堀田力氏の評論『「脱ダム」騒動への疑問』について 2002.8.59

 2002.8.9に追記1、2を載せた。

 8月5日付けの信濃毎日新聞に、堀田力氏の評論『「脱ダム」騒動への疑問』が掲載された。氏は“今回の「脱ダム」騒動について、おかしいと感じることを四点書く”として、要約次のように指摘している。

第一点 脱ダムの損益と手順の問題
 脱ダム問題は、人命にかかわる問題というより、…財産損失に関する問題である。直接・間接の被害額は算出可能である。ダム建設の経費と損失額も算出する。またダムにかわる代替案についてもその工事費用とマイナス額を併記する。このような損益を数字で示し、まず、被害に遭う可能性のある地域の住民の意志を問う。そこでまとめた案について、県民及び国民の意向を問う。こういう手順を踏まないから多くの国民は判断に苦しむのではないか。
第二点 財政悪化論
 かりにダムが無駄とすれば、将来にわたる負担は莫大な額になることを考えないのか。長野県民だって国民なのに、国の損のことはどうでもいいのか。
第三点 国の態度の冷淡さ
 より安価で住民も納得する代替案が見つかれば、国税の節約になる。目の色を変えて、よい対策を探すべく長野県に協力すべきだ。
第四点 長野県議会の態度
 県議会は自らよりよい案を提示するくらいの意気込みがほしい。

 これら四点の指摘は一見大所高所から評論していて、妥当なものであると思われるかもしれない。しかし、『脱ダム』を巡る実際の経過や議論を知らないで、自分の思い込みに基づいて、無責任な評論をしていると言わざるを得ない。以下そのことを具体的に述べてみたい。

第一点について
 この指摘のポイントは、損益を数字で示して議論しろということであるが、そもそも『脱ダム』宣言には、そのような視点はまったくなく、逆に「縦しんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、百年、二百年先の我々の子孫に残す資産としての河川・湖沼の価値を重視したい」としていて、むしろ損益は度外視されている。また検討委員会でも殆どこれに関する議論はされていない。しかも田中前知事は、これまで計画されている治水の整備水準は必要だと判断しているのである。したがって、もし堀田氏がこのような疑問をぶつけるのであれば、“「脱ダム」騒動”にではなく、田中前知事の『脱ダム』宣言とそれに基づく具体策の枠組に対してでなければならない。ところが堀田氏は田中前知事はこのような側面も含めて問題提起していると思い込んでいるから、こんな頓珍漢な指摘をするのであろう。
 ただし、この第一点の指摘を田中知事に指摘し、その方向で議論が進んだとしても、問題の解決には寄与しないであろう。安全と経済性に関しては、幾つかの拙文で触れているので、結論だけを記しておく。一般に安全問題では、事前に対策を講じないで、被害が生じた場合だけを対象に回復・補償などに費用を掛けるほうが、遥かに安くつく。つまり経済性の原則を前面に出して、安全問題を論じても、判断材料にはなり得ない。また毎年のようにどこかで事故・災害があり、社会問題になっているのに、経済性の原則を前面に出して、我慢しろ、もしくは我慢すべきだとしてはならないことは言うまでもなかろう。百年に一度の安全水準が高いと思われているようであるが、通常はそれでもかなりのリスクは残っているのである。しかも現状の安全水準はそれより低いのである。可能な範囲内で安全対策に費用を投入すべきで、通常はそれ程突出してダム建設に経費が掛けられようとしているわけではない。不要不急な事業は別にあるというのが本当のところであろう。

第二点について
 財政悪化論を県議会側が持ち出しているが、説明が必ずしも適切ではないのは確かである。しかし、堀田氏は「かりにダムが無駄とすれば、将来にわたる負担は莫大な額になることを考えないのか」という自分の考えを、そのように無駄だと思っていない相手に押しつけるのは不遜だし、「国の損のことはどうでもいいのか」と、これまたそう思っていないのに決めつけるのは乱暴に過ぎる。

第三点について
 「より安価で住民も納得する代替案が見つかれば」と堀田氏は言っているが、田中前知事は「より安価で住民も納得する代替案」を見つけようとするどころか、現実性のない、場合によっては高価な代替案も辞さないとしているのである。また堀田氏自身もお書きのように、国は「合理性があれば補助金の返還は求めない」としているのであるから、長野県に協力しないとは言っていないのである。むしろ具体案ができたら相談に応じますとしているのである。

第四点について
 「県議会は自らよりよい案を提示するくらいの意気込みがほしい」とされる前提には、これまでの案がよくない案だとの思い込みがあるからである。一年にもわたる検討委員会や部会での浅川と砥川の河川整備計画に関する議論を客観的に見れば、これまでの案がよくないとする議論は場当たり的で、学問的でなく、破綻した議論に終始している。逆にこれまでの計画の妥当性が浮き彫りにされたと言ってよい。だからこそ、田中前知事は検討委員会の答申の大前提である基本高水過大論を採用していないのである。県議会が過去に認めた案がよい案だとより鮮明に再認識したのであるから、別な案を示さないのは当然である。

 さて、堀田氏にもあるように思われる、田中前知事に反対しているのは、ダム建設推進派だという、もう一つの思い込みの間違いを指摘しておきたい。
 先ずダム建設があるのではない。治水・利水のある水準を確保するために、ダム以外に適切な手段があれば、それに反対してはいない。田中前知事は必要な治水・利水の水準を確保すると言いながら、現実性のある具体的な方策を示さないから反対しているのである。県議会での議論を確認してみてほしい。一方田中前知事のほうこそ、何が何でもダム中止がありきで、そのためには先に触れたように結果として費用が嵩むことも辞さないとしているし、さらに場合によってはより自然破壊になるような案さえも仄めかしているのである。

 いずれにしても、自分だけの思い込みによらず、客観的な事実を調べた上で、責任のある評論をして貰いたいものである。別な拙文でも既に指摘したが、田中前知事を巡る、識者の議論はこの種のものが目立つ。つまり日頃の自身の主張に沿ったことを田中前知事はしているという思い込みから、事実を調べないで空論を論じているのである。

追記1(2002.8.9)

 本拙文を載せた翌日の8月6日に、堀田氏に「さわやか福祉財団」のホームページを通じて、反論をお願いしたが、現在までに何の連絡も貰っていない。

追記2(2002.8.9)

 ご参考までに、本拙文に関して、信濃毎日新聞の編集責任者に送ったメールを挙げておく。いずれについても返事はないので、無視されたようである。

2002.8.5
 本日の御紙に掲載されました「月曜評論」を取上げて、拙文“堀田力氏の評論『「脱ダム」騒動への疑問』について ”を先程ホームページ

http://www.avis.ne.jp/~cho/hota.htmlに載せました。
 参考にして頂ければ幸甚です。

2002.8.7
 一昨日、拙文“堀田力氏の評論『「脱ダム」騒動への疑問』について ”をご連絡申し上げました段階では、失念していましたが、ある方からの連絡を受けて、確認しましたところ、堀田力氏は昨年3月に田中前知事が県政の総合的な政策アドバイザーとして委嘱したい「特別顧問」の一人でありました。かかる人物に今の時期に選挙に関連するテーマを貴紙に掲載されるのは著しく穏当を欠くと思います。しかし掲載されてしまいましたので、この見解への批判ないし反論を載せる必要があるのではないでしょうか。インターネットの拙文のままとは申しませんが、拙文を掲載して下さいますようお願い申し上げます。なるべく早いご返事をお待ちしています。

2002.8.8
 昨日送信しましたメールをご覧頂きましたことと存じます。明日午前中までにご返事が頂けない場合は、誠に不本意で、残念の極みですが、無視されたものとして対応させて頂きます。

< ホームへ >