情報公開請求者の個人名などの漏洩問題について(2004.1.16,19,20,24,2.2)

 例の流域対策に関連して、昨年二度田中康夫長野県知事に情報公開請求をした経験を持つ者として、今回の請求者の氏名などが漏洩した問題についてコメントしたい。

 請求者の氏名などのプライバシーに関わる情報を、仮に関係する当事者に対してであっても、請求者の承諾なしに知らせるのは避けなければならない。その意味で今回の県議会事務局と議長の最初の対応は好ましくないし、議長も謝っているのは当然であろう。今回の問題で、請求者の人権が守られる必要性が浮き彫りになり、それはそれで大事なことである。

 しかし同時に、請求に関係する当事者の人権も守られなければならない。このことについての議論が今回まったく欠けている。今回の請求がどういう意図でなされたかは定かでないが、一般論として、請求者の人権のみが守られるとすれば、そこに付け込んで、嫌がらせや中傷のために、情報公開請求をするケースもあるであろう。それを防ぐための歯止めは欠かせない。

 例えば情報公開請求に関係する当事者が不審を抱き、それ相当の理由を提示できる場合には、請求者の氏名とその目的を質せる権利をこの当事者に認めるべきである。筆者は法律の専門家ではないので、既にそのような権利が認められているのか詳らかではないが、もしそうでないなら、早急に法の整備を望みたい。
 情報公開を請求する者には、それだけの覚悟が必要である。そうしてこそ社会的責任が果せる。筆者は二回共、公文書公開請求書をホ−ページに公開している。本来は余程のことがない限り、請求者は自ら名乗って請求すべきであると個人的には思っている。法的にはそこまで要求できないとしても、正当な理由に基づいた要求があれば、名乗り出て説明しなければならない義務を課すのは当然であろう。事情によっては名乗り出て説明するという覚悟なしに、情報公開請求などをすべきではない。

 なお、以前は情報公開請求時に目的を書く欄があったようであるが、批判があって、この種の多くの条例ではなくなり、長野県でもそれを書く欄はない。これなども、請求者の権利に配慮し過ぎだと思う。請求する目的は当然書かれるべきである。戦後の権利偏重、義務軽視思想が、情報公開請求問題にも蔭を落していると言えよう。

補記

 プライバシーに関わることを含む情報を受けた当事者が第三者にそれを見せ、さらにこの第三者がホームページで公開したことの是非については、色々議論はあるだろうが、責任問題に関連して非難することはないように思う。もちろん県議会事務局から、プライバシーに関わる情報を漏らさないように条件が付けられていれば別だが、そうではないようである。つまり不正な手段で情報を入手したのでも、約束違反をしたわけでもない。あくまで与えられた情報に基づいて、それぞれ自分の責任で判断して行ったことである。その後に、公開情報を削除したり、“配慮が足りなかった”と謝ったりしていることを含めて、他人はこの人たちの行動を評価・判断するとしても、責任を云々すべきではないように思う。この人たちは県議会事務局の担当者や議長の立場とは、基本的に異なっている。

 ところで、発端に問題はあったものの、請求者の氏名と立場は既に公になっていて、しかもこの人物は県から「しなの鉄道」に出向していることも明らかになっている。このようなことがはっきりした以上、もはやプライバシーの侵害には当らないし、いずれ正攻法でも明らかにすべき性格の情報だから、一般のマスコミも請求者の意図と当事者の見解を取材して報道するのは、むしろ当然である。知る権利に応える義務が報道関係者にはある。臆することがないように望みたい。

補記2(2004.1.19)

 上記の“請求に関係する当事者の人権も守られなければならない”に関連して、大事な視点を書き落していたので補足する。
 今回この問題の報道では、請求者の氏名は伏せられているが、請求の対象になった、三人の県議の名前は明かされている(信濃毎日新聞1月15日一面)。請求の目的は分からないが、事実関係の有無とは無関係に、三人の県議のイメージダウンになる可能性が非常に高い。請求者に対して配慮するのであれば、県議は公人だとしても(注参照)、同じ配慮をするのが公平な扱いだというものである。逆に片方の名前を明かすのであれば、もう一方の請求者の名前も明かすべきである。その上で両者の言い分を記事にしなければならない。

 一般論としては、一個人と公人のプライバシー問題の扱いに、ある程度差が出るのは仕方がないであろう。しかしそれは、そのプライバシー問題が公人としての評価を左右する場合に限られる。今回の場合は「公人としての評価」に関係するかどうかは、現段階ではまったく不明なのである。そうした段階では、無関係を前提にするのが妥当な扱いである。それなのに、氏名を公表したということは、無意識かもしれないが、ある予見を持って報道したことになるし、読者も間違って受け取ってしまうであろう。

長野県議会議長の「公文書公開請求に係る不適切な事務処理についての謝罪」について(2004.1.20)

 本日初めて、標記謝罪文なるものを読んだ。先ず県議会議長の謝罪文を【 】内に挙げる。

【公文書公開請求に係る不適切な事務処理についての謝罪
 この度、長野県議会議長あてに請求をいただきました公文書公開請求に記載された請求者の個人情報が、一部のインターネットホームページなどに掲載されたことに関しまして、請求者の方はもとより、関係の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。
 これまで県議会では、公文書公開請求があった場合、議長の責任のもとに、それぞれ公開又は非公開の決定などの事務処理を進めてきておりましたが、今回のケースでは、請求の内容が一部の議員に限定したものであり、議員は議会の組織を構成する一員であるという考え方から、当事者たる議員に限定した上で、情報の提供として請求内容を伝えたものであります。
 このことが、情報を外部に流出する結果を招いたことにつきましては、誠に遺憾であり、そもそも、公文書公開請求をされる方の権利の尊重や個人情報の保護という観点に立ち戻ったとき、不適切な事務処理であったものと深く反省しております。
 県民の皆様には、議会並びに情報公開制度への信頼を著しく損ねたことに対しまして、改めて心よりお詫びを申し上げます。
 今後は、個人情報をはじめとする情報の保護・管理に万全を期すため、原則として議長以外の議員への提供は行わないこととするとともに、改めて、議員及び職員に対する情報保護・管理の徹底を図り、県民の皆様の信頼回復に全力で取り組んでまいりたいと考えております。
 最後に、今回の公文書公開請求は、あくまでも請求者本人の意思に基づき情報公開を請求したものでありますが、一部のホームページに掲載された内容が事実と相違し誤解を招くこととなり、請求者及び関係者に多大なご迷惑をおかけしました。ここに重ねてお詫び申し上げます。
平成16年1月16日
                           長野県議会議長 小林 実】

 謝罪文の書き出しが“この度、長野県議会議長あてに請求をいただきました公文書公開請求に記載された請求者の個人情報が、一部のインターネットホームページなどに掲載されたことに関しまして、請求者の方はもとより、関係の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます”となっているが、事の本質を議長は理解していないか、意識的に逸らしている。
 “一部のインターネットホームページなどに掲載されたこと”が事の発端ではない。個人情報を議長の承認のもとに事務局が漏らしたことに発端がある。その自覚に欠けている。“当事者たる議員に限定した上で、情報の提供として請求内容を伝えたものであります”とあるが、限定したのは、議会事務局もしくは議長の「つもり」であったかもしれないが、情報提供相手に限定したことを伝えなければ、限定したことにはならない。こんな無責任な言い逃れは見苦しい。素直に、個人情報を了解なく漏らしたことを謝るべきである。

 なお、“一部のホームページに掲載された内容が事実と相違し誤解を招くこととなり、請求者及び関係者に多大なご迷惑をおかけしました。ここに重ねてお詫び申し上げます”とあるが、“事実と相違し誤解を招くこと”とはどんなことを言っているのであろうか。誤解を招く内容を明示しないで、こんな曖昧な表現を謝罪文ですべきではない。

 以上にように、田中知事ばかりでなく、自分の責任を認めず、他人のせいにする姿勢こそ、今の日本の病根である。

県議会議長の謝罪文の最後にあるお詫びについて(2004.1.24)

 2004.1.20の上記文で、“事実と相違し誤解を招くこと”が何を差しているのか不明で曖昧だと指摘したが、これはどうも、「請求者の背後に別な複数の著名人がいることが示唆されていたこと」(原文が不明なので、正確ではないかもしれない)を言っているようである。
 もしそうであるなら、県議会議長が“事実と相違し誤解を招くこと”と、コメントすべきではない。あくまでこの示唆はホームページ開設者の責任で述べていることで、個人名などの漏洩責任とは別なことであるし、県議会議長の責任外のことである。しかも、議長は“今回の公文書公開請求は、あくまでも請求者本人の意思に基づき情報公開を請求したものでありますが”と断っている。そもそも議長は“請求者本人の意思に基づき情報公開を請求した”ということを判断できる立場ではいない。仮に根拠があったとしても、こんなことを言うべきではないが、何を根拠にこんなことが言えるのであろうか。この件が発覚してからの期間が極めて限られていることから、請求者本人やごく一部の関係者の言い分だけで判断して、言っているとしか考えられない。だとすれば、軽率に過ぎる。
 何れにしても、議長が詫びなければならないことではないし、場合によっては、事実に反する判断を議長として行った責任を問われる可能性もある。不必要な責任逃れと言い訳である上に、責任感の欠如した極めて遺憾な詫び行為である。公の責任者としての自覚が議長に欠落しているとしか言いようがない。

補足(2004.1.24)
 ある2chに、『“一部のインターネットホームページなどに掲載されたこと”が事の発端ではない、というのはどうかな?議員には過去4件?同じように知らされていたのに問題になっていない。今度の騒ぎになったのはホームページに晒されたからだろう。』とあった。説明不足であったかもしれないので、敢えて補足説明を加える。
 発端があれば、必ず問題になるとは言っていない。発端がなければ、インターネットホームページなどに掲載されなかったと言っているのである。また、表面化していないから、過去4件の漏洩が許される訳でもない。何れにしても、本人の了解なしに個人名などの漏洩があったことが先ず問題で、これさえなければ、今回のような経過でのインターネットホームページ掲載はあり得なかったのである。

補足2(2004.2.2)
 ある2chに、自分からは本名を名乗らない仮名氏から、筆者が“「知る権利を行使するものには覚悟をさせるべきだ」と言う主張”をしているとして、読売新聞の記事中の“宇賀克也東大教授の指摘「『いかなる人がどんな目的で請求しようとも問わない』という制度の原則が徹底されていない」、「請求者に対する無言の圧力になり、請求行為を手控えさせてしまう」”などを援用して難詰している。
 拙文の該当箇所を再度読んでいただきたい。≪請求者の承諾なしに知らせるのは避けなければならない≫と冒頭で指摘しているではないか。「知る権利を行使するものには覚悟をさせるべきだ」などと、筆者はどこにも表現していないし、主張もしていない。

 筆者は、≪正当な理由に基づいた要求があれば、名乗り出て説明しなければならない義務を課すのは当然であろう。事情によっては名乗り出て説明するという覚悟なしに、情報公開請求などをすべきではない。≫と書いている。≪正当な理由に基づいた要求があれば、名乗り出て説明しなければならない義務を課すのは当然であろう。≫というのがどうして、「知る権利を行使するものには覚悟をさせるべきだ」(筆者注:“すべての情報公開請求者に名乗り出る覚悟が必要”という意味になる)となるのであろうか。「請求者に対する無言の圧力になり、請求行為を手控えさせてしまう」ケースまで、≪名乗り出て説明するという覚悟≫を要求してはいない。≪事情によっては名乗り出て説明するという覚悟≫を要求しているのであって、場合によっては、必ずしもその覚悟を要求してはいないのである。
 さらに、≪それ相当の理由を提示できる場合には、請求者の氏名とその目的を質せる権利をこの当事者に認めるべきで…、もしそうでないなら、早急に法の整備を望みたい≫としていて、現行の法原則を無視・軽視しろとは言っていない。必要なら法の改正をしろと言っているのであって、法原則を無視・軽視しろとは言っていない。

 また、「『いかなる人がどんな目的で請求しようとも問わない』という制度の原則が徹底されていない」と非難されるようなことを筆者がどこで主張しているというのであろうか。≪以前は情報公開請求時に目的を書く欄があったようであるが、批判があって、この種の多くの条例ではなくなり、長野県でもそれを書く欄はない。これなども、請求者の権利に配慮し過ぎだと思う。請求する目的は当然書かれるべきである。戦後の権利偏重、義務軽視思想が、情報公開請求問題にも蔭を落していると言えよう。≫としているが、≪書く欄≫を設けるべきとしているだけで、現行の制度の原則を無視しろと言っているのではなく、原則の一部を見直して元にもどして、請求する目的を書く欄を設けろと指摘しているのである。つまり規定を改正して実行させろとしているのであって、法を無視しろとは言っていない。
 なお、『いかなる人がどんな目的で請求しようとも問わない』という現行制度の原則そのものが、《戦後の権利偏重、義務軽視思想が、情報公開請求問題にも蔭を落している》ので、改めるべきだと筆者が主張していることに異論があるのならば、「徹底されていない」という批判ではなく、筆者の考えに直接反論すべきである。それならディベートになり得ると指摘しておく。

 ともあれ筆者の指摘を正確に理解してから批判して欲しい。田中知事の口先だけの「批判は宝物」という虚言からではなく、筆者は批判を心から大歓迎している。しかし、筆者の主張を、勝手に「 」書きに改ざんした上での見当違いの批判は、批判の名に値しない。また“所詮世間知らずの御用「公務員教授」のアナクロニズムとのレッテルが貼られてしまう”という意味不明(「公務員教授」?)で、品性が疑われる罵倒もあった(もっとも“アナクロニズム”とするところに、誤った戦後教育の影響を感ずるが)。したがって、こんな書き込みに応える必要はないのであるが、折角拙文をお読みいただいているようなので、恣意的な読み方をされないように、注意を喚起するために、敢えて言及した次第である。
 できれば姓名を名乗って、直接筆者宛に(筆者の掲示板への投稿も含む)批判を送付し、その上で天下に公表されることを強く望みたい。

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