足利事件に見る酷い人権侵害について2009.6.7,19,24)

 「足利事件」なるもので菅家利和さんは、精度の低いDNA鑑定に頼った捜査と、自白を強要した取り調べによって、18年に近い歳月を獄中で過ごした。その上菅家利和さんは両親を心痛で亡くしている。しかも時効で真犯人を取り逃がすという大失態を当局は演じている。こんな理不尽なことは許せない。関係した警察、検察、裁判官、マスコミは猛反省しなければならない。
 ところが、マスコミに出てくる、著名な人を含む関係者は、誰も心から反省していないどころか、人間は間違いを犯すという一般論で逃げ、むしろ開き直っている。幾ら謝っても許されることではないと、それぞれの立場で反省し、こうしたことを繰り返さないために、どうするかを謙虚に考えるべきであるが、それぞれ責任逃れの弁解をしているだけである。
 今回のことから、これまでのことを抜本的に再検討する方向に進むのが当然である。しかしそのような動きは当局や関係者にはない。逆にそのような動きを当局は押さえ込もうとさえしている。そもそも菅家利和さんが濡れ衣を着せられた背景に、当時の警察・検察のDNA鑑定予算獲得の思惑があったという疑惑が指摘されている。例えば「植草一秀の『知られざる真実』http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/dna-e6de.html足利事件冤罪本質はDNA精度でなく警察の体質」には、次のような記述がある。“「科警研はDNA鑑定のための予算を取ってしまったから是が非でも成果を出さねばならぬ状況があり」、「無理な鑑定」を行なってしまった可能性が指摘される。”

 こうした当局の体質と同質の組織防衛行為が、この件と同様に精度の低いDNA鑑定だけで死刑の判決を受け、異例に早く死刑が執行された、福岡・飯塚女児2人殺害事件の久間三千年死刑囚に関してあったようである。作家の大石英司氏は次の【 】内のように指摘している(6月7日のブログhttp://eiji.txt-nifty.com/diary/参照)。

【昨夕のTBS報道特集で、久間三千年死刑囚に関して弁護団にインタビューしていましたが、久間死刑囚の死刑執行は足利事件の再鑑定決定の2ヶ月前、飯塚事件の弁護団会議で再審へ向けての会議をした直後であり、足利事件の再鑑定が行われるという報道の直後だった…‥。
 この執行に関して、法務大臣の責任を問う声がありますが、法相を責めても仕方無い。彼らは、事務方から上がって来るペーパーにサインをするだけなんですから。
 個人的な信条で、私は死刑にはサインしない、という法相も過去にはいて、そういう人の元にはペーパーは上がってこないわけですが、普通は、上がってきたものを大臣が選別は出来ないんですよ。そんな暇も能力も無いから。
 ただ、刑の確定から日が浅いのに、執行が為されるのは不自然な話です。それが良いか悪いかの是非はひとまず置いて。そこに某かの法則性があるか? と言えば、どうもそれも良く分からない。本人が一日も早い執行を希望しているならともかく。
 じゃあ、この久間死刑囚の執行は何だったのか? たぶん、足利事件の再鑑定が不可避だということになり、鑑定結果がひっくり返ったら、その事件に続いて再鑑定となることは不可避の事件を法務省は洗い直したはずです。立て続けに再鑑定となると、司法制度の信頼を揺るがしかねない。これは拙いからさっとと執行してしまおう、と企んだ官僚がいたということですよ。
 久間受刑者は、何しろ一貫して否認していたし、鑑定自体も否定的な鑑定すら出ている。これは極めつけに拙いぞ…‥、と判断した法務官僚がいたということですよ。誰が選別して法務大臣に決済を求めるかマスゴミの皆さんは知っているけれども、固有名詞が出て来ることは無いでしょう。
 遺族が再審を求めて頑張るという話ですが、果たして裁判所がそれを認めるかどうか…‥。】

 この指摘の蓋然性は高く、この刑の執行は公権力による重大な犯罪行為の可能性が大である。尤も責任は追及されないであろうが。日本の社会では、それぞれの組織を守る仲間意識がある。それが嵩じて、犯罪行為に及んでも、感覚が麻痺してしまっていることが多い。そのために人の命や人権が蔑ろにされている。許せない。

 特にマスコミは、これらの件に限らないが、無責任極まりない。当局の情報を無批判に垂れ流して、今回のように重大な事態が発覚しても、それまでの報道姿勢に捕らわれ、責任をまったく自覚しようとしていない。最近郵政民営化の犯罪性が様々な形で明らかになってきているが、これまでマスコミは小泉改革(?)をヨイショしていたために、ことの本質を報道していない。それどころか、いまだに小泉改革(?)を擁護し、少し批判するにしても、及び腰しである。

 足利事件における酷い人権侵害事件は、現在の日本の組織防衛意識による無責任体制の弊害の象徴的な出来事である。それぞれの組織防衛行為が日本を奈落に陥れようとしている。

追加 長野経済新聞掲載拙文(2009.6.19)
 
上記本稿を若干整理、修正した拙文「足利事件」に思う』が、6月25日付けの長野経済新聞に掲載される予定である。参考までに次の〔 〕に示す。

「足利事件」で犯人とされた菅家利和さんは、自白を強要した取り調べと、精度の低いDNA鑑定に頼った捜査によって、18年に近い歳月の拘束生活を強いられた。その上菅家利和さんの両親は心痛で亡くなっている。しかも当局は時効で真犯人を取り逃がすという大失態を演じている。こんな理不尽なことは許せない。関係した警察、検察、裁判官、マスコミは猛反省しなければならない。
 ところが、マスコミに出てくる、著名な人を含む関係者は、誰も心から反省していない。それどころか、人間は間違いを犯すという一般論で逃げ、むしろ開き直っている。幾ら謝っても許されることではないと、それぞれの立場で反省し、こうしたことを繰り返さないために、どうするかについて意見を述べるべきである。だが、それぞれ責任逃れの弁解をしているだけである。これまでのことを抜本的に再検討する方向に進まなければならない。しかしそのような動きは当局や関係者にはない。逆にそのような動きを当局は押さえ込もうとさえしている。
 反省すべき点は「当局の自白を強要する取り調べ行為」や「科学への過信」だけではない。菅家利和さんが濡れ衣を着せられた背景に、当時の警察のDNA鑑定予算獲得の思惑があったという疑惑が指摘されている。例えばエコノミスト・植草一秀氏のブログ「足利事件冤罪本質はDNA精度でなく警察の体質」には、次のような記述がある。
“「科警研はDNA鑑定のための予算を取ってしまったから是が非でも成果を出さねばならぬ状況があり」、「無理な鑑定」を行なってしまった可能性が指摘される”
 こうした当局の体質による組織防衛行為が、この件と同様に精度の低いDNA鑑定だけで死刑の判決を受け、異例に早く死刑が執行された、福岡・飯塚女児2人殺害事件の久間三千年死刑囚に関してあったようである。作家・大石英司氏は6月7日のブログで、次のように指摘している。
“たぶん、足利事件の再鑑定が不可避だということになり、鑑定結果がひっくり返ったら、その事件に続いて再鑑定となることは不可避の事件を法務省は洗い直したはずです。立て続けに再鑑定となると、司法制度の信頼を揺るがしかねない。これは拙いからさっさと執行してしまおう、と企んだ官僚がいたということですよ。久間受刑者は、何しろ一貫して否認していたし、鑑定自体も否定的な鑑定すら出ている。これは極めつけに拙いぞ…‥、と判断した法務官僚がいたということですよ。”
 当時のDNA鑑定に疑問が出たのであるから、同様なケースの死刑執行は本来見合すべきであったにも拘らず、逆に死刑確定の日から異例に早く執行されている。こうした不自然な経過を見ると、大石英司氏の指摘の蓋然性は高く、公権力による重大な犯罪行為の可能性が大である。日本の社会では、それぞれの組織を守る仲間意識がある。それが嵩じて、犯罪行為に及んでも、感覚が麻痺してしまっていることが多い。そのために人の命や人権が蔑ろにされている。許せない。
 特にマスコミは、これらの件に限らないが、無責任極まりない。当局の情報を無批判に垂れ流して、今回のように重大な事態が発覚しても、それまでの報道姿勢に捕らわれ、責任をまったく自覚しようとしていない。最近郵政民営化問題に関する犯罪行為が様々な形で明らかになってきている。しかし、これまでマスコミは小泉カイカクをヨイショしていたために、ことの本質を報道していない。それどころか、いまだに小泉カイカクを擁護し、少し批判するにしても、極めて及び腰である。
 足利事件における酷い人権侵害事件は、現在の日本の組織防衛意識による無責任体制の弊害の象徴的な出来事である。事の本質の究明に基づいた対策が不可欠である。

追加 想像を絶する獄中生活の酷さ(2009.6.24)
 上記で18年に近い歳月を獄中で過ごしたと記したが、その中身については常識的な理解しかしていなかった。ところが、ジャーナリスト・江川紹子氏のブログ「足利事件・菅家さんインタビュー」http://www.egawashoko.com/c006/000290.htmlを読んで、筆者の認識の甘さを痛感させられた。

 同房の人に殴られて肋骨を2本折った、水がいっぱい入った洗面器の中に、顔を頭から押さえつけられた、更には“しょんべん飲め”とか、“うんこを食え”と強要されても、刑務官に言えば殺すと言われて、黙っていたなどと、菅家さんはこのインタビューの中で語っている。

 仮に本当に罪を犯している人に対してであっても、こんな酷い人権侵害を行ってはならない。絶対に許せない行為である。このようなことが行われていることを刑務所の職員が知らないはずはない。これを機に刑務所内での悪しき慣行(?)について、抜本的に見直し、改善の証が確認できるように、具体的な対策が実施されなければならない。これは関係者の義務である。

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