ちょっとひとことbP(2003.03.13,16,17,30〜)

 本日60代最後の年齢に達した。これを契機に、折々に感じたこと、知り得たことなどを取敢えず手短かに記してみたいと思う。  

☆本日(12日)の日テレ「ザ・ワイド」での有田芳生氏の発言
 田中知事の北朝鮮拉致の「家族会」に関する発言について、「田中さんという人は、これまで間違ったことをいった時には、素直に撤回したり、謝ったりしてきた」という趣旨のコメントをしていた。そうでない事例は幾らでもあり、まったく逆である。これなどいわゆる“田中康夫虚像”の思い込みによるコメントの典型的な例である。有田氏はジャーナリスト失格である。もっとも、このような“ジャーナリスト”がほとんどであるのであるが。  

☆浅川の、いわゆる「枠組み案」
 ある筋から、標記に関する次のような、未確認情報を得た。
 “4月に発表される「枠組み案」では、「140haの田圃を浅川の貯水に利用する」ようである。”
 140haの田圃で、かりに20cm程度の湛水が可能であれば、容量的にはかなり期待できるが、この案には次のような現実的な問題点がある。
@このような洪水が発生するのは、かなりな降雨があった後である可能性が高いから、すでにある程度田圃に湛水されていて、その効果には限界がある。
A最大90m3/secの処理洪水を適切に取水するには、一旦貯水するなどのために、かなりの設備が必要であろう。
B140haの田圃に水をうまく満遍なく行き渡らせるためには、かなりの規模の水路網が必要である。
C田圃や水路の地主,関係市民の協力を得るのは極めて困難である。
D前記A、Bにより、環境に与える影響は、場合によっては、ダムを建設するより大きい可能性がある。
E管理と責任という難しい問題がある。また技術上の未解決問題もある。
 したがって、この案は現実性のない、机上の空論に過ぎない。
 なお、上流の溜め池を利用しよう(単に調整と湛水という貯水機能を持たすだけ)としているのではないかという情報もある。しかしその効果は極めて限定的なものであろう。
 いずれにしても、実現可能性のある流域対策などない(実は知事自身も分かっていることは、例の「匿名テープ」による、知事の本音発言で明らかである)のに、あるがごとく振舞ったり、案を部下に検討させているのは、県民を欺くものであり、時間と税金の無駄遣いである。知事の無責任を看過してはならない。
記事訂正(2003.3.16)
 3月14日付けの「新建新聞」に、筆者の見解が載った。その中で、“ダムの貯水量(毎秒450立方b)は、森林整備、遊水池、貯水設備などの流域対策でカバーできるものではない。…”とあるが、“基本高水流量の20%もの量は、森林整備、遊水池、貯水設備などの流域対策でカバーできるものではない。…”とすべきでした。“ダムの貯水量(毎秒450立方b)”というのは間違いでした。この記事をお読みいただきました方々には、筆者の不注意をお詫び致します。

☆イラク問題
 今回のイラク問題では、ならずものを成敗して、戦争を遥かに上回る犠牲が出るのを防ぐという“正義”と、戦争反対という、極めて人間的で、誰もが感情的には納得する“正義”(これには武力行使は却って泥濘にはまり込み、より混乱と犠牲者を出すという見方を含む)が表面に出ているが、同時に各国の利害関係が複雑に絡んだ外交戦が展開されているのである。結果として、フセインを誤解させ、本来の目的が失われつつあることを大変憂慮する。この状況は北朝鮮問題の解決を一層困難にするであろう。いずれにしても、アメリカ、フランスその他も冷静に、本来の目的のために対応してほしいのだが、もうその可能性はほとんどなく、イラク攻撃は必至であろう(個人的にはこの予測が外れてほしいが)。残念ながら、こうした現実を踏まえて判断せざるを得ない。そこで敢えていう。武力行使もやむを得ないであろう。
その後の状況(2003.3.16)
 上記の見通し通りに進みそうである。今回の成り行きは、アメリカ、フランス共に読み違いがあったように思う。どちらの読み違いが大きいかといえば、やはりフランスだったように思う。ある程度フランス・ヨーロッパの独自性を主張して済まそうとしていたのに、予想以上に反戦ムードが盛り上がり、引くに引けなくなったのではなかろうか。結果としてフセインにミスジャッジをさせ、内心シラク大統領はしまったと思って、後悔しいるのではないか。ひょっとして、フセイン大統領の「世界中に戦争拡大」という昨日の発言を捉えて、武力介入もやむを得ないといい出すかもしれない。

☆竹中大臣との対決(?)(2003.3.16)
 本日(3月16日)夕方の日本テレビの番組で、竹中大臣に、何人かの一般人や、この番組のコメンテイターである河上和夫(元検事)氏との直接対話の模様が放映された。
 一般人は竹中大臣に巧くあしらわれるのは初めから分かっているのに、こんな企画をするのは、マスコミのある種のポーズによるものに過ぎない。それでも、「これだけ自殺者が出ていることを大臣は考えているのですか」という趣旨の、ある主婦の追及に、「考えていないと思っているのですか」と、気色ばんでいた大臣の発言は印象に残った。痛いところを突かれると、一見冷静な人でも感情的な反応しかできないものである。
 なお、直接対面した時には、通り一遍の質問しかしないで、後で大臣を批判していた河上氏の姿勢も頂けない。
 本当に竹中大臣に対決させるつもりなのであれば、例えば、作家の高杉良氏に、竹中氏の失政とか自身の税金問題(月刊誌「現代」12月号参照)を質してもらえばよかったのである。それができなくて、こんな企画を放映するのは、欺瞞行為に他ならない。

☆田中知事提案案件の否決・廃案の見通し(2003.3.17)
 息子がいじめで自殺したのだと訴えている人を県教育委員会委員に任命するとした田中知事の提案が県議会の委員会で否決され、本議会でも否決の見通しである。また、知事の任期を三期十二年までとする努力規定を盛り込んだ多選自粛条例案を継続審査とすることを委員会は決め、この条例案は審議未了で、廃案となる見通しである。
 この両提案共に、知事はどうしても認めてもらいたいというものではなく、むしろ通らないないほうが都合がよいという思惑に基づいている。どちらも、県議会では認められないだろうことは初めから予想されていた。教育委員の件は係争中の当事者で、適切ではなく、また多選自粛条例案は、今決める必然性はまったくなかったからである。それでも知事が敢えて提案したのは、知事は思い切ったことをやろうとしているという姿勢が示せるし、否決されれば、議会からの抵抗にあっていると県民に訴えられるという思惑があったからである。残念ながらその作戦が成功しそうな状況である。
 田中知事の遣り方は、すべからく、思惑・作戦に基づいている。その典型例が出直し選挙で、見事に成功した。不信任案議決を受けて失職を選択したのは、本来非を認めたことになっているにも拘わらず、平然と立候補したのは、理念・筋論からではなく、単なる作戦からであった。
 ここのところを県民が冷静に判断できない限り、長野県の未来はない。多選自粛条例案は直接的な犠牲者はいないが、教育委員の件は具体的な人が対象になっているだけに、個人の名誉、人権にも絡み、自分の思惑に個人を利用する知事の罪は大きい。人事で特定の人を平気で「さらし者」にする例は、4月の県議選立候補予定者の応援での、人事の公言などにもみられる。しかも、予定人事を事前に漏らしていて、人事担当責任者失格の行為で、極めて悪質である。

田中知事の訪台(2003.3.30)
 田中知事が訪台し、李登輝、陳水扁の前・現総統と会談している。知事にしてみれば、“台湾の李登輝というのは、ミハイル・ゴルバチョフ以上のすごい人だと思うよ。…李登輝という人物は、内省人(台湾出身者)として初めて総統へと登りつめ、意図的に国民党を二つに割って、野党の陳水扁を通したわけだ。…”(浅田彰・田中康夫「神戸から長野へ」小学館、258ページ)とあるように、李登輝、陳水扁を評価していたのだから、何の違和感もないのかもしれない。
 ところが、本日のある2chの書き込みにもあるように、一昨年4月、李登輝が心臓病の治療で訪日したとき、あるラジオ番組で、“そんなに急を要する病気ならシンガポールかアメリカで治療したほうが安全。明らかに政治的な意図がある。この人は日本の外交を何だと思っているんだ。”と語っている。 
 それなのに、今回の会談後、「真っ当に生きる市民に届く言葉を持った、すばらしいリーダー」だと、恥じらいもく、最大限の評価をしている。田中知事の特徴だが、いうことがそのときによって、何の断りもなく極端に違っている(別の拙文で述べたように、小沢党首や橋本高知県知事への言動などが典型的例)。一貫性、思想、理念はまったくない。今回の訪台も、目立ちたいからだけの行動に過ぎない。
 なお、長野県日中友好協会(知事の後援会「しなやか会」の会長が松本支部長をしている)が訪台中止を要請したが、それを田中知事は無視した。中止要請の是非はともかく、支援者の要請にも、時にはまったく耳を貸さないのも、田中知事の特徴である。そのようになるのは、基本的には、目立ちたいという欲望を押さえ切れないからである。しかし、結果として頑固で、信念を曲げない人だという評価を生む効果があるのだから、世の中は様々である。

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