友好短信2024.1~4
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 第27期日中連続市民講座⑥「新たなステージを迎える日中ビジネス」 (4/20)

 第27期第6回日中関係を考える連続市民講座が4月20日、日中友好センター教室において開かれ、松本大学大学院教授で中国経済や地域中小企業の研究が専門の兼村智也先生が「新たなステージを迎える日中ビジネス」と題して講演しました。講座には約20人が出席し熱心に聴講しました。

 兼村先生は、次のように述べました。

①長野県の中国進出企業数の推移は、2022年6月で180社(香港除く)でピーク時2012年に比べ32.1%減となっている。その理由は、人件費の高騰や環境規制強化などにより「輸出基地」としての優位性が低下、国家安全に関わる戦略物資の輸出規制、データ管理の強化、ゼロコロナ政策の後遺症、生産拠点の移設・分散、取引先の動きと連動しての撤退などがある。

②今後1~2年の事業展開の方向性は、拡大が45.5%のなか、中国は27.7%で初めて3割を下回る。ASEANが中国を上回っている。八十二銀行は香港支店を廃止してシンガポールを支店に昇格。(香港情勢の変化を踏まえた動き)

③中国自動車産業のEV化の進展に伴い、日経メーカーの販売台数が伸び悩み→県内自動車部品関連メーカは中国依存を減らしている。残存者利益を求めるメーカーや、日本からの外注先として位置付けるメーカーも(信頼できる中国人幹部に経営を移管)。

④まとめ:政治的+経済的影響で長野県進出企業の業績は低下。中国でビジネスを継続する企業は経営を信頼できる中国人に任せ、かつ切り離し可能な分業体制を構築して対応している。

 講演終了後、対中貿易が依然として対米貿易を上回っている現状(日中貿易は日米貿易の1.3倍)について、中国市場の魅力について、中国から見た日本などについて質問や意見が活発にだされました。

 第27期講座はこれで終了し、来期は11月からスタートする予定です。ご協力ありがとうございました。

 2024年度長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタート(4/3・4・5)

 2024年度長野ラジオ孔子学堂中国語講座がスタートしました。4月3日、4日、5日開講式が開かれました。

 入門、初級、中級、上級のそれぞれ昼の部・夜の部が開設されています。コロナ禍も平穏化し、対面授業を主として進めていくことになります。

 開講式では、安芸洋一学堂長、布施正幸・夏丹執行理事が「中国語は友好の懸け橋。中国語を学び中国の文化を理解し、友好交流に役立てていってください。HSK中国語検定や中国語スピーチコンテスト、中国文化講座などの参加機会もあるので、レベルアップを目指して頑張ってください」 とあいさつ。 受け持ちの範為為、顧淑鳳、呉劭昱、姚海玲老師(先生)から一緒に楽しく学んでいきましょうと激励されました。

 戸井田靜男事務局長から、講座運営や孔子学堂の実施事業の紹介などが行われ、受講生の皆さんはそれぞれの教室に分かれて早速授業が行われました。
 第27期日中連続市民講座⑤「墨子の非攻論」(3/23)

 第27期第5回日中関係を考える連続市民講座が3月23日、日中友好センター教室において開かれ、早坂俊廣信州大学人文学部教授が「中国古代の思想家・墨子の<非攻>論」と題して講演しました。講座には20人が出席し熱心に聴講しました。

 早坂先生は、世界各地で戦乱が拡大し、危惧される現代において、2400年前の春秋戦国時代に、<非攻><兼愛>を説き活躍した思想家墨子の思想に新たな光が当てられているとして、半藤一利氏の『墨子よみがえる ”非戦”への奮闘努力のために』(平凡社)、森三樹三郎訳の『墨子』(ちくま学芸文庫)、魯迅の『非攻』(光文社古典新訳文庫)、酒見賢一の『墨攻』(新潮文庫)、湯浅邦弘の『諸子百家 儒家・墨家・道家・法家・兵家』(中公新書)等を紹介しながら講義しました。

◇はじめに:半藤氏は『墨子よみがえる』の中で「平和な世界にせねばならないと悪戦苦闘した人が墨子」であり、墨子は「兼愛」という「普遍的人類愛」を説いた。愛の普遍を求めるならば当然平和を求める(国際的徹底平和主義)。兼愛の根拠として主宰者としての天を認めた等と述べている。---これらについて、原典に立ち返って検討してみたい。

◇墨子の<非攻>論:「もし1人を殺せば不義といい100人を殺せば100の死罪を犯したと非難する。しかし今、他国を責めるという大きな不義を働く者がいても、これを非難せず、かえってこれを誉めて正義という。まことに不義の何たるかを知らぬといわねばならない。」(森三樹三郎訳の『墨子』)

◇墨子の<兼愛>論:天下の害の生じる根本は互いに愛し合わぬところから生ずる。諸侯が相愛すれば野に戦うこともなく、人と人が相愛すれば害しあうこともなくなる。天下の禍難や争奪怨恨を生じさせないようにできるのは、相愛するという道があるのみである。(『墨子』)

◇墨子の<天志>論:天は義を欲し、不義を憎む。天下の万民をひきいて義に努力することが、とりもなおさず自分が天の欲することをすることである。天が義を欲し不義を憎むことを知る理由は、天下のものすべて、義あるときには生き、義なきときは死し、義あるときは富、義なきときは貧しく、義あるときは治まり義なきときは乱れるからである。天の意思に従うとは、兼ねて相愛し、交ごも相利すことであり、その結果として必ず天の賞を得るのである。大国でありながら、小国を攻めることなく、大家でありながら小家を奪うことなく、強者でありながら弱者をおびやかさず貴き身分にありながら賤人におごらず、智謀を持ちながら愚者を欺くことがなければ、必ず上は天を利し、中は鬼神を利し、下は人を利する。(『墨子』)

◇以上の墨子の原典を踏まえて半藤氏の墨子評価を検討してみたい。

◇「平和な世界にせねばならないと悪戦苦闘した人が墨子」という理解は正しいが、悪戦苦闘は平和それ自体の希求というよりは「天の志」に合致した生き方を追求した結果である。「兼愛」という「普遍的人類愛」については、「自分を愛するように他人も愛する」ことが「天下の利」をもたらすと考えただけである。「国際的徹底平和主義」については墨子の主張はあくまで、<非攻>であり、大国が小国を侵略することを「不義」だと強く非難したが、防衛能力の保持・行使は否定していない。また「天」や「神」が「兼愛の根拠」であることに間違いはないが、現代的な意味でとらえるべきではない。(魯迅の『非攻』、酒見賢一の『墨攻』)

◇「すべての人が兼愛を実践していけば結果として博愛・平等愛の世界が実現するが、それは結果であり、最初から万人を平等に愛せよとは言っていない。墨子は「倶に天をいただく」者同士の相互尊重を説いた。それは単純な理想論から発せられたものではなく、「そうすることが結果として天下全体に幸福と利益をもたらすのだ」(兼相愛、交相利)という現実的でしたたかな読みが根底にあった。(湯浅邦弘の『諸子百家 儒家・墨家・道家・法家・兵家』)

 ◎なぜ墨家は滅び、儒家は継続発展したのか、なぜ危機の時代に墨家はよみがえるのか、現代中国では墨家はどう受け止められているか、墨家の思想は反覇権主義といってよいか、など参加者から多くの質問や意見が出されました。

 中国帰国者援護市町村担当者研修会、満蒙開拓平和記念館で開く(3/21)

 長野県健康福祉部地域福祉課と長野県日中友好協会中国帰国者交流センターは中国帰国者援護に係る市町村担当者研修会を3月21日、満蒙開拓平和記念館で開きました。県・市町村・友好協会の帰国者支援に携わる25人の担当者が参加しました

 はじめに、三沢亜紀事務局長さんの案内で記念館を参観、開拓団と中国残留孤児の歴史背景について展示資料に基づき説明を受けました。開拓団の悲惨な逃避行を克明に描いた三石忠勇さん(82歳=佐久市、黒台信濃村開拓団当時14歳)の素描展が開催されており 強い印象を受けました。

 参観後、セミナーハウスにて講演会が行われました。オンラインで参加した県地域福祉課の百瀬志津子課長補佐兼自立支援・援護係長に代わって、宮坂祥真主事と県日中友好協会の布施正幸副会長があいさつし県内の各市町村で帰国者援護の第一線で活躍されている担当者の日ごろの活動に感謝しました。

布施副会長は、帰国者日本語教室の運営協力に感謝した後、「“前事不忘、後事之師”と刻まれた「平和」の記念碑が記念館の一角に建てられているが、日中不再戦・平和友好は帰国者の皆さんの心からの願いだ。1世の皆さんが高齢化し介護が課題となり、2世の皆さんも定年を迎える年代に入っている。幸せな老後を送れるよう協会も担当者の皆さんとともに力を尽くしていきたい。また3世4世の皆さんがかかえている教育現場での問題にも目をむけ、歴史を知って自分のルーツに誇りをもって生きていける環境を作っていきたい。中国語も忘れることなく帰国者の皆さんが日中友好の架け橋として活躍させることを願っている」などとあいさつしました。

 三沢亜紀事務局長が「満蒙開拓と中国残留邦人について」と題して講演しました。三沢事務局長は広島出身で記念館の立ち上げからその後の運営に情熱を傾けて携わってきました。広島の平和教育の体験をベースに国策の被害者であると同時に侵略の加害者でもあった満蒙開拓団の歴史に真摯に取り組んできた実践に裏付けられた講演は感動を与えました。講演の概略は下記の通りです。(文責編集部)

――私は広島生まれ、広島原爆の地にあって平和学習の中で育った。飯田の人とご縁がありこちらにやって来た。当初、飯田下伊那には戦争の傷跡が残っていないように見えた。開拓団を長野県が全国で最も多く送り出し、中でも飯田下伊那地域が県内で最も多く、悲惨な逃避行で大勢が犠牲になったことを知って自分も何かしなければと思うようになった。

この歴史を長野県でも知らない人が増えている。開拓団は当事者にとって向き合いにくい不都合な歴史でもある。当事者が語れない「満州」。送り出された側、送り出した側にとって語りたくない不都合な事情がある。しかし、不都合な歴史、加害の歴史に向き合っていく必要があると思う。原爆や大空襲など被害の歴史を語り継ぐだけでなく、加害の歴史も語り継いでいくことが、平和にとって大切と思う。

1931年の満州事変から「満州国」建国・開拓団送出と続いていくが、政府は500万人満州への移民計画を策定し、「20町歩の地主になれる」と宣伝し、開拓団を送り出した村には国の補助金を出すなどの方策を講じ、国策を推し進めた。①農村経済の立て直し、過剰人口対策、②満州の実効支配、対ソ防衛、③戦争協力のどの目的があった。結果として開拓団は27万人だったが、長野県は全国ダントツ1位の3.3万人を送り出した。青少年義勇軍として子供たちも大勢送り出した。教育会もこれに協力した。

昭和20年8月9日、ソ連の侵攻が始まった。働き手の男たちは現地徴兵されていて、開拓団には老人と女子供しか残されていなかった。しかも、関東軍は密かに大連ー新京ー図門を結ぶ三角地帯以北は放棄し軍を撤退させる作戦を実行していた。何も知らされず取り残された開拓団の人々は悲惨な逃避行で大勢がなくなった。引き続いての厳冬の収容所で死亡者が相次いだ。長野県関係者も半数がなくなっている。三石忠勇さんの絵が記念館に飾られているが極限状態が象徴的に描かれていて胸に響く。

1946年から53年に「満州」からの引き揚げが行われたが、この時諸事情で帰国できなかった人々が残留孤児・残留婦人と言われる。

山本慈照・長岳寺住職は自らも開拓団の教師として家族とともに渡満し、その後シベリア抑留され家族が行方知れずとなった体験者で、「日中友好手をつなぐ会」を立ち上げ、残留孤児の肉親捜しに全力を傾けた方だ。映画「望郷の鐘」の主人公で「中国残留孤児の父」とよばれる。

歴史を学ぶことによってふたたび悲惨な戦争を繰り返さない、平和のメッセージを発信し続けていきたい。――

 講演終了後、宮坂主事から「中国残留邦人等の概況及び支援策について」などの報告が行われました。

 河北省張家口からアルペンジュニア選手、野沢温泉スキー場訓練・交流(3/10~16)

 2022年の北京冬季オリンピックのスキー競技開催地の河北省張家口市からルペンジュニア選手団一行14名が3月10日から16日まで、県日中スキー交流委員会の招きで来県しました。選手は中学1年から高校2年にあたる10名(いづれも張家口市宣化区第2中学学生)及び役員・コーチなどで、野沢温泉スキー場で野沢温泉スキークラブの指導の下、トレーニングを重ねたほか、全国大会優勝経験を重ねている地元の飯山高校スキー部の皆さんとも交流しました。

 3月14日、一行は、県スキー連盟や、県日中友好協会役員とともに県庁を訪れ阿部守一知事を表敬訪問しました。

 阿部知事は一行を温かく歓迎し「長野県と河北省は友好提携以来40年にわたり青少年交流や産業交流などを通じて信頼関係を深めてきました。中でもスキー交流は県日中友好協会や県スキー連盟の尽力・協力のもと長きにわたってい継続され成果を上げてきた。冬季オリンピック開催経験のある、長野県と河北省は共通の基盤を有している。野沢温泉スキー場は優れた雪質、スキー指導者がいて条件に恵まれている。青少年同士が交流を通じ、友情をはぐくみ技術を向上させていってほしい。世界を目指し、また両県省の友好交流に貢献していただきたい」とあいさつし、健闘を祈りました。阿部知事は昨年8月河北省との友好県省締結40周年を記念し河北省を訪問し、スキー交流や青少年交流などで協力を継続していくことを約しています。

 蘇悦団長(張家口市体育総会秘書長)(36)は、親切な歓迎に感謝したのち「冬季オリンピックの開催地として共通点があり、親しみを感じています。河北省張家口市のスキーの発展のために私心のない大変なご支持をいただいたことに心より感謝したい。長年の交流を通じて強固な友好を築いてきました。今後とも青少年交流やスキー交流を継続発展させていきたい」と述べました。また、蘆成林コーチ(28)からは「条件に恵まれた野沢温泉スキー場で、河野博明先生はじめ皆様にご指導いただき大変勉強になりました」と感謝されました。

 張家口市宣化区第2中学はスキー選手養成の学校としても有名だそうです。また河北省のスキー人口は約100万人、張家口市のスキー人口は約10万人、スキー愛好者が増える中で、条件の良い長野県に観光スキーに訪れる方も増えるでしょうとの話も出ました。

 一行は、その後、市内のレストランで県日中スキー交流委員会主催の歓迎会に出席し、関係者から熱烈歓迎を受けました。

  第43回日中友好スキー交流会、5年ぶり50人が楽しく交流(2/25~26)

 長野県日中友好協会女性委員会と同青年委員会の主催により、2月25、26日の両日、山ノ内町の竜王スキーパーク(宿泊は楽奇温泉旅館)において、第43回日中スキー交流会が開かれました。中国大使館・帰国者・華僑華人・友好協会会員の皆さんなど50人が参加して5年ぶりの楽しいスキー交流会となりました。

 開会式は楽奇温泉旅館で行われ、石﨑琢哉実行委員長の司会で、宮沢信代女性委員長が開会を宣言、西堀正司県日中会長代行が、あいさつ。「コロナが明け、5年ぶりのスキー交流会が関係者のご協力によって開催できた。参加者が心を通わせ、ケガの無いよう日中友好の楽しいスキー交流会にしましょう」と呼びかけました。

 初級レベルの皆さんの指導に当たる、宮崎常夫・小林敏・三井正美・小坂秀人らの各氏が紹介され全員の記念撮影の後、直ちにホテルのバスでスキー場に向かいました。13:30から16:30、1日目のスキーやスノーボードの教室がおこなわれました。初心者もマンツーマンの指導でだんだんと直滑降やボーゲンのコツを覚え滑れるようになっていきました。

 夜の交流会では、西村源さんの司会で、松本華恵青年委員長が開会の辞を述べ、布施正幸県日中副会長がスワロースキー㈱(丸山哲社長)や、楽奇温泉旅館(小林潤子代表)の協力のもと5年ぶりに友人を迎えスキー交流会を開催できたことに感謝し、「中国大使館、帰国者、華僑華人の皆さんと顔を合わせて交流できることはうれしい。友情を深め日中の平和友好に貢献していきましょう」とあいさつしました。

 大使館の5名を代表して劉丙鑫2等書記官が参加できたことに感謝し、日中友好を深め、スキーレベルの向上にチャレンジしたいとあいさつしました。王昌勝県華僑総会会長の音頭で乾杯、懇親会に入りました。女性委員会メンバーによるフラダンスや、、中国や日本の歌などが披露され、賑やかな懇親交流会となりました。じゃんけんゲームではたくさんの景品が用意されていました。中締めを、足立正則飯山日中会長が行い余韻冷めやらぬ中、一次会終了となりました。会場を移動してカラオケのど自慢交流が行われました。

 2日目もまずまずのスキー日和でした。自信をもって滑り降りる姿が目立つようになりました。スキー教室を終えて、昼食そして閉会式。松原京子さんの司会で、宮沢女性委員長が、スキー交流会が成功裏に無事、楽しく実施できたことに感謝。参加者代表の5名から感想発表がありました。「スキーを滑れるようになり、楽しい思い出になりました」 「来年もまた参加したい」とのうれしい感想が聞かれました。東京や横浜からの友人参加や飯山・中野・須坂・長野・上田・松本・飯田などから参加があり有意義な交流がで来ました。

 青年委員会と女性委員会のメンバーは多忙な中、準備に当たり、当日もピンクや黄緑のジャンバーを羽織って、受付、用具の手配、会の進行にと大活躍でした。
 第27期日中連続市民講座④「杜甫の自伝的長編詩を読む」(2/18)

 第27期第4回日中関係を考える連続市民講座が2月18日、日中友好センター教室において開かれ、中国文学専門で長野県立大学教授の谷口真由実先生が「杜甫の自伝的長編詩を読む」と題して講演しました。講座には20人が出席し熱心に聴講しました。

 谷口先生は、中国文学に見る自伝詩の歴史を紹介したのち、杜甫の自伝的作品を取り上げ解説しました。

◇唐代の詩人杜甫は多くの自伝詩を残しており、自伝詩人といわれている。その詩は3種に分類される。①すべての作品が自身の生活、経歴を反映している。②人生の節目ごとに作られた、時事を含めて回顧した長編詩=「詠懐古五百字」、「北征」、「秋日菱府詠懐一百韻」など。③晩年に一生を総括した、純粋に自伝的な作品=「壮遊」、「昔遊」など。

◇杜甫の晩年の自伝的な一連の詩は、いずれも安史の乱に始まる激動の時代を回顧する作品であり、自伝的な詩といえる。その中でも「壮遊」の詩は、世の中の転変に重心を置くのではなく、自分の変化を描いている点、自伝詩と呼ぶにふさわしい。(今回は省く)

◇今回は、安史の乱下における杜甫の自伝的な詩「北征」を取り上げて解説された。
 制作時期は、至徳2年(757年)、この時を起点に安史の乱勃発に遡って振り返り、事件や状況の刻々とした変化を回顧する場面が、作品の随所に織り込まれている。杜甫は、都での賊軍による軟禁状態からようやく脱出し、粛宗(玄宗の後継)のもとに駆け付け、その功により左拾遺の官を授けられた直後、宰相の房琯を弁護したために、皇帝の逆鱗に触れ、解職されて、帰省する。家族との再会は切望していたことであったが、このような形で暇を出されることは恥ずかしく、不満に感じてもいた。このように葛藤・煩悶の状況下で作られたのがこの「北征」詩である。この詩は五段落で構成されている。(1)旅立ちの経緯、目的が述べられる。併せて都を立ち去りがたい思いも描かれる。(2)帰省の途上目にした情景を詠じ、自然の恵みと同時に、白骨を見ては動乱の初期官軍の敗退、人々の死を回想する。(3)1年ぶりの家族との再会の喜びを描く。妻や子供たちが貧窮生活を送っていたことも詳細に表現されている。(4)現在の時局を述べる。官軍がウイグルの助けを得て禍を福に転じ賊軍を撃退してほしいと期待を述べる。(5)反乱勃発の当初を回顧し、陳将軍が、玄宗政治の過誤を正し楊家一族の処罰を要求したことへの賞賛を述べる。更に粛宗の中興により腐敗政治が刷新され唐王朝復興ができるであろうと期待を述べて結んでいる。
◎全体の構成を見て気づくのは、公的な存在としての杜甫のまなざしがとらえた、情景や思索に加えて、一人の人間としてのまなざしからとらえられた家族一人ひとりの動作の描写や情感が盛り込まれ、多元的な場面がおりなされていること。ーー更に詩文の主要な部分を紹介解説していただいた。

 第29回県日中友好都市交流会議、コロナ明け交流を再開(2/16)

 第29回県日中友好都市交流会議が2月16日、長野市の日中友好センターで4年ぶりに対面で開かれました。県、県協会及び関係自治体の国際交流担当者と日中友好協会役員19名が参加してそれぞれの友好都市交流の現状を報告し、意見交換を行いました。

 冒頭のあいさつで、稲玉稔・県国際交流課課長は「日頃の交流推進と協力に感謝したい。3年間のコロナ禍が明け、昨年夏には知事を団長とする訪中も実現した。河北省との交流継続を確認、北京市との交流協定締結などが行われた。情報交換を通じて、連携を深め、友好都市交流を進めていきたい」と述べました。

 また西堀正司・県日中友好協会会長代行は、日頃の日中友好のご尽力に敬意を表したのち、「コロナ禍による3年間の交流中断が昨年終わった。スタートを切って昨年4月に友好協会本部訪中団が派遣され、中日友好協会など中国側と話し合い新しい時代の交流関係を作っていくことで意見の一致を見た。地方民間交流と人事・経済分野の交流は重要な柱だ。意見交換を通じて地方民間交流を推進していきたい」とあいさつしました。

 参加者の自己紹介の後、担当者から報告が行われました。

◇県では、2023年度事業として①国際交流員による活動、②河北省との友好提携40周年記念しての8月知事を団長とした60名の友好訪中団派遣、河北省長、北京市長や中国対外友好協会、国家体育総局等の要人と会談し、青少年交流、冬季スポーツ交流、観光交流促進などを要請した。③ホストタウンNAGANO大学生国際交流リーダー育成事業(長野県・河北省大学連携交流(河北省の大学生受け入れ、河北大学へ研修員派遣、河北大学インターンシップ生受入れ)、河北省企業誘致プロモーション受け入れ、河北省及び北京市とのスキー交流を実施した。また5月に呉江浩大使来県を歓迎し、今後の交流について協力を約した。24年度は、①国際交流員による活動、②河北省との40周年記念 河北省代表団の受け入れと記念式典、北京市とのジュニアスキー選手団などの受け入れと青少年交流事業、大学生国際交流リーダー育成事業(養成講座・河北大学生との交流)、長野県・河北省大学連携交流事業(大学生受け入れ、研修員派遣各5名)、中国大学生インターンシップ生受け入れ事業などを予定している。

◇県日中友好協会では、23年度、日中平和友好条約45周年・河北省との友好40周年に当たりコロナ禍の平穏化を受けて、記念事業に取り組んだ。5月の定期大会に合わせて呉江浩大使の来県歓迎、8月の知事訪中同行と記念式典参加、友好都市から卓球選手を招いての日中友好都市卓球交流大会開催、9・10月の強制連行中国人殉難烈士慰霊祭(天龍村平岡・木曽町三岳)開催、10・11月の大学生・高校生50名の河北省・雲南省への派遣、11月の県女性委員会バスツアーで大使館訪問、1月の日中友好新春講演会と新年会開催、2月の日中スキー交流会開催、日中スキー交流の継続実施(県日中スキー交流委員会事業として県スノーボード訓練隊の河北省張家口への派遣、北京市・河北省からアルペンジュニア選手団受け入れなど実施)、中国語講座とスピーチコンテスト、第27期日中関係を考える連続市民講座、中国帰国者日本語教室と帰国者援護に係る市町村担当者研修会などに取り組んだ。24年度は河北省との友好40周年後半事業への協力、友好訪中団の派遣、記念講演と祝賀のつどいの開催、連続市民講座、中国語講座とスピーチコンテスト、帰国者支援交流などに取り組む。

◇長野市では23年度石家庄市中学生友好代表団12名受け入れ、長野市青少年友好交流団21名派遣、石家荘市語学研修生2名受け入れ、長野市語学研修生2名派遣、石家荘市友好視察団4名受け入れ、荻原市長トップセールス事業訪中派遣、日中友好都市中学生卓球交流大会開などに市日中友好協会などの協力を得て取り組んだ。24年度は石家庄市中学生友好代表団受け入れ、長野市中学生友好代表団派遣、石家荘市語学研修生受け入れ、長野市語学研修生派遣、石家荘市友好視察団(馬市長他)受け入れを予定。長野市日中友好協会としては、23年度日中友好マレット交流大会、ワールドフェスタin長野23、日中友好春節コンサートなどを実施した。

◇須坂市では、23年度、四平市との市長メッセージ交換、「日本と中国」須坂市版に「四平市の紹介」や新年メッセージを四平市から寄稿。日中友好都市中学生卓球交流大会は都合により不参加。24年度は友好都市30周年記念事業として相互に代表団を派遣(須坂市訪中団は8月実施)する予定。

◇松本市では、23年度廊坊市から選手団を受入れ交流と日中友好都市中学生卓球交流大会に参加。24年度は中高生のオンライン交流、それぞれ8名がそれぞれの都市を紹介し、ディスカッション交流を予定。

◇上田市では、23年度、寧波市と市長メッセージを相互に交換。選手団受け入れ交流と日中友好都市中学生卓球交流大会参加。24年度は「寧波市国際友好都市少年絵画コンテスト」へ作品応募。新年の市長メッセージ相互交換。翌年の友好提携30周年記念事業の準備。

◇飯山市では、23年度は深圳市福田区から選手団を受入れ交流、日中友好都市中学生卓球交流大会に参加。福田区国際友好公園建設への参与。飯山市を象徴するオブジェ設置として「唱歌朧月夜の歌碑」設置を依頼。24年度は、未定。

◇伊那市では、長らく北京市通州区の交流が途絶えているが、民間交流等を通じて関係を修復していきたい。(伊那日中友好協会)

◇山ノ内町では23年度、8月町長と観光商工課職員が密雲区政府を表敬訪問。図書の交換。24年度は密雲区代表団5名受入れ予定。図書の交換。

◇泰阜村では5年前に20周年記念事業を行って以来交流がとどこおってているが、方正県との関係を大切にして、帰国者支援などに取り組んでいきたい。

 コロナ禍が平穏化し交流が再開され、日中友好都市中学生卓球交流大会などが実施され、友好都市からの受け入れなどの動きがみられました。3年間のブランクによる損失は大きく、再び動き出すエネルギーは多くを要するが、地方民間交流が平和に大きく貢献することを自覚してお互いに頑張っていきましょう--と確認し散会となりました。
中国帰国者の体験発表‣講演と春節コンサート(2/12)

 長野県と県日中友好協会中国帰国者交流センターは2月12日、「第12回中国帰国者への理解を深める県民の集い」を長野市若里文化ホールで開きました。帰国者の体験報告と「満州移民」と残留日本人の歴史を教育実践の場で生徒たちに教えてきた飯島春光先生の講演が行われ、70人が熱心に聞き入りました。第2部では日中友好春節コンサート会場に移動して400人の皆さんとともに二胡の演奏を楽しく鑑賞しました。コロナ禍で5年ぶりの再開となった方もいて手を取り合って喜んでいる姿が見受けられました。

 主催者を代表して手塚靖彦・県健康福祉部地域福祉課長と西堀正司・県日中友好協会会長代行があいさつしました。

 手塚課長は、帰国者の皆さんが言葉や生活習慣の困難を克服して努力されてきたことににエールを送った後、開拓団のたどった悲惨な歴史を語り継いでいくことの重要性を語り、帰国者の皆さんが穏やかで安心した生活を送っていただくためにともに努力していきたいと語りました

 西堀会長代行は「全国一満州開拓団を送り出し多くの犠牲を出した長野県には5000人余りの中国帰国者の皆さんが暮らしている。開拓団の悲劇と帰国者支援問題は長野県と県民にとって忘れてはならない歴史。日中国交正常化から52年を経過したが、日本と中国は再び戦争せず、末永く仲良く付き合っていくことを約束した。本日は帰国者の皆さんの歩んだ歴史と現状への理解を深め、支援交流にともに励んでいきたい 。日中の懸け橋として帰国者の皆さんのご活躍を祈ります」と述べました。

 体験発表で中村みどりさん(72)=松本市=は、「残留孤児の主人は中国人養父母に育てられ、内モンゴルに暮らしていたが、紹介されて一緒になった。貧しい中で懸命に生きてきたが、日本の厚生省から手紙が届き、日本に帰ることとなった。希望をもって来日したが言葉もわからず今後に不安を感じ、中国での生活が懐かしく思いだされた。喬木の帰国者自立研修センターで徐々に日本の生活に慣れ、日本人の親切を感じることができた。松本に定着し、日本語教室に通いこの間、日中友好協会やナルクの皆さんに支えられ、陽だまり活動などに参加し、日本が好きになった。1世が亡くなっても配偶者の生活が困らない制度もできて安心している。いまは本当に幸せです」と振り返りました。

 特別講演として、「歴史と体験を伝えていこう-中国残留日本人の孫たちと学んできた満州開拓団・戦争」と題して飯島先生がわかりやすく講演されました。飯島先生は1990年代後半から中国帰国生徒が急増した時期に、篠ノ井西中学で18年間教鞭をとり、「満州移民」に焦点を当てた学年ぐるみの平和学習に取り組み、生徒たちに家族(祖父母、曾祖父母)の戦争体験聞き取り、発表することを通じて、身近にこの問題を感じ取れる指導を行って、帰国子女に対する激しい虐め、”荒れた学校”を克服していきました。
 「長野県が全国最多の満州開拓団を送り出した事実を信濃毎日新聞の調査によれば、18~20代の46.4%が知らない。中国帰国者の日本での生活のご苦労やその理由も知らないという現状がある中で、今、3世・4世世代(中高生世代)は日本語が達者で、中国語が話せない。先生方は生徒の家庭の歴史を知らない。どういう歴史を背負っているか知り、自分の歴史に自信をもって生きていってほしい」と強調された先生の言葉が心に残りました。

 続いて、日中友好春節コンサート会場で高山賢人さんの二胡を中心に、高久史子さんのピアノ、山田和矢さんのドラムが加わり、息の合った演奏を楽しく鑑賞しました。
高山さんは、幼少より音楽に囲まれた家庭で育ち、小学校時代に二胡の魅力に惹かれ独学で学び始め、中学生の時に人前で演奏を披露、音楽を届ける喜びと感動を見つけ奏者としての道を歩み始めたそうです。ジャンルにとらわれない自由で心に染み入る凛とした音色は大きな反響を呼び、各地でのイベントやコンサート、TV・ラジオなどに数多く出演しています。当日は、「光明行」、「夜来香」、「蘇州夜曲」、「月亮代表我心」、「北京有個金太陽」などのほか、「花~すべての人の心に花を」、「Libertango」も披露され、最後は、おなじみの「賽馬」で締めくくられました。会場の皆さんと一緒に帰国者の皆さんも楽しいひと時を過ごしました。春節コンサートは、長野県日中友好協会と長野市日中友好協会の共催で開かれました。
 

 北京市アルペンジュニア選手が野沢温泉でスキー訓練(1/28~2/2)

  北京市アルペンジュニア選手団一行15名が1月28日から2月2日まで、県日中スキー交流委員会の招きで来県しました。選手は小学6年から高校1年にあたる12名及び役員・コーチなどで、野沢温泉スキー場でトレーニングを重ねたほか、地元のスキークラブや中学生と交流しました。

 1月31日、一行は、県スキー連盟や、県日中友好協会役員とともに県庁を訪れ阿部知事を表敬。知事は一行を温かく歓迎し、「青少年がお互いに顔の見える交流をして、友情をはぐくみ技術を向上させていくことが両国の友好につながる」とあいさつし、健闘を祈りました。馬越団長(北京市雪上運動協会代表)(50)は豊かな自然やスキー場の先進的な施設、コーチの専門性とスタッフのフレンドリーさが印象に残ったとし、「交流を続け、新たな歴史を作っていきたい」と述べました。

 阿部知事は昨年8月北京市を訪問し、冬季スポーツや青少年交流などで協力する覚書を締結しています。

 一行は、市内のレストランで県日中スキー交流委員会主催の歓迎会に出席し、関係者から熱烈歓迎を受けました。

 第27期日中関係を考える連続市民講座③「日中関係の現状と課題」(1/27)

 第27期第3回日中関係を考える連続市民講座が1月27日、日中友好センター教室において開かれ、公社日中友好協会全国本部専務理事の西堀正司氏が「日中関係の現状と課題」と題して講演しました。

 西堀氏は長野県と河北省の友好県省40周年を記念し、昨夏阿部守一知事らと訪中した際のエピソードを報告。洪水の現場対応から戻った北京市長と阿部知事の会談で「防災・減災対策の話し合いを協力してやろうとの話になった。河北省との間では40年の成果を生かして交流を継続発展させていくことで合意した」と明かしました。「1979年から続く中国とのスキー交流も1998年の長野オリンピック招致の際の中国の協力の支援につながり、2022年の北京冬季オリンピック実現に大きく貢献したと中国側から感謝された」と述べました。

 参加者からの「日中の不協和音を埋めるのに何が有効か」との質問に、西堀氏は「世論が中国に対して冷めている。友好を喚起するには地方民間運動やマスコミや学校教育の役割が大きい」と強調。「県内にも9千人の中国人が暮らしている。直接あって交流するのが一番の近道」と訴えました。

 
 

2024年日中友好新春講演会・新年会を開催(1/23)

 長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は1月23日、2024年日中友好新春講演会・新年会を長野市内のホテル犀北館で開きました。友好協会会員や各団体関係者ら100余名が出席。新年会はコロナ禍の平穏化に伴い、4年ぶりの開催となり、和気あいあいの雰囲気の中、日中の友好交流の推進を誓い合いました。
 西堀正司・県日中友好協会会長代行は、「日中友好の立場で体制の違いを乗り越え、協力してアジアや世界の平和への貢献と緊張緩和を目指していきたい。地方民間交流の推進の年としたい」とあいさつ。来賓の阿部守一知事は、県と河北省の友好提携40周年に合わせて昨年夏に同省を訪れたことに触れ「顔の見えるしっかりとした信頼関係の構築が大切なことを実感した。今後とも皆さんとともに地方交流を継続推進していきたい」と述べました。また、若林健太・篠原孝・井出庸生(代)・中川宏昌(代)の各代議士、平井利博長野大学理事長、山本格日銀松本支店長、経済界、労働界、県国際交流課長、県産業政策課長、山ノ内町・松川村・白馬村の代表、王昌勝県華僑総会会長、夏丹長野孔子学堂中国側責任者ら各界来賓が出席し日中平和友好の重要性を語り、新年の友好交流発展に期待しました。

新年会に先立って、(公財)日中友好会館中国代表理事の黄星原氏が「日中関係の歴史・現状と課題」と題して記念講演しました。国交正常化以来の日中関係の推移を振り返りながら、“日中対立と対話の併存時代”にあって、コロナ禍で途絶えた日中交流の早期再開などを訴えました。黄先生は、日本大使館勤務や中南米などの大使を歴任され、中国人民外交学会副会長兼秘書長を務められるなど、国際的視野にったって日中関係を論ずるなど活躍しています。中国の現状に理解を深め、日中両国が今後、相互信頼を深め協力提携しアジアと世界の平和と繁栄に貢献していくにはどうしたらよいかをともに考える良い機会となりました。

講演の要旨は次の通り。


<日中関係の歴史・現状と課題> 

 

一、 一、日中関係は3つの段階に分けて推移して来た。 

⑴  (1)第一段階は1972年から1992年「日中友好の時代」:三千人の青年大交流、「国際的なバランス感覚」を持った政治家の存在。 
 ⑵  第二段階は1992年から2019年「日中摩擦とすり合い時代」:5年連続して小泉純一郎首相の靖国神社参拝、2010年の釣魚島(尖閣諸島)海域での中国漁船衝突事件、2012年同島国有化問題、領有権問題を巡る日中摩擦、マスコミにおける中国関連の報道の偏より、「一辺倒」政策に執念
 ⑶  第三段階2019から現在「日中対立対話併存時代」 

◎日中共同声明や平和友好条約などの四つの政治文書は日中関係発展の異なる段階において長期的かつ安定した中日関係発展の必要性、重要性、基本原則を全面的かつ深く述べ二国間関係を発展させるための具体的かつ重要な戦略を提示していた。 

二、 厳しい日中関係の現状

 (1) 従来の三大障害:台湾問題、領土問題と歴史認識問題。
 ⑵   新たな三大障害1.対立関係との位置づけ。2.経済切り離し。3.核処理水の問題。 
 ⑶   その背景に、①世界観の問題。②中国観の問題。③日中関係観の問題。 
 ⑷  中国の外交政策の中で、日本の重要性は変わっていない。 
 ⑸  日本の外交政策の中に、中国をどう位置づけるか。 

 三、 現在の日中関係は五つの課題に直面している。

 ⑴   激動する世界はさまざまな紛争が絡み合っている。
 ⑵   朝鮮半島が韓国政府の「一辺倒」政策により再び緊張状態になる。   
 ⑶  経済貿易の発展が日中両国の「政冷経寒」を防ぐ。 
 ⑷  コロナ禍で途絶えた日中間の交流を早期に再開する。 
 ⑸  環境づくりはどうすればいいか。   

四、 日中関係の未来に向けて改善への提言 

 ⑴   方向が未来を決めることを理解すること。
 ⑵  ウィンウィンを堅持して経済協力を推進すること。 
 ⑶  人的交流を深化させること。  
 ⑷  きちんと危機を管理すること。 
 


 年頭祝辞-日中共同声明等を守り、日中の平和友好、交流を推進しよう! 

           長野県日中友好協会 会長代行 西堀正司

あけましておめでとうございます。過ぐる1年は世界的な不安を強める事案が多くありました。ウクライナ戦争、ガザ戦争、地球温暖化、米中対立等々です。

一方で、3年間にわたった、「新型コロナ」の流行が終り、新しい時代の新しい行動を考えた1年間でもありました。4月に友好協会全国本部は、民間団体として最初の訪中団を派遣し、中日友好協会など中国側と交流再開につき諸課題を話し合いました。

3年間は日中民間交流にとって、困難な期間でした。対面交流が中断を余儀なくされ、人事交流、文化スポーツ交流は大きな打撃を受けました。このような中でしたが、日本と中国の関係者は経済貿易などで最大の努力を行い、オンラインでの交流などで困難を克服してきました。会員の皆様もたくさんの努力を行っていただきました。

昨年は日中平和友好条約45周年、長野県と河北省友好県省40周年の節目の年でした。7、8月には県知事、県会議長はじめ各界の代表者による訪中団と県協会代表団が合同で60名の大型代表団を編成し、北京市、河北省などを訪問しました。今後の友好交流を方向付ける大成功の訪中でした。また8月には、河北省など5友好都市から中学生卓球選手団を招いて卓球交流大会を開催し友好を深めました。秋には2度にわたり、大学生、高校生訪中団50名を派遣し、青少年交流の成果を上げました。

現在、日本と中国には課題も多くあります。国民感情も決して良好とは言えません。領土・領海問題や、台湾をめぐる一部政治家の不穏当な言動、福島原発処理水問題などです。日中平和友好条約では体制の違いを認め合ったうえで、紛争の平和的解決、覇権を求めないことなどを約束しています。県協会は、平和友好条約や、日中共同声明など両国で結ばれた4つの重要文書の原則と精神を守ることを柱として活動してきました。今後も、県や多くの皆さんとともに地方民間交流を推進していきます。

本年は、中国建国75周年の年です。14億の住む隣国中国の動向に関心を寄せ、友好交流を進めていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいいたします。

 
 
初春を迎えて
(1/1) 2024

長野県知事  阿部守一

  明けましておめでとうございます。

皆様には、健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年は、コロナ禍の停滞感を吹き飛ばすかのように、世界各国との交流が再開されましたが、とりわけ日中両国の間では充実した交流を行うことができました。5月には呉江浩駐日中国大使を本県にお迎えし、8月には私にとって4年振り9度目となる中国訪問を貴会会員の皆様や県内関係者による約60名の訪問団で行いました。

友好提携40周年を記念して訪問した河北省では、王正譜省長はじめ省幹部の皆様、対外友好協会、産業界、本県留学経験者など多くの方々と交流することができました。また、北京市では殷勇市長とお会いして、両県市の友好協力に関する覚書を締結するとともに、冬季スポーツや経済面での交流、次代を担う青少年交流の重要性について未来志向の意見交換を行いました。

このほか、河北大学生と県内大学生の相互訪問交流や中国大学生のインターンシップ受入、貴会のご尽力により行われた日中友好都市中学生卓球大会や河北省・雲南省への青少年交流訪中団派遣など数多くの交流が行われました。関わられた皆様におかれましては、対面での交流がいかに重要かあらためて実感されたことと存じます。

こうして、中国の多くの友人と再会を喜び、親交を深めることができたのも、故高波謙二会長をはじめ先人の方々による交流の積み重ねがあってのことです。

本年におきましても、故高波会長の意志を引き継ぎ、貴会の皆様と共に中国との友好の絆をさらに深めていけるよう、精一杯取り組んでまいりますので、皆様のご支援・ご協力をお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

 
新年あいさつ (1/1)
2024

                       中華人民共和国駐日本国

                       特命全権大使  呉江浩

  新年にあたり、中国駐日本大使館を代表しまして、長野県日中友好協会及び会員の方々にお祝い申し上げ、そして長期にわたって中日友好の信念を堅持し、対中交流と協力に取り組んできた各界のご友人の皆様に心より敬意と感謝を表します。

 過ぎ去った2023年を振り返り、中日両国は平和友好条約締結45周年という重要な一里塚を迎えました。双方は条約締結45周年記念をきっかけに、共に締約の初心を温め、平和友好の信念を堅持し、対話・意思疎通と交流を積極的に展開し、実務協力を推し進め、中日関係の全体的な安定と改善を推進してきました。習近平国家主席と岸田文雄総理は11月にサンフランシスコで再び会談を行い、両国指導者は戦略的互恵関係の包括的な推進を再確認し、当面の中日関係に極めて重要な政治的牽引を与えてくれました。中国側は日本側と共に、両国指導者の重要な共通認識を指針として、政治的基礎を守り、人的文化交流を深め、互恵協力を強め、妨害や障害を排除し、新時代の要請に相応しい建設的かつ安定的な中日関係の構築に共に取り組んでいきたい所存であります。

 現在、中日関係は改善と発展の重要な段階にあり、両国政府、民間、地方及び各界の方々が共に努力することは必要不可欠であります。私は昨年着任後初めてとなる地方訪問で長野県を訪問し、県内各界の皆様の友情に深い感銘を受けました。長野県と河北省友好県省締結40周年の節目に、阿部守一知事は河北省を成功裏に訪問され、一連の積極的な成果を収め、双方の交流と協力を新たな段階へと推し進めました。私たちは貴協会女性委員会と大使館女性職員との交流会を主催し、貴協会と大学生訪中団を実施することによって、新時代の中国に対する理解を深めたことを大変うれしく思います。長野県が友好の伝統を発揚し、より多くの豊富多彩な友好活動を行い、両国国民により幅広い参加を呼びかけ、新時代の中日民間友好の新たな一章を綴ることを心から願うところであります。

 末筆ながら、友人の皆様のご健勝ご多幸を心からお祈り申し上げ、新たな一年において中日関係のさらなる改善と発展を祈念申し上げます。