河北省との友好40周年記念し長野県&河北省青少年交流訪中団派遣(10/1419 2023

◇河北省人民対外友好協会の招きで27名が河北省・北京を訪問交流

 日中平和友好条約45周年と長野県河北省友好県省締結40周年を記念して長野県&河北省青少年交流訪中団一行は10月14日から10月19日まで、河北省保定市と石家庄市、北京などを訪れました。この団は、日中友好交流を促進するため、日中両政府が日本と中国の青少年を5年間でそれぞれ3万人を相手国から招聘する計画の一環で、日中の同世代の若者が直接交流し、お互いの文化や歴史、考え方を知り、お互いを理解し、絆を育むことを目的としたものです。大学生9名、高校生14名など27名で編成され、保定、石家庄では、大学や高校(中国では高級中学)を訪問交流し、また名所旧跡なども参観して、友好と親善を深めることができました。長野県日中友好協会から布施正幸副会長、中澤保範事務局長、長野県国際交流課からは松本暁鳳通訳らが同行しました。

◇保定・石家庄・北京 友好の6日間

 10月14日早朝、羽田空港で勢ぞろいした一行は、CZ648便に搭乗して、北京大興国際空港へ。大興空港は2019年に開港された新設の空港で規模設備ともNO1と言われ、北京の西南に位置し、保定、天津などとの連絡の上でも地の利を得ています。河北省友好協会の杜海滄秘書処長、董彤さん、石家庄市友好協会の薛洋さん、旅行社の張鉄民さんらに出迎えていただき、さっそく大型バスで保定市に向かいました。高速道路を走り2時間余りで保定華中ホリデイインホテルに到着しました。李行行保定市外事弁公室副主任、張瑜保定市共青団幹部、夏文傑保定市第1中学党書記、張明輝河北大学国際合作処総合科長、呉丹通訳らが出迎えてくれました。歓迎宴を催してくれ、李副主任は一行を心より歓迎しますと述べ、保定市が北京の南の大門で歴史の街であるとともに、河北大学や保定第1中学など優秀な人材を育成していること等を紹介していただきました。布施団長は、保定市易県での6年間の緑化協力事業や河北大学と県立大学との協力協定締結などに触れ、この度の青少年交流を通じて相互理解が深まることを願っていますと述べ、あたたかい歓迎に感謝しました。打ち解けた雰囲気の中で、青少年の教育や活躍について意見交換をしました。

10月15日は午前中、直隷総督署と古蓮花池を参観しました。河北省(冀州)は、清朝では、直隷省と呼ばれその省都であった保定は北京を守る極めて重要な役割を果たしていました。直隷総督は行政と軍事の権限を持ち、李鴻章や曽国藩などの実力者が任に着いたと説明を受けました。300年ほどの歴史を持つ総督署の建物は3万平方メートルと規模が大きく立派に保存されていて、人物模型も配置され、往時の役所と奥の生活ぶりがうかがえるようになっていました。古蓮花池は中国10大名園の一つに数えられていて、その面積は35000平方メートル、800年ほどの歴史を有しています。蓮池を囲むように、亭、台、楼、閣など北方と南方の様式を取り入れた優美な建物群が立ち並び、蓮池と槐の古木、柳、数多くの石碑があり、「蓮池書院法帖」は有名です。一行はここで孔子の教えを実践している老師の指導で古代の服をまとって帽子をかぶり、孔子さまの弟子のいでたちで、礼楽の講義を受けることとなりました。壎(ケン:土笛)そして鼓、編鐘、拍板、簫(ショウ)、磬(ケイ)、筝(ソウ)、笙(ショウ)。壎(ケン)は土笛に形も音もよく似ていて懐かしい音色でした。

次に河北大学五四路キャンパスに向かいました。大学の責任者に案内され河北大学の歩みの展示館を参観。1921年に天津工商大学として設立され以後幾多の変遷を経て、河北大学となったとのこと。中国教育部と河北省政府が共同で関与していて、28000人の学部生と11000人の大学院生が在籍し、学んでいる重点大学だそうです。哲学、経済学、法学、教育学、文学、歴史学、理学、工学、農学、医学、管理学、芸術学の12の主要な分野をカバーしていて85の学部、17の博士学科、47の修士学科、33の専門修士学科などがあるといいます。参観、昼食後、大学生グループと高校生グループに分かれて行動しました。大学生は、河北大学七一路キャンパスへ、高校生は、保定第1中学へ向かいました。

河北大学七一路キャンパスには、河北大学外国語学院があって、そこで、日本語を学んでいる学生と交流しました。ロの字型に並べた机に座って、中国学生男女の司会者の手際よいリードで日本語での自己紹介の後、しりとりゲーム、カードゲームなどをおこない、最後打ち解けたところで、お互いに聞きたいことを質問し合いました。気が付いてみると2時間近い時間が過ぎていました。校舎の前で一緒にカメラに納まり別れを告げました。

保定第1中学を訪問した皆さんは大勢の生徒さんたちの出迎えを受けびっくり、サッカー交流試合なども行って大いにもりあがったとの感想が聞かれました。中国では中学というと初級中学=中学と高級中学=高校が含まれています。第1中学は北京大学や清華大学などへの合格者も多い名門校で「状元の郷」の名声を獲得しているとともに、生徒の適性に応じて教育し、興味を育み、能力を向上させることにも力を入れ、能動的な探求を目指すことを校風としているとのことです。

2つのグループは保定市民衆芸術館で合流して、市民のサークル活動発表、演劇や踊り、楽器演奏を鑑賞しました。チャルメラ演奏、保定鉄球バランス芸、保定老調(保定の地方劇)、伝統武術、古琴演奏、1人2役「悟空が猪八戒をからかう」、壎(ケン土笛)の演奏、舞踏「長信宮灯」など多様な演目で、レベルの高い芸が披露されました。終演後、団員全員舞台に上がって、市民俳優の皆さんと記念撮影しました。

10月16日はバスで正定県に向かいました。城壁に囲まれた正定県は、石家庄が石太線(石家庄から山西省の太原へ通ずる鉄道)の開通に伴い急速な発展を遂げるまでは、この地域の中心でした。また、正定県はかつて若かりし頃の習近平主席が党書記として赴任していたところで、現在発展著しく、全国の注目を集めているところです。まず、太平河都市エリア計画展示センターを見学しました。意欲的な発展計画を巨大な映像で紹介しており、印象的でした。続いてモデル農村の塔元莊村を訪問しました。初めに体験交流館で中国の伝統的万頭づくりを地元の高校生と4人一組で体験しました。パンダや薔薇思い思いのデザインで作った3色の万頭は、蒸かして後ほど届けられおいしくいただきました。村内は農村から都市への移行過程にあるように見受けられました。年間60万人の視察団が訪れるとのこと。昼食を河北賓館別館でおいしくいただき、名所旧跡を参観しました。南城門に上ると4つの塔が見えました。城壁が修復され、歴史ある正定県のイメージが浮かび上がってきました。続いて臨済寺と隆興寺を参観しました。臨済寺は禅宗の臨済宗の本山で、日本からの代表団も訪れるとのことです。隆興寺は1400年余りの歴史を持つ河北省が誇る寺院です。お坊さんはおらず文物管理局が管理しています。極楽浄土を描いた壁画や、北向き観音像、21メートルの巨大な銅製の千手観音像など国宝級文物があまた保管されています。宋の初代皇帝の趙匡胤が寄進した千手観音像の迫力は圧倒的です。文豪魯迅が最も美しいといった北向き観音像のほほえみは印象的でした。余韻を残しながら、石家庄ハイテク経済開発区の以嶺薬業康城を参観しました。「以嶺」はこの巨大製薬企業グループを設立し率いたリーダーの名前で、康城は健康都市といったところでしょうか。漢方の絡病理論をベースにしながら現代漢方薬、科学医薬品、健康産業を3本柱として、15000人の従業員を有する著名な企業で、新型コロナ感染予防、抑制にも貢献しているとのことでした。

視察を終えて、河北中国大酒店へ到着しました。このホテルは河北会堂や迎賓楼を併設している省政府と関係の深い施設と聞きました。河北省人民対外友好協会の呂暁梅執行副会長主催の歓迎晩餐会が行われました。落ち着いた雰囲気でフォーマルな晩餐会、料理も最高でした。呂副会長は歓迎あいさつの中で、青年の船の交流の一環で長野県を訪問しホームステイをした思い出を語り、友好の思いにあふれていました。布施団長も、河北省友好協会のご招待に感謝し、大学生、高校生同士の交流を通じて新たな50年若い世代が友好の担い手となり、末永い友好協力が続いていくことを心より願っていますと感謝の意を表しました。また、7月の河北省の大水害の第2次の義援金50万円が長野県日中友好協会より河北省友好協会に贈られました。これは夏の知事訪中団参加者や日中友好協会の皆様からの義援金です。なお第1次分義援金の感謝状が河北省友好協会より長野県日中友好協会に贈られました。引き続いての記念品の交換に続いて、なごやかな交流が進みました。佳境に入って、訪中団から感謝の思いを込めて「栄光の架け橋」と県歌「信濃の国」を歌いました。中国側と大人グループは「北国の春」を日本語と中国語で披露しました。楽しい友好のひと時の締めを中澤保範事務局長が行い、握手をしながらお暇しました。


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17日は、石家庄市での学校訪問と高校生はホームステイ体験の日です。2台のバスに分乗して、河北博物院に向かいました。博物院では、中山国と満城漢墓の出土文物の展示が行われていました。中山国は戦国時代、石家庄近くに存在した異民族の国で、その墓から出土した文物は造形美にあふれた優れて貴重な国家級宝物です。「鹿を食う虎」の像などはすごいの一言です。中山国の象徴山形飾りは長野市にもレプリカが贈られています。満城漢墓は保定郊外の満城県の漢代の墓で、そこから出土した金縷玉衣(きんるぎょくい)は王の遺体を覆っていたもので超一級文物に他ならないでしょう。銀縷玉衣(ぎんるぎょくい)も見事でした。

一行は2つのグループに分かれて、高校生は、石家庄外国語学校を訪問し、大学生は河北師範大学を訪問しました。

石家庄外国語学校では、裴校長らの歓迎を受けました。小、中、高のクラスのほか幼稚園クラスがあり、1万人以上が在籍する有名校です。園児から英語を学び、中学生になると第二外国語として日、ロ、独、仏、スペイン語等を学ぶ仕組みになっています。また22か国、203校と友好関係を結んでいるそうです。日本語を学んでいる高校生の皆さんが通訳しながら校内を案内してくれました。この皆さんはホームステイ受け入れ先の生徒で、だんだん交流を深められるようになっていました。100m競争、書道、日本語授業、昼食そして英語のテストなど珍しい体験もしました。夕方各家庭の親御さんが車で迎えに来てくれました。(翌朝の皆さんの顔は輝いていました。楽しい思い出を紡いだことでしょう。)

 河北師範大学を訪問した大学生グループもあたたかい歓迎を受け交流しました。大学は120年以上の歴史があり、現在、教職員2600人余り、学部生25000人余、大学院生6000人余、成人教育の学生11000人余という巨大な総合大学です。傘下に外国語学院を有し、対外交流も盛んです。書道体験教室では「福」の字を書いて記念にいただいてきました。一行はその後、趙州橋と柏林禅寺を参観しました。趙州橋は隋代に建てられた世界最古のアーチ形の石橋で、芸術的価値も高いといわれています。柏林禅寺は1800年ほど前に建てられた歴史の長い寺で、160人余の僧侶がおり、内部に河北省仏教学院と河北禅楽研究所が設けられています。

  10月18日は、早朝、ホームステイした高校生と合流して、北京に向かいました。たくさんの交流の思い出を残してくれた河北省ともお別れです。霧のため高速道路が一時閉鎖された影響で、万里の長城八達嶺に着いたのは午後2時を回っていました。八達嶺ヒルトンホテルで昼食を済ませた後、さっそく万里の長城へ。憧れの万里の長城の雄大な姿に、若者は途中何度も写真を撮りながら、勇んで急ぎ足で登っていきました。万里の長城は大勢の観光客でにぎわっていました。また緑化に徹底的に力を入れた結果、上り口周辺は緑が増え印象が変わってきました。表土が少ない岩山の緑化はさぞ困難があっただろうと思いながら、しかし変わらぬ延々と連なる長城をながめ、その悠久な歴史を回想しました。春秋戦国時代、始皇帝の天下統一、漢武帝の匈奴との対峙、長城は明の3代永楽帝の時に煉瓦や石つくりの頑丈なものに作り替えられたといいます。東の山海関から西の嘉峪関まで延々6千キロ(中国の里で1万2千里)想像を絶する人力を投入して巨大建造物が出来上がり、現在に至っているのです。中国の底力を感じました。

 北京市内に移動し、有名な「東来順」で羊のしゃぶしゃぶ料理をいただきました。中国最後の晩餐には全日程同行案内いただいた、董彤さんや張鉄民さん薛洋さんも同席して大いに交流しました。

  10月19日は、早くも、帰国日です。午前中、天安門広場と故宮博物院を参観しました。明代清代の皇帝の居城は金色の瑠璃瓦と朱塗りの門のコントラストよろしく目に飛び込んできました。天安門広場には先日の国慶節の記念の花かごの飾り物が添えられていて、絶好の記念撮影スポットになっていました。観光客の溢れる中、迷子にならないよう心して張さんの説明を聞きながら進んで行きました。故宮博物院の太和殿をバックに全員で記念撮影しました。映画「ラストエンペラー」はここで撮影されたのだと思い起こしながら、人波の中を進みました。

 最後の昼食はおいしい北京ダック料理でした。団員のOさんの誕生日祝いのケーキが出され、皆で「ハッピーバースディ」を歌ってお祝いしました。董さんのご配慮に感謝しながらおすそ分けをいただきました。

 時間が押してきている中、一行は、北京大興国際空港に向かいました。6日間の友好の旅はまもなく終わろうとしています。バスの中でお別れのあいさつを交わし、長野での再会を約束しました。15:15、CZ647便は予定通り北京を飛び立ち羽田に向かいました。