数学的考察

2012/10/22 森宮照

ふと出張版で思い付いた数学的ネタを列記してみる。age数学w。

現在の基底。主に虚数の取り扱いに付いて。
数学定理 −1×−1=1。虚数。1i×1i=−1。
現実定理 −1×−1=−1。慈悲。A≠0の時、ue(A×ue)=1。A=0の時、ue(A)=1。

現行の”数学”定理では、−1×−1=1だが。”現実”では−1×−1=−1。次元軸のどれか一つでもマイナスならそれはマイナスである、と考えないと筋が通らない。
現行の数学には”i”として「虚数」がある。掛け合わせるとマイナスに成る(そう考えないと計算が成り立たない)場合に限り、2i=−1等と表記し登場する。
>理由として、”現実”では借金(マイナス)を背負ったらどれだけ仕事(プラス)をしてもマイナスが増えていくだけ、と言う絵が見える為、救済策、或いは願望の様な物として追加された、形跡がある。
ただこの図は、逆に駄目に成った奴(犯罪を犯した等)は駄目な事をすれば(更に犯罪を重ねる等)、大きなプラスに成ってしまう、ので。ここに魔物(と言うか人間に取り憑く狂気)が発生しやすい。
しかし、違う視点で見ると、魔物の発生を”予言”している図、とも言える。駄目に成った奴(マイナス)を更に理不尽な程に批判する(マイナス)のは、まずこの数式から言うと”プラスに転じるから”で、結果として本人は更に累乗のマイナスへと陥り悪魔化する。”現実”を意識するとそれは解るから、その前に止める事は出来る。

ただ、”現実”にそのままでは救済策が無いのでは?と言う観点から、「ue」と言うのを現実には設定してみる。
A≠0の時、ue(A×ue)=1。A=0の時、ue(A)=1。Aには如何なる数(マイナスでもプラスでも)を入れても0なら1に、0以外なら0にしてしまう。マイナスはueで0にしてから更にueを重ねると、+1になる。理屈としては、基本的にueは0だが、0に掛けると0と0が衝突して片方の0が弾き出されて(0は唯一無二であり、同じ物は無いと言う理解で)1になる、と言うニュアンス。「神様」と思えば間違い無い。どれだけ巨大なパワーが有ろうとueの様な事をしようとすると0に成ってしまう。ただ、0の状態で同じ事をするとそれは1に成る。後はプラスを重ねていけば増える、と言う感じ。

相対性理論の理解
 相対性理論、と言う物があるが。ここでは「1が有れば必ず−1が”有る”」と言う理解にしている。1−1=0。「無い」と「有る」は如何なる場合においても等価である、と言う意味にはなる。また、1と−1は”質量的には等価”なので、1が有るなら、質量計算としては必ず1+1=2、と言う計算が成り立つ。1は単位であり、何処まで大きくなっても1は1なので、1と∞は等価である、とも言える(50を1と捉えても、100を1と捉えても良い)。0(無い)が存在する為には1が有れば−1が有る筈なので。−1は「どこかにある」筈だが何処か?と言うと∞がその「現実にあるマイナス」では無いか?と言う定義が成り立つ(他に等しい質量と対応する条件が見当たらないから)。つまり、1と∞はプラスとマイナスの関係であり、1−∞=0である。つまり1〜∞(自然数)は0と等価であるので、超理論だが、フェルマーの最終定理さえ”これ”を入れてしまうと「存在する」と言う。




2012/10/21
日曜日
no.1(感覚)
 「ABC予想」。A+B=CでAとBは素数である。この時、A、B、Cの素数全て、
 それを掛け合わせた数の累乗は、Cより確実に上か?要するに2は1よりも、
 数は大きいか?所で、0を自然数とすると。この定理は奇妙な事を言い出す。
 0と無限は等価である。無限の先に答を探そうとする事は0の中に答を見る、
 それと同じである。ABC予想にそれを当てはめると、「等しい場合」が、ある。

 A+B=C。AとBは素数。A,B,Cの素因数(9なら3^2で、3)を全てかけて更に累乗した数値は、
 間違いなく確実にCより上に成るのか?そうとも言えない、Cと等価な場合が有る。何故か?0を、
 入れると”等しくなるから”だ。1〜∞は0と等しい。なら、0を入れて出る答は1〜∞と、同じである?


2012/10/20
土曜日
no.6(定理)
 フェルマーの最終定理。nが3以上の時、X^n+Y^n=Z^nを満たす自然数、
 X、Y、Zは存在しない。「どんな数か?」それは証明が非常に難しい。しかし?
 考えると「存在しない」と言う事が求められる答、だ。要するに、存在するなら、
 「この定理は間違っている」で答。ふと思う。X^n+Y^n=Z^nは?以下の式、
 それになる。(X^n+Y^n)=(X^n+Y^n)。(X^n+Y^n)は…まず存在する。

 (X^n+Y^n)は、Z^nである。ならば?X^n+Y^n=Z^nそれはX^n+Y^n=X^n+Y^nであって、
 つまり、「X^n+Y^n=Z^nは存在する」。これは、定理がおかしい。どんな数かは解らない…未知。
 しかし、X^n+Y^nが存在する限りは、それと等価なZ^nも存在する。フェルマーの最終定理の答。


2012/10/15
月曜日
no.4(慈悲)
 ”現実”に虚数に相当する救済策は有るのか?と言うとふと「ue」と言う変数?
 それを以前に考えた事が有る。0に掛けると1に成るが?それ以外では0に、
 してしまう。要するにue(x×ue)=1。Xにどんな数値を入れようとも1になる。
 マイナスとマイナスを掛けるとプラスに成る、訳では無い。ただ、数学の定理、
 それは”これ”が適用される時点で意味を失う。数学が予知して現実が消す。

 「無いと困るだろう」だから、有る。−1×−1=−1の領域に有る虚数の様なモノか。どんな借金、
 それもueを載せると0になり?更にueを載せると1に成る。プラスに適用すると良くて1に成るから、
 あまり好ましく、無い。ueとは何か?”神様の慈悲”だ。ただ?有ると思わないとそれは掛からない。


end