■前書き

まあ、このようなモノを書くこと自体が無意味ではあるのですが(^_^;)。

機動戦士ガンダム、と言う物語は正直自分もリアルタイムでは体感していない訳ですが、なにはともあれ、現在までも続きそして様々な所に影響を与え続ける日本を代表するアニメ作品ではあります。登場するモビルスーツ(MS)と呼ばれる戦闘ロボットは今でもプラモデルが作られ続ける程で、内容はともかくアニメロボット=ガンダム=MS、と言う構図もあながち間違いでは無いし、まあ要するにガンダム顔のMSさえ出ていればそれが荒唐無稽な格闘ゲーム的だろうと少女趣味的であろうと何でも良いっつー感じに、最近は成りつつあるわけですが。

しかし、思えば思うほどに、なんか本質を忘れてないか最近のは?というか、そんな気が、少しするんですよねぇ(-_-;)。

この秋再びまた、ガンダムと言う名の付く番組が始まります。ガンダムという作品が、既に「空想的な未来の戦争物語」として認知されている以上、どんな作品であってもMSさえ出ていればガンダムなのかも知れず、しかし自分自身最近のガンダムという作品には名前におんぶしているだけではないかというような、極めて否定的な立場になってしまっているので、この機会にある意味での批判的な意味を込めて「またガンダム描くっつーけど、ちょっとこの辺忘れてない?」的な部分を自分なりの解釈で補ってみようかな、な〜んて思ってしまってまた無駄な推論をいい年扱いてはずかしげもなく書いてしまいましたすいません_(-_-;)_

まあ、機動戦士ガンダムという物語が好きな方には多少は面白く(或いは腹立たしく)感じられるのでは無いかと思います。自分がカバーしているのはガンダムF91辺り迄なので、その後のGとかWとかXとか∀とかについてはあえて「全く」考慮に入れてませんが、時にはこう言うことを考えてみるのも、頭の体操としてよろしいのでは無いかと。もちろんこれで本質を理解している、という事にはなりませんが、少なくとも本職の方には、[MSの内部骨格」に付いて真剣に議論するよりも、もっと根っこの部分で考えることがあろうと。そう思う今日この頃であります。

まあ、状況的に余裕が出来たらこの設定を使って「俺ガンダム」的な話でも個人的に書いてみようかな、なんつって考えてもいるわけですが。まあその前に、早く(以下略)。