国民投票法案の成立要件の議論につい(2007.4.17,19,20,25,29,30,5.1,2)

 国民投票法案が衆議院を通過し、参議院で審議が開始された。これまでの審議の手順もさることながら、内容についても様々な議論がなされている。それぞれに問題があるようである。ここでは最大の問題点であるとされている、国民投票の「賛成・反対票を合計した有効投票総数の過半数の賛成で成立」という成立要件について、余りなされていない、大事な視点からの私見を述べてみたいと思う。
 国の基本法である憲法を改正するという重大なことについて、この成立要件では軽過ぎて、国民の意思が充分かつ正確に反映されないという意見が圧倒的に多いようである。仮に有効投票率が
40%だとすると、全体の5分の1の意見で憲法が改正されたり、されなかったりされることになる。そんな一部の意見で憲法を判断してよいのかという観点からの主張は、確かに説得力があるように見える。
 このような観点から、「最低投票率制」とか「絶対得票率制」を導入すべきだという意見がかなりある。
 前者は、例えば韓国の例のように、有擁者の
50%以上が投票しないと国民投票そのものが無効になるような制度にすべきというものである。これに対しては、「国民投票を無効にしよう」とのボイコット運動を誘発するおそれがあるとか、国民の関心の薄いテーマだといつまでも改憲できなくなるという懸念が出されている。
 後者は、例えば英国の例のように、有権者の40%以上が賛成しないと成立しないような制度にすべきというものである。この制度では、ボイコット運動を誘発するおそれはなくなるが、国民の関心の薄いテーマだと、いつまでも改憲できなくなるという懸念は解消しない。

 そもそも、国の基本法の改正に当り、投票率が極めて低くなり、これが障害となって、必要な議論や改正が行えなくなる事態が予想されることとはどういうことなのであろうか。この基本のところに触れないで、「一部の意見で憲法を判断してよいのか」という形式的で皮相的な観点だけから成立要件を考えることに、筆者は大変疑問を感じる。
 憲法改正の可否を問うという極めて大事な国民投票に参加しないということは、言うまでもなく、国民としての義務を放棄しているのである。議員選挙で入れたい候補者がいないから棄権することは場合によっては許されるかもしれないが、あるテーマに関する国民投票では、棄権を正当化する理由は原則的にはないように思う。もちろん万やむを得ない理由で棄権することもあり得るが、投票率が
50%を切るような事態では、自らの意志で義務を放棄した人が棄権者の大半を占めるとみなければならない。そうだとすると、義務を履行している人たちの意志で憲法の議論をし、必要であれば改正するということをしても、決して無謀ではない。投票率の向上への努力をすれば、極端に低い投票率は避けられるであろう。仮にその努力の効果が出なかった場合には、義務を果さなかった人たちを慮って、無理成立要件だけに拘り、肝心の議論と手順が進められないという損失をもたらす愚を避けなければならない。

 現在成立要件を議論している人たちの大半は、現行憲法を改正すべきか、そうでないかという、それぞれの立場が有利になるようにという思惑が先んじていて、筆者の指摘する基本的な視点が欠落しているように思う。本来、どちらの立場の人でも、自分たちの主張への賛同者を増やし、国民の義務を果す有権者獲得に努力して、投票率の向上を計り、堂々と勝負すべきである。そうでなければ、戦術によって、憲法問題が左右されることになってしまう。
 市田忠義共産党憲法改悪反対闘争本部長は、“あるテレビキャスターは「ちゃんと投票率の下限を認めないで(国民投票を)やるというのは憲法を軽んじるもので、国民の意思を軽んじている」と指摘しましたが、そのとおりです”と述べている。軽んじていることになるとすれば、国民自身によるものであり、そのようにならないように努力するのがオピニオン・リーダーや政治家の責務であるという認識・自覚がテレビキャスターや市田議員には欠けている。形式的な少数意見による弊害ということだけにかこつけて、憲法を不磨の大典扱いにして、本当に改めるべきこと、逆に改めてはならないことが正当に議論されないままになってしまうことこそが、将来の日本国民のためにはならないということに気付かなければならない。
 中には、結果的に少数による国民の意思の決定になることもあると、純粋に懸念している人もおられれるであろうが、そのような方々はもう一度ことの本質を考え直していただきたい。また投票日を忘れてしまう人も沢山いるとか、投票数が少なければ成立しないだろうと思い込んでいる人もいるから、「最低投票率制度」を導入すべきだと言う人もいるようである。しかし、これは啓蒙活動
などでカバーできることである。

 4月17日付けの朝日新聞に、「国民投票法案、79%が最低投票率は必要」という記事が掲載された。これは、全国の有権者を対象に無作為に抽出して電話調査(有効回答1807人、回答率54%)した結果に基づいている。
 これを単純に読むと、筆者のような意見の持主は少ないということになりそうである。この調査での「最低投票率」に関する設問は、「衆院で可決された国民投票法案では、有効投票の過半数の賛成があれば、投票率の高い低いにかかわりはく、憲法改正が成立します。憲法改正が成立するためには、投票率か一定の水準を上回る必要かあると思いますか」となっている。これは典型的な誘導設問である。少なくとも「最低投票率制度」への賛否の議論を紹介した上で意見を求めるべきである、さらに一般にはほとんど指摘されていない、筆者の挙げたような根本的な視点が併記されていたら、結果は大きく違っていたであろう。アンケート調査は常にこうした問題点を持っている。また今回の調査でも、「最低投票率は必要」と答えたのは、全調査対象者の430.54×0.790.43)%に過ぎず、一見多数意見でも、意外にそうでもない側面を持っているのである。

 本文では、「成立要件」の問題に絞ってコメントしたが、この他にも内容や法案の審議の進め方に注文をつけたいことは沢山ある。中でも、多くの国民に十分周知されていないという問題があることは否めない。政府、政党、マスコミの一層の努力を望みたい(「付記」参照)。特に、本文で述べた視点については、徹底的に議論してもらいたい。

 上記で、「どちらの立場の人でも、自分たちの主張への賛同者を増やし、国民の義務を果す有権者獲得に努力して、投票率の向上を計り、堂々と勝負すべきである」と述べた。しかし、それが適切に行われる環境が整っているかということについては、甚だ心許なく思っている。
 思い出していただきたい。小泉前首相がいわゆる「郵政解散」で大勝したことを。政策の実質ではなく、巧みなパフォーマンスとマスコミの無責任報道によって、国民世論が極端に走るという状況の中で、憲法論議がなされる恐ろしさを多くの良識ある人たちは感じているのは間違いないであろう。最近流行っている、政治問題を興味本位の見世物化しているテレビのワイドショ−やバラエティ‐番組などは、政治に眼を向けさせる効果よりも、無批判に、感覚的に捉えて判断させてしまうことによる弊害のほうが遥かに大きい。マスコミ報道が儲け主義に毒され、読者数や視聴率に極端に左右されている状況から脱却する方策を、マスコミ自身の自助努力と世論の監視により、国を挙げて模索しなければならない。そのためには、他を攻めるのは躊躇わないが、自分を反省することを疎かにしていることを心から反省し、全国民が本来の日本人魂を回復することが何より肝要である。


 ひょっとすると、筆者は憲法改正を急がせる意図を持っているように、曲解されるかもしれない。素直に読んでいただければ、決してそうではないことはお分かりいただけると思うが、念の為に、
KAZZ氏の「拙速の愚」(http://mutekatsuryu.seesaa.net/20070413日)での、次の≪ ≫内の指摘には、全く同感であることを表明しておく。

≪拙速の愚を避け、如何に多くの国民を議論の土俵に乗せるか。そこに力点を置いて話をしないと、この法案は必ず躓きを見せてしまうだろう。そうなってからでは手遅れだという認識が、果たして安倍晋三らにはあるのだろうか。≫

 なおKAZZ氏は、“有効投票総数の過半数というのは、些か問題がなくはないか”とされ、筆者とは若干違ったコメントをされていることを断っておく。

付記2 朝日新聞の社説について2007.4.19
 本4月19日付けの朝日新聞は、「国民投票法案―最低投票率を論議せよ」というタイトルの次の< >内の社説を載せた。

<憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、無視できない世論が明らかになった。
 「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が
79%にも達し、「必要がない」の11%を大きく引き離した。朝日新聞社の世論調査である。
 国民投票法案の審議は参院に舞台を移したが、衆院を通過した与党案にも、否決された民主党案にも、投票が成立するための投票率に関する規定はない。
 共産、社民両党は一定の投票率に達しなければ投票自体を無効にするという最低投票率制の必要性を指摘してきた。しかし、これまでの審議では突っ込んだ議論にならなかった。
 たとえば韓国では、有権者の過半数が投票しなければ無効になる。英国では、有権者の
40%が賛成しないと国民投票は成立しないという最低得票率のハードルを設けている。
 国のおおもとを定める憲法の改正では、主権者である国民の意思をどれだけ正確に測れるかが重要な論点のはずだ。憲法96条は国民投票で過半数の賛成による承認が必要としているが、あまりにも少数の意見で改正される恐れを排除するには最低投票率制は有効だ、と私たちも考える。
 仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい。
 与党や民主党には、否決を狙ったボイコット戦術を誘発するとか、国民の関心が低いテーマでは改正が難しくなりかねない、といった反対論が根強い。だが、主権者の意思を確かめることが、いちばん大切なのではないか。
 どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない。与野党の合意が得られない今回の法案は参院で廃案にし、参院選のあとの静かな環境のなかで改めて議論し直すべきだ、と私たちは主張してきた。
 今回の調査では、この法案をいまの国会で成立させることについて、「賛成」が
40%、「反対」が37%と二分された。
 1カ月前の調査では、今国会で成立させるという安倍首相の考えに「賛成」の人が48%、「反対」が32%だった。ふたつの調査を単純には比較できないものの、時間をかけてでも与野党の合意を求める世論の広がりがうかがえる。
 国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている。なのに、国会でほとんど議論がなされていない現状は、これまでの審議から重要な論点が抜け落ちていたことを与野党に突きつけている。
 この問題のほかにも、メディア規制の問題、公務員の政治的行為の制限など、論議が不足している点は数多い。
 参院選で安倍カラーを打ち出すためにといった与党の思惑で、強引に成立を急ぐようなことがあってはならない。>

 書き出しで、“憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、無視できない世論が明らかになった。「投票率が一定の水準を上回る必要がある」と考える人が79%にも達し、「必要がない」の11%を大きく引き離した。”とある。上記本文で指摘したように、誘導設問をすれば、このような結果になるのは、ある意味では当然である。こう訊けばこなるであろうと予測できるようなアンケートをして、“国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている”と社説で断じるのは、正に我田引水的な世論誘導行為である。
 しかも一方では、“仮に投票率が4割にとどまった場合には、最低投票率の定めがなければ、有権者のわずか2割の賛成で憲法改正が承認されることになる。それで国民が承認したとは、とうてい言えまい”と、4割の半分の2割の意志だと強調しながら、他方では、回答者の79%の回答を捉えて“国民の8割が一定以上の投票率が必要と考えている”としている。“国民の”というのもオーバーだが、上記本文で指摘したように、正確には調査対象者の4割強が“一定以上の投票率が必要”と回答しているだけなのである。恣意的な数値の利用は慎んでもらいたい。

 “これまでの審議では突っ込んだ議論にならなかった”とあるのは、その通りで、上記文でもそのように述べた。しかしこれにはマスコミにも責任がある。この社説のように、“主権者の意思を確かめる”には、“一定以上の投票率が必要”という観点だけからの報道では片手落ちで、“突っ込んだ議論”を自ら行っていないのである。是非本文で指摘した、根本的な視点に触れて議論してもらいたい。

 “どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない”とある。これは一つの主張としてはあり得よう。しかし、そう思っていない人もかなりいることも事実である。本質論から言えば、憲法に改正条項があるのに、これまで半世紀以上に亘って、国民承認の手順が決められていなかったのは異常である。テーマがあろうがなかろうが、手順を規定するのは当然である。それなのに、のんびりと、“どうしても憲法改正を急がねばならないテーマが目の前にあるわけではない”とするのは、改憲をさせたくないという意図を感じる。上記本文でも述べたが、改憲するかしないかは、堂々と議論して決着をつけるのが本筋である。改憲を防ぐために、手順規程の議論にブレーキを掛けるのは邪道である。

 “参院選で安倍カラーを打ち出すためにといった与党の思惑で、強引に成立を急ぐようなことがあってはならない”とある。この点はまったくその通りである。上記「付記」でも触れたように、拙速では禍根を残す。十分議論しようではないか。

付記3 朝日新聞社の姿勢について2007.4.20
 昨4月19日の午前に、「付記2」をアップロードしてから、朝日新聞の「お問い合わせフォーム」のメールで、次の[ ]内を送った。

[先ほど、本日の貴紙社説「国民投票法案―最低投票率を論議せよ」を拙文「国民投票法案の成立要件の議論について」http://www.avis.ne.jp/~cho/ktse.htmlの「付記2」で取上げました。是非反論していただき、今後の記事にも反映させてください。]

 1日以上経過しているが、何の返事もない。実は拙文「格差社会是正は急務」http://www.avis.ne.jp/~cho/kaka.htmlで、朝日新聞の記事を取上げた時にも、同じように梨の礫であった。
 今回の誘導設問によるアンケート調査と「回答者の8割で、調査対象者の4割強」を「国民の8割」と臆面もなく誇張し、肝心の憲法の改正や維持に関するまともな議論や手続きはどうあるべきかが欠落した、国民煽動社説を等閑視できない。もう少し様子を見て、何らかの行動を取りたい。

  補足 田村秀・新潟大大学院助教授の主張などについて2007.4.20
 328日に行われた、衆院憲法調査特別委員会の国民投票法案に関する新潟市での地方公聴会において、田村秀・新潟大大学院助教授が「国会での発議に(衆参各院の)3分の2以上というハードルがあり、さらに最低投票率を設ける必要はないのではないか」と主張されたようである。
 確かに、一つの従的な理由としてはこのような主張はあり得ようが、もっと根本的な理由があっての上のことでなければならないように思う。やはり、上記本文で指摘したように、棄権率を極力下げる方策を講ずるのが本筋で、それを行っても、大事な義務を放棄するような、無責任な国民のために、肝心の憲法の改正や維持に関するまともな議論や手続きが、妨げられるのは、結局国民のためにならないという、真っ当な理由を訴えなければならない。

 次にあるインターネットのブログに、次の〔 〕内のような記述があった。

〔「「過半数」を有権者の2分の1以上とする」が適切に思える。
しかし、現在の法案では、有権者の過半数の人が、場合によっては有権者の
80%以上の人が「改憲に賛成しなかった」のに、改憲が実現してしまう状況が作られている。
例えば、投票率が40%だった場合、無効票・白票が10%(有効投票率90%)だとしたら、全体の18%(40×0.9÷2=18)余りの賛成で改憲案は成立してしまう構造。
これは極端としても、先の平成13年参院選を参考にすれば、総務省がまとめた最終的な数字は56.44%(投票時間が延長されたり不在者投票の要件が緩和されたりしたにもかかわらずこの数字だった)無効票は4.21%。
これに準じて投票率が56.5%だった場合、無効票・白票が4.2%(有効投票率95.8%)として、全有権者の27.1%の賛成で改憲案は成立してしまう!(56.5×0.958÷2=27.09
これを本当に総意というだろうか。
国民投票は選挙とは異質のもの。議員を選出するのとは違うだろう。国民の直接の総意を量るのであれば、少なくともそれにふさわしい数値を求める努力がなされなければならない。〕

 “有権者の80%以上の人が「改憲に賛成しなかった」のに”という前提は成立たない。何故なら、棄権した60%の人はすべて「改憲に賛成しなかった」ということはあり得ないからである。
 これなどは、ともかく改憲を何が何でも阻止しようとした、上記「付記2」で取上げた、朝日新聞の誇張と同質もしくはそれ以上の煽動記述である。なお“
これは極端としても”とあるから、誇張を多少意識していると思われるかもしれないが、この“極端”は、投票率の40%を指していることは、その後の記述で明らかである。
 内容と手続きの議論は別にしなければならない。朝令暮改になってはならないが、ある程度改正が可能になるようにしておかなければ、時代と環境の変化に対応できないし、仮に誤った改正に気付いても、元に戻せなくなってしまうことにもなる。

補足2 再び「有効投票総数の過半数」への異論について2007.4.25
 上記文で述べたように、審議中の国民投票法案では、例えば投票率が40%だとすると、全体の5分の1以下の意見で憲法が改正されたり、されなかったりされることになり、そんな一部の意見で憲法を判断してよいのかとされている。しかしこのようなケースでも、「一部の意見」とは決して言えないのである。
 通常行われている世論調査では、全体の40%にも達する規模のサンプリング数には、とても達していない。適切なサンプリング規模とされる数はこれより遥かに少ない。それでも信頼性はかなり高い。世論調査の信頼性を左右する要因はサンプル数のほか、設問の仕方にあることは、上記拙文でも指摘した。しかし、国民投票の成立要件を考える場合には、このような要因に絡む信頼性は無関係で、単純に結果が有権者の意思表示として有効かどうかに関してのことであるから、適切なサンプル数の観点からの有為性・信頼性を考えるだけでよい。ある程度以上の有権者が投票し、その有効投票の過半数が賛成すると、サンプリング規模による誤差はほとんどなく、有権者全体でも賛成者が反対者を上回るものと判断して差し支えはない。したがって、「一部の意見で憲法を判断してよいのか」との問題提起は誇張であって、その批判は当らない。念の為に、このことを「注1」に、数式を使って説明しておく。興味のある方はご覧いただきたい。
 さらに、この国民投票には、「国会での発議に(衆参各院の)3分の2以上というハードル」があり、この面からも単純に「一部の意見で憲法を判断してよいのか」とは言えない。筆者自身はこの憲法規定が適切かについては、若干疑問を持っていて、「3分の2」より「5分の3」のほうがさらに妥当ではないかと思っているが、その議論はせず、この規定があるという前提で本文はしたためている。

 このように、現在審議されている法案の「成立要件」に欠陥はないのに、感情的に「一部の意見で憲法を判断してよいのか」と議論するのは、結局無責任な棄権者(残念ながら世の中にはかなりいるが、そのような人たちに大事な決定が妨害されてはならない)を利用して、必要以上に高い改正のハードルを設け(「注2」参照)て、現行憲法を不磨の大典としようとしている。フェア−でないばかりではなく、結果として現状維持大衆に主導権を取らせることになっている。それでは保守そのもので、進歩・改革に反する。いわゆる護憲派は進歩・改革を標榜している人が多いが、実は柔軟性を欠く保守派なのである。護憲を主張するのであれば、その議論や手続きの土俵の設定にも進歩・改革的視点を望みたいものである。
 仮に高いハードルの下でも、自分たちの意図に合わない改正が行われ、その反省が世論に少し出たとしたら、その改正を容易にするために、ハードルを下げる議論をする、ご都合主義さえ予想したくなる。つまり、改正の是・否と、改正の手続きの議論は切り離して、手続きに感情を持ち込んで高いハードルを設けるべきではないのである。改憲、護憲双方共に、それぞれの主張を訴えて、棄権者を減らし、投票率を高めるのが本筋であることを、再度強調しておく。そのような努力をして、投票率が下がっても、結果の信頼性は結構高いということを認識してほしい。

 “成る程、投票率がある程度あれば、有効投票数の過半数が賛成すると、有権者全体でも賛成の方が多いと判断して差し支えはないということは分った。それには有権者に議論の内容が周知徹底されているという前提がなければならず、この前提が必ずしも保障されないから、やはり一部の意見で大事な憲法の改正が行われることを否定できない”という反論があるかもしれない。しかし事が憲法改正で国民一人ひとりの将来に密接な関係がある上に、「国会での発議に(衆参各院の)3分の2以上の賛成を要する」という条件があるので、周知徹底を欠いて、責任を果すべき有権者が無関心のままに、一部で進められるという状況はあり得ないであろう。やはり、今行われている「成立要件」の議論は、邪念に基づくか、余りに本質的視点を欠いた感情論だと言わざるを得ない。
 国会議員には過半数以上の厳しい条件を付けているのだから、全有権者にもある程度のハードルがあってもよいではないかという意見があるので、最後に付言しておく。国会議員は国会での発議に棄権する者はまずいないであろうが、有権者の中には国民投票を棄権する者がかなりいるので、有効投票数の過半数でも、かなり高いハードルになっているのである。

注1 投票率と結果の意味に関する数式による検討
 以下、次の記号を用いる。

T:  国民投票の投票率(%)
Y:  国民投票の全投票数に対する賛成票数の率(%)
N:  国民投票の全投票数に対する反対票数の率(%)
M:  国民投票の全投票数に対する無効票(白票含む)数の率(%)
    =
100−Y−N(Y+N+M=100より)
: 国民投票棄権者全員の中に占める賛成者の推定率(%)
: 国民投票棄権者全員の中に占める反対者の推定率(%)
: 国民投票棄権者全員の中に占める白票者の推定率(%)
    =
100−Y−N(Y+N+M100より)
: 全有権者の推定賛成率(%)
: 全有権者の推定反対率(%)
: 全有権者の推定白票率(%)

 因みに、審議中の法案における賛成成立要件は、Y>Nである。
 これらの記号を用いると、次の関係式が成立する。誘導過程は省略したが、
0.01が全体に掛っているのは、百分率で表記しているからで、比で表記すればこれは不要となり、式の意味は容易に理解されよう。

0.01{Y(T−M)+Y100−T)}
  =
0.01{Y(T+Y+N−100)+Y100−T)}
0.01{N(T−M)+N100−T)}
  =
0.01{N(T+Y+N−100)+N100−T)}
0.01{M(T−M)+M100−T)}
  0.01{M(T+Y+N−100)+M100−T)}

 ここでもし、有効投票の賛否票が同数で、Y=Nであれば、Yの可能性が高いと一応考えられるから、Zとなり、投票率に無関係に、総有権者の賛否は拮抗することになる。しかし、投票者の心理を考慮すると、少し状況は違ってくる。憲法の改正の是・否を問われて、棄権するのは、どちらかというと白票的な考え方が多く、また改正反対者は賛成者より投票で意志表示をする率が高くなるであろうから、賛否が拮抗する場合には、Yとなる可能性が高いと考えられる。したがってZ>Zとなり、投票率の高低に関係なく、投票で賛成の方が多い場合には、全有権者でも、賛成の方が多くなることになる。
 いずれにしても、ある程度の投票率があって、有効投票の過半数が賛成、つまりYがN以上であれば、投票率の数値に関係なく、全有権者で考えても賛成が反対を上回ると判断できるのである。
 このようなことは、何もこのような数式を用いなくても、ごく常識的に言えることであるが、数式表示があれば理解し易い、理科系の方々のために、敢えて説明した。逆に文化系の方々には却って理解し難いかもしれない。そのような方々はこの「注
1」は読み飛ばしていただきたい。

注2 「必要以上に高い改正のハードル」について
 「最低投票率制度」と「絶対得票率制」が如何に「必要以上に高い改正のハードル」になり得るかについて、以下補足説明をする。
 先ず、韓国の例のように、有擁者の
50%以上が投票しないと国民投票そのものが無効になるという「最低投票率制度」について考えてみる。先に指摘したように、各種議員や首長選挙の場合と違って、入れたい候補者がいないから棄権するというようなことはないし、直接国民一人ひとりの将来に密接な関係がある上に、「国会での発議に(衆参各院の)3分の2以上の賛成を要する」という条件があって、関心を持たざるを得ない憲法改正の賛否投票では、普通には有擁者の50%以上が投票しないという状況が起こることは考え難い。通常行われている色々な問題に関する世論調査でも、回答率は50%をかなり超えている。世論調査への回答と投票とでは煩わしさに若干差があるにしても、回答率と投票率の程度に大きな差はないであろう。そうだとすると、このような「最低投票率制度」は「高い改正のハードル」になり得ないと思われるかもしれない。ところが、ボイコット運動が展開されると、事態は一変する。

 ボイコット運動が展開されない場合の投票率をT%、その有効投票のY%が賛成票、N%が反対票、M%が無効票だとして、ボイコット運動の結果、本来反対票を投ずる有効投票のN%の内の人がα%だけ棄権すると、投票率が50%を切って、国民投票が不成立になるという条件から、αを求める式を誘導すると、誘導過程は省略するが、次のようになる。

 α=10000(T−50)/(TN))

 仮に、白票を含む無効票率が10%で、賛成票が投票総数の丁度過半数50%に達し、反対票が40%になった(すなわちM=10、Y=50、N=40)として、αを計算すると、83.3%(T=75%の場合)、62.5%(T=66.7%の場合)、41.7%(T=60%の場合)、22.7%(T=55%の場合)となる。つまり、賛成票が投票総数の過半数に達し、50401.251)の比率で賛成票がある状態でも、ボイコット運動がなければ4人に3人が投票に行くという投票率の場合には、その中で反対票を入れる人の83.3%の人がボイコット運動に協力して棄権すると、国民投票は成立しなくなるのである。反対者は意思がはっきりしているから、ボイコット運動にほとんどの人が協力するであろうから、このようなことは起こり得る。もしボイコット運動が展開されない場合の投票率がこれより低く、60%である場合には、反対票を入れる人の半分以下の42%の人がボイコット運動に協力するだけで、国民投票は不成立になり、簡単に改正阻止ができることになる。
 ボイコット運動がなければ、投票者の過半数の賛成(法案の有効投票総数の過半数という要件より厳しい条件)で改正が当然成立するのに、「最低投票率制度」のために、ボイコット運動によって、改正が葬り去られるという理不尽な事態が起こってしまうのである。
 有権者の50%以上が投票しないと国民投票そのものが無効になるという「最低投票率制度」は、一見そんなに高いハードルでないと思われるかもしれないが、実は極めて高いハードルとして利用され得ることが、以上の説明で理解いただけたと思う。

 次に、英国の例のように、有擁者の40%以上が賛成しないと国民投票そのものが無効になるような「絶対得票率制度」について考えてみる。
 この制度の下で、改正が成立するために必要となる、全投票数に対する賛成票数の率をYN%、改正を不成立にするために必要となる全投票数に対する反対票数の率をN%とし、これらと国民投票の投票率T%との関係は次のように表される。

 YN4000/T
 N100−M−YN

 また、この制度がない場合に、成立、不成立のために必要となる、賛成票数、反対票数の率をYN’%、N’%とすると、これらは次のように表される。

 YN’=N’=0.5100−M)

 仮に、白票を含む無効票率が10%(すなわちM=10%)とすると、YN’=N’=45%となり、YNYNYN’、N’/Nを計算すると次のようになる。

 T      75%    66.7%    60%     55

 YN      53.3%   60%     66.7%    72.7

 YNYN’   1.18    1.33     1.48     1.62

 N      36.7%   30%     23.3%    17.3

 N’/N  11.23   11.5    11.93   12.6

 「絶対得票率制度」でなければ、有効投票の45%以上の賛成票で、憲法は改正されるのに、仮に投票率が66.760%とすると、この制度がない場合に必要な賛成率の45%をかなり上回る6066.7%の、つまり1.331.48倍の賛成率が必要だということになる。逆に反対票は11.511.93倍の低い反対率で、改正を阻止できることになる。あるいは次のようにも言うことができる。仮に全有権者の過半数のT%の人が賛成していても、そのYN%以上の人が投票しないと、賛成とはならず、Tが50に近いほど、YNは大きくなって、厳しい条件となる。例えば、全有権者の75%の人が賛成している場合は、その53.3%以上の人が投票すればよいが、全有権者の55%の人が賛成している場合には、その72.7%以上の人が投票しなければならなくなる。
 いずれにしても。この「絶対得票率制度」は極めて厳しい条件の付与だということになる。なお、例として取上げた有効投票の45%以上の賛成票という条件が低過ぎると思う方々は、上記「注1」の指摘を再び十分吟味していただきたい。

 以上、「最低投票率制度」と「絶対得票率制度」が如何に「必要以上に高い改正のハードル」になり得るかについて、数値を根拠に説明したが、それでもなお憲法という国の基本法を改正するには、厳しい歯止めがあってしかるべきという主張をされる方々がいるであろう。このような方々に対しては既に述べてきた、次のことを虚心に理解してほしいと、再び強調しておく。
 現在の改正の是・否の議論や気持ちから手続きに必要以上に制約を加えるのは邪道であって、筋違いである。改正の是・否の議論と改正の手続きの議論は別で、これら二つを絡めてはならない。安易に憲法を改正すべきではないので、ある程度のハードルは必要であるが、過大なハードルを設けてはならない。柔軟に対応できるようにしておくべきである。そうでなければ、憲法に関して自由な議論さえもできなくなってしまう。かなりの人が改正の必要性を感じても、必要以上にハードルが高過ぎて変えられないというのは、やはり民主主義の原則に反している。場合によっては現在改正反対でも、将来自身が改正を必要とする事態が生じた時に、自らも困る事態に至るのである。  

補足3 ある憲法学者の「熟慮」の欠落(2007.4.29)
 本4月29日付けの信濃毎日新聞の「潮流」欄に、憲法学者・奥平康弘氏の論考文『「熟慮民主主義」の重視を』が掲載された。その中で、“熟慮すべき一つは、憲法改正に賛成する票が過半数だったばあいに効力を持たせるため、最低投票率を明記すべきかどうかである。もし、投票する人たちのほうが少なかったばあい、その過半数で憲法改正を成止させてしまっていいのか。法案は単に「賛成の投票の数が投票総数の二分の一を超えた場合は、国民の承認があったものとする」としてほおかぶりしている。”とある。
 筆者が本文で指摘した本質的な視点に気付かずに、“投票する人たちのほうが少なかったばあい、その過半数で憲法改正を成止させてしまっていいのか”と、極めて感覚的に捉えて批判している。“法案は単に「賛成の投票の数が投票総数の二分の一を超えた場合は、国民の承認があったものとする」としてほおかぶりしている”と決め付けているが、自らが「熟慮」を欠いている。また国民投票法案は“予期せぬ突発事態に対処するといった緊急性、必要性が高いわけでもない”とある。確かにそうだが、これまで60年間も改正の手続きが規定されなかったことへの反省はまったくない。この憲法学者も、自ら“憲法改正のための国民投票法案”と、恰も憲法改正が悪いことのように言っていて、改憲すべきでないという立場で、改正手続きの規程を論じている。上記した朝日新聞と同じ国民誘導的論である。
 なお、この奥平氏の論考文の趣旨は、“なお議論を要する問題点の例”を挙げて、熟慮すべきだというもので、この他の幾つか問題点について議論することに、筆者も異論はない。しかし、筆者が本文で取上げている成立要件の問題に関して、氏自身に「熟慮」が欠落していては、如何なものであろうか。

補足4 ある作家の感覚論的独善について2007.4.30
 本4月30日付けの信濃毎日新聞の「文化」欄に、「憲法60年に思う<上> 作家井上ひさしさんに聞く」が載った。この中で、井上さんは次のように語っている。

“国民投票法案の最大の欠陥は最低投票率を決めていないことです。日本の最近の選挙の投票率は5060%。その半分の賛成で憲法を変えてしまっていいのでしょうか。拙速もいいところで、九条を変えるためにハードルを非常に低くしています。”

 井上さんも、筆者の指摘した国民投票の成立要件に関する基本的な視点への思慮を欠いた、感覚論を展開している。作家であるから、このような一方的な思い込みではなく、もう少し総合的な観点から、冷静に分析して、説得力のある議論をしてほしいものである。“ハードルを非常に低くしています”とあるが、自分の主張に自信があれば、反対者を増やして容易にハードルを高くできるはずである。自信がないから、手続きに必要以上なハードルを設けようとしていることに気付いていない。

 井上さんの“環境を破壊し、人命を損なう無駄な戦争をもうやめようと、地球上の人間全員が考え、向き合うことです”という「理念」は間違ってはいないし、筆者もそう思う。それを実現させるための方法論として、世界に類例を見ない、日本のような平和憲法を堅持し、それを世界に広めようと考える方々の存在も否定はしない。しかし、憲法の前文にあるような、「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」という大前提が、残念ながら成立していないのが、世界の実状なのである。平和憲法で「理念」は実現しないと考える人が沢山いるのも自然である。「環境を破壊し、人命を損なう無駄な人殺しをもうやめようと、国民全員が考え、向き合うことです」という「理念」を掲げて、警察をなくせば、犯罪がなくなるかと考えると、その非現実性ははっきりする。九条を改正すると、「理念」まで否定していると決めつける、井上さんに代表される護憲論者の独善に、多くの国民は疑問を感じ、納得しないのである。

 井上さんは“六十年の間、国の名の下に一人も戦争で死んでいません。平和を守っている間に世界指折りの経済大国になり、それを保証したのが憲法なんです”とも語っている。これも一方的な見方で、これまで、護憲論者は安保改訂、自衛隊の海外派遣などで、すぐに日本も戦争に巻き込まれる違憲行為だと主張してきたが、“六十年の間、国の名の下に一人も戦争で死んでいません。”日本国民の平和に徹するという国民合意に基づく国是が今日をもたらしていることを虚心に認め、国の防衛を他国に頼んでいるという後ろめたい面もあるということを冷静に見つめるべきで、独善的見方を恰も疑う余地のない真実のごとく決め付けないでほしい。

 筆者は井上さんと同じ昭和9年の生まれで、戦争を小学生時代に経験した者として、独善こそ世の中を惑わすという教訓を敢えて強調したい。

 なお井上さんは、“そもそも、国民主権、永久平和、基本的人権の尊重という、三つの柱を崩すことは改憲の対象になりません。前文にこの原理に反する憲法、詔勅、法律は排除すると書いてあります。三つの原理は変えちゃいけないと、前文できちっと、うたっているのです。国民投票は成立しないのです。”と語っている。 憲法前文の@は次の【 】内のようになっている。

【日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。】

 “これは人類普遍の原理”の“これは”とは、“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する”を受けていることは明かである。仮に“排除する”をそのままにしても、九条改正を対象にして、“永久平和”という、一つの“柱(九条の規程を指すらしい)を崩すこと”は改憲の対象になり得る。したがって“国民投票は成立しないのです”というのは、無理な論理である。

補足5 ある新聞への投稿原稿について2007.5.1
 4月28日の朝、ある新聞社に次の{ }内のメールにある投稿原稿を送った。多分掲載されないであろうが、参考までに挙げておく(結局採用されなかった)。

{現在参議院で審議中の国民投票法案の成立要件が緩過ぎるという、極めて皮相的、感覚的な議論が結構多くありますが、これに対する本質的で的を射た批判が必ずしもなされていないように思います。そこで先般来、拙ホームページhttp://www.avis.ne.jp/~cho/ktse.htmlの拙文「国民投票法案の成立要件の議論について」で、愚見を展開しています。その要点を短くまとめた下記拙文を、何らかの形で貴紙に掲載していただけないでしょうか。ご検討いただければ幸いであります。宜しくお願いいたします。
                   
タイトル「国民投票法案の成立要件の議論について」
 参議院で審議中の国民投票法案の「賛成・反対票を合計した有効投票総数の過半数の賛成で成立」という成立要件が緩過ぎるという意見が結構多いようである。しかしこれは極めて皮相的、感覚的な見方である。
 憲法の改正の是か否かを国民に問う国民投票では、各種議員や首長選挙の場合と違って、入れたい候補者がいないから棄権するというようなことはない。また直接国民一人ひとりの将来に密接な関係がある上に、憲法に「国会での発議に衆参各院の3分の2以上の賛成を要する」という条件があって、関心を持たざるを得ない状況下で、国民投票は行われる。普通には、有擁者の
50%以上が投票しないという状況が起こることは考え難い。ところが例えば有権者の50%以上の投票が必要だとする「最低投票率制度」を導入すると、ボイコット運動によって、投票率が容易に50%を切り、改正が葬り去られるという理不尽な事態が起こってしまう。また「絶対得票率制度」を導入すると、全有権者では絶対得票率の水準を相当超えていても、棄権者がいるので、そのような人の投票率をかなり高めなければならないという、極めて厳しい条件が付与されることになる。
 憲法改正の可否を問うという極めて大事な国民投票に参加しないということは、言うまでもなく、国民としての義務を意識的に放棄しているのである。棄権を正当化する理由は原則的にはない。義務を履行している人たちの意志で憲法の議論をし、必要であれば改正するということをしても、決して無謀ではない。しかも世論調査などでは、比較的少ないサンプリング規模でも信頼性は高いとされることを考えると、投票率が仮に40%であっても「一部の意見で憲法を判断してよいのか」と問題提起するのは誇張であって、この批判は当らない。
 本来、憲法改正の是・否のどちらの立場の人でも、自分たちの主張への賛同者を増やし、国民の義務を果す有権者獲得に努力して、投票率の向上を計り、堂々と勝負すべきである。}

補足6 ある政治学研究者の独善について2007.5.2
 本5月2日付けの信濃毎日新聞の「文化」欄に、「憲法60年に思う<下> 政治学研究者石田雄さんに聞く」が載った。この中で、石田さんは次のように語っている。

“人間の尊厳を重んじる社会をめざすか、軍事的価値を重視する社会をつくるか、というせめぎ合いの中で、憲法は大きな転換点に来ています。「北朝鮮のような危険な国もあるのだから、憲法九条二項を守り非武装で通すのは理想論にすぎない」という議論が支配的になっています。だが、現実的に分析すれば、北朝鮮が核ミサイルで日本を狙うことは技術的に困難です。日米の強大な軍事力を見れば、北朝鮮が日本を攻撃する利益はありません。”

 “人間の尊厳を重んじる社会をめざすか、軍事的価値を重視する社会をつくるか”という問題を設定するのは独善に過ぎる。人間の尊厳を重んじるのは当然であるが、軍事的側面も等閑視できないとする、常識的な人びとの存在がまったく眼中にない、不遜な言い分であることに気付いていない。同様に思慮不足をご自身気付かずに、“現実的に分析すれば、北朝鮮が核ミサイルで日本を狙うことは技術的に困難です。日米の強大な軍事力を見れば、北朝鮮が日本を攻撃する利益はありません”と語っている。“日米の強大な軍事力を見れば”と、自分でも“軍事的価値を重視”している。日本が軍事力を放棄しても、世界は軍事力を放棄せず、しかも他国の軍事力で日本の平和が保たれているという、厳然たる現実を無視できない。石田さん自身も、そのことを“日米の強大な軍事力を見れば”という言葉で、無意識に吐露しているのである。
 この政治学研究者も、客観的にものを考える姿勢を欠き、自己矛盾にも気付かない、独善者である。このような人たちばかりを登場させる、マスコミの偏った報道の中で、憲法問題が議論される恐ろしさは慨嘆に耐えない。

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