森宮照の、気ままに
ショートサーキット
2003/12/31
「木箱は見ていた猫の死を」


いやはやどうも、皆様こんばんわです。久々ショートサーキット本編の方書いてたりする森宮です。まあ結局2003年も個人的にはなーんも無く終わっちゃって、何だったのかなぁと一抹の寂しさも有りつつ企画(秘密)だけは累積して、せめて来年はこれらの幾つかは形に成ったらよいなぁ、などと期待しながら、その中で不意に思いついたネタなんか書いて、今年の書き納めにしようかな、と考えた次第だったりします。

んで、今回のお題。

シュレーディンガーの猫を助けろ!!

知ってる人は知っている、でも自分も詳細は良く知らない(おい)、確か量子力学か何かで随分昔から有る、何かのパラドックスが「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる有る状態。どーゆーものか? というと、まあ下記のような状況を想像してみて欲しい。

いつ壊れるか解らない放射性元素と、それが壊れた時に割れる青酸カリ、そして青酸カリが割れた際に必ず死ぬ猫がいる。この状況で、この3つを木箱の中に入れる。外からは猫の生死が解らないこの状態で、果たして猫は死んでいるのか生きているのか?

・・・なんのこっちゃ、と自分も思うんですが(おいおい)、なんか量子力学の世界では「実証論」というのか、とにかく「外部から見れない状態では何も判断できない、見えた瞬間に答えが出るのだ」という考え方らしいんですなコレが。木箱の中にいる時、猫は死んでいるのか生きているのか外部からは解らない。故に猫は「半死半生?の状態にいる」という言い方をこの世界では言うらしい。んで、蓋を開けた瞬間に猫は死んでいるか生きているかの状態が決まる。でも蓋を開けた時に猫が死んでいたら、蓋を開ける少し前に死んでいるはずだ、その「不明瞭な状態」が何故発生するのか? という事らしい。まあコレが何を意味するのか?は良く解らないんですけど、とにかくこのパラドックス(木箱の中では生死は解っているのに、外から見ると曖昧な状態)が、その辺の世界を一種異様な物(神はいるのだぁ! 神しか知らない事はあるのだぁ!)にしてるらしいので、ふーんと思っていたら、ちょっと気づいた事が一つあったんですな。

「ならさぁ、木箱の中に小型カメラでも設置しとけば外から中見れるよね?」

・・・あり?

そうなんだな。この例え話で大事なのは、「観察者が内部を見る手段がないからその状態は曖昧だ」っていうだけで、なら「中を見れれば」パラドックスでも何でもない訳ですよ。死んだ瞬間に猫の生死はハッキリしてて、それを単に外部の観察者が知る手段は有るか無いかの単にそれだけ。ツー事はだ、もしかしてこういう言い方で断言できないか?と下記のように考えてみました。

「観察者が見るまで正誤は解らない」
しかし、”見る”というのは”情報を得る”っていう事で、「外部から内部を調べる方法が有ればその正誤は解る」って事になる。
この場合も”可能性としては”存在する訳で(木箱の中に小型カメラでも設置すれば、それで見れる)、「絶対に見れない」っていう事はない。
また”誰も”というのは人間が対象だけではないと言える。見るという事は”情報を得る”という事だから、なら「そこ」から出た情報を受けた物体(音を振動として受けた木箱が有るなら、それも”見た誰か(何か)”に含まれる)は、全て”見ている”という事になる。つまり”木箱は見ている”と言う事だ。
だから、”誰も(何も)見ていない”と言う事を証明する為には「その物体以外、全ての物体が”無い”と言う状況を作らねばならない」、それは”あり得ない”から、”誰も見ていない”という状況は存在しえない(この話なら、猫の生死は放射性元素も箱も青酸カリの装置も、そもそも猫自体が自身の生死を”見ている”事になる)。
見ていないという状況が存在しない限り、誰も(何も)見てないという「状態」も存在しない。故に、猫の生死は放射性元素が崩壊した時点で”誰か(何か)”が知っている。単に観察者が知らないだけで、「解らない」という状態などあり得ない。
故に、このパラドックスを産む状態は存在しない、つまり仮定が間違っていると思う。

えーと良く解らないかも知れませんけども(おいおい)、要するに、貴方が死ぬ瞬間なんか、貴方も貴方の体も知っているでしょう?という事になります。さて「貴方さえも貴方が死ぬ瞬間を知らない」なんて事が現実にあり得るでしょうか? 有りえません(当たり前)。ですが、このパラドックスでは「それが有るとしたら」という仮定から話が始まってる、そこに大いなる疑問があるんですね。絶対にあり得ない状態を、「有る」と仮定してから話を作ってしまっているからパラドックスがどうも発生しているらしい。さて、貴方だったらこの状況を「無いとは言えない」と言えます? 自分さえ自分の死んだ(或いは殺された)瞬間を知らない、なんて事が。

結論として、どうもコレ、物理学者?の考えた嫌がらせみたいな物の様な気がします。

現実でも有るんですけど、要するに「この人は誰も知らないが犯罪を犯した筈だ、それを見つけろ」という事を本気で言ってるような物で、考え方がどうも普通とは逆なんですよね(それじゃ冤罪ですがな)。無い物を「有る」と仮定して、それを見つけようとしても見つかる訳がありません(無いんですから)。これって有名なアインシュタインも否定できなかった?らしいんですが、出来なかったと言うよりも分厚い何かの壁に諦めてしまった、そんな感じのような気がします。

「そんな状況、絶対に無いよな?」
「いや、そう言う状態が有ったらどうなのかって事ですよ」

そして無限ループが始まる。”頭の良い皆様”の屁理屈は、いちいち良く解りません(T_T)

まあシュレーディンガーの猫のパラドックスを否定した?からといって、状況が何か変わるという訳ではないんですが。まあこの辺の「素人には解らないだろう事をより難しく説明する人」は信用するに値しないと、要するにそう言う結論なんでしょうか今回の場合(何故?)。

という感じのとりとめのない書き物で申し訳有りませんが、まあそんな訳で、来年も有りもしない仮定を前に小難しい事をかじって頭が良くなった様な幻想に酔うよりも、まずは目の前の木箱を開けてみてから考えろ、それこそが実証論だと。そんな感じで今回は終わりにしたいと思います。大体猫可哀想じゃないですか、ねぇ(笑)。

というわけで、それでは皆様、良いお年を〜。

END