を握らせないために、必要なことだと思っています。
 昨年暮れに嘗て勤務していた大学の卒業生から、建設界の未来はあるのでしょうかという悲痛な訴えを貰いました。それには、若者はこの業界から去っている、給料が安く、50歳で手取り30万円なんて当たり前、休日なし、1日16時間労働で、残業手当・ボーナスはなし、発注者が強く、契約内容・工期などの無理強いがあるなどとありました。これが公共工事で落札率80%が妥当だと誤解されている建設界の実態の一端なのであります。
 「国家の品格」の著者の藤原正彦氏がご指摘のように、お互いの信頼をベースにした、世界に誇るべき日本文化を否定し、相手を信頼しない市場原理至上主義に走った施策が多数の負け組を生み、格差社会をもたらしました。それが、自身に多くの改めるべき問題を抱えている建設界に、極端な形で現れました。中々「老兵は消え去るのみ」の心境になれません。

平成20年元旦
 菊池英博文京学院大学教授は昨年6月に発刊されました優れた著書「実感なき景気回復に潜む金融恐慌の罠」の中で、次のように指摘されました。
“緊縮財政がもたらした大きな弊害が社会基盤に亀裂を入れ、「あらゆる面での格差」(貧富の差、大企業と中小企業、都会と地方、教育水準など)を生み、日本の社会基盤を崩壊させている主因となっている。日本は世界一の金融資産(現在1500兆円・長が補記)を持つ裕福な国であるから、自国のために自分のカネを使えば、財政赤字などは吹き飛んでしまう。日本は財政危機ではなく、政策危機なのだ。” 
 蔓延する感情・感覚論を排除し、冷静な議論に基づいて、増税を必要としない積極財政施策に転換すべきであります。
 昨年6月27日付けの朝日新聞の「私の視点」欄に、拙文「国民投票法案 最低投票率の弊害に目を」が掲載されました。朝日新聞を含む多くのマスコミの“最低投票率制度がなければ過半数を大きく下回るような低い投票率で、憲法改正がなされる可能性があるから、この制度を導入すべきである”という主張は的外れで、むしろ弊害を伴うことを論考したものでありました。朝日新聞にはとても掲載されないだろうと思いながらも、投稿してみましたら、意外にも採用されました。
 今年は、新聞、雑誌やホームページなどで近年発表しました拙文を収録しました、仮題「老人の独り言」と、元々の専門事で、世に発表しておきたいことを纏めました、仮題「構造設計学覚書」の2冊を出版に漕ぎ着けたいと思っています。

平成21年元旦
 昨年暮れにNHKのスペシャルドラマ「最後の戦犯」を見ました。「個人の戦争責任」の重さについて考えさせるものでありました。個人の行為を執拗に責めたアメリカですが、国際法に違反して多くの一般市民を殺戮した無差別爆撃と原爆投下について責任を感じていません。このドラマを見ながら、このことが絶えず頭から離れませんでした。ドラマが取上げた「個人の戦争責任」と、この「戦勝国の戦争責任」との対比を示唆するような内容であったならば、もっと素晴らしいドラマになっていたでありましょう。戦争下での許せぬ残虐行為は敗戦国の日本だけでなく、戦勝国のアメリカにもあったのであります。
 だからこそ戦争は避け、阻止しなければなりません。そのためには世界の常識に基づいて、戦争抑止力として、また自主外交の後ろ楯としての自衛軍が持てるように、憲法を改めなければなりません。平和憲法が日本の平和を守っているのではありません。憲法前文にある「崇高な理想」には反する筈の日米安保条約と自衛隊が守っているのであります。この欺瞞、身勝手さ、依存心がもたらす精神的・物的損失は計り知れません。一国だけの理想論は自己満足だけに終わり、結果として平和と国益が守れません。賛同頂けない方が多いかと思いますが、敢えて愚見を述べさせて頂きました。
 昨年の賀状に、2冊の本を出したいと書きましたが、片方のコラム集の分量を減らして付録とし、「構造工学落穂拾い」という著書を1冊、昨年5月に出版いたしました。ご批評いただければ幸いに存じます。

平成22年元旦
 政府が思い切った「財政出動と減税」施策を採る以外に日本を救う道はありません。菊池英博著「消費税は0%にできる」をお読みいただきたいと思います。
 
今の日本はデフレギャップが顕著で、潜在的余剰能力があります。国債発行や政府貨幣発行特権活用による弊害、特にインフレ発生の懸念はありません。日本は実は金持ちですから、国債が暴落するという脅しが現実になったことはありません。不景気な時に借金を減らそうとする政策は必ず失敗しています。緊縮財政では却って、財政赤字が増えます。これは歴代内閣の緊縮財政施策で証明されています。景気が回復すれば、政府の借金は税収増で減らせます。
 正しい財政出動施策で景気を立て直したという、世界と日本の過去と現在の多くの貴重な経験に学ぶべきであります。一昨年のリーマン・ショックによる世界経済危機に際して、中国でさえも思い切った財政出動施策を採り、成功しています。日本だけが取り残されている現状を正視しなければなりません。
 
また日本政府は国民の持っている金融資産という財産を活用する義務があります。政府が活用しなければ、結果として日本のお金が外国に回ってしまうのであります。
 これまで国債を発行して何回も財政出動をしたが、効果はなかったではないかという意見があります。一定のそれなりの効果はありました。しかし規模が中途半端な上に、すぐ緊縮財政に戻りましたから、結果として、借金が増えました。また日本だけ
GDPが減りました。成長率が安定して数%以上になるまで、思い切った財政出動施策を継続して採り、次世代への責任も果たすべきであります。

お詫び
 菊池氏のお名前を賀状では間違えて、「博英」と誤記しました。謹んでお詫び申し上げます。

平成23年元旦 
 
昨年の日本の政治と経済は混迷を極めました。新しい政治勢力の台頭を願わずにはいられません。その勢力が目指すべき政策の骨子を挙げます。
@日本固有の文化を復活させる
 憲法改正を3年間で実現し、諸々の法律の抜本的改正、新設、廃止(例えば労働者派遣法、個人情報保護法など)を行う。
A5年で日本経済を立て直す
 毎年40兆円の景気対策のための追加財政出動を行い、5年間で名目GDP25%伸ばし、日本経済を着実な成長路線に乗せ、財政の健全化を実現させ、現在と将来の不安を解消する。
B自主外交を推進する
 従来のような過度な米依存外交や対外弱腰姿勢を改め、自主外交を強力に推進する。
C検察・警察組織の改革を断行する
 検察・警察の様々な不祥事を反省し、各段階でのチェック機能の充実と信賞必罰が徹底できるような組織に改変する。
D政治献金をすべて禁止し、自身の財産の投入に限度を設ける
 如何なる企業・団体・個人も政治家や政党に献金するのを禁止し、政治家自身の財産の政治資金への投入に限度を設ける。政治活動には限度額以内の自己資金と公的に支給される、限られた資金しか使えないことにする。
 詳しくは拙HP http://www.avis.ne.jp/~cho中の「初夢・正夢」「税金収入だけが政府の財源ではない!!」にあります。ご覧いただければ幸いです。
 さて、昨年4月に「老兵消え去る前に」(パレード、新書版、定価千円)を出版しました。ご興味がおありになる方はご一報ください。差し上げます。

平成24年元旦 
 東日本大震災とそれに伴う大津波、原発事故という大災害に遭遇されました皆様方に、心からお見舞いを申し上げます。
 大災害の復旧、復興のためにも、デフレ脱却による景気回復が最優先課題であります。今年こそ減税・積極財政施策を採る政府を誕生させなくては日本の将来はありません。
 さて今回の原発事故を経験して、改めて原発問題を考えてみました。その結果原発はある程度時間を掛けて見直すべきだし、それは可能だという結論に達しました。詳しくは拙ホームページをご覧ください。議論のごく要点だけを次に示します。
@原発なしでも電力確保可能
 再生エネルギーに期待できなくても、既存のエネルギー源でほぼ当面賄えますし、新しい別なエネルギー源もあります。
A何事にもリスクはあるという議論は原発には不適切
 例えば交通事故は無くせませんし、人は外出せざるを得ませんが、原発は止めれば(可能な選択)、リスクはなくなります。
B原発事故の原因は大津波だけではない
 種々な自然災害の他に、チェルノブイリ事故やスリーマイル島事故のような人為的ミスが原因になる場合が多く、大津波対策だけで飛躍的に原発の安全度が増すわけではありません。
C放射能の影響の過小評価は不可
 広島・長崎の被曝者でも長生きしている例があるから、放射能を恐れ過ぎていると言う人もいます。しかし多くの人を避難させ、住めなくした事実は決して軽視できません。
D高レベル放射性廃棄物の最終処分地決定は困難
E原発のコスト、本当はかなり高い
 昨年末公表されましたコスト試算値もすべての要因が入っているわけではありませんし、事故コストの推定も低すぎます。
F原発問題をイデオロギーで議論するのは間違い
 原発見直し可否とイデオロギーは本来無関係であります。
G様々な影響に配慮して現実的見直しを図るべき

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