ストリード
「日本のパソコンゲーム:プロデューサーシート」
パソコンゲームに関して、少しプロデューサーシートを張ってみる。
恐らくはこれを満たす作品が市場管理者の許容範囲だと思われるが、実を言うと正直定かではない(-_-;)。
概略としては「個人作業の結果と言う方向性を満たしつつ、中身の重要性を示すが、それはあくまで”絵”、外側の技術を生かす為の物である必要」と言う感じだ。日本では現場の技術者を軽視する事は基本的に許されない事がこういう方向性へと現れる、らしい。また安全性を確保したい方向性からもプロデューサーの存在は必要不可欠の様だ。色々不満は出る訳だが、日本ではこのルールを「良い」としているので。逆らってスノボハープパイプにソリで出場しようとしても怒られる事に。
「日本のパソコンゲームを創る」と宣誓すれば、この2枚の結果が適用されると思う。
※なお、「中身が重要」「中身は絵を生かす為に有る」は相反する感じは有るが。要するに「技術が何かの役に立たねば成らない」中身は(運用技術は)その為に必要だ、と言う意味だと考えれば方向性も見えるのでは無いか?とは思う。ユーザーのストレス発散でも性的好奇を満たすでも、異世界を冒険したい、でも。ともかく何らかの”お客側の要求”があり、それを満たす為に技術が使われていないと、「駄目だ」とは言える。そう言う意味でエロゲーは非常に解りやすい訳だが、近年その辺も怪しい。
ともかく創造系の物語、「主人公が何かの困難を前に挑み打開した結果、世界に取って何か良い結果になる」様な物語はそれだけで良い運命を創ると言う「役目」を果たし得るので、そう言うのを搭載するのが基本形だろう。ゲーム的には、「悪魔城ドラキュラ」などに代表される様に最初は比較的楽勝だが、後半に辛くなると言うパターン(肯定否定)が王道だが。ゲームで”これ”は非常に難易度の高いゲームに成りやすく成功率が低くなる傾向があり、近年では微妙。RPGに代表される様に、最初は多少面倒だが後になると装備もパワーアップするなりして楽に成っていく(否定肯定)方が成功率は高くなるので好まれる、様ではある。ただ後の方が”非現実的”なので、クリアした時の「役に立つ度」で言うとかなり低い事も多い様だ。

なんか「”見て解る”中心造型が必要」と言う事で、一体。
「エリザ」と名付けて見る。こういうのが日本のパソゲー。
そのままコンシューマ、アーケード等々へも影響するか。
2010/02/20
2010/02/26 「パソコン」の定義追加
森宮 照
プロデューサーシート0(原始)
タイトル「パソコン(パーソナルコンピュータ)」
概略 個人で使うコンピュータ
コンセプト「創作の道具」
ハード的テーマ「キーボードとディスプレイ」肯定否定
まず「モニター」を使う表示機能があり、そこに情報を”手で”入力するキーボードが付いていて、それで様々な処理を行える物。まずそれらを使うCPUが無ければ動かないし、キーボード以外の入力機の方が入力し易いかもしれないが、しかし入力し表示出来なければCPUだけ有っても意味が無いし、「手で」入力しなければ伝わらない事も。
ソフト的テーマ「願いを叶える物」否定肯定
コンピュータは万能か?とか、例えばゲームソフトに願いを叶える力は有るのだろうか?と言うと微妙だが。ともかく”そういう物”が動くし創れる物として必要。
目的 所有者の環境を所有者が望むように改善する
それは無い 目的を達成しない
ディレクターノート
イメージ的には、「ハードが固定されていないコンピュータ」と言うのがパソコン、の様。特定の形を持たず、ともかく”入力端末”であり、ソフトウェアの動作環境が変動する可能性が(新機種の投入等で)常に有る個人所有されるコンピュータを「パソコン」と呼ぶ。
プロデューサーシートA(日本で言うと天皇の意向)
タイトル「パソコンゲーム」
概略 パソコン上で動くゲーム
コンセプト「一人でも創れます」
ハード的テーマ「パソコン上で動く」肯定否定
まずスタンドアローンのパソコン上で動く事が前提。今ならゲーム機や携帯などパソコン以外でも動く場合は有るが、まずパソコンが有っての話。
ソフト的テーマ「中身が重要」肯定否定
表現力に劣るパソコンでは何よりも”中身”が重要であってそれにこそ価値はある。今では表現力は下手なハリウッド映画も凌ぐが、それであっても大事なのは中身で有る事は忘れては成らない。
目的 文化的に言って「中身」内容、その重要性を現す
それは無い 目的を達成しない
ストリード
プロデューサーシートB(日本で言うと政府の意向)
タイトル「日本のパソコンゲーム」
概略 日本製のパソコンゲームに求められる物
コンセプト「ハードを生かす為にソフトが有る」
ハード的テーマ「技術尊重」否定肯定
パソコンゲームは個人制作の場合も多く、一人で創れる様な物の方を優先するので、技術的にはどうしても劣るが。しかしそれであっても少ない予算や人員、足りない技術を如何にして上手く運用するか?と言うのも大事な技術では有って。
ソフト的テーマ「物語は絵を生かす為に有る」肯定否定
基本的に物語性はあくまで、絵とか技術力、そう言う物の価値を現す証す為にこそある。そこで何か伝えたいとか訴えたいとか言う事も有るが、まず技術を生かしてからだ。
目的 絵があって物語がある方が正しい、その証明
それは無い 目的を達成しない
ディレクターノート
テーマ「絵が重要」肯定否定
大体パソコンゲームに限らず日本の創作の場合は、以下の手順を取るのが好ましい様。
プロデューサーが、ともかく「作品の概略」を想像。「依頼」を創る。
誰かが”依頼”の、中心的造型(絵でもイメージでも。ともかく見て解る”形”)を創る。
それを中心にして、物語でも何でも広げていって、大ざっぱな構成(プロット)を考える。
注:まず”イメージ”を先に出す事で、現実との接点が発生して作品に実用性が出てくる。テキストだけでも良いには良いが、やはり絵が有る方が現実には近い(見て解る)から、何か中心に成る絵は欲しい所。
大体の構成が出来たら、危険性や思想性を排除する為に、作品毎にPシートを張る
<ここは「日本のパソコンゲームを創る」と思えば無用かも知れない。ただ形的には掲示板のスレッド、”その発言の一つ”に成ってしまう感じはするので、ちょっと考えたい可能性はある。
その後に、その概略(企画書。ストリードの形が最小)をプロデューサーが認可、正確に再現する方向で制作する。
順番はともかく、この手順を埋める事が出来れば可が出やすいと思う。
※個人制作の場合、物理的にこの手順を取れない訳で。正直日本では「一人で創った作品は市販品として認められない」この枷は、今は外れない様な気はする。「美鶴さんの長い妄想」は個人制作故に、テーマが強く出過ぎ?てこの「物語は絵を生かす為にある」を”基本的に満たしてない”とは言えるので。否定されても文句が言いにくい感じ。”創る事”が優先されてて技術を生かす事が疎かに成ってる。「才能がない」とは、それを行う事が微妙に苦痛である(好きじゃない)と言う状態。「誰もいないから仕方なく」では可が出ない感じは、する。
裏「プロデューサー(依頼者)が必要」否定肯定
end